第2話 後編

 *


 それからというもの、僕は来栖さんに悟られないようプレゼント選びに奔走した。


 これが予想以上に難儀した。プレゼントを選ぶこと自体の難しさもあるが、それよりも問題は来栖さんが普段よりも頻繁に僕に話しかけてきた(ような気がした)ことだ。


 いや、話しかけられることは嬉し過ぎて涙が出るのだけれど、季節柄うっかりクリスマスの話題になってしまいそうになるのだ。そうなると、来栖さんの前では何を口走るかわからない僕は、泣く泣く彼女から距離を取らなければならなかった。


 そんな僕を来栖さんは怪しんでいたと思う。

 僕がわざとらしく会話を切り上げる度に、来栖さんは何かを言いたそうな素振りを見せていたから。


 それでも僕は何も言わなかった。口を開けばボロが出そうであったためだ。クリスマスまでは僕は無口でクールな男になるのだ、と自己暗示までかけた。


 そして、その甲斐あってクリスマス・イヴの前日、ついに僕は満足のいくプレゼントを見つけた。


 学校帰り、木枯らしで冷える体と寄り添うカップルの光景で冷える心を引きずり訪れた駅前の百貨店で見つけた、簪のようなデザインの上品な髪留めだ。


 それを手にとってしげしげと眺めると、僕はしばしうっとりと妄想した。この髪留めをつけた来栖さん。あ、ヤバイ、好き。


「ぷ、プレゼント用に包んでください」


 レジでそう言いながら、僕は顔のニヤニヤを抑えられていなかったと思う。僕に向けられた店員さんの営業スマイルが引きつっていたから。


 クリスマス用の包装紙に包まれたプレゼントの袋をぶら下げて帰る間も、僕はずっとご機嫌だった。いつもなら吹きつける寒風に首をすぼめて歩く河川敷すらも軽い足取りで辿れるくらいに。しかし、


「――益木くん?」


 背後から聞こえた声に僕はピタリと足を止めた。

 聞き間違えようがない。この、澄んだ冬の空気よりも清冽な湧水みたいな声。


「来栖さん!?」


 慌てて振り返ると、首元を暖かな色合いのマフラーで膨らませた来栖さんその人が立っていた。その視線は僕の手にある百貨店の紙袋、そこから少しだけ覗いたクリスマス包装のプレゼントに注がれている。


「こ、こんなところで何してるの?」


 聞きながらも、僕は心の内で自分の迂闊さを呪った。こんな時期に堂々と百貨店の紙袋(それもわかりやすくクリスマス感を漂わせる包装なんかしてもらっている)なんてぶら下げて、いかにも「クリスマスプレゼント買ったよ!」と言っているようなもんじゃないか。


 さりげなーく紙袋を後ろ手に回しながら来栖さんの様子を窺う。


「……うん。わたしは、プレゼントを買った帰り」


 見ると、彼女の手にも僕のと同じ紙袋がぶら下がっていた。ご丁寧にクリスマス用の包装紙もちらりと見えた。


 なんということだ。これじゃ言い逃れできない。まさかクリスマス・イヴの前日にサプライズでプレゼントを用意していたことがバレてしまうとは。


「ねぇ、益木くんのそれも、クリスマスプレゼントだよね……?」


「うっ」


 来栖さんはマフラーに口元を埋めながら僕が隠した紙袋を指差した。


 どどど、どうしよう? なんとか誤魔化さないと!


「いやっ、その……これはプレゼントというか――まぁそうなんだけど……えと、別に来栖さんへのサプライズというわけじゃ……」


 うわぁあああ、何を口走ってるんだ僕は!? 完全にバレただろ、これ!


