遠くに見える景色
星祭りの会議シーズンも篭城していたけれど、収穫祭の前の月から、リヒト殿下は再び篭城している。
度々「もーっ」とは言っているが、弱音も愚痴も零さず執務机に向かう姿は、まだ15歳だというのに過重労働に思えた。
ファイルや書類を探したり、僕に出来るお手伝いはしている。
しかし、踏み込んではいけない領域が大部分だ。
仕事の大半を占めるそれは、リヒト殿下が処理しなければならない。
昨夜も遅くまで、机に向かっておられた。
リヒト殿下、ちゃんと寝れたかな?
心配な心地で最上階まで階段を上り、警備兵さんに挨拶する。
すっかり顔馴染みとなった彼等と軽い雑談をかわす。
「王子殿下はお部屋から出られていない」
「お食事を取られているといいのだが」
そのような証言をいただいた。
……殿下が、ついに一歩も外へ出られなくなってしまった……。
最近までは、ご自身で食堂まで下りていらっしゃったのに……!
焦る思いで鍵を開け、お部屋へ入る。
窓から差し込む朝日は眩しく、調度品を柔らかな光で包み込んでいた。
足音を消す手段は昔に習得しているので、僕は音を立てずに歩くことが出来る。
寝室の扉を数度叩き、薄く開く。
中から人の気配はしなかった。姿も見えない。
あれ? リヒト殿下、もう起きていらっしゃるのかな?
だとしたら、通り過ぎた執務室で気付くはずなんだけど……。
あれ? 索敵失敗してるのかな、音も気配も、全然しない……?
ど、どちらにいらっしゃるのかな、リヒト殿下!?
殿下の気配読むの苦手とか言ってられない! 探さなきゃ!!
脳裏を過ぎた、警備兵さんの証言。
そして最近のお疲れなリヒト殿下のご様子。
そしてここは最上階で、窓には格子が嵌り、窓からの出入りは不可能という設計。
この広大なお部屋の、何処かしらにいらっしゃるのだろうけど、行き倒れてないよね!?
こわい! 全部屋開けていなかったら、表のおじさんに頼ろう!!
動揺を押し隠し、真っ先に執務室の扉を、そっと開いた。
窓を背にした執務机に陽光が当たり、金糸をキラキラと弾いている。
存外に、あっさり見つかった部屋主。
脱力する心地を得たけれど、慌てて寝室からブランケットを持ち出した。
大急ぎで机に突っ伏して寝ている、殿下の肩に掛ける。
うわっ、身体冷え切ってるじゃないですか!
風邪引いてしまいますよ!?
「殿下、リヒト殿下。お休みになるのでしたら、ベッドへ移動してください」
「……ぅっ」
軽く肩を叩き、声量を落として囁きかける。
小さく呻いた殿下が鈍く瞬き、ぼんやりとした顔をこちらへ向けた。
静止して数秒。
さっと顔色を悪くさせた彼が、勢い良く机に突っ伏す。
ゴン! 激しい衝突音に、僕の肩まで跳ねた。
「……ベルに人間辞めてるとこ見られた……つらい……しにたい……」
「しなないでください……!! 大丈夫です! かわいらしい転寝カウントです!」
「ぼく、かっこいい方がいい……」
「何だかよくわかりませんけど、メンタル抉ってすみませんでした! 温かいお茶を淹れますので、少し落ち着かれてください!」
「……すんっ」
この短い応酬の中で、いつの間にかリヒト殿下の精神を、大きく傷付けてしまったらしい。
彼の背中を擦って宥め、慌ててお茶を作りに行く。
出来立ての紅茶をお運びする。
殿下は僕が部屋を出る前と、何ひとつ変わらぬ体勢を貫いていた。
「リヒト殿下、お茶入りましたよ」
「ありがとう、ベル……」
蹲る金髪の傍らに茶器を置くと、ようやく彼がもそもそと顔を上げた。
ものすごーく決まり悪そうなお顔でカップを手に取り、肩からさがるブランケットに埋もれるように紅茶を含む。
一息ついたリヒト殿下が、ソーサーを鳴らした。
くすんくすん、両手で顔を覆う。
「ベルに駄目人間なところ見られたあああああ」
「大丈夫ですって! ご多忙なお仕事の合間の、軽い居眠りですって!!」
「居眠りの時間、長くないかな!? 多分ぼく、ベルをここで『ばいばい』って見送って、それから気が抜けて寝たよ!?」
「お休みになるのでしたら、その時点でベッドへ行きましょう!? それより僕の存在って、そこまでお気を遣わせていたんですね!?」
「そうじゃなくって、ベルが帰っちゃって退屈過ぎて、なのに書類が……っ、書類減ってない……知ってた……」
書類へ視線を落とされた殿下が、再び肩を震わせ、両手に埋もれる。
くすんくすんする姿に、切なさが込み上げてきた。
誰だ、殿下にこんなにお仕事振り分けたやつ!
