僕だけのサンタクロース

悠木りん

第1話 前編


 クリスマスを一緒に過ごしてくれないか、と来栖さんを誘った。


 そう言うとさも簡単なことであったみたいに聞こえるけれど、その一文を言いきるまでに自分でカウントした限りでも十六回は噛んでいる。おかけで口の中はサンタ顔負けに真っ赤っかだ。あと顔も。


 しばらくキョトンとしていた来栖さんは、やがてにっこりと笑った。うわ、好き。


「誘ってくれてありがとう、益木くん」


 ありがとう、って、つまりオーケーってこと? つまり来栖さんも僕のことを? つまりそういうことでいいんですか!?


 僕は軽くパニックで、断崖絶壁で叫び出したいような気分だった。


 だけど来栖さんはにっこり笑顔のままこう言った。


「でも、ごめんね。クリスマスは家族で過ごすことにしてるから」


 僕はショックで断崖絶壁から飛び降りたい気分になった。あとついでに世界中のサンタを、あの真綿のような口髭で絞め殺してやりたいとも。


 けれどそんな理由を聞かされてはこれ以上食い下がるわけにもいかなかった。だって、高校生にもなって家族と過ごすクリスマスの時間を大事にしてるだなんて、素晴らしすぎる。そういうところがもうホント好き。


 だから僕も精一杯紳士の振りをした。


「そっか。それじゃあご家族と良いクリスマスを」


「ありがとう。せっかく誘ってくれたのにごめんね、益木くん。でも――」


「いやいやいや、クリスマスって本来家族と過ごす日だものね! 友達や恋人同士で浮かれてる奴らなんて一人残らずケーキを喉に詰まらせればいいよ!」


「いや別にそんなことは思わないけど……あのね」


「あ、もうこんな時間。僕、喉に詰まらせる用のケーキを買って帰らないとだから! それじゃあまた明日!」


「そんな用途のケーキどこにも売ってないよ!? って、益木くん!?」


 鈴の転がるような慌てた彼女の声を背中に受けながら、僕は放課後の教室を早足で後にした。


 去り際まで完璧な紳士だったと自負している。

 ただ、家に帰ってからはめちゃくちゃ泣いた。


 *


 それからというもの、クリスマスが近づくにつれて僕はやさぐれていった。来栖さんと一緒に過ごせないクリスマスなど滅べ、と思っていた。


 けれどクリスマスという浮かれた人々の情念によって成長を続けてきた怪物は、僕一人のささやかな願いなど無視して学校中、街中を見る間に覆っていった。


「もーすぐクリスマスだなぁ、益木」


 昼休み、遠くから来栖さんの後頭部を見つめる日課に勤しんでいると前の席の赤花が振り返って言った。


「はぁ? 栗がなんだって? 僕日本人だからよくわかんないや」


「雑なとぼけ方すんなよ……その調子じゃ、来栖には振られたのか」


 赤花は癒えかけの僕の傷めがけて躊躇なく言葉のナイフを振り下ろした。


「――っ、振られたんじゃないもん……」


「いや泣くなよ……」


「だってぇえ、来栖さんと一緒に過ごしたかったぁああ……あわよくばクリスマスケーキを食べさせ合いっことかもしたかったぁああ」


「うわキモ。そんなんだから振られるんだよ」


「違うっ、来栖さんは家族想いの良い子なんだ!」


「いや文脈がおかしい」


 僕は赤花に事の次第を説明した。説明しながら、これは僕に自分の傷を自分で抉らせるための赤花の高等戦術だとわかった。おかげで僕のライフはもうほとんどゼロになった。


「――なるほどな。でもそれなら泣くことないんじゃね?」


 僕の嗚咽混じりの説明を聞き終えると、赤花は励ますような口調でそう言った。てっきり傷心の僕にとどめを刺すつもりなんだと思ったのに。


「だってそれって、別にお前のことが嫌いだから、ってわけじゃないんだろ。だったらプレゼントの一つでも渡して次の機会に繋ぐとかしろよな」


 僕はまじまじと目の前の級友を見つめた。


「そんなに親身になってくれるなんて……赤花、お前ホントは良い奴だったんだな。よし、クリスマスは一緒に過ごそう、心の友よ!」


 はっし、と手を握ると嫌そうな顔で振り払われ、その上スボンで手を拭われる。


「嫌だよ、俺は彼女と過ごす」


「ケーキを喉に詰まらせて死ねッ」


 今度は僕が赤花に触れた手をアルコールで除菌した。

 今日の友は今日のうちに敵になる。つまりみんな敵だ。来栖さん以外は。


 僕らがひとしきり互いを罵り合っていると昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。まったく、いつもなら来栖さんの美しい後頭部を心ゆくまで眺められる至福の時間が実に不毛な時間にされてしまった。


