02

 アリヤ家一日目。

 お嬢さまとアーリアさんに見送られ、到着したクラウス様のお屋敷を見上げる。

 玄関先で出迎えてくださったのは、クラウス様ご本人と、執事と思われるおじいさん。そして数名のメイドさんだった。


 王都のアリヤ家では、そこまで使用人を雇っていないらしい。

 頭を下げたひとり息子と、スチュアートと名乗る執事さんから教えてもらった。


 件の少年のいる部屋に案内してもらい、扉の隙間から並んで様子を窺う。

 暗闇に潜んでいるのは白い髪の痩せ細った子どもで、小さな声でぶつぶつ何かを呟いていた。


 明らかな異常な空気に、これはいけないと、軽装の奥様、坊っちゃんと顔を見合わせる。


 豊かな長い髪を頭の高い位置で一纏めにした奥様が、扉を数度叩く。

 柔らかな声で扉を開け、閉め切ったカーテンを開け広げた。

 窓も開け、少し肌寒い風が室内を通る。


 それだけで、陰鬱な空気が少しだけ和らいだ。


「はじめまして、リズリットくん。わたくしのことは、カレンおばさんと呼んでね」

「ベルナルドといいます。よろしくお願いします」

「アルバートだ」


 リズリット様は怯えたように喉を引きつらせただけで、それ以上の反応はなかった。

 気落ちするクラウス様の頭を撫で、奥様が微笑みかける。

 若草色の尻尾がゆらゆら揺れた。


「まずは、ここが安心だと思ってもらうの。もうこわいものはやってこないんだって」

「……はい」

「誰かといつも一緒にいる。わたしたちに出来ることは、そのくらいよ」


 朝ごはんは食べた? 尋ねる奥様に、小さく頷くクラウス様。

 それじゃあ一緒にお勉強しましょう? テーブルに荷物を置いた彼女が、中から本と用紙を取り出した。

 坊っちゃんのお顔が引きつっている。


「ベルくん、お茶を淹れてくれないかしら。あとお菓子もあると嬉しいわ」

「ご用意いたします!」


 ミスタースチュアートに案内され、やってきた台所。

 使用人さんから説明を受け、大人に一声かければ自由に使って良いとの許可を得た。

 よそ様のお宅を火事にしてはいけないので、何度も頷いた。



 お茶の準備を整え、お部屋に戻ると、既に坊っちゃんとクラウス様がわいわいと賑やかにされていた。

 伺った問題は算術らしく、数字の苦手な坊っちゃんがからかわれていらっしゃる。

 お顔を真っ赤にして、悪態をつかれていた。


 給仕が終われば僕も勉強会へ混ざり、時折坊っちゃんのお口へクッキーを運びながら、問題を解いた。

 一問解くごとに、子どものように褒めるクラウス様を誰か止めて欲しい。


 お返しに坊っちゃんが一問解くごとにめちゃくちゃ褒めた。

 鋭い眼光で睨まれたけど。理不尽だ!



 時折シーツを汚されるリズリット様を、奥様と僕の二人がかりで整える。

 お洗濯へ行ってきます! とお部屋を飛び出すと、勉強から逃れたかったらしい、坊っちゃんがついてこられた。

 そのまま二人で洗濯場へ向かう。

 ここでも使用人さんから親切に教えてもらい、洗い物をお願いした。


 けれども洗濯場に着いてからの坊っちゃんの様子が、何処かおかしい。

 使用人さんが開けた洗剤の容器にはっとするも、時既に遅く、坊っちゃんは戻されていた。


 小さく何度も謝罪される彼に、持っていたハンカチで口許を塞ぎ、お手洗いに案内する。

 大急ぎで洗濯婦さんに謝罪を述べ、後片づけを済ませた。


 洗濯婦さんは嘔吐の原因を勘違いしているようだったが、それだけは否定し、飲み水を確保してから急ぎ足でお手洗いへ戻る。

 ぐったりされてる坊っちゃんの背中を擦り、具合を尋ねると緩い反応。

 控えのハンカチを差し出すと、安心したように使われた。


 良かった! 坊っちゃんからいいにおいのアレもらっていて、本当に良かった!



