05
間違い探しです。
朝の執務室と、夕方の執務室。違うところは何処でしょう?
正解は、異常なほど増えている書類と、執務机に突っ伏して明らかに心が折れているリヒト殿下です!
殿下あああああ!!!!
「ベル、ぼくのこといっぱい褒めて。リヒトはえらいね、かしこいねって褒めて」
「殿下の心が重傷なんですけど……!!」
「ベルに褒めてもらえたら、ぼくまだがんばれるから……リヒトはえらいねって言って……」
くすんくすん、リヒト殿下が両手で顔を覆われる。
震える肩とか細いお声に、心臓がぎゅっとした。
誰だ、殿下をここまでいじめたやつ……!
僕まで泣きそう……。
殿下、毎日こんなにお身体を酷使されていらっしゃるのに、何でこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだろう……闇討ちしなきゃ!
殿下の背を擦り、頭を撫でる。
柔らかな金糸は、彼が寝癖を放置し出した辺りから、僕が整えている。
髪すら……! 髪を梳く時間すら惜しむ過重労働なんて……!!
「殿下は充分過ぎるほどがんばられています……! えらいですし、すごいです。言葉に尽くせません!」
「ぼく、がんばれてる……? なんだか川原で石積んでる気分……。さすがに今回のは心にきた……」
「毎日毎日、朝から晩までお仕事されていて、がんばっていないなんて言わせません。そのような方がいるのでしたら、僕がやっつけてきます!」
「ありがとう……。言い方はかわいいのに、何でか闇討ち連想しちゃった」
「ご要望とあれば、すぐにでも」
「大丈夫だよ、ありがとう。……仕事増えちゃうし」
くっ、それはいけない……!
殿下にこれ以上の労働を強いるわけにはいかない!
俯かれるリヒト殿下が、「お茶くれる?」所望した。
慌てて茶器を調えに向かう。
執務室に戻ると、殿下は顔を上げていた。
けれども目許が赤く、心が痛い。
誰だ殿下を泣かせたやつ……!
「ありがとう。見苦しいとこ見せて、ごめんね」
「殿下はもっと、弱音とか吐いていいんですよ?」
「でもぼく、ベルにかっこいいとこ見せたいし」
「……リヒト殿下、」
机の左端に茶器を置き、重厚な椅子に座る、彼の傍らに膝をつく。
覗き込んだお顔は、驚いた様子だ。
最近見下ろしてばかりのそれを、久しぶりに見上げる。
色素の薄い手を、両手で包んだ。
「リヒトはえらいです。とってもえらいです。こんなにも毎日がんばっていて、すごく尊敬しています。ですけど、僕はいつもの、のほほんとしているリヒトもかっこいいと思っています」
一呼吸おき、碧い瞳をじっと見詰める。
「あなたがしんどいとき、僕はお話を聞くことしか出来ません。それでも、頼ってもらえたら、この上なく幸いに思います」
言い終わってから、敬称の不在と出過ぎた真似を謝罪する。
見上げたリヒト殿下の碧眼に、じわりと涙が浮かんだ。
思わずぎょっとする。
包んだ手を握り返され、彼が目許を和らげた。
片手で口許を覆った殿下が、涙混じりの声で囁いた。
「ベル、結婚しよ」
「殿下の現状のメンタルを思うと、雑な返しが出来ない……」
「ありがとう、すごく元気出た」
長く息を吐いたリヒト殿下が、握る手を緩める。
彼の手を解放して立ち上がると、柔らかな微笑を向けられた。
落ち着いた仕草で、あたたかな紅茶を手に取る。
「ちょっと長くなるんだけど、ぼくの弱音、聞いてくれる?」
「はい、勿論です」
「あとね、ベルがいてくれたから、ぼくは助かったんだよ。ありがとう」
僕の返事に、殿下が優しい笑みを向ける。
それがテーブルに置かれた紙の山へ向けられ、遣る瀬ない表情へと変えられた。
紅茶を飲む仕草は洗練されているのに、とても疲れた印象を受ける。
「あのね、そこの増えた仕事、本来であれば、とっくに終わってるはずのものだったんだ」
――話は星祭りまで遡る。
各地の貴族を集めた会議の中で、各祭典の行事担当を決める議案があるらしい。
期間中、コード卿こと旦那様が、大層お疲れになっていた、あの会議だ。
旦那様は、よく収穫祭の担当に当たるらしい。
しかし今年は、冬の行事である六花祭へ回され、別の人たちが担当となった。
並んだ顔ぶれに、リヒト殿下はこの時点から嫌な予感がしていたそうだ。
連携が取り難そう。
その予感は、見事的中した。
間が悪いことに、これまで王城で公務されていたリヒト殿下は、今年から入寮されている。
例年を思えば、とっくに教会から指示が出ているはずなのに、話がやってこない。
何度も王城へ確認を取るも、時差のかかるそれは明瞭な返事を得ず、有耶無耶にされてしまう。
更には、現在抱えている『対立』を示す、凶星の観測。
