05
聞き耳を立てた応接室から、リヒト殿下とクラウス様の声を聞き取る。
最高に入り難くなった。
リズリット様の声までする。
今日はアリヤ式ブートキャンプはお休みなんですか?
あっ、でも、騎士団関係者であるクラウス様がいらっしゃるなら、護衛の件とか顔が広そう。
お尋ねしてみるのもいいかも。
恐る恐るノックをして、声をかける。
静まり返ってしまった室内に、思わずドアノブから手を離した。
無理! この空気の中入場とか、無理!!
「大丈夫か? ベル、怪我したって聞いたが……」
すんなり開いた扉を、クラウス様が支えている。
ああ、こんなところでいい人属性出さなくていいんですよ。
何で開けてしまったんですか? クラウス様……!
じっと僕を見下ろしていた海色の瞳が、すっと温度を下げた。ひえっ。
「す、すみません……っ、お部屋間違えたみたいで……」
「はは。間違えてないと思うぜ。ミュゼット嬢も心配してる」
逃げようとした僕の背に腕を回し、クラウス様がにこにことお部屋へ誘い込む。
いや、本気で入りたくないんですごめんなさい。
引きつる僕の内情などお構いなしのエスコートが、扉を潜る。
「ベル!」お嬢さまのお声に、即座に直角90度に頭を下げた。
うわっ忘れてたけど、肩いった!!
「この度は多大なるご迷惑をおかけしてしまったこと、また職務不能に陥ってしまった不甲斐なさをお許しください!!」
「きゃああああああ!? ベル顔を上げて! 傷に障ってしまうわ!!」
悲鳴を上げたお嬢さまに身体を支えられ、顔を上げさせられる。
いやいやっ。まだお詫び足りない……!
「お嬢さまと坊っちゃんをお守りすることが僕のお役目だというのに、この体たらく! 本来であればお嬢さまの御身の安全を自身の目で見極めてから敵を屠るものを、お嬢さまにご不安を抱かせ心労を与えてしまう重罪を犯しました! 更には負傷などという今後の任に差し支えるものまで加え、お嬢さまのお手を煩わせる始末! ……この処罰はどんな形であろうと受けさせていただきます!」
「煩わせるだなんて! わたくしはベルが無事なら、それだけでいいの!」
「お嬢さまが大海原のように広い御心をお持ちなのは存じています! ベルナルドは自分が許せないのです!!」
「傍仕えってなんだっけ」
リヒト殿下が引いた顔をしているけれど、僕はそれどころじゃない。
お嬢さまの石榴色の瞳を潤ませる大罪を現行犯で働いているんだ。
これはもう、市中引き回しの刑待ったなしかな?
はっ、もしかすると僕の護衛探しの任務って、このまま王都に滞在しろってことだったのかな!?
すると次にお嬢さまにお会い出来るのは、来年の星祭り……7ヵ月後かな?
あ、死ぬ。
物凄く大人しくなるから、怪我も一瞬で治るんじゃないかな?
「ベル、大丈夫よ、処罰なんてないわ! だからそんな今にも死にそうな顔しないで!」
「……すみません、お嬢さま。少し、悪い想像をしてしまいました……」
ヒルトンさんの裏の裏を読もうとすると、気分が悪くなる。
頭を振って、持ち直した件を伝えた。
ほっとしたようにお嬢さまが息をつかれる。
「あなたが無事で、本当によかった……」
お嬢さまの両手に包まれていた右手が、きゅっと握られる。
目尻に涙を浮かべたお嬢さまが泣きそうに微笑み、嵐の中飼い主の元へ生還した仔猫の心境に陥った。
おじょうさま、生きる希望を与えてくださり、ありがとうございます……ッ。
「おじょうさま、一生ついていきます……ッ」
「まあまあ、立ちっぱなしもなんだし、座ったらどうだ?」
「どうぞ! お嬢さま!」
「ベル?」
「ごめんなさい今のは僕の習性みたいなものなんです。リスが穴掘ってどんぐり埋めるような、そういうどうしようもないものなんです」
「まあまあ。す、わ、れ?」
意気揚々お嬢さまの椅子を引こうとしたところを回れ右し、隅っこの椅子にしゅんと腰を下ろす。
震えてる?
うん。お嬢さまもクラウス様も、笑顔だったのにこわかったもん。
アーリアさんが僕の前に紅茶を置く。
慌てて首を左右に振るも、彼女は澄ました顔で執り合ってくれなかった。
ハートフルお嬢さま充からの僕のテンションの落差がひどい。
周りの生暖かい眼差しも居た堪れない。つらい。
「ベルって、利き手右?」
「はい」
「よかったね、左で済んで」
「そう……ですね……」
リヒト殿下の擁護に、曖昧な笑みを返してしまう。
確かに不便さは利き手が自由な分軽減されるが、お仕事が出来ないのであれば、あまり違いはない。
ワーカホリックの自覚はある。
むしろ、お仕事イコール存在意義イコール至福の時だ。
部屋を見回し、改めてお揃いの方々を確認する。
お嬢さま、坊っちゃん、リヒト殿下、クラウス様、リズリット様、そして控えるアーリアさん。
いつもの面々プラス、リズリット様といったところか。
完全に給仕する気分になっていたことに気づき、再びしゅんと肩を落とす。
これ、あと何日続ければいいんだろう?