 お部屋へ戻り、奥様に事情を説明すると、クラウス様の表情が曇った。

 心配そうに坊っちゃんへ声をかけるも、ソファで休まれた坊っちゃんはこちらに背中を向けてしまう。

 彼の身体にブランケットをかけ、ソファを背凭れに床に座った。

 あらあら、奥様が苦笑される。


「坊っちゃんがよく眠れるように、歴史書を朗読しますね」

「……お前、僕を休ませる気ないだろ……」

「そんなことありません。よく眠れる歴史書ですよ」


 時折坊っちゃんの頭を撫で、隣の床に座ったクラウス様と一緒に歴史書を朗読する。


 途中から身振り手振りを交えだしたそれは大袈裟になり、『よく眠れる歴史書』からかけ離れた。

 うるさいぞ! 跳ね起きた坊っちゃんの顔色も大分良くなり、内心人心地つく。

 半ば強引に坊っちゃんも朗読会へ引き摺り込み、三人で面白おかしく歴史を学んだ。


 ベルナルドくん渾身の「これは誰でしょう?」のモノマネは不評だったが。

 それでも坊っちゃんとクラウス様の表情が明るくなられて、よかった。



 昼食の後は身体を動かそうということで、お庭で鍛錬をすることになった。

 お部屋には奥様が残り、お食事や水分補給を試みられるとのこと。


 現在文系の坊っちゃんは体育が苦手で、準備運動の段階から嫌そうなお顔をされていた。

 しかし僕とクラウス様の手合いを見て考えを改めたらしい。「ミスターと相談する」と言っていた。

 今日はお加減のこともあるため、日陰で見学してもらったが。


 クラウス様はやはり騎士団長の息子さんとあり、重心の取り方がアーリアさん並みに整っていた。

 小型の暗器を使う僕とは違い、すらりとした木剣を構える姿も様になっている。


 ヒルトンさんとアーリアさん以外の方と練習するのは初めてだったので、ついつい僕もはしゃいでしまった。


 素早く踏み込むも相手も身軽で、僕の軽い攻撃では簡単に弾かれてしまう。

 対して振るわれるクラウス様の一撃は、身長体格分加算されるので重たく、一回受けただけで腕が痺れた。

 回避に専念するも決定打には届かず、最後は足を払われて視界が反転した。

 眩しい青空と、汗だくのクラウス様が視界に、僕の首すれすれに木剣が立てられる。


「参りました~!」

「ベル、お前、すばしっこいな……!」

「まだまだ、です。やっぱり、基礎練習、大事ですねっ!」

「ははっ! 鈍ってなかったら、もっとスマートに勝てた!」

「うわあっ、絶対粘ってやります!」


 爽やかに笑ったクラウス様が僕の手を取り、引っ張り起こす。

 その後汗を流させてもらい、さっぱりとした顔でお部屋に戻った。


 奥様はリズリット様のお隣で編み物をされており、柔らかいお声で「お帰りなさい」微笑んだ。



 午後からは再び勉強で、ふと集中が途切れて顔を上げると、クラウス様がテーブルに突っ伏して居眠りされていた。

 音を立てずに立ち上がり、健やかな背にブランケットをかける。

 彼自身、ろくに眠れていなかったのだろう。


 坊っちゃんと目配せし、クラウス様の周りを落書きで飾り立てることにした。


 お題は動物だったのだが、坊っちゃんの絵心を侮っていた。

 何故この少年は、見本もなくここまで特徴を掴めて描けるのだろう?

