渡り星

「オレンジバレー、ノート貸してくれよお!」

「どの授業のものでしょうか?」

「さっきの!」

「……居眠りですか」

「次、俺に貸してくれ」

「おれもおれも」

「……放課後までに返してくださいね」


 ベルの机の周りに、男子生徒が集まっている。

 必死に頼み込む仕草をする彼等に、苦笑いを浮かべたあの子が、一冊のノートを差し出した。


 ベルのノートは、いつも綺麗に取られている。

 わたくしと一緒に勉強したんだ。当然だ。


「あっ! お嬢さまにお仕え出来る時間が、4分減ってる!!」

「出た、オレンジバレーのお嬢さま症候群!」

「もうそれで構いません! 来年には坊っちゃん症候群も加わりますんで、カルテの更新よろしくお願いしますね!」

「おっと、こうしている間にも残り30秒で5分目に……」

「お嬢さまあああ!!!!」


 わーん! と言わんばかりの泣きそうな顔で、ベルがこちらへ飛んでくる。

 学友等がけらけら笑い、ベルのノートを片手に自席へ戻って行った。


 ベルの顔を見上げ、緩んだ口許のまま話しかける。


「わたくしも男の子だったらよかったのにと、いつも羨ましく思うわ」

「それは遠回しに、僕のことをからかうと仰っていますか!?」

「ふふっ、ベルの周りはいつも楽しそうね」


 衝撃に揺れたベルの目許が、泣きそうに歪む。

 既に泣き黒子が泣いているのだから、いじわるはこのくらいにしておこう。

 にこにこ、笑みを向けた。


 ベルは人懐っこくて、温和で優しくて、男女問わず人気がある。

 勿論その中には、彼の後ろにあるコード公爵家を見ている人もいるし、反対に敵対心を向けてくる人もいる。


 これまでベルを社交の場につれてこなかったから、最初は戸惑っている様子だった。

 けれども慣れてしまえば、ベルは愛想もあってか、すぐに馴染んだ。


 教室内に響く、いくつもの話し声。

 椅子を引く音に混じってかわされるそれの中に、『星祭り』の単語を聞いた。


 日付を確認する。

 ……リヒト様がお忙しくされていらっしゃるから、もうすぐだと思っていた。

 けれど、想像以上にもうすぐだった。


 いつもは雑談に混じる面々も、ここにはいない。


 リヒト様は執務で缶詰に。

 朝夕手伝いに向かうベルが、彼の様子を心配そうに教えてくれる。


 クラウス様は選択した授業が違うため、別の教室へ。

 リズリットさんも違う棟にいるため、多分きっと次の休憩時間にベルへ突撃するはず。

 アーリアは今頃寮で、使用人の仕事に勤しんでいる。


 ベルを見上げる。

 雑多に人がいる空間だが、彼と二人きりの時間は、実は余りない。


「ベル、もうすぐで星祭りね」

「はい! あっ、女学生さんからお聞きしたのですが、」


 ぴしり、わたくしの笑顔が、強張ったのがわかった。


 ここにアーリアがいたなら、わたくしの地雷を把握している彼女は、静かに肩を落としていただろう。

 気がついていないのは、今正に目の前で笑みを取り戻した、ベルだけだ。


「星祭り期間限定のお菓子があるそうです!」

「そう……」

「以前、お嬢さまがお土産でくださった、お星さまのクッキーを思い出しますね!」

「ええ、そうね」

「何でも、『渡り星』というケーキがおいしいそうで。是非ともお嬢さまと坊っちゃんに召し上がっていただきたくて!」

「…………」


 相槌を打たなくなったわたくしを不思議に思ったのだろう。

 きょとんと瞬いたベルが、「お嬢さま?」小首を傾げている。


 いつもなら心休まるその仕草も、今は不貞腐れてしまう。


「……それで、星祭りに一緒に行こうと、誘われたのではなくて?」

「すごいですね、お嬢さま。名探偵です!」


 目を丸くしたベルの純粋な賞賛が、全く嬉しくない。


 ベルがそう簡単に鞍替えするとは思っていない。

 けれど、わたくしのベルが他の子に誘惑されているのだと明言されて、どうしてにっこり出来ようか。


 膨れっ面をするわたくしに気付いたのか、目に見えてベルがおろおろと狼狽える。

 彼が落ち込んだ様子で、もう一度「お嬢さま……?」問い掛けた。


「それで? 今年の星祭りは、他所の子とお出掛けするのかしら?」

「まさか! ちゃんとお断りの返事をしています!」


 夜警は得意分野なんです! 仲間はずれにしないでください!

