手紙 二
ハイネさんとの手紙のやり取りには、色々と注意が必要らしい。
ヒルトンさんが教えてくれた。
まずはお互いの連絡先を第三者に特定されないよう、差出人に適当な名前を使うこと。
次に毎回違う封筒を用い、投函口も場所を変えること。
専属の連絡係を用いず、公共設備を用いるのならば、足取りを辿らせられないよう、取引相手を不明瞭にすること。
などなど。大切な注意事項なのだとか。
これらを守ることが出来ない場合、最悪解約へと繋がるらしい。
基本の「き」だそうだ。
何だか手順が、思春期の女の子の間で流行りそうな、おまじない染みている気もする。
初めて届いた、見覚えのない僕宛ての手紙。
何とも不思議で、封を切るまで、送り主がハイネさんだと気づかなかった。
なるほど、ヒルトンさんに嘘を教えられていなくて良かった。
思えばヒルトンさんは、なぞなぞを出したり、悪趣味に僕を観察することはあっても、嘘をついたことはなかったと思い至る。
彼の口から出るのは、真実と指導と講義だ。
結果として僕の洞察力が足らず、煙にまかれているのだと悟る。
……踊らされている。
改めて痛感した事実に気落ちした。
開けた紙面は、質素だった。
ハイネさんの文字は、読める程度に崩された乱雑なもので、時々スラムの訛りが混じっている。
事務的な報告書へ目を滑らせ、気になる事項に眉をひそめる。
手紙を畳んで封筒へ戻し、心持ち急ぎ足でヒルトンさんの元へ向かった。
ヒルトンさんの仕事に付き添うようになって、大体一年が経つ。
僕の手帳は走り書きで埋まり、時々ではあるが、実際に予定を組ませてもらえるようになった。
勿論ヒルトンさんの確認が入り、問題がなければ採用される形だけど。
あれからヒルトンさんに特別な動きはなく、敏腕執事を体現している。
それが余計、あの事件の不明瞭さを際立たせていた。
ヒルトンさんは、一体何が目的だったのだろう?
直後に出題されたなぞなぞに関しても、わからないままだ。
「ヒルトンさん、お時間よろしいですか?」
「入りたまえ」
書類を見比べていた老紳士が、座ったままこちらを促す。
一礼して部屋へ入り、静かに扉を閉めた。
手紙を開きながら、彼の近くへ立つ。
「ハイネさんからの手紙で、少し気になることがあります」
「何かね?」
顔を上げたヒルトンさんが眼鏡を置き、僕の持つ手紙を覗き込んだ。
並んだ文字を指で差す。
「王都での目立った事件について、過去五年間を遡って調べてもらいました」
「ほう、それは奇特な」
「昨年はリズリット様のご家族が、今年は孤児の女の子が、残忍に殺害されました」
「…………」
眼鏡をかけ直したヒルトンさんが、並んだ文字列に目を滑らせる。
緘口令の敷かれていたリズリット様の事件を、僕は詳しく知らない。
けれどもハイネさんは、何処から調べたのか、その内容を把握していた。
王都滞在中に彼と話をしたが、詳細を語るのは憚られると断られた。
しかし、被害者の遺体を弄んでいる、とだけは教えてもらえた。
恐らく僕に配慮してだろう。
殺害された子どもは、僕と年齢が近かった。
「毎年リヒト殿下のご生誕祭、収穫祭の期間中に殺害されているようです」
「…………」
「ヒルトンさん、何かご存知ではありませんか?」
ウサギ男が現れた時期は、収穫祭が終わった直後だった。
因果関係があるのか、今は下にある顔を見詰めて問い掛ける。
淡く口許に笑みを浮かべたヒルトンさんが、眼鏡を外した手で、目頭を揉んだ。
「この少女は子宮と膣を取り除かれ、腸と合わせてガーランドのように飾られていたらしい」
「――ッ、」
「この件を追うなら、惨い状況描写に耐えられるようになりなさい。闇雲に触れてはいけないよ」
喉奥に酸いものを感じながら、返された手紙を受け取る。
……闇雲に手を出しているわけではない。
衝撃は予想以上だったが、それでも人の生き死にに関することを調べてもらっているんだ。
覚悟はしていた。
変わることなく微笑を浮かべるヒルトンさんが、徐に立ち上がり、書棚へ向かう。
「君は創世記を知っているかね?」
「……世界は五つの天秤で出来ているという、あれですか?」
「そうだ。一番上の皿に神がおり、二番目が天、三番目にこの世界があり、四番目に地、五番目の皿が地獄だ」
「神話がどうかしましたか?」
唐突に始まった神話の授業に、内心げんなりとしながら彼を注視する。
大元がファンタジーだからか、魔法が存在するからか、この世界の歴史は創世記から始まる。
一番目の皿でエーテルは生まれ、下方の皿へ向けて流れ、循環する。
天秤の均衡は崩れてはならない。
大体こんな感じの内容だ。
そもそも天動説が存在しているというのに、平たい『皿』を世界に例えるのは、如何なものか。
一冊の本を抜き取ったヒルトンさんが、こちらへ差し出す。
受け取ったそれは、分厚い民俗学書だった。
「よく読むといい」
「はあ……」
「物事は慣習に則っている。何かしらのルールを紐解くには、模範となった解を見つけるに限るよ」
「……わかりました」
どうやらヒントをくれるらしい。
手引きしてくれるくらいなら、正解を教えて欲しいというのに、ヒルトンさんは相変わらず無害そうに笑っている。
僕の頭を撫でた彼が、目許の皺を深めた。
「知識は武器だ。見識を深めなさい」
「わかりました」
正論だ。ひとまず寝る前の一時間を読書に費やそう。
ここのところ、時間が圧倒的に足りない。そろそろ分身したい。
受け取った本を、胸に抱いた。
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