 得意気な坊っちゃんの努力により、クラウス様の周りが、リスさんやらウサギさんやらが集まるメルヘン広場になった。

 声を潜めてめちゃくちゃ笑った。



 お茶の時間になり、準備の音で起こしてしまったのだろう。

 クラウス様がむくりと起き上がった。

 頭から滑り落ちたカード状のハリネズミさんを見詰め、寝惚け眼が不思議そうに瞬く。


「えっ、うま」

「僕が描いた」

「は!? 上手ッ!?」


 得意気な坊っちゃんが紅茶を啜る。

 クラウス様は周りの落書きを集め、「せめて紙の大きさ揃えろよ。保管しにくいだろ」坊っちゃんを噎せさせた。


「いや、捨てろ」

「俺がもらったものなんで、俺の好きにしますー」

「制作者の意向に従え」

「落しものを拾ったのは俺ですー」


 捨てろ、断る、のやり取りがしばらく続いた。

 最終的に、照れて拗ねた坊っちゃんが「勝手にしろ!」と言ったことによって、晴れやかな顔でクラウス様が落書きを死守した。

 めちゃくちゃ笑ったら、坊っちゃんに物凄い勢いで睨まれた。やだこわい。



 少し早めの夕飯をいただき、帰る時間になった頃、僕の頭を撫でるクラウス様が寂しそうな顔をしていることに気づいた。

 背伸びをして両手でわしわし頭を撫で返し、髪型が乱れた彼をにんまり笑う。


「クラウス様、リズリット様、また明日来ますね」

「……ん、ありがとな」

「またな。クラウス、リズリット」


 クールに片手を上げた坊っちゃんが部屋を出て行き、奥様が使用人さんへ色々と報告している。

 見送りについてきたクラウス様に、ちゃんと寝るんですよと忠告し、僕たちは馬車に乗った。





 二日目は初日の反省点を活かし、コード家の洗剤とリネンウォーターを持ってきた。

 ヨハンさん監修の坊っちゃんが拒絶反応を示さないよう配慮したそれに、洗濯婦さんが驚いていた。

 これで坊っちゃんの具合が悪くなる危険性が減るだろう。



 三日目には早朝鍛錬に坊っちゃんも加わるようになり、基礎練習の段階で疲れ果てていた。

 懐かしいなあ、僕も始めはそうだった。

 その日の坊っちゃんは午後にお昼寝をされ、周りを面白おかしい落書きで固められていた。



 日にちを重ねるごとにクラウス様の表情も明るくなり、リズリット様も音に慣れてきた。

 耳を塞ぐ体勢から、膝を抱える体勢へと変わっていった。


 お嬢さまもご心配されているようで、しかし緘口令が敷かれているため詳しいことはお話できない。

 クラウス様と坊っちゃんのご様子のみをお伝えする。

 お嬢さまに隠し事をしている事実に、胸が張り裂けそうです……。


 一日の終わりにお嬢さまへお二人のお話をし、興味深そうにお嬢さまが相槌を打たれる。

 話の内容に驚かれたり、楽しそうに笑われたり、ご心配をおかけしたり、ころころと変わるお顔に胸の内が和らいだ。


 お嬢さまのお部屋には坊っちゃんから贈られたのだろう、小瓶に詰められたドライフラワーが飾られていた。

 お嬢さまらしい、柔らかな香りをさせている。

 お尋ねすると、やはり贈り主は坊っちゃんらしい。

「ヨハンが作ったから、やる」と真っ赤な顔でそっぽを向いて差し出されたそうだ。


 坊っちゃんツンデレかよ、微笑ましいな。

 お嬢さまは嬉しそうに頬を緩めていらっしゃった。




 アリヤ家に通うこと二週間。

 クラウス様のお誕生日には、コード家で早朝から奥様とお嬢さまとお弁当を作り、いつものお部屋でお祝いした。

 お祝いのケーキについてだが、生クリームは坊っちゃんがトラウマを彷彿させるため使えない。

 そしてクラウス様は、そもそも甘いものがそこまでお好きではない。


 折衷案として、さっぱりとしたレモンタルトを作成したところ、クラウス様が大いに気に入られた。


 ふふん、コード家の料理長さんと奥様の力作ですよ!

 ベルナルドくんは項目『混ぜる』くらいしかやらせてもらえませんからね!

 お嬢さまと交代でやらせていただきました!



 そして徐々にではあるが、リズリット様にも変化があった。

 奥様はよくリズリット様のお隣で編み物をされているのだが、時折奥様に身体を預けて眠られている。

 奥様の編み物もぐんぐん伸び、ふわもこの真っ白いマフラーを編んでいるらしい。


 お手洗いも奥様が機敏に反応し、僕とふたりで引率するようになったため、沢山の洗濯物を出すことは少なくなった。


 お食事も、覚束ない状態ではあるが、差し出したら口にされる。

 専らミルク粥だが、坊っちゃんの頃に比べたら素直に食べてくれるので、そこは助かっていた。

 それをふわっとオブラートに包んで零すと、坊っちゃんから後頭部チョップを食らったので、もう言わない。

 今の坊っちゃんは、素直にひな鳥させてくれます。

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