重なると不味い。
そう思った矢先に、仕事が届いた。
普段こなす以上の書類の山が、どんっと。
頭痛がした、とリヒト殿下は言っていた。
実行委員に事情を問うも、「なにぶん不得手で」「王子殿下ほどのお方ならば、この程度我々より云々」望んでいた返答とは違うものをされ、篭城を決意したそう。
「殿下がそのような思いをされていたとは露知らず……っ、僕は……ッ!」
「ベルはなにも悪くないよ。こんな社会の闇なんて、見せたくなかったし」
「それでもっ、お傍にいたにも関わらず、全く存じ上げなかったなんて……!」
「ありがとう。ベルも自分が15歳なんだって、忘れないでね」
リヒト殿下が受けた苦行の数々に、涙を耐える。
苦笑いを浮かべた殿下が紅茶を含み、静かに続きを話した。
毎年収穫祭に携わっているため、リヒト殿下はご自身に割り振られた役割以外の事情にも、対応することが出来た。
この点が、これから起こる仕事雪だるま事件を助長させる結果となった。
本来であれば、片付いているはずのものが、その段階にまで辿り着けていない。
この事実が殿下の身動きを封じ、余計に孤立させた。
前述通り、殿下は入寮している。
これまでは、ほんの少し歩けば尋ねられた内容も、物理的な距離が行動を阻む。
使いを往復させなければ話も出来ず、その話も上手く通じない。
何度教会と宰相へ連絡を取るも、何故か取り次いでもらえない。
そしてどんどん持ち込まれる書類。
この時点で察した、『不始末の隠し場所にされている』現象。
ここでかなり心が折れたらしい。
けれども収穫祭は、この国一番の祭典。
外部からも来賓を招いているそう。
期待値が高いため、絶対に成功させなければならない。
ここで、『人としての最低ラインを捨てる』決意を固めたらしい。
「そのようなことになっていたとは知らず、僕は勝手なことを……!!」
「ベルがいなかったら、多分ぼく倒れてたから。だから大丈夫だよ? 落ち着いて?」
「それでも! もっと善作があったでしょうに、胡椒プリンを作ろうとして……!」
「あれはぼくも悪乗りしたし、面白かったからいいよ。ベルがいてくれて、本当に助かってるんだから。ね?」
リヒト殿下に宥められ、過去の暴挙が引き止められてよかったと、心から思った。
彼が話を続ける。
転機となった切っ掛けは、意外なことに、僕が頻繁にヒルトンさんへ送っている報告書かららしい。
始め旦那様は、「うんうん、そうだよね、忙しいよね」とほっこり読んでいたそうだ。
しかし殿下がごはん食べてない、ベッド使ってない、といった言葉を並べた辺りで、「あれ?」と思われたそう。
心配になって実行委員に進捗状況を尋ねるも、旦那様はそのお立場上、疎まれる。
今回は携わっていないこともあり、何度も煙に巻かれてしまった。
また、収穫祭に当たることの多い旦那様から見て、今年の実行委員からは慌しさが感じられなかったそうだ。
祭りの多忙さは、身にしみて理解している。
これは確実に何かあると踏んだが、如何せん決定打に欠ける。
そこに物理的な証拠を持って現れたのが、宰相閣下だった。
宰相閣下は国の中枢であり、それこそ膨大な仕事量を抱えている。
そんな中、収穫祭の進捗状況が芳しくなく、催促すれど返ってくるのは濁された反応のみ。
ようやく届いた書類は、リヒト殿下の文字ばかり。
そしてその中に、ここにあるはずのない、文通相手の筆跡を見つけた。
これはどういうことかと問い詰めれば、ようやくここで、ほとんどの仕事をリヒト殿下へ丸投げしている事実が明るみとなった。
旦那様は、目の前が真っ暗になったらしい。
「まさかそのような形で、僕のあずかり知らぬところでお役に立てていたとは……!!」
「だから言ったでしょ? ベルがいたから助かったって。本当にありがとう」
「僕に報告癖を与えたヒルトンさんと、文通してくれたティンダーリア家の妖精さんのおかげです!」
「本当、ベルにお願いしてよかったよ。クラウスのところは警備にかかりっきりだし、実行委員としては発言力が弱いから」
苦笑いを浮かべたリヒト殿下が、ゆっくりと茶器の水面を回す。
……彼は明かさないが、今年の殺人事件は、準備期間中に起きた。
普段ならもう少し緩められる警備も、厳戒態勢から始まっている。
騎士団長であるクラウス様のお父様は、現在も手が離せない。
発見が遅れた最たる理由は、実行委員が隠蔽していたためだ。
あれほど殿下が連絡を取りたがっていた、教会や宰相は、殿下から連絡がないことを訝しんでいた。
何度も使いを出したが、返事がない。
仲介が隠滅していたんだ。
連絡が届くはずがない。
――何故こんなことになったのか?