「それにしてもベルくん、本当に大怪我だね……」
リズリット様の言葉に、改めて三角巾を見下ろす。
この忌々しい白い三角め。ヒルトンさんめ。
僕はちゅうにびょうじゃないから、喜ばないぞ。
「三角巾が大袈裟なだけです」
「うーん、俺の目の錯覚かな? ほっぺにもガーゼ貼ってるし、首にも包帯巻いてるよ?」
「首のも頬のもすぐ取れます。上ばっかり狙われたので、他に怪我はしてません」
「……二階から飛び降りて、無傷とはな。……そうか」
「あーっ。足挫いてましたねーそういえばー!」
「ベル……」
呆れた目が痛い。
坊っちゃんのツンとした態度が辛い。つらい。
リズリット様が苦笑する。
やんわりとした態度は、当初に比べると劇的に変わられた。
これがブートキャンプの成果か。
クラウス様のお母様、相当恐ろしい方なんだろうな……。
「本当は今すぐ抱き上げたいんだけど、うっかり傷に触れてしまったら困るでしょ?」
「……ご配慮ありがとうございます」
「うん。だから早く治して、抱っこさせてね」
ふんわり、微笑んだリズリット様に、流れる冷や汗を懸命に誤魔化す。
彼の言葉を意訳するなら、「他に隠してる傷に触れて、ばれたら困るでしょ? 黙っていてあげるから、今度抱っこさせろよ」になる。
心音は賄賂だ。
……何時間拘束されることになるんだろ。
一晩一括払いで許してくれないかな。
「傷、ね……」
「ところでクラウス様! なんかこう、強そうな方とかお知り合いにいらっしゃいませんか!?」
意地の悪い顔で復唱したリヒト殿下を遮り、クラウス様に議題を切り出す。
きょとんと瞬いた彼が、不思議そうに首を傾げた。
「強そうな人?」
「なんといいますか……傭兵さんでしょうか。信頼の置ける護衛の方を探してます」
「護衛かー」
天井を見上げたクラウス様が難しそうな顔をする。
顎に手を当てたリヒト殿下が、不思議そうに口を開いた。
「公爵家でしょ? 騎士団配置できないの?」
「それはちょっと、話が大きくなりすぎてしまいます……」
「そっか、悪目立ちしちゃうね」
「私兵は使わないのか?」
「コスト削減なので……」
あー。頷いたリヒト殿下とクラウス様が揃って天井見上げる。
その勢いのまま、殿下がテーブルを叩いた。
「そうだよ! 何でコード家もアリヤ家も、両極端に辺境にあるの!?」
「何故と言われましても……」
お嬢さまが苦笑している。
突然の領地の話題に、坊っちゃんも驚いたように水を飲む手を止めている。
「コード家は4ヶ月しか王都にいないし! クラウス、同じ時期に帰ったら怒るからね?」
「それ、必然的にコード家と会えないよな?」
「きみん家が特に遠いんだよ! 本当は辺境伯だって知ってるんだからね!」
「そこはちょっと、親父と俺と騎士団でチョメチョメあって……」
「ぼくは、ぼっちが寂しい!!」
「殿下、落ち着いてください……!」
慌てて仲裁すると、はっとした顔のリヒト殿下がこちらを向いた。
キラキラ可愛らしい顔で、あざとく小首を傾げている。
リヒト殿下のお人柄も、計算された仕草も頭ではわかっているのに、どうしても視覚情報が可愛いと訴える。
――これはおねだりの顔だ。
それも本気のおねだりだ。
「ベル、帰り道つらいでしょ? 王都に残ってぼくのとこ来る?」
「いえ。意地でも帰ります」
「その身体じゃ、御者も出来ないでしょ? 無理はいけないよ?」
「!!!!!」
殿下の言葉に愕然とする。
そうだった! 僕、御者の当番に入ってたんだ!!
コード家は、最低限の人員で遠征メンバーを組んでいる。
御者も当番制だ。
それに加われないということは、他の御者の方に迷惑をかけるだけでなく、僕はお荷物以外のなにものでもないということで……。
「ヒルトンさんに……確認を取ってきます……」
「ごめん、ごめんってベル。傷心してるところにつけ入ったことは謝るから」
「リヒト様、ベルはうちの子です!」
「ごめんってミュゼット」
「ありがとうございます、お嬢さま……」
ふらりと立ち上がり、よろよろ扉へ向かう。
お嬢さま本当に尊い。泣きそう。
こんな存在価値が零に等しい僕に、そのようなお優しいお言葉をかけてくださるなんて。
天使か。天使だったわ。知ってたわ。
一礼して部屋を出た。
何故だかリヒト殿下も引っ付いてきた。
しょぼんと落ち込んだ顔をされ、再度「ごめんね」重ねられる。
「殿下は正当なことを仰っています」
「うん……ベルはちょっと鏡見よっか」
ぽすぽす頭を撫でられ、リヒト殿下が僕の手を取る。
「ベルが転ばないように支えてあげる」微笑んだ顔は、やっぱり可愛かった。
くそう、騙されてる僕。
ヒルトンさんに尋ねてみた。
しばらく考え込んだ彼は、リヒト殿下を見詰め、そして僕を見詰め、「それも一案ありますね」と優雅に微笑んだ。
再度泣きそうになった僕を殿下がぽんぽんあやし、「大丈夫だよ、ベル。ぼくが幸せにするからね」と慰められたから、彼は僕の味方ではないんだと再認識した。
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