この部屋まで持って上がる労力、すごいね……? 9階だよ……?
「リヒト殿下、一度仮眠を取られますか?」
「無理。起きる。昨日のぼくが、今日のぼくに仕事押しつけた」
「では、朝ごはんをお持ちします。殿下はその間に、お顔を洗ってきては如何でしょう? 気分転換になりますよ」
「ベルだいすき……」
殿下の瞳が、うるりとする。
「お食事は手軽に食べられるサンドイッチと、身体の温まるスープをお持ちします」
「どうしてベルはぼくの従者じゃないの? そうしたら一日中仕事に付き合わせるのに」
「……お手伝いはしますので、学校には行かせてください……」
紅茶のカップを再び手にしたリヒト殿下が、むうと頬を膨らませる。
効率的だとか、いっそぼくから言付けをだとか呟く姿に、彼の扱う仕事が大変切羽詰っていることを察した。
学校に、お嬢さまにお会いして、授業を受けたいです。と希望を出し、階下を目指す。
注文して早々に出来たそれをトレイに載せ、再び階段を上った。
階段昇降、地味にきついな……!!
「ぼく、考えたんだ」
場所は変わって、広間。
書類から目を離さず、サンドイッチを片手に、見繕いを整えたリヒト殿下が呟く。
新しい紅茶をお注ぎしていたところで、顔を上げた。
お行儀を無視して、もそもそと朝ごはんを召し上がる殿下の言葉を待つ。
「ベル。収穫祭が終わるまででいいから、この部屋に泊まっていって」
「……はい?」
「ぼくのこと、管理して。多分ぼく、そろそろ人としての最低ラインを捨て出すと思うから」
「誰だ、殿下をこんなに多忙にしたやつ」
「国の重鎮かなあ」
15歳でお労しい……!!
何でこんなに、締め切り間近な作家か研究員みたいな生活されているのだろう!?
彼、王子様なのに!
童話の王子様と、イメージ違い過ぎませんか!?
花嫁探しに、馬に乗って長閑な王子様はどちらですか!?
国王陛下と王女殿下は冬生まれで、祭典の規模は比較的小さい。
開催期間も短い。
しかしリヒト殿下の関わる収穫祭は、規模も期間も長く派手で、大変な賑わいを見せる。
何せ、この国最大の祭りだ。
民衆からの期待値も高い。
厳しい冬をしのぐための、大切な大騒ぎだ。
だからこそ、やることが多い。
収穫祭と平行して、ご自身の誕生会の企画もこなさなければならない。
国は何故、別部署を設けないのだろう?
殿下が過労死しちゃう……。
気まずそうにこちらを一瞥したリヒト殿下が、即座に視線を紙面へ戻された。
「……正直に言うと、結構前からベッドを使ってないんだ」
「通りでシーツに皺ひとつないと! 朝から執務室にこもられていたのも、そこで寝起きされていたからですね!?」
「ベルが来る前に、なんとか体裁整えてた」
「なるほど! すごく誤魔化されてました!」
だってここしばらくの殿下、僕が起こすことなく、朝からお仕事されていたんですもん……!
「おはよう」って、すごく爽やかな笑顔で言ってたんですよ!?
誰が思いますか、執務机で寝てたなんて!
せめてソファを使ってください、ソファ!!