収穫祭は、この国最大の祭典だ。
実行委員に任命されることは大変名誉なことであり、功績を得られる。
対して相応の資質を求められるが、今回は栄光のみを求めた結果らしい。
リヒト殿下が星祭りに感じた『嫌な予感』は、並んだ顔ぶれが、名声を求める気質ばかりだったからだそう。
反論も、地位と権力の前では、発言には至れない。
公爵である旦那様は、何度も収穫祭を担当している。
その実績が周囲には疎ましく、この議題に於いての旦那様の発言力は、弱かった。
そして何より、リヒト殿下は仕事が出来過ぎた。
この事実に実行委員は甘え、事情を知らない周囲は、「準備が遅れている」程度の認識にしか至れなかった。
……僅かな手掛かりに気付いてもらえて、本当に良かった。
消化不良は勿論ある。
正直、本気で顔も知らないその人たちを闇討ちしたい。
それでも何より、殿下の「苦しい」が伝わって良かった。
現在、収穫祭の担当経験者に声をかけ、王城に缶詰しているらしい。
相当お怒りになられた旦那様が指揮を執っており、鬼気迫るお顔で始末をつけているそうだ。
僕は温和でお嬢さまにでれでれで、坊っちゃんに避けられしょんぼりし、ヒルトンさんの軽いいたずらにお困りになられて、奥様に世話を焼かれて照れている旦那様しか知らないので、その様子がちょっと想像出来ない。
旦那様って、怒るんだ……。
「もう二度と、コード卿を収穫祭から外して欲しくないって、心から思った」
「旦那様、ありがとうございます……っ」
遠い目をするリヒト殿下に、涙が出てくる。
こんな都合の悪いことばかりを繋ぎ合わせたジグソーパズル、いらない。
大人は何してるのと何度も思ったけど、本当何してるの?
殿下に何てことしてくれてるの?
「で、この目の前の山が、彼等の最後の悪足掻き」
「大人ってきたない……」
「宰相にばれたからね。見つかる前に、ぼくに押しつけようとしたみたい」
疲れたお顔でため息をついたリヒト殿下が、『不始末の隠し場所にされている』状況に遠い目をする。
9階のこのお部屋まで持って上がるのは、使いの人だ。
実行委員の貴族じゃない。
それが余計、もやもやする。
不満に思う僕を、リヒト殿下が笑った。
「大丈夫だよ。宰相が知ってるんだ。相応の罰は下るし、コード卿がざまあしてくれた」
「殿下も『ざまあ』なんて言うんですね」
「今回ばかりはね。……がんばったらがんばった分だけ、自分の首を絞めるだなんて」
「大人ってきたない!!」
悲痛を叫ぶ。
リヒト殿下は器用なお方ですけど、本当は睡眠時間を削ってまで、お仕事に従事されていたんです!
お食事だって忘れられていたんです!
見た目にとっても気を遣われるお方なのに、寝癖だってほったらかしだったんです!
殿下の努力を否定するだなんて、なにごとですかー!!