 僕は自分で自分の右頬を殴り、それでも足りずに左の頬も殴った。痛みと冷たさで一旦冷静になった。


「……そっか。そうだよね」


 ところが、来栖さんは目の前で奇矯な行動に走る僕にも驚く気配もなく、寂しげにそう呟いた。何か、様子が変だ。


「あの、来栖さん?」


 僕が思わず一歩にじり寄ると、来栖さんは釣られるように後ずさった。


 ふるふると首を振って、来栖さんは笑った。けれどそれはいつもの――僕の大好きなにっこり笑顔じゃなくて、見ているこっちの胸が痛くなるような悲しげな笑顔だった。


「あ、ごめんね。なんでもないの。ただ、一瞬期待しちゃっただけ……わたしへのプレゼントなんじゃないかって」


 いや、その通りなんですが……。


 ズバリ図星を突かれて僕は顔が引きつる。けれど来栖さんはその反応を違う意味に捉えたようだった。


「ううん、ごめんね! ムシが良すぎるよね、自分から益木くんの誘いを断っておいて……。ずっと前に『好き』って言ってくれた時もそう……突然のことで、びっくりして断っちゃって。こんな何もかも断ってばっかりのわたしなんて、面倒くさいよね……そりゃ、他の子を好きになったって仕方ないよね……」


 どんどん俯いていく来栖さんの顔が、それでも翳っていくのがわかった。でも彼女の言っていることの意味はわからなかった。他の子を好きになるって、僕が? なんで?


「来栖さん? 何言ってるの……?」


 思わず伸ばした僕の手から逃げるように、来栖さんは身を引いた。僕に九百九十九のダメージ。


 来栖さんはもう全然笑っていなかった。見たことがないくらい悲しげな顔で、僕は息が詰まりそうになる。


 なんだって僕は彼女にこんな顔をさせてしまっているんだ?


「だ、だって、わたしはクリスマスの誘いを断ったのにプレゼントを用意してるってことは、別の子とクリスマスを過ごすってことでしょ! 最近、話しかけてもすぐどこか行っちゃって、わたしのこと避けてるみたいだったし……。だから、益木くんはわたしに愛想尽かして、他に好きな子ができたんだ、って……」


 尻すぼみになっていく来栖さんの声に、僕は開いた口が塞がらなかった。


 まさか来栖さんがそんなことを思っていただなんて。


 サプライズでプレゼントを用意しているのがバレないように、という僕の努力がそんな形で裏目に出ていたとは思いもしなかった。


 僕は大馬鹿野郎だ。来栖さんを喜ばせるはずが、傷つけていただなんて。


 何か言わなければ、と僕が逡巡していると、来栖さんは手に持っていた紙袋から小さな包みを取り出した。


「これ、益木くんに、と思って買ったんだけど……やっぱりいらなかったね」


 言いながら来栖さんは小包を振りかぶった。完全に投球フォームに入っている。


 え、うそ? 僕にプレゼント? え、どういうこと? 待って超欲しいんですけど。タイムタイム、とりあえず投げないでぇえええ!


「うぉおおお!」

「ぇええ!?」


 ぶん、と河川敷の土手の上を小包が舞うのと同時に僕の体も宙を飛んだ。

 肩を脱臼する勢いで伸ばした右手が小包を空中で手繰り寄せる。


「やった! ――って、いだだだッ」


 何も考えずに脊髄反射で飛び出した僕はろくに受け身も取れずに土手の斜面をどんがらごろと転がった。それでも小包だけはひしと抱き寄せて衝撃から守りきったが。


「ちょ、え!? 益木くんっ?」


 頭上から来栖さんの慌てたような声と足音が降ってくる。


「大丈夫!?」


 痛む体を起こすと、おろおろする来栖さんが覗き込んできた。


「い……ッ」


「痛いの?」


 心配そうな顔の来栖さんを正面から見つめて、


「い……、いるに決まってるでしょうがぁあああ!」


「ぇええ!?」


 僕は心から吠えた。来栖さんは驚きに目を見開いて固まっている。構わず僕は吠え続けた。


「来栖さんからのプレゼントなんて、いるに決まってるでしょうが! なんで捨てようとするの!?」


 びくり、と肩を震わせて来栖さんはくしゃりと顔を歪めた。


「だ、だって……益木くんは他に好きな人が……」


「い……ッ、いるわけないでしょうがぁあああ!」


「ぅふえええ!?」


 僕はもう破れかぶれだった。


「来栖さんの他に好きな人なんているわけないでしょうが! もうずっと来栖さんのことが好きで、一度は振られたけど諦められなくて、そのくらい大好きなんだよ! 今さらクリスマスの誘いを断られたくらいで諦めるわけないでしょうが! むしろ理由を聞いたらもっと好きになったくらいですよ!?」