しょんぼり、眉尻を下げたリヒト殿下が、こちらを見上げる。
即座にふいと落とされたそれが、もそもそと最後のサンドイッチにかじりついた。
「……ぼくだって、ベルにかっこいいとこだけ見て欲しかった……」
「わかりました。今回の件は、かわいい部門と微笑ましい部門にノミネートしておきますんで」
「やだーっ」
くすんくすんされる殿下が、湯気の消えたスープを飲まれる。
……ふと、篭城中の彼のお昼ごはんが気になった。
いや、まさか。
まさか取られていないなんてこと、ありませんよね……?
「……殿下、お昼ごはんは、どのようにされていましたか?」
「…………えへ」
「あー! 不安が現実になってしまった! ダメですよ、ちゃんと食べてください!!」
「つい、忘れちゃって……」
「大体、スケジュール管理はおつきの仕事でしょう! 殿下、おつきは何処ですか!?」
「ここに」
「僕はコード家に属する人間です!」
僕とリヒト殿下しかいないお部屋で、真っ直ぐ視線を向けられ反論を叫ぶ。
茶目っ気ある顔で微笑んだ契約主が、可愛らしい仕草で小首を傾げた。
かっこいい云々訴えるなら、かわいい攻撃は封印してください!
でも、このまま放っておいたら、この人宣言通り『人としての最低ライン』を捨ててしまう……!
お嬢さまの未来の旦那様かつ、こんなにキラキラしていて王子様然としているリヒト殿下を、そんな目には遭わせられない……!
踊らされている感は否めないが、悔しさをぐっと飲み込んだ。
「……わかりました。収穫祭が終わるまで、リヒト殿下のサポートをいたします」
「……え? 本当に?」
書類へ落としていた視点をこちらへ向け、殿下がきょとりと瞬く。
……別に不用だったら不用で構いませんけど。
つんと背いて、手帳を広げた。
「収穫祭終了時まで、空いているお部屋を使用させていただきます。
定時を設定させていただきますので、その時間になりましたら、必ずベッドでお休みください。
食事に関しては僕が運搬いたします。昼食は朝食と一緒にお運びしますので、お腹が空きましたら召し上がってください」
走り書きとともに簡単に日程を組むも、殿下からお声が返らない。
不思議に思って視線を移すと、ぽかんとした彼がそこにいた。
……殿下が提示した案だというのに、彼は何をそんなに驚いているのだろう?
殿下、呼びかけると、はたと表情が戻った。
「……えっ、本当に? 本当にベルがぼくの面倒見てくれるの?」
「今までもお世話してましたし、予定管理するのは期間限定ですけれど」
「それでも……っ、……嬉しい。どうしよう」
片手で口許を覆ったリヒト殿下が、言葉通りほんのりと微笑まれる。
一体何が彼をこんなにも喜ばせているのかはわからないけれど、染まる頬に今度は僕がきょとんとしてしまった。
……予定管理が嬉しいのかな……?
それなら、ご期待に応えられるように、作業効率の上がる予定を組まなきゃ。
「この件に関しましても、報告させていただきますが、よろしいでしょうか?」
「うん。ありがとう、ベル。とっても助かるよ」
「来年は、もっと早い段階でおつきを取ってくださいね」
「うー……ん」
華やいだ笑顔が、曖昧なものへと変えられる。
何でみんな、おつきを傍に置いてくれないんだろう?
おつき一員として、寂しく思ってしまう。
時計を確認すると、想像通り時間がおしていた。
食器を下げ、軽く礼をする。
「それでは、僕は学校へ向かいます。お昼ごはんは何らかの形でお届けしますので、ご希望があれば仰ってください」
「一瞬で食べられるもの」
「呼吸じゃないんで、よく噛んで食べてください。では、行ってきます」
「ありがとう。もしも授業に遅れたら、ぼくの名前出してね」
書類を置いた殿下が立ち上がり、扉の前まで送ってくれる。
ひらひらと手を振った彼が、「いってらっしゃい」と微笑んだ。
……何となく調子の崩されるその仕草に、ぼそりと返答する。
こういう気安いところが、王子様っぽくないんだと思う。
閉まった扉に懐中時計を取り出し、急ぎ足で廊下を突っ切った。
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