「僕、自分が想像以上に怒っていることに、戸惑っています。こんなにも率直に闇討ちしなきゃって思えるなんて……」
「その気持ちだけで充分だよ。ありがとう、ベルには助けてもらいっぱなしだね」
「ですけど! やっぱり爪の間に絹針刺すところから始めなきゃ……!」
「……それ、闇討ちじゃなくて、拷問だよね?」
「殺すのは不味いと仰られたので」
「うん、ありがとう。やらないでね? ベルが手を汚す必要なんて、ないんだから」
若干笑顔を引きつらせた言葉に、しょんぼりと頷く。
リヒト殿下がお望みでないのなら、仕方ない。
空になった茶器をソーサーに置き、殿下が大きく伸びをした。
「ぼく、コード卿の子どもになる。コード卿のこと、『ぱぱ』って呼ぶ。それから宰相の側室になって、ベルのことお嫁さんにする」
「殿下、……それは殿下の立ち位置が、よくわかりませんよ……?」
「いいよ、それで。それでミュゼットとアルバートときょうだいになって、めちゃくちゃ甘いお菓子作って、クラウスに無理矢理食べさせる。それをリズリットと指差して笑う」
「いつも思うんですけど、クラウス様に何の恨みがあるんですか?」
「恨みじゃないよ? ぼくのかわいい悪ふざけ」
「クラウス様、お労しい……」
クラウス様が、一体何の業を背負っているというんだ。
けれどもリヒト殿下が思い描く絵空事は楽しそうで、ちょっとだけ笑ってしまう。
彼がこちらを見上げた。
ほんのりと目許が緩められる。
「ベルはぼくのお嫁さんだから、ぼくのこと『リヒトさん』って呼んでね」
「いや、それは色々と無理がありませんか?」
「いけるいける。ミスターのこともハイネのことも、さん付けでしょ?」
「はいはい、リヒトさん。今日だけですよ」
「やった」
呼び方ひとつで、あんまりにも嬉しそうに微笑まれるのだから、何だか切なくなる。
今日くらいは、殿下のこと甘やかそう。
いっぱいお願いごと聞こう。
正面を向いた殿下が、しょんぼりと眉尻を下げられる。
……相手の人、絶対闇討ちしよう。夜闇は僕のホームだ。
「新しくここに持ち込まれたものは、触らなくていいっていってもらえたんだ。向こうで新しく用意するって」
「そうなんですね、よかった……」
「うん。でもね、これだけ終わってないんだって、視覚的に攻撃されて。ぼくだけひとり、ばたばたしてたんだって思ったら、気が塞いでね」
「絶対闇討ちする。暗闇で階段から突き飛ばす」
「ベルが手を汚さなくていいって。それに、ベルに話聞いてもらえて、すっごく楽になったから」
ありがとうと、はにかんだ言葉に首を横に振る。
僕はお話を聞いて、お茶をお出しするくらいしかしていない。
今回の件も、僕は一番近くにいながら何も気付かず、ただただ良い偶然が重なっただけだ。
お役に立てることは幸いだが、彼を救ったのは外部の大人の力だ。
殿下へ笑みを向ける。
「リヒトさん、一緒にお散歩しませんか?」
「うーん。お誘いは嬉しいんだけど、仕事量は減ったといっても、切羽詰ってる現状は変わらないからなあ」
「だからこそ気分転換です。旦那様がいらっしゃるのですから、もう大丈夫です! でんかっ……リヒトさんはこれまでがんばったんですから、少しのんびりしましょう?」
「……うん、そうだね」
ほんのりと目許を緩ませた殿下が、椅子から立ち上がって、もう一度大きく伸びをする。
きっと僕に出来ることは、傍にいることだろう。
こちらを向いた彼が、久しぶりに明るい笑みを見せた。
それに心底安堵する。
歩き出すも、はたと立ち止まった殿下が、ぱたぱたと服をはたき出した。
「ま、待ってね! ちょっと鏡見てくる……!」
「大丈夫ですよ、リヒトさん。今日もかっこいいですよ」
「ベルって、それ言ったら大丈夫って思ってる節があるよね。とにかく、広間の方で待ってて!」
何処か既視感のある仕草で、執務室を飛び出したリヒト殿下に、王子様って大変だなーと改めて感想を抱く。
肌寒いと思うので、上着忘れないでくださいねーと大きな声でお伝えし、茶器を下げた。
広間へ来た殿下は、「久しぶりすぎて、なにを着たらいいのかわからない……」と言っていたので、闇討ちの算段を練りながら、彼のリボンタイを結んだ。
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