03

 ――あの日は赤かった。ただただ赤かった。

 不気味な音と、おかしな音と悲鳴が耳の奥にこびりついている。

 姉さんに引き摺られるまま、姉さんの部屋に逃げ込んだ。


「絶対にここから出ちゃダメ! 開けちゃダメよ!」

「ねえさっ、」


 ぼろぼろ涙を零しながら、姉さんにクローゼットの中へ押し込まれた。

 ふわふわの服たちに包まれながら、扉が閉められる。


 辺りが真っ暗になった。

 そこで金物を擦る、シャラララ、との音が聞こえた。

 姉さんが引きつった悲鳴を上げる。

 間もなく扉が開く音がした。あいつの鼻歌が聞こえる。


 姉さんが、今度こそ悲鳴を上げた。


「やあ、リトルリトルプリンセス。着せ替えごっこは如何かい?」

「ゃ、やめて! こないで人殺し!!!」

「上半分と下半分にしようかな? 手足と胴体も捨て難いな」


 音だけの状況が、余計恐怖を掻き立てる。

 ガタガタ震える手足が止まらない。

 涙も鼻水も止まらなくて、けれども両手で口を覆って息を殺した。


 嫌だ、嫌だ、姉さんを殺さないで!

 引きつりそうな呼吸を懸命に飲み込む。怖くて仕方なかった。


 誰か助けて、ヒーローみたいに誰か助けて!

 何度もいもしない存在に助けを求めた。


「そうだ、先に衣装を見ようか!」

「ッ!? やめて! 開けないで!!」

「邪魔だなあ」


 ぎゃ。濁った姉さんの声が、一瞬で途切れた。

 簡単に想像出来てしまった姉の末路に、呆然としたまま涙だけが溢れる。


 呆気ない音を立てて、クローゼットが開かれた。

 真っ赤に濡れてどろどろしたあいつが、俺と目が合った瞬間、首を傾げる。


「ありゃ? 色が違うや。残念だなあ」


 あいつはそれだけ言い残してぱたりと扉を閉じ、部屋から出て行った。


 あいつに見つかった体勢のまま虚空を見詰め、放心する。

 恐怖心に空回った脳内は漠然としたまま空想を始め、もしかしてあいつの狙いは俺だったんじゃないか?


 思い至った想像に、体中の力を振り絞って絶叫を上げた。






「リズリットくん、おはよう」

「リズリット様、ごはんですよー!」

「これから鍛錬に行く」

「ただいま、リズリット」

「リズリット様、また明日」


 目に映る光景を認識したとき、死ねなかったんだ。残念に思った。

 死にたかった。死にたくて死にたくて堪らなかった。

 自分のせいで皆殺されたんだ。

 申し訳なかった。生きたくなかった。

 ただただ後悔が込み上げてきて、涙すら流れなかった。自分が許せなかった。


「あのね、リズリットくん」


 何の不自由もなさそうな三人の子どもたちが庭に出たとき、隣で編み物をしていた女がぽつり、話しかけてきた。


「みんな大なり小なり、苦しいこと、忘れてしまいたいことがあるわ」


 静かに編み物を脇に置いた女が、俺の頭をそっと撫でた。


「けれども沢山悔いて、沢山泣いたなら、今度は前を向くの」


 柔らかな音が鼓膜をそっと震わせる。

 言葉を放棄した脳に、それはじんわりしみた。


「折角生かされたのよ。生きて生きて、生きれなかったみんなの分を生きて、胸を張って生き抜くの」


 だって。彼女が言葉を飲み込む。

 苦笑いのように、続きが吐き出された。


「生きる方が、死ぬよりずっと難しいもの」






 俺の隣で、黒髪の子が無防備に寝ている。

 その斜め上には白茶の髪の子。

 金髪の……クラウスは、黒髪の子の近くで寝ていた。


 静かだと思ったらみんな寝ていた。

 女の人が隣で毛糸を編んでいる。


 こんなに無防備で、こいつも殺されるんだ。

 ――傾げた身体が、黒髪の背中を潰す。


 ほら、あっさりこのザマだ。

 片耳が拾った規則正しい音。大事な心臓の真上に俺がいる。


 脈打つそれを頬で感じていると、何故だか涙が溢れてきた。

 ああ、ああ。ぐすぐす鼻を鳴らしながら、縮こまり心音を聞く。


 生きてる音がする。あたたかい。

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