04

 ニーナ・アリヤは馬はを止めた。

 出迎えた使用人に馬を預け、疾走で乱れた髪をばさりと掻き上げる。


 淑女らしかぬ装いと仕草は、街の淑女が見れば眉をひそめるようなものだったが、彼女は舞台役者のように造形が整っていた。

 さながら男装の麗人。

 すらりと伸びた手足と、ひとつに束ねられた燃えるような赤い髪。

 切れ長の目は一人息子と同じ海色をしており、長い睫毛が瞬きの度にそれを隠していた。


 彼女が乗馬用ブーツのヒールを鳴らす。

 音もなく傍らについた執事から簡潔に報告を聞き、彼女が階段に足をかけた。

 ひとつの扉の前で、彼女が立ち止まる。


「ただいま、クラウス!」

「母上!?」


 ノックとともに開けた扉の向こうの光景に、彼女は目を瞠った。

 まずは手紙にあった件の少年がどの子なのか、彼女には検討がつかない。


 記憶よりも背の伸びた一人息子が、白い髪の少年の頭を拭き、しかしその子は嫌がるように黒い髪の少年にへばりついている。

 黒い髪の子は、白茶の髪の少年から全力でタオルを投げられたところだった。

 もふっと顔面で受け止めている。


 にこにこ笑っていた若草色の髪の女性……カレンがニーナに気づき、やんわり手を振る。


「ニーナちゃん、久しぶりね」

「カレンお姉さま、これは一体……?」


 きょときょと瞬くニーナに、カレンがうふふと微笑む。

 新たな人間の登場を察知したのか、白い髪の子が益々黒い髪の子にへばりついた。


「リズリット様お腹ッ、締め過ぎですコルセットですか!? 苦しいです苦しいです!」

「あいつは俺を殺しにきたにちがいない、そうにちがいない」

「やめろ! 僕の黒歴史を掘り返すな!!」

「母上、思っていたよりも速かったですね」


 三者三様に全力な様子を放置して、クラウスがニーナの前へ出る。

 紙面で見せた不安定な様子など微塵も感じさせないにこやかな表情に、母親が彼を抱き締めた。

 うわっ、クラウスが慌てた声を上げる。


「良く頑張ったわね、クラウス。あなたは私の誇りよ」

「大袈裟です、母上! と、とりあえず離してください……!!」

「改めて皆様、この度はご助力いただき、誠にありがとうございました」


 優雅な夫人の礼と、無理矢理下げさせられた息子の礼に、争っていた三人が唖然と固まる。

 ただひとり、カレンだけが変わることなくにこにこと微笑んでいた。





「全く、あの人ってば、やることが中途半端なのよね!」


 涼やかな音を立ててグラスを置いたニーナさんが、奥様に文句を零す。

 既に手紙で旦那さん……アリヤ卿へ苦言を呈したらしい。


 馬車を置き去りに、早馬を乗り継いでここまで来たとのことだが、アリヤ夫人と手紙、どちらが先に王都へ辿り着いたのだろう?


 活動的な様子に、クラウス様の頬が引きつっている。


「母上、また一段と……活発になられましたね……?」

「クラウスも領地へ来なさいな。母が稽古をつけてあげましょう」

「ひえっ」


 あのクラウス様が怯えている! ひえっとか言っちゃってる!

 レアだ! レアクラウス様だ!!

 これはお嬢さまへお話するぞ!


 背中にへばりつく引っつき虫さんと、若干不機嫌そうに僕の食べるものを食べる坊っちゃんを侍らせ、遠くを見詰める。


 何だろう、おかしい。

 僕の周りにいる人たちが、どんどん風変わりになっていく。

 何か抱えてるトラウマがえげつない。

 凄く僕と密接に関わった状態から、新しいスタートを切ろうとする。なんで……?


「坊っちゃん、食べ終わったなら手を離してください。何でそんな恨みがこもってるみたいに握り締めてくるんですか? 運動苦手な割りに握力ありますね? ほら右手さん苦しそう!」

「知るかッ」

「ああっ、坊っちゃんまだお食事の途中です! 席を立っては、ぐふッ!!」


 立ち上がろうとするも、背後からお腹回りをとんでもない力で締められた。


「リズリットさま……? 急にお腹締めるの反則です……」

「じっとしてろよ、生きてる人間」

「範囲指定大草原並みに広いのに、何で検索結果1なんですか。そのこだわり項目クリアにしましょう!?」

「うるせえ」


 張り付いた背後から威嚇されて、か弱い僕の心臓が竦み上がる。

 何でリズリット様、こんなに気が立ってるんでしょう?

 お風呂入ったときは普通だったんですよ?

 その後から急にやさぐれ出して、僕は何か粗相を仕出かしたのでしょうか……?


 あと、坊っちゃんがお食事を召し上がってくださらない……。

 僕の身動きが取れないばっかりに、坊っちゃんにお茶もお淹れ出来てない。


 ソファに座った彼は不機嫌そうに本を読んでいて、あれ? もしかして僕、傍仕えとして仕事してない……?

