02

「あなた、今日以降、お休みしていいわよ」


 エリーゼ様にお茶をお淹れしたところで、ぽつりと零されたお言葉に絶句する。

 恐ろしい昨日の出来事のあとにこの台詞を出されたものだから、生きた心地がしない。


 不興を買ったのかな……?

 ご不便をおかけしているのであれば、従者失格だ。

 過去の自身の言動と反省点を並べ上げ、青褪めた心地で口を開いた。


「何か、至らないところが、ありましたでしょうか……?」

「ばか。違うわよ」


 嘆息した王女殿下がカップを持ち、一口つける。

 静かに茶器を鳴らした彼女が、じと目でこちらを見上げた。


「霜が下りるようになったの。そろそろ路面が凍結するわ」

「はあ……」

「あなた、王都の冬は初めて?」


 淡々とした問いかけに、軽く首肯することで答える。

 ……これはもしかして、心配されている……?


 読みかけの本に栞を挟んだ王女殿下が、ぱたりと表紙を倒した。


「主要区間は路面が整備されているのだけど、凍結するとよく滑るの。特にあの石橋。緩く湾曲してるし、水の上だしで、事故が多いわ」


 なるほど。確かに王都の大通りや主要区間、富裕層の住宅街は石畳で覆われている。

 領地は土の地面の方が多いため、見慣れない光景だった。

 そもそも王都と領地では、人口も交通量も違う。エリーゼ様が続ける。


「馬だって、踏み固められた雪で滑るし、跳ね上げられた泥水で言うこと聞かなくなるわ。馬車も滑って勝手に動くし……。あなた、街を歩くときは周りに気をつけなさいよ」

「ご心配、ありがとうございます」

「……あなたにもしものことがあったら、コード卿がうるさいだけよ」


 鼻を鳴らした王女殿下が紅茶を傾ける。

 不機嫌そうなじと目がこちらを向いた。


 エリーゼ様は言動も少なく、言葉も素っ気なくて端的だけど、何だかんだお優しい。

 突然のお気遣いに、嬉しさから口許が綻んだ。

 途端、じっとりとした赤い目が、ますますじっとりと仕出す。何故ですか!?


「……春になったら、また呼びつけるわ。萎れたタンポポを同封して、『次はお前の番だ』って送るから」

「脅迫状ですか!?」

「あれ、根から切り離したら、すぐに死んじゃうのよね。厚みがあるから、押し花もきれいに出来ないし」

「……エリーゼ様、植物に詳しいですよね」

「周りに野っ原しかないのよ。仕方ないじゃない」


 そういえば、出会った当初も花冠作っていた。

 さてはお花がおすきですね?


 嘆息した彼女が立ち上がる。

 鏡台へ向かう後姿が、はたと振り返った。


「お兄様にも、私がそう言っていたって伝えなさいよ」

「……ご存知でしたか」

「バレないと思ったの? とにかくそう言いなさい。そうしたら、無用に呼び出されなくなるわ」


 呆れ顔を背け、エリーゼ様が鏡台の前に腰を下ろされる。

 無造作に払われた髪は、お切りになられないため、更に長くなっていた。


 ……リヒト殿下が僕を呼び出していることをご存知であるのなら、王女殿下が話された目論見は潰えているはず。

 なのに契約を続行させていたのは、何故だろう?


 失礼しますと一言告げ、滑らかな白髪にブラシを通す。


「わかりやすいのよ、お兄様。あなたが来る日は、顕著にはしゃいでいるわ」

「リヒト殿下って、はしゃぐんですか!?」

「はしゃいでるじゃない……って、そう。あなたの前では、それが標準なのね……」


 ため息混じりに肩を竦めた少女が、鏡越しに呆れた目を向ける。


 ……王女殿下って、リアリストのニヒリストだよなあ。

 時々シュールな笑いを吹っ掛けてくるし。


 それにしてもリヒト殿下。

 妹君から、はしゃいでるって評価されてますよ?

 僕でそれなら、お嬢さまや他の方が来たとき、どうするんですか……。


「その、他の方とお会いしているときも、いつもあのようなご様子なので……」

「お兄様の交友関係なんて知らないわよ。たまたまあなたが私と出会って、お兄様が優しくしていたから、あなたを利用しているだけ。通り魔に一年間粘着されてるのよ。よかったわね?」