 切々めえめえ訴える姿は、「いじめ甲斐」のあるものだ。

 だからあなたは周りからからかわれているのよ……。とは言えずにいた。


 護衛が、お嬢さまの身に何かあれば、と並べられたロマンに欠ける陳情は、女の子を口説くにはむしろマイナス点で、ベルらしい。


 わたくしのものより大きく筋張った手を取り、両手で包み込む。

 ぴたりと嘆願を止めたベルを見上げ、やんわりと微笑んだ。


「ええ、今年も一緒に行きましょうね」

「……ッ! はい!」


 ぱっと華やいだ表情が、泣き黒子をほっと笑ます。


 いつまでも、いつまでもわたくしの可愛いベルでいてくれたらいいのに、どんどんかっこよくなるものだから、気が気ではない。


 リズリットさんという大きな盾を持ってしても、このように言い寄られるのね……。


「そのケーキは、どういったものなのかしら?」

「はい! シトラス系のシフォンケーキだそうです。生クリームではなく、オレンジソースがかかっていて、チョコで作ったお星さまがふたつ乗っているそうです」


 にこにこと、何処か得意気に説明してくれるベルは、甘いものがすきだ。

 本人はあんまり自覚していない。


 けれど、普通の食事の説明をするより、お菓子の説明をさせた方が、表情が生き生きとしている。


「ふたつ」のところで、指を二本立てた辺り、とても嬉しいらしい。

 相槌を打つわたくしに、上機嫌なベルは饒舌だ。


「くだものも飾られていて、キラキラしているそうです! 生クリームでないので、坊っちゃんにも召し上がっていただけるかなと……。あっ、さっぱりしていたら、クラウス様も召し上がっていただけますかね?」

「そうね、きっと喜んでいただけるわ」


 表情を輝かせたベルが、はにかんだ笑みを見せる。


「お使いの許可をいただいてもよろしいですか?」


 続いた言葉がこれなのだから、奉仕精神旺盛な彼が悪い人に騙されないよう、わたくしはしっかりしないといけない。

 ベルが何でも話してくれる素直な性格で、本当に助かっている。


「なら、わたくしも今週末は屋敷へ戻るわ」

「畏まりました! そのように手配いたします!」


 ふんにゃり微笑み、ベルが手帳にささっと記述する。

「簡単な日程としまして……」と、即座に予定表を作り上げる姿は、着実に執事の階段を上っている。

 温和な笑顔が、横髪を揺らした。


「――このような日程で如何でしょうか?」

「ええ、構わないわ」

「では、伝達いたします」


 綺麗なお辞儀から、ピンと伸びた背筋。

 柔らかな表情が、安堵に緩む。


 わたくしの心を穏やかにしてくれるそれが、もう一度わたくしの地雷を踏み抜いた。


「えへへ。女の子にお勧めしていただいたお菓子に、はずれはないんです!」


 時計を見上げたベルが、小さく声を上げて優雅に礼をする。


 授業開始までの残り時間に、「後ほどお迎えに上がります」言葉掛けも立ち去る仕草も完璧なのに、そういうところの繊細さが足りないの!

 お願いだから目移りしないで、真っ直ぐわたくしのところへ帰ってきて!


 そ、それに、わたくしだって女の子ですもの!

 おいしいお菓子のひとつくらい知って……知って……ッ、どれもベルもアーリアも知っているものばかりだわ!


 いいわ、アルとハイネさんを連れて、調査に行くもの!

 ベルが聞き込みしなくていいくらい、お菓子マスターになるもの!!

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