02
「アーリア、少し良いかね?」
ヒルトンの呼び出しに、アーリアは静かに従った。
上司の部屋まで足を運ぶ。
――何事か任務だろうか?
無表情の下身構える彼女へ、眼鏡を外した老紳士が、ため息混じりに口を開いた。
「縁談の話なんだが……」
「お断りします」
「……わかっているさ」
疲れたようにため息をついたヒルトンが、目頭を揉む。
長く勤める彼は、この頃は好物の酒類すら控えていた。
身体に障るからね。それが彼の禁酒の理由らしい。
「坊ちゃまと君とベルナルド、そしてリズリット。君たち四人宛てに、冗談のように縁談が舞い込んでいる」
王都とはこんなにも人が集まるのだね。呆れた声音でヒルトンが呟く。
そう仰られても……。
アーリアが内心ため息を漏らすも、執事が机上へ載せたバスケットの中には、白い紙が山のように詰まっていた。
……保管方法が雑ですね。彼女が胸中で呟く。
「アーリア、君は綺麗になった」
「お嬢様のお傍を離れるなど、論外です」
「……わかっているさ」
再びため息をついた老執事が、ますます疲れた様子で組んだ手に額を預ける。
もう一度重々しいため息をつき、彼がじっとりと顔を上げた。
「すまないが、君の分は君から断りの手紙を出してくれないか?」
「……他の者たちの分は?」
「坊ちゃまはこの手紙の山を、ゴミを見るような目で見下ろされた」
「…………」
アーリアが遠い目をする。
簡単に想像出来てしまう自分が悲しい。
彼女の顔は、そう物語っていた。
13歳になったアルバートは、子どもらしさは残るものの、端麗な見目へと成長した。
繊細な面持ちは鋭利な目付きを引き立たせ、言葉少なくとも、低い声は耳に残る。
道を歩けば視線を奪う彼だが、性格は大変閉鎖的で排他的だ。
彼が温和に言葉を交わすのは、極限られた人間のみ。
社交辞令として外部と接触出来るが、表層の丁寧な言葉には温度がない。
勿論容赦もない。
取り付く島もなかったのだろう。
もう少し社交的になって欲しいと願っているものの、アルバートにその願いは届かない。
アーリアは静かに嘆息した。
「リズリットには、帰還時に書かせている」
学園へ入学以降、リズリットは毎週末外泊届けを出して、ここ別邸へと帰還している。
一週間ベルナルドと接することの出来ない反動からか、禁断症状が激しいらしい。
暑苦しいくらい、彼女の弟分に引っ付きまわっている。
ベルナルドもベルナルドで諦め切っているため、無抵抗のまま好きにさせていた。
見かねたアーリアがその旨について尋ねたが、遠い目をしたベルナルドは、「純粋な力比べで敗北して、自尊心ずたずたなんです」と答えた。
以前から身長も高く、体力もあったリズリットだったが、15歳になってますます力がついた。
見た目には細身に映る体格も、ベルナルドを軽々と持ち上げる仕草から、筋肉量を窺い知ることができる。
女性に気に入られそうなやんわりとした甘い笑顔と、中立的な立場の話し方は、好意的に映る。
髪は中途半端に伸ばした上で、ざっくりと括り、華やかさと儚さが同居していた。
……見た目だけは。
幼少期なら微笑ましさもあった引っ付き虫も、成長した現段階では、誤解を生む体勢になる。
その上で、一番視覚的被害の少ない形で、ベルナルドは妥協しているのだろう。
アーリアが頭痛に耐える顔をする。
……察してしまった自分が悲しい。
「ベルナルドは……いや。ベルナルドに縁談が来たと、周りに知られてみろ。……想像がつくだろう?」
「…………」
ヒルトンの重々しい表情に、アーリアは全てを察した。
小さくベルナルドの養父が頷く。
温和で温厚なベルナルドは、微笑みを絶やさない。
穏やかな声音と物腰は、さぞや魅力的に映るだろう。
背も伸び、幼さの抜けた顔立ちは整っている。
従者として長年教育を受けてきた彼は、所作も洗練されていた。
つまりは、引く手数多だ。
ミュゼットが彼を茶会へ連れない理由は、単純だ。
ベルナルドを他の女性に見せたくないからだ。
幼い嫉妬心は、それこそ昔から主張されている。
ベルナルドに留守番を言いつけた彼女は、様々な理由を持ち出し、彼と茶会は縁のないものだと言い聞かせてきた。
ミュゼットを妄信しているベルナルドを言いくるめることは、非常に容易い。
元々純粋な性格だ。
疑問を持つことなく、彼はミュゼットに従っている。
アルバートの閉鎖的な性質は、恐らくベルナルドが起因している。
ベルナルドが他と親しげに接すれば接するほど、アルバートは退屈そうな様子を見せる。
主人がふいと姿をくらませれば、当然従者であるベルナルドが探しに行く。
他人からの接触を極度に嫌うアルバートでも、ベルナルドにだけは自身から触れに行く。
……接し方は少々乱暴ではあるが。
主人の機嫌を取るのが難しいとベルナルドは嘆いているが、彼がアルバートを優先にした時点で、彼の機嫌は好転している。
この嫉妬心も、幼い頃から継続されている。
リズリットは先述の通りだ。
いつか本当に間違いが起こりそうなほど、彼とベルナルドの距離は近い。
リズリットはアルバートにも依存しているため、その点でもベルナルドは身を呈しているのだろう。
アーリアが遠い目をする。
正直、入学前までの方が、距離感も安定していた。
この三人にベルナルドの縁談などと、迂闊にも耳に入れてしまっては、血の雨が降る。
ベルナルド自身が嘘のつけない性格のため、うっかり本人が口を滑らせてしまう可能性も大いにある。
純粋さも考えものだ。
幸い、彼女の弟分は、主人に仕えることを第一に思っている。
彼の信条がそこから外れない限り、周囲が隠蔽さえすれば、無用な争いは防がれるだろう。
はたとアーリアが顔を上げる。
学園という魔窟から、私はどう防衛すればいい?
「ミスター。ベルナルド自身は、縁談に対してどのように捉えていますか?」
「君に縁談が来たらどうするか、と尋ねてみたよ。答えは君と同じだ、アーリア」
「……少し、安心しました」
「老い先短い私は、孫はおろか、嫁の顔も見れないようだ」
苦笑を浮かべたヒルトンがため息をつく。
白髪の増えた老紳士を前に、アーリアは口を噤んだ。
いつかはベルナルドを解放してあげたいと、彼女は思っている。
これでも大切な弟分だ。
けれども彼も彼女も、自身の自由より忠誠心を重んじていた。
アーリアが取った礼の仕草。老執事が微笑む。
「この話は内密に頼むよ、アーリア」
「畏まりました」
茶目っ気を込めて閉じられた片目と、唇の前に立てられた人差し指。
再度礼をして、彼女はバスケットに詰まった書類を検分することにした。
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