「王女殿下!? そのような卑下は……!」

「そういえば、あなたのところにティンダーリア家から使者が来なかった?」


 唐突な話題転換に、むしろご本人が来られました。胸中で申し上げる。

 動揺で固まった僕の動作と表情に、聡い王女殿下のお顔が、訝しむようにしかめられた。


「…………まさか、ギルベルト本人が来たの?」

「……はい」

「あの馬鹿! 迷惑だからやめなさいって言ったのに!!」


 突然お立ちになられた王女殿下に、慌ててブラシを退ける。

 勢い良く振り返った彼女が、とても焦ったご様子で僕を見上げた。


 敵意はありません、と両手を肩まで上げた僕の身体をぺんぺん叩き、大変参ったようなお声を出される。


「何もされてはいない!? あの猪、加減を知らないから……!」

「だっ、大丈夫です! 決闘を申し込まれただけなので!」

「決闘!?」

「あっ」


 しまったと口を塞いだときには既に遅く、一際大きく驚かれたエリーゼ様が、ふらふらと脱力するように椅子に座られた。


 慌てて膝をつき、お加減を窺う。

 色の白い肌を一層青褪めさせた彼女は、頭痛に耐えるように額に手を当てていた。


「も、申し訳ございません! 冷たいタオルをお持ちします……!」

「結構よ……。あの馬鹿……本当馬鹿……」


 両手で顔を覆われたエリーゼ様が、ぶつぶつ低い声で呟く。


 お茶。指示された言葉に即座に従った。

 添えた茶器を華奢な指先が掬い、王女殿下が神妙な顔付きで紅茶を含まれる。


「あの馬鹿が迷惑をかけたわ。コード夫人にもお詫び状を出すわ」

「い、いえ! 主人にもティンダーリア様にもお怪我はありませんでしたので、お心遣い痛み入ります……!」


 王女殿下からお詫び状だなんて、恐れ多くて震えが止まらない!

 第一に、王女殿下は直接関わっていませんし!


 激しく首を横に振ると、じっとりとした目が深いため息をついた。

 茶器を僕へ戻し、エリーゼ様が肩を落とす。


「あの猪に、あなたのことを話したの」

「いのしし……」

「あの人、本当宰相の立場がわかってない……。コード卿に喧嘩を売りに行くなんて、何考えてるのよ……」

「王女殿下かわいい、との内容でした」

「口の中にリボン突っ込むわよ」

「ごめんなさい……ッ」


 剣呑なお声に、泣きそうな返事をしてしまう。

 僕のこの逆らえない体質と脊髄反射、絶対坊っちゃんとのやり取りが影響していると思う。

 坊っちゃんに睨まれるだけで、心臓がきゅっとするし。

 あれ、このふたり、似ている……!?


 宰相閣下のご子息を猪呼ばわりした王女殿下が、深く深く嘆息される。


 宰相は国を支える重鎮だ。行政の長だ。

 その嫡子が、権力と兵力を有した公爵家へ喧嘩を売りに行く。

 ……うん、凄まじく危険な構図だ。


 改めてギルベルト様をお迎えに来た使用人の方が、顔面蒼白で何度も頭を下げていた理由がわかる。

 僕もそれをされたら、どう謝罪したらいいのかわからないし。

 お嬢さまと坊っちゃんが大人しいお方でよかった!


「……いつ? 決闘」

「その、……今週末です」

「そう……」


 ご心労をおかけしてしまって、すみません……。小さく謝罪する。

 お教えしなくて良い内容を、口を滑らせてしまった……。


 呆れたようなため息を零した王女殿下が、膝をつく僕の頭をわしわし撫でた。

 驚き瞬いたこちらを見下ろし、皮肉気に口角を持ち上げる。


「場所は騎士団演習場? だったら見に行くわ」

「ええ!? ですけど……!」

「コード卿があれだけ自慢していたんだから、あなた腕に覚えがあるんでしょう? あの馬鹿をけちょんけちょんにしてやって」

「ご兄妹揃って、慧眼が鋭過ぎてこわい!!」


 何で場所の特定が出来るの!? これが王都歴の違い!?

 僕、護衛のこと何も言っていないのに……!

 彼等は実は名探偵だった!?


「……お兄様、……そう」


 小さく呟かれたエリーゼ様が、にんまり微笑まれる。

 くつくつ笑うお姿はあくどく、胸中が青褪める心地を覚えた。


 機嫌よさそうに立ち上がられた彼女が、軽い足取りで重厚な机に乗せられたカレンダーを覗き込む。

 至極楽しそうなお顔で、そこに印が設けられた。


 ……リヒト様、ごめんなさい。

 僕、何かしちゃったみたいです……。


 美しくにっこりと微笑まれた王女殿下が、「今日は別の髪型がいいわ」なんてことない調子で、鏡台に戻られた。






 帰還後、疲れた心で鞄を片付けていると、王女殿下の筆跡で記されたお詫び状が発掘された。


 見覚えのない白い封筒に疑問を抱き、徐に中を読んで、心が死んだ。

 間違いなく心臓が変な動きをしたし、動悸と冷や汗と震えも止まらなくなった。

 いつの間に仕込まれたんだろう……?


 慌ててヒルトンさんへ報告し、ちょっと泣きながら封筒を差し出した。


 中を改めた養父は心底疲れた顔で、「君が生きていることを不思議に思うよ……」僕の頭に手を乗せた。

 僕も不思議に思います……。

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