 きょとんとしている来栖さんを、僕はほとんど睨みつけるみたいに見つめた。


 言ってしまった。こんな白昼堂々と往来で告白みたいな真似をしてしまった。しかも、イヴの前日という絶妙に外したタイミングで。ホント僕ってやつは……。


 石のように固まったまま、来栖さんはじわじわと顔を赤くした。


「でもでもっ、じゃあそのプレゼントは!?」


「こ、これは来栖さんにサプライズで贈ろうとしてたんだよ!」


 そしてその計画は今潰えました。自分で言っちまっちゃあしょうがない。でも今は来栖さんの誤解を解くのが最優先なんだ。


「来栖さんを避けてたように見えたのは、サプライズがバレないようにするためだよ。本当はっ、僕だって来栖さんともっとお話したかったんだッ……でも、来栖さんを喜ばせたくて、必死で我慢してたんだよぉ……」


 嗚咽混じりの僕の弁明に来栖さんは呆けたように突っ立ったままだった。顔はサンタ顔負けに真っ赤だ。


「じゃ、じゃあ、わたしはすごい勘違いを……」


「そうなるね」


「――ッ、ぅううう」


 とうとう来栖さんはしゃがみ込んでしまった。両手で顔を覆っていてその表情は見えない。


 でもどうやら誤解は解けたみたいで僕はホッとした。勢いで告白じみたことを言ってしまった気もするが、それも致し方ない。


 ただ一つだけ、気になったことがあった。


「ねぇ、来栖さん」


 僕も一緒になってしゃがみ込んで、来栖さんにそっと問いかける。


「来栖さんの方こそ、どうして僕にプレゼントなんて用意してくれてたの? ほら、僕が誘った時は断られちゃったのに」


「う……それは」


 来栖さんはちょろり、と指の隙間から僕を見て、またすぐに覆ってしまう。何これ可愛い。好き。


「それはっ……、クリスマスは家族と過ごすから無理だけど、イヴなら空いてるからその時に渡そうと思って……」


 くぐもった来栖さんの声に僕の寝耳は水でびしょびしょになった。


「ええ!? でもそんなこと一言も!?」


「い、言おうとしたの! でも、益木くんは全然わたしの話聞かずにすぐ帰っちゃうから!」


 来栖さんは真っ赤になった顔でムキになって言い募る。


 確かに、思い返せば最近の来栖さんは僕にいつも以上に話しかけてきてくれていた。それに、何かを言いたそうにしていたじゃないか。なのに僕は勝手なサプライズ計画でいっぱいいっぱいで。


「……はぁ、なんか僕ら二人とも空回ってたみたいだね」


 すっかり力の抜けた僕がそのまま地面に座り込んで言うと、来栖さんは小さく笑った。


「うん、ホントだね」

 そっと横顔を盗み見ると、来栖さんと目が合う。ふと、こんな近くで彼女の顔を見るのは初めてだな、と思った。


「あ、あの、来栖さん! 改めて誘ってもいいかな?」


「う、うん」


 ぎごちなく頷く彼女に、僕は向き直る。


 僕とクリスマス・イヴを一緒に過ごしてくれませんか。


 その一文を言い切るのに僕は二十一回は噛んだ。もう口の中は真っ赤だ。


 来栖さんはにっこりと――僕の大好きな笑顔を浮かべると大きく頷いた。


「はい」


「ぃやったあああああ!」


 僕の心は再び河川敷の上空に飛び上がった。

 狂喜乱舞する僕を、来栖さんは可笑しそうに見つめていた。

 そして悪戯っぽく言う。


「ところで益木くん。さっきの『わたしのことが好き』っていうの、告白だと思っていいのかな?」


 今度は僕が真っ赤になってしゃがみ込む番だった。


「……それも明日のイヴに改めて言ってもいいですか?」


 そう言って見上げると、来栖さんはにっこりした。


「約束ね。きっとそれがわたしの今一番欲しいものだから」


 その言葉に僕の胸はどくんと高鳴る。


 それならば、その答えはきっと僕の一番欲しいものにしてください。


 そう、僕だけのサンタ、来栖さんに心の中でお願いした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕だけのサンタクロース 悠木りん @rin-yuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