手記
日記帳とともに引き出しから取り出した、薄っぺらいノート。
8歳の頃より使用しているそれ。
幼い僕が何度も書いては直し、拙い文字を綴ったため、余計に表紙が古ぼけていた。
捲った頁には慌てて並べた乱雑な文字が、スペルミスしながら敷き詰められている。
時々見つかる語句の誤用や、前世の文字。
前後の文脈から、何となく伝えたかった内容を察する。
それでも、恐らく漢字を書きたかったのだろう。
歪な記号が、何を示しているのかわからない。
改めて当時の母国語を綴ろうとするも、像がぼやけて形にならない。
辛うじて、平仮名がわかる程度だろうか。
それですら、丸い文字の識別に時間がかかる。
朧気な手先で綴った『え』と『を』が、習い立ての幼子が書いたような文字になった。
「…………」
今、何も考えずに書ける文字は、この世界のもので、若干丸みを帯びた癖字が唯一の名残なのだろう。
……ゲームを自覚した当初よりも、様々なことを忘れている。
そもそも僕は、重要なことをいつも事後に思い出していた。
いつだって後出しだった。
お嬢さまをお守りするため、これからこそ知識が必要だというのに、薄ぼんやりとした記憶が今後の展開の切っ掛けをくれない。
読みにくい過去の筆跡を解読しながら、新しい頁に清書していく。
ふと、僕が干渉していない部分に、差異があることに気がついた。
ゲーム本来のエリーゼ王女殿下は、とても内向的なお方だった。
間違っても、兄王子と口喧嘩をして、毒舌をぶちまけるようなご性質ではない。
僕はあの日の恐怖を忘れない。
お身体は原作通りか弱いご様子だが、それでも本来より、のびのびとお元気にされていらっしゃる。
そして何よりギルベルト様だが、ゲーム内ではあのような猪突猛進なお方ではなかった。
もっと知的で排他的で、……身近な人物で例えるなら、アルバート坊っちゃんの現在の性格に近しかったはずだ。
容姿に関しても、ギルベルト様の現在の御髪は、短めの活動的なものだ。
それはそれで大変お似合いだ。
ゲーム画面で見た彼は、知的な眼鏡に髪をリボンで括って留める、図書館の似合う少年だったのだけど。
何で? どうしてここまで性格が正反対になってしまったんだろう?
僕が出会ったときからあの性格だったのだから、一体何処で形成されたのかな?
他にも、身近な人たちの差異もある。
ゲーム内のミュゼットお嬢さまは、ベルナルドに手を上げることがしばしばあられた。
現状、僕はお嬢さまからお手を上げられたことなど、一度としてない。
お嬢さまはお優しく、いつもお心を砕いてくださる。
ゲームで見せた不安定なご様子や、思い詰められたお姿も見たことがない。
今のお嬢さまは悲観的よりも、朗らかでおおらかなお方だ。
アルバート坊っちゃんの有名な台詞は、「あいしてくれる?」だった。
しかし、現在までにそのお言葉を坊っちゃんのお口から聞いたことがない。
それに確か、もっと腹黒くて、危うい印象だったように思う。
記憶している限り、坊っちゃんルートのエンディングが、一番お嬢さまにとって悲惨だった気がするし。
……あとでしっかり思い出そう。
そういえば、ゲームの選択肢に『手を繋ぐ』とかあった!
これを選ぶと好印象だったのだけど、今の坊っちゃんは他者との接触がお嫌いだ。
恋が克服してくれるのかな?
恋が坊っちゃんの人嫌いを治してくれるの?
お嬢さまがお元気であられるため、リヒト殿下とクラウス様も、原作から外れている。
リヒト殿下は、本来の儚そうな幸薄そうな王子様になることなく、元気いっぱい、無邪気な笑顔で慧眼を発揮されるお方になられている。
彼のプロファイリングと、スナイプ能力の鋭さを、僕は忘れない。
「!!」
王子様といえば、決め顔の指ぱっちん!!
わ、わあ……! ついに本場の指ぱっちんを見ることが出来るのか……!
胸が熱い!!
あれ? だけど殿下、ちゃんと使用人連れてくるかな?
あと今の殿下の性格だと、「わあっ、大丈夫? 災難だったね~」って普通に話しかけそう。
ええ!? 指ぱっちんは!?
彼女に制服をって、……あ。そもそも、その嫌がらせイベントが発生するかも、発生したとしても居合わせることが出来るのかも、わからないのか……。
……リヒト殿下なら、お願いしたらやってくれるかな?
いや、だって、ここまで来たら、実物見たいじゃんか。
旧友たちの分も目に焼き付けておかないと。
……学園でお会いしたら、お願いしてみよう。
……不敬罪適応されませんように。
話が逸れてしまった。
ノートに残された、『リヒト』から矢印を引っ張り、『指ぱっちん』と記した落書きに、はしゃいでしまった過去を咳払いで払拭する。
クラウス様についても、原作の一歩引いたご様子は見られず、深い懐と手厚い待遇で接してくださる。
あとやっぱり頭を撫でてくる。
……お兄ちゃん属性め……!!
