02

 昔、友達に取られたくないといって、おもちゃを壊した子がいた。

 当時はどうしてそんなことをするのか、ちっともわからなかった。


 けれど、今なら少しわかる。


「リズリット、貴様は手負いの獣か!? 人間ならば人間らしく、理性的に行動しろ!!」


 ニーナさんじゃない教官に怒鳴られ、鳩尾に踵を入れられる。

 食い込んだヒールに、思わず蹲って咳き込んだ。

 胃液の逆流する味がする。


 多分きっと、朦朧って、こういうときに使うんだと思う。

 頭の中で、『殺さなきゃ』と『壊さなきゃ』以外の選択肢が消え去って、がんがん痛んだ。


 解けた髪が鬱陶しい。

 苛々するときに、適当に掴んで切ってしまうから、俺の髪は不揃いだ。

 今も切り落としたいけど、手許の剣は木でできた練習道具だから、使えない。


 あーあ。さっさと殺したいな。

 ベルくんが聞いたらびっくりするだろう一言をもって、高圧的な教官を見上げる。

 袖で口許を拭って、ぎりぎり木剣を握り締めた。


 そう、ベルくん。ベルくんに会いたい。

 入学して、コードさんのお家を出てからの俺は、何だかおかしい。


 あの日の夢を何度も繰り返し見るから、寝るのがこわくなった。


 ここは学校だから、ベルくんもアルくんもいないってわかってるのに、目が勝手にふたりを探してしまう。


 別に怒ってるわけじゃないのに、何かを壊したくてたまらなくなる。


 週末、ベルくんに会う度に、このまま壊せたらどれだけしあわせだろうか、考え込んでしまう。


 ひとりぼっちになるのが、こわい。

 置いていかれると、たまらなく不安になる。

 だったら置いて行かれないように、手足をもいだらいいんじゃないか。名案が浮かぶ。

 そしたらずっと、ずっとずっとずっと一緒にいられるのに。


 段々と、『だいすき』と『ひどいことしたい』が、イコールで結ばれていくのがわかる。

 それとは別に、『邪魔』を『どっか行け』と、追い出したい気持ちが強くなる。


 最終的には、『だいすき』も『邪魔』も、『壊したい』と結びついて、吐き出さないと俺の頭が壊れそう。


 今もニーナさんじゃない教官が、邪魔で邪魔で仕方がない。

 はやく壊したい。はやく殺したい。


 それからベルくんのこと捕まえて、昔みたいに強引に引っ張って、『だいすき』ってしたい。

 だってベルくんは、俺の獲物だもん。

 俺が最初に捕まえたもん。

 殺せたのに、殺さないで生かしてあげたんだもん。

 だからベルくんは、俺のだもん。


 どうしてアルくんじゃないのか?


 アルくんは警戒心が強いから、俺がふらふらしてるときは近づいてこない。

 前に捕まえようとして、思いっ切り鳩尾を殴られて、意識がはっとした。

 アルくんも俺の獲物だけど、まだ殺せてない。

 だからまだ、アルくんには手を出さない。


 ため息をついたニーナさんじゃない教官が、指先で眼鏡を押し上げる。

 裂かれた風の音が、ナイフ型の木を突きつけた。


 ……ナイフ、ベルくん。

 ……ベルくんに会いたい。


 俺の練習相手に、生徒は用いられない。

 教官直々に手解きを受けている。

 理由は簡単、やりすぎるからだ。


 コード領の私兵との訓練では、そんなこと全くなかった。

 ちゃんと普通に、人間らしく対戦出来た。

 なのに学園に入ってからは、どうにも衝動を抑え切れない。

 二年に上がるまでに、何人泣かせたかわからない。


 壊したくってたまらない。邪魔で仕方ない。

 全部全部、邪魔だから首をへし折って黙らせたい。

 ――殺されたメイドの子みたいに。


 今度はちゃんと殺そう。

 ――裂けたお腹から、中身があふれてた。


 駆け出そうと片足を踏み出したところで、手を打ち鳴らす音が大きく響いた。


「注目!! 今期の新人の紹介だ! 全員手を止めろ!!」


 ジル教官の低い声が訓練場内に反響し、訓練生の動きがぴたりと止まる。

 大柄な男の傍には、見慣れた人たちが並んでいて、その中のひとりへ向かって衝動的に駆け出した。


「全員一年生だ。右から――」

「ベルくん!!」

「リズリット様!? また公開処刑です、うわ!?」

「リズリット!! 貴様は待ても出来ないのか!?」


 抱き締めた黒髪の子に、頬を擦り付ける。

 ベルくんの非難も構わずぎゅうぎゅう腕を回し、閉じ込めたぬくもりに息をついた。


 ベルくんだ、ベルくんだ! どこにも行かないように、『だいすき』しなきゃ!

 倒錯する思考が、あべこべになる。

 ふと視界に若草色の毛先が入り、瞬間的に靄が晴れた。


 そこにいたのはミュゼットちゃんだったけど、思考力の足りない頭が、カレンさんを倒置する。

 カレンさんの前で、かっこ悪いことは出来ない。

 カレンさんの前では、しゃんとしなきゃ……!


