跳んで跳ねて回って笑ってこっち見て

 週末の決闘までの期間に、何処から噂を聞いたのか、心配そうなクラウス様が見えられた。

 リヒト殿下もご存知だそうで、当日見に行くと伝言を受けた。


 いや、そんな、ご覧にならなくていいんですよ?

 僕の全力が及ばないかも知れませんし。


 ……待って。もし全力を出して負けた場合、ヒルトンさんの、ひいてはコード家の名誉を傷つけることになる。

 ……いけない。それはいけない!! 意地でも勝たないと!


「……負けるようなことになるくらいならば、いっそ自害した方がいいのかも知れません……」

「あーこら。早まるな」


 お前は本当に思い込みが激しいなあ。クラウス様が僕の頭を撫でられながら、嘆息される。

 いやだって、ヒルトンさんの顔に泥を塗るくらいなら、いっそと思うじゃないですか。


 落ち込む僕に、困ったように微笑んだクラウス様が、髪を乱す勢いで頭を撫でてくる。

 これ、大型犬によくやる撫で方!!


「く、クラウス様!?」

「ベルは今でも訓練続けてるんだろ?」

「それは、勿論です」

「なら大丈夫だ」


 にっかり笑ったクラウス様に解放される。

 緩く手櫛で梳かれるアフターケアつきの処遇は、相変わらず面倒見の良いお兄ちゃんだった。

 ……同い年だけど。




 *


 こうして心臓に負担をかけること数日、迎えた週末。


 初めて立ち入った騎士団演習場で、知らない男性に声をかけられた。

 遠くでは演習する剣戟の音や人の話し声が響いていて、全くの無人ではない。

 隅にいる僕に何の御用だろうと、瞬いた。


「きみがベルナルドくんかな?」

「はい」


 年齢不詳の上品な顔立ちの男性が、柔和な笑みを浮かべる。

 僕と目線を合わせるため腰を折る様子に、背の高さを感じた。

 肩から零れた藍色の長い髪が、仕立ての良い上質な布地を滑る。


 ……何だろう、周りの人たちの顔面偏差値が、軒並み高い。

 この国には美しい顔の人しか存在しないのかな?

 あ、乙女ゲームの世界だったか……。


 ギルベルト様は、まだご到着されていない。

 同行者であるお嬢さま方は、リズリット様の案内で演習場見学会に行かれている。

 リズリット様のお父様は騎士団に所属していたため、よく遊びに来ていたそうだ。

 懐かしそうなお顔は、少し寂しそうに見えた。


 僕も一緒にどうかと誘われたが、定刻までにギルベルト様が来られるかも知れないので、ひとりお留守番している。

 適当に準備体操をしているところで、件の男性に話しかけられた。


「噂は聞いたよ。今日は災難だったね」

「あ、いえ……」


 温和な苦笑に微笑みかけられ、伸ばした背筋を意識して正す。

 どうしよう、こんな高貴な人にまで、その噂が轟いているの?

 人の口ってこわい……。


「その、先方にも何かご事情がおありでしょうし、せめて誤解が解ければと思っています」


 全力で武力行使させてもらうけれど、何というか、誤解だけは解きたい。

 誤解といっていいのかもわからないけれど……。

 ギルベルト様、何に対してお怒りなのか、よくわからないんですもん……。


 ぱちりと琥珀色の目を瞬かせた男性が、品のある仕草で笑う。

 眉尻を下げた彼が、繊細な指先で僕の頭を撫でた。


「きみは良い子だね」

「いえ……」


 どうしよう、知らない人から頭を撫でられている……。

 悪い人ではなさそうだけれど、どう反応したらいいのかわからない……。


 何でみんな、すぐ僕の頭を撫でるの?

 そんなに撫でやすい位置にあるのかな?


 困惑する僕の様子を読み取ったのか、男性が無害そうな笑みを浮かべた。

 何というか、おっとりとした、由緒正しい貴族のような方だ。


「……あの、失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「失礼。そうだな……クロスと呼んでおくれ」


 偽名かな?