さて、ここまで差異を述べたけれど、本編が始まってからのゲームシナリオについて考えてみよう。
時間はかかったけど、解読した文字を読み進める。
物語が始まるのは、僕たちが2年生になった頃だ。
編入生としてヒロインが入学し、前半はほのぼのと物語が進行する。
転機を迎えるのは、対立戦の後だ。
ここで各々トラウマを抉られ、それぞれが多方面に狂気へ走ってしまう。
……確かリズリット様は、対立戦で亡くなる。
……何としてでも防ぎたい。
けれども、領地の軍へ入隊を志願しているだけあり、リズリット様には戦力がある。
純粋な力比べでも、体力差においても、僕より上回っている。
……どうすれば、彼をお守り出来るのだろうか?
また、リズリット様が亡くなられることで、クラウス様のお心が磨耗する。
対立戦で、僕たちが何処まで消耗するのかわからない。
万が一お嬢さまが狂気に走ってしまった場合、全力でお止めしなければ。
もしもの時は、僕が一切の罪を引き受けよう。
後半の本編内で起こる物語は、一貫している。
それを攻略対象ごとに多方面から関わり、検分し、真実を突き止めていく。
ミュゼットお嬢さまは、対立戦後、エリーゼ王女殿下へ死に至る薬を献上してしまう。
エリーゼ様はお身体が弱く、リヒト殿下とギルベルト様に依存していた。
ヒロインが介入することにより、これまでの安息を脅かされたエリーゼ様は、服毒による体調不良で、わざと周囲の目を引こうとなさる。
当然治療は難航し、継続して注目されるために、エリーゼ様は服毒を続けてしまう。
制限時間はエリーゼ様の死亡まで。
それまでにヒロインは攻略対象とともに、エリーゼ様の体調不良の原因と、お嬢さまが関わった証拠を集めなければならない。
選んだ攻略対象には、それぞれのトラウマと性質、交友関係があるため、開示される情報は断片的でしかない。
プレイヤーは攻略するごとに情報が整合されていくが、それはヒロインに適応されない。
如何に情報を集め切り、薬の送り主であるミュゼットお嬢さまを突き止め、エリーゼ様を止められるか。
攻略の失敗は、エリーゼ様の死亡を意味する。
この場合、後日ミュゼットお嬢さまの変死体が発見される形で、物語は収束する。
問答無用の闇討ちじゃないですか、やだー!
このような内容を、過去の僕が綴っているーーーーーーーーー。
ええええっ、そんなややこしくて重たいことしないといけないの?
楽しい学園生活は何処に行っちゃったの?
そもそもお嬢さまは、どうやってその危険なお薬を手に入れたの?
誰に闇討ちされたんですか!? 滅します!
やだやだ! そのような汚れ仕事、どうしてベルナルドに押し付けなかったんですか、お嬢さま!!
とりあえず、8歳の僕が優秀だったことがわかった。
そして、このノートを捨てずに取っておいた僕もえらい。
今年15歳になる僕、もっとがんばろう?
改めて清書した文章を見詰め、頭を抱えて深くため息をつく。
……いや、現在のエリーゼ様なら、服毒なんてなさらないはず。
きっと大丈夫だ。
あとは薬の出所。
そこさえ潰してしまえば、お嬢さまが断罪される謂れはなくなるはず。
不確定要素として、ベルナルドの突然の失踪があるのだけれど。
……本当、勘弁して欲しい。
どういうことなの、制作会社。
この緊迫した世界に、お嬢さまを残して消え去るベルナルドくんの気持ち、考えたことあるのかな?
エンディングで、お嬢さまの結末がえぐかった順が残されてある。
堂々一位、アルバート坊っちゃん。
お嬢さまと旦那様の斬首と、コード公爵家が没落している。
なにこれこわい。
二位、リヒト殿下。
お嬢さまの処刑、とだけ書かれている。こわい。
三位、ギルベルト様。
理路整然と突き詰められた末の服毒死。
……エリーゼ様と同じ目に遭わせてやるとか、そういう感じですか?
四位、クラウス様。
お嬢さまの自殺、とだけが書かれてある。
過去の自分がここで泣いた跡が見つかった。
同着五位、ベルナルド、ノエル様。
お嬢さまの幽閉と、爵位の剥奪。
……これ、幽閉のあと、殺されてませんよね?
一度ノートを閉じて、深く息を吐く。
……気分が悪くなってきた。
世界がお嬢さまを亡き者にしようと、猛威を振るっている……。
現在の変質した人間関係が、どのように作用するのかわからない。
対立も、何を投影するのか想像もつかない。
ヒロインさんには申し訳ないけれど、攻略対象とは恋仲になっていただきたくない。
お嬢さまのために。
けれども、恋愛は自由だ。
……リヒト殿下は、お嬢さまとご婚約されていらっしゃるけど。
貴族と一般階級の溝とかの問題もあるけど。
今世でシンデレラストーリーは適応されるのかな?
乙女ゲーム自体がそういう趣旨なんだけど、世間的には大丈夫なのかな? そういうの。
あ! 僕がヒロインさんの気を引いて、何か上手いこと他の男性とご縁を結んだらいいのかな?
他人の恋路の面倒まで見れる余裕なんてないけど……。
じゃあ僕がそのまま囮になる?
……だめだ。何処で幽閉が確定するのかわからない。
……難しい。
突っ伏した机はひんやりしていて、動揺している胸中には丁度良かった。
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