 ベルくんに込めていた力を緩め、腕の中へ視線を落とす。

 ようやく息がつけたらしい、酸欠に赤くなった顔がそこにあった。

 ごめんね、ベルくん。申し訳なさを込めて囁くと、こちらを見上げた彼が、目を丸くした。


「――いつまでそうしているつもりだ!? リズリット!!!」

「いったあ!? ノイス教官ひどい! 頭急所っていったの教官だよね!?」

「時間を浪費するなと言っているんだ! 良いから来いッ!!」

「わーんっ! ベルくーん!!」

「……リズリット様……、個性大爆発してますね……」

「あれは個性の括りに入れていいのかな?」


 ニーナさんじゃない教官……ノイス教官に頭を叩かれ、首根っこを引っ掴まれる。

 そのままずるずるとベルくんから引き剥がされ、涙声で両手を伸ばした。


「……紹介する。右からアリヤ、ケルビム、コード、オレンジバレーだ」


 ジル教官の紹介する手の先、嘆くように両手で顔を覆っているクラウスと、苦笑いを浮かべる王子様とミュゼットちゃん。

 そして遠くを見詰めているベルくんが並んでいた。


 ざわめく同級たちを置いて、教官が口を開く。


「次に教官の紹介をする。ジル、ノイス、フェリクスだ」


 指し示された教官が、ひとりずつ頭を下げる。


 ジル教官は、ハイネさんみたいな目付きの悪い大柄な男の人。

 ノイス教官は眼鏡で胸の大きい女の人。

 フェリクス先生は俺たちのクラス担任で、顔に大きな傷のある背の高い男の人だ。


 ノイス教官が俺から手を離すことなく、にっこりと笑みを浮かべる。

 口許の黒子と、ぽってりとした唇が、男子生徒に人気だそうだ。


「ようこそ、新入生諸君。これからよろしく頼む」

「はっ! よろしくお願いします!!」


 びしりと背筋を正したクラウスの礼に、王子殿下が肩をびくつかせた。


 クラウスのお母さん、ニーナさんの地獄のブートキャンプを受けたことのある俺は、彼の気持ちが痛いほどよくわかる。

 クラウスはこういった軍隊的な空気に弱い。

 うん? ある意味強い?


 各々が挨拶を終わらせたところで、新人を交えた練習試合が行われることになった。

 襟首の手を振り払って、再びベルくんを抱き締める。


「ベルくん! 一緒にやろう?」

「はあ、構いませんが……」

「リズリット!! 新人を殺す気か!?」

「ノイス教官、そういうこと言わないでよ! ベルくんに誤解されたらどうするの!?」

「……リズリット様、……何をなさったんですか……?」


 ベルくんの耳を塞いで、やだやだ駄々を捏ねる。

 やっと! この一年間耐えて耐えて耐え続けて、ようやくベルくんが目の前にいるんだから!

 ベルくんじゃなきゃやだやだやだやだ!! 自分でも引くほど訴えた。


 俺の悪行を身にしみて知っている同級等は完全に引き切った顔で見ているし、俺の扱いに手こずっている教官たちも唖然としていた。


 状況はわからなくても、付き合いの長い面々は苦笑を浮かべて、中でもクラウスの渋面は誰よりも渋かった。

 お前は俺の父ちゃんか。


「……わかった。では一戦、様子見のため許可をする」

「やったー! ベルくんとの手合わせ、勝ち取ったー!」

「但し! こちらが危険だと判断した場合は、即刻中止とする!」

「ベルくんとのデート、一秒でも長引かせるからね!」

「デートってなんだろう……。リズリット様、本当、なにやらかしたんですか……?」


 ジル教官の許可に、腕の中のベルくんに頬を擦りつけ、喜びを露にする。


 困惑していてもベルくんはのん気で、「リズリット様、髪解けてますね。珍しいですね」俺の髪を梳く。

 たったそれだけで、振り切れた感情で胸がいっぱいになるのだから、俺は単純だ。


 隣のミュゼットちゃんが微笑み、俺の髪を青い紐で留めてくれた。

 多分今、誰が見てもわかるくらい、俺の顔は緩んでいる。


 ミュゼットちゃんは、ますますお母さんのカレンさんに似てきた。

 笑った顔も、仕草もそっくりだ。


 うん、カレンさんだ。


「じゃあベルくん、俺が勝ったら、24時間コースでどうかな?」

「授業に出られませんよ!?」

「週末でもいいけど」

「お断りします。週末は坊っちゃんの元へ帰還するので」

「は? 俺も行く」

「構いませんけど……、授業が終わり次第馬に乗って帰るので……」

「毎日付き纏うって言ったよ。絶対に付き纏う」

「……これって、公然とストーカー発言されてるのかなあ……?」


 ベルくんが首を傾げる中、試合開始の合図が響く。

 俺の中の『邪魔』が掻き消えた。


 この試合は勝たせてもらうし、週末は意地でもついていく。

 ベルくんが他の人に取られないように、手を抜いて試合に挑んだ。


 お気に入りのおもちゃを壊したあの子の気持ちが、また少しだけわかる。

 ずっとずっとずっと、ベルくんにはこちらを向いていてほしい。

 どこにも行かないで。ひとりにしないで。


 にこにこ訓練する俺に、教官たちや同級等が愕然としていた。

 でも、元々の俺はこっちなのだから、そんな顔されても心外なんだけどなあ。

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