03
お嬢さま方の団欒のお時間に、ひょっこりと奥様が顔を出された。
いつものおおらかな微笑みを携え、上品なお菓子を手に、おっとりとした仕草で椅子にお座りになられる。
リズリット様と坊っちゃんが静かに目線を逸らされた。
特にリズリット様は、件の出来事から照れの意識が強いらしい。
明らかに動揺されているのか、カップを持つ手が震えている。
坊っちゃんは『義姉の母』から『義母』まで認識を改められたみたいだが、未だに苦手意識が強いらしい。
いわく、「気がついたら隣にいるから、こわい」とのこと。
奥様は忍びの方だった?
にこにこ、微笑む奥様に、アーリアさんが迅速にお茶を淹れる。
受け取ったそれを速やかにお運びした。
穏やかなお礼の言葉に、静かに頭を下げる。
う、うわあっ、緊張する……!
基本的に、僕たちは奥様や旦那様のお茶をお淹れしない。
お嬢さまと坊っちゃんに僕たちが専属しているように、配属が違うからだ。
勿論今回のように主人からの要望があれば、それにお応えすることは出来る。
基本的に、あまりないだけだ。
奥様、お供は何処ですか……!?
また置いて来られたのですか!?
静かに青褪めているアーリアさんの様子を見るに、先輩にとっても稀な事例だったらしい。
メイド長! ヒルトンさん! アーリアさんの胃に穴が空く前に助けてください!
「お菓子をいただいたの。みんなで食べましょう?」
「素敵な焼き菓子ですね。お母様、ありがとうございます」
ただおひとり、緊迫していらっしゃらないお嬢さまが、ほわほわと微笑まれる。
天上の癒しのような微笑に、胸中があたたかくなった。
アーリアさんと目配せし、頷き合う。
お嬢さまの笑顔のために、現状を乗り切ります!
フィナンシェやマドレーヌなど、料理長のお手製ではないお菓子を真ん中に置き、奥様が微笑まれる。
嬉しそうにお嬢さまが手を伸ばされ、静々リズリット様もそれに続いた。
坊っちゃんは外部の食べものと縁遠い生活を送られているため、免疫がない。
「ほら、アーリアちゃんとベルくんも」
「……いえ、私共は使用人ですので」
「うふふ」
「…………失礼いたします」
折り目正しく頭を下げたアーリアさんが、悟った顔でお菓子を手に取る。
尊い先輩の犠牲に従うため、坊っちゃんの横についた。
どれがいいですか? 小さく問い掛ける。
「……お前が選んだもの」
「じゃあマドレーヌにしますよ? 貝の頭と尻尾、どっちがいいです?」
「それは尻尾なのか?」
謝辞を述べてお菓子を取り、坊っちゃんとわけっこする。
組んだ手を顎の下に置いた奥様が、僕たちの様子をにこにこ見守った。
口に入れたマドレーヌは、高級品のようだ。
食べなれない風味とふわりとした食感に、どなたからの贈りものだろう? 思考を巡らせる。
「このお菓子ね、ティンダーリア卿からいただいたの」
「ごほッ、ごほ!」
「大丈夫か、お前」
坊っちゃんのお隣で激しく咳き込んでしまい、噎せながら謝罪する。
僕の手を解放した坊っちゃんが、背中を撫でてくださった。
お優しさが胸にしみます……!
「お母様、ティンダーリア卿が見えられたのですか!?」
「ええ、先ほどまでいらっしゃってね。ベルくんと直接お話がしたいと仰られたのだけど、」
「ベル!? 大丈夫!?」
一気に心臓を貫いた話題に、日々着々と溜まっている心労が、一瞬で限界値を突破する。
苦しい……胸が苦しい……。
王女殿下に続いて、宰相閣下?
無理、もう無理……。
突然胸を押さえた僕の不審な行動を、お嬢さまが慌てた様子でご心配くださる。
申し訳ございません、お嬢さま。はしたない真似をして……。
「ベルくんが倒れちゃいそうだから、ご遠慮させてもらったの」
「ありがとうございます、奥様」
深々と頭を下げ、奥様に感謝の気持ちを伝える。
こうして存在を仄めかされるだけで僕の心臓は重傷なのに、直接面会なんて、比喩なく死んでしまう。
一介の使用人に重責です。
「それで先方からの伝言なのだけど、今度の決闘で、相手方をけちょんけちょんにして欲しいと仰られたの」
「けちょ……!? 宰相閣下がですか!?」
「ええ。宰相閣下が」
にっこり微笑まれた奥様に愕然とする。
国の要は「けちょんけちょん」なんて言葉を使うの?
エリーゼ様も使っていたけど、流行語なの?
いや、誰かギルベルト様を擁護してあげて……!
お父さん、息子を庇ってあげて!
「ベルくんって何か、……厳しい人生を歩んでるよね?」
「いつでも変わりますよ、リズリット様」
「ごめんね、遠慮するよ。俺、ベルくんに依存しながら生きてるから」
空笑ったリズリット様の発言に、またしても心臓がぎゅっとする感覚に苛まれる。
動悸が……。僕の存在が、人様の人生に干渉している……。
胸を押さえて苦しみに耐える僕へ、坊っちゃんが席を勧めてくださる。
ありがとうございます、坊っちゃん。
ですけど基本的に、使用人は主人と同じ席につけないのです……。
「ベル、大丈夫……? 真っ青よ……?」
「……当日、負ける心積もりをしていたので」
「まあっ。わたくしのベルが、あの方に劣るわけありませんわ!」
「……義姉さん、今のベルナルドに、その言葉は追い討ちだ」
臓器が悲鳴を上げている……。
お嬢さま、ご期待くださり、ありがとうございます……。
ギルベルト様は怒り心頭なご様子だったので、適当に見切りをつけて、負けようと画策していた。
それを父親のティンダーリア卿から封じられ、お嬢さまから声援を授かり、負けるわけにはいかなくなってしまった。
これ、不敬罪で捕まったりしない?
屋敷のみなさんにご迷惑をおかけしない?
大丈夫?
「ティンダーリア卿も、人生の厳しさを教えてあげて欲しいと仰られていたから、ベルくんの特訓の成果を見せてあげて」
「一歳違いで語れる人生の厳しさって、何でしょうか!?」
「うふふ、何かしら」
ころころと微笑まれる奥様が、お嬢さまとよく似たお顔をされる。
あああっ、がんばります!
人生の厳しさをお伝えすることは難しいと思いますけど、僕の持てる全力で決闘に挑みたいと思います!
ギルベルト様、お強いかも知れませんし! 迎撃したいと思います!
臓器の痛みに耐える僕へ、坊っちゃんが同情するような眼差しを向けていた。
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