 すっと血の気が引いた。


「……いろがちがう」


 ぼそりと聞こえた背後の声に、振り向ける範囲で振り返る。


 僕の背中とソファの背凭れの間に埋まる白い髪が、がしがし乱雑に掻き毟られた。

 思わず慌ててその手を掴む。

 リズリット様が勢い良く顔を上げた。

 薄茶の目には、涙の膜が張られている。


「色が違うんだ! 俺の髪は黒かった! こんなっ、こんな年寄りみたいな色……ッ!!」

「お、落ち着いてください! いたたッ」


 いきなり髪を鷲掴まれ、力いっぱい引っ張られる。

 痛みから涙が浮かぶが、リズリット様は返せ返せと泣き喚いていた。


 誰かが仲裁しようと間に入るが、ブチブチ不穏な音が増えるばかりで、握り締められた手は解けない。


「僕は! リズリット様の髪をエリーゼ姫殿下のようだと思いました! いいじゃないですかっ、綿毛みたいな色で!」

「うるさい! お前に何がわかるんだ!? へらへらへらへらして、お前に何がわかるんだよ!?」


 パンッ、頬を叩く音とともに、身体が引き離される。

 呆然と頬を押さえるリズリット様の視線の先には、叩いた体勢のままのクラウス様がいた。

 彼が荒い息をつく。


「リズリット、謝れ。それはお前の八つ当たりだ」

「ッ、」

「ベルがお前に何をした? 親切しかしてないはずだ。お前に無理矢理聞き出すことも、嫌だと顔をしかめることもしてない。ましてやお前ん家を襲った奴でもない」


 クラウス様の声は聞いたことのないほど怒りに満ちていて、呆然と応酬を見守った。


「ベルに、謝れ」

「……ごめん」


 小さく呟くように、前髪越しに謝罪される。

 すっかり気迫に押された僕は掠れた声しか返せず、振り返ったクラウス様に悲しそうな顔をさせてしまった。

 気遣うようにそっと撫でられた頭が、ひりひりとした痛みを伝える。


「ごめんな。ベルに頼りきりだったのに、痛い思いさせて」

「大丈夫ですよ、髪くらい。ヒルトンさんは容赦なく鳩尾蹴り込んでくるんで!」

「……うん。でもそれは鍛錬であって、乱暴じゃないだろ?」


 クラウス様に苦笑され、言いくるめられなかった同い年の賢さに唸った。

 僕を支えていた奥様の手を解いてもらい、今一度項垂れるリズリット様の元へ向かう。

 クラウス様に肩を引かれたが、構わず目線の高さが低くなるよう、膝をついた。


「リズリット様、今はむしゃくしゃする時期です」

「………」

「僕も、お嬢さまに拾われたとき、とても皮肉なことを考えました。身体が動いていたら、間違いなく悪口を言っていたと思います。死にかけていたお陰で、口に出さずに済みました」


 ゴミ溜めの中で胸に抱いたこと。

 あまつさえ、お嬢さまから逃げようとしたこと。

 僕は決して綺麗な人間ではない。

 理不尽と恵まれた環境の差に、嫌悪感を抱いていた。

 ……それもすぐに打ち捨てたが。


 リズリット様が僅かに顔を上げる。

 音もなく落ちる涙を、親指でぐいぐい拭った。


「けれども、それが間違った思いだと、悪いことを考えてしまったと、気づいたときは素直に悪いことを受け止めてください。むしゃくしゃは悪いやつではありません。通過点です。悪いのは、認めない悪足掻きです」

「………」

「むしゃくしゃが終わったら、うんと優しい人になってください。僕はお嬢さまに一生を捧げるつもりなので、最高の執事を目指します。けど、そこは人それぞれだと思うので、何か良いものを見つけてくださいね」


 以上です。ハンカチを差し出し、彼の顔を拭う。

 声を上げて泣き出したリズリット様の背を撫で、落ち着くのを待った。


 結局はまた心音を聞かれる体勢に戻ったため、身動きが封じられることになったのだけど。


 リズリット様が泣き疲れて眠ってしまったので、どうしたものかと辺りに助けを求める。

 罰の悪そうな坊っちゃんと、苦笑するクラウス様が目に入った。


「冷や冷やした」

「結果オーライです」

「……体勢悪化してんぞ?」

「真正面は困りましたね……。持ち上げようにもリズリット様身長ありますし……僕の腕力では……」

「困ったわね。ベルくんはアルくんの専属従者だもの……」

「僕の大切な坊っちゃんがあああああ」

「寝ている奴を起こす気か」


 奥様の指摘に、上がった悲鳴を坊っちゃんがぺしりと遮る。

 困ったように頬に手を当てた奥様と、一部始終を静観していたアリヤ夫人が、考え込むように唸った。


「ベルナルドくんと、アルバートくんに泊まっていってもらうのはどうかしら? クラウスも嬉しいでしょう?」

「……母上、その言い方はっ」

「パパのベッドが一番広かったわね。四人とも小さいし、並んで寝れるんじゃないかしら。どうかしら、お姉さま」

「あら、微笑ましいわね~」


 頭上でかわされるお泊り会議。

 何故か当事者よりも楽しそうな婦人たち。


 真っ赤な顔を両手で隠したクラウス様が、「母さん、やめてくれ……ッ」搾り出すように苦しんでいる姿を、坊っちゃんと僕の心にメモリアルした。

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