 謎の美人とともに過ごす空気は困惑に満ちていて、ギルベルト様、早く来ないかなと、素知らぬ仕草で時計を探す。


 小さく微笑んだクロスさんが、姿勢を元に戻した。


「今日は手加減をするのかな?」

「いえ、全力で行きます」

「おや」


 軽く目を瞠ったクロスさんが、おかしそうに表情を緩める。

 理由を聞いてもいいかな? 彼が小首を傾げた。


「そのような指示があったこともそうですが、養父の顔に泥を塗るわけにはいかないので」

「養父?」

「ちょっといじわるですけど、尊敬している方です。これまで稽古をつけてもらってきたので、負けるわけにはいきません」

「ははは、そうか」


 上品な仕草で笑った彼が、応援しているよと一言残し、演習場を立ち去る。


 入れ変わるように、リヒト殿下とクラウス様が見えられた。

 見知った人の登場に、ほっと肩から力が抜ける。

 こちらを見つけたリヒト殿下が、ぱっと表情を輝かせた。


「ベル! 調子はどう?」

「いつも通りな感じです」

「良かった。クラウスから聞いてた感じだと、思い詰めてたみたいだから、それ聞いて安心したよ」

「いや、本当、申し訳なく思っております……!」

「ははは。落ち着いたみたいで、何よりだ」


 気さくに片手を上げたクラウス様に、そのまま頭を撫でられる。


 やっぱり撫でやすい位置にあるのかなあ?

 リヒト殿下と坊っちゃんと、大体同じくらいの背丈のはずなのに……。


 悩み深い胸中に陥っていると、高らかな笑い声が白い石造りの床に響いた。


 振り返るとギルベルト様が到着されたようで、後ろに控えている使用人の男の子が死にそうな顔をしている。

 大丈夫かな、顔色……。

 でもよかった! 今日はお供をお連れになられている!

 お供同業として、嬉しい限りです!


「来たか、狼藉者!」

「ティンダーリア様、おはようございます」

「ああ、おはよう……って普通に挨拶するなよ! もっと悪そうにしろよお前!!」


 普段通り礼をするも、ギルベルト様からの難しい注文に困惑してしまう。


 悪そうに……?

 ちらりとクラウス様へ視線を向けると、彼はその爽やかな顔に苦笑を滲ませていた。

 リヒト殿下はこちらに背を向けているため、ちょっと表情がわからない。


 悪そうに……。

 懸命に自身の持てる引き出しをひっくり返し、要望に応えた。


「ま、待ちくたびれました……?」

「それって、悪そうかな?」

「悪いな。出遅れた!」

「あっ、いえ! とんでもございません! こちらが定刻より早目に到着しただけですので」

「だから! 丁寧かよ!! お前腰低いな!?」


 背筋を正してぴしりと返答したのに、指を突きつけ怒鳴られる。


 あ、えええっ。悪そう縛り、難しくないですか!?

 ギルベルト様のポイントも、よくわからないし! だって普通にお返事されたんですもん……!

 大体、使用人は主人に大きく出ません!


「ふん! 善人面が出来るのも今の内だ! その面の皮を剥いでやる!」

「よろしくお願いします……?」

「悪そうに!!」

「え、えーっと、……かかってこい?」

「ベルの中の悪そうな人って、どれだけ平和なの?」

「ふははは! その調子だ!!」

「やだもう、この二人の世界観がよくわからない」


 頭を抱えたリヒト殿下が呻く。

 大丈夫です、僕にもよくわかりません。


 腰に手を当て、一息ついたギルベルト様が、唐突にぎょっとされた。

 震える指先が、リヒト殿下へ向けられる。


「リヒト!? 何故お前がここにいる!?」

「きみが来る前からいたよ? 喋ってたし、自己主張もしてたよ? 今気付いたの?」

「おのれ……、貴様! エリーはおろか、兄王子まで篭絡するとは……!!」

「聞いて? ねえ、クラウスも何かいってあげて?」

「いやー、今日も見事な弾けっぷりだなあー」

「そんな感想が聞きたいんじゃない」


 げんなりとため息をついたリヒト殿下が、頭痛に耐える顔をする。

 珍しい。コード邸にお見えの際は、大体いつもにこにこしているか、苦笑いか、とにかく笑顔の多い印象の彼だ。

 殿下も、しかめっ面とかするんですね。


 クラウス様が爽やかに笑い、再びギルベルト様がぎょっとする。


 ……クラウス様、僕より背が高くて目立つはずなのに……。

 大きくても、隠蔽率は守り抜けるのかな?

 だったらもっと伸びたい。がんばって、僕の成長期。

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