 ため息をつき、五限目の準備に取り掛かる。

 けれど僕の頭の中は、赤花の言ったことを考えていた。


 来栖さんにクリスマスプレゼントを贈る。


 一緒に過ごしたい想いが強すぎて、すっかり失念していた。むしろそっちの方がクリスマスというイベントの目玉ですらあるはずなのに。


 何を贈れば喜んでくれるだろう。いや、来栖さんは聖職者並みに綺麗な心の持ち主だから、きっと何を贈っても喜んではくれるだろうと思う。


 でもそれじゃあ駄目だ。彼女が心から喜ぶようなプレゼントをあげなければ。


 ***


 僕が来栖さんのことを好きになってしまったのは高校一年の秋頃、もう一年以上も前のことだ。


 あれは十月も半ばの僕の誕生日。赤花からおざなりな祝いの言葉と一本のコーラをもらっていた時だった。たまたま僕の席の横を通りかかった来栖さんがふと足を止めたのだ。


 僕が顔を上げると来栖さんはあのにっこり笑顔を向けてこう言った。


「誕生日なんだね。おめでとう、益木くん」


 それは特別な言葉ではなかった。けれど、彼女にかかればそれは定型的な文句ではなくて、本当に僕の誕生を言祝いでいるように聞こえたのだ。


「か、かたじけない」


 僕が辛うじて絞り出した言葉に来栖さんは可笑しそうに肩を揺らした。


「益木くんは武士なの?」


 その瞬間、僕は多分腰の辺りまで恋に落ちたのだと思う。それに合理的な理由なんてものはない。恋って感情的なものだから。なんて。


 それでも、それだけならまだ抜け出せるくらいの深さだった。決定的だったのはその後だ。


 放課後、下駄箱から靴を取り出そうとしたら一枚の便箋が折り畳まれて入っていた。


 開くと、そこにはデフォルメされた武士の可愛いイラストと「お誕生日お目出度く候」というこれまた可愛らしい文字だった。


 来栖さんだ。先ほどの会話を思い出して僕は思った。


 わざわざこんなものまで用意してくれたんだ。別にたいして仲良くもない僕の誕生日、それもさっき知ったばっかりなのに。


 そう思ったらもう僕は頭までどっぷりと恋に落ちていた。高校生にもなって手書きのお祝いカードなんて幼稚だ、とか、親しくもない僕にここまでしてくれるってことはきっと誰にでも優しい人なんだ、とか、そんなことが全部どうでもよくなるくらいに。


「好きだ――――ッ!」


 気づいたら自然に叫んでいた。届くはずもないけどこの想いよ届け、とばかりに。


「……へ」


 空気漏れした風船みたいな声が聞こえ、僕はマッハの速度で振り返った。


 来栖さんだった。下駄箱の陰から呆気にとられたみたいに僕と僕の手にした便箋を見比べている。


「いやっ、あの、益木くんがどんな反応するかなー、って思ってこっそり見てたんだけど。え……と、好きって……あ、武士が?」


 あたふたとしていた来栖さんは合点がいったように便箋のイラストを指差した。


 一瞬僕は躊躇った。今ならまだ誤魔化せる。来栖さんへの想いの丈を、武士愛に転嫁することができる。

 けれど、と心の中で首を振った。


 僕のこの想いは誤魔化しのきくようなヤワなものじゃない。


「く、くくくく来栖さんのことが!」


「ぅわ」


 高速すり足で来栖さんの前に移動すると僕は再び叫んだ。

 来栖さんは驚き仰け反っている。


「わ、わたしのことが……?」


「す、すすきです!」


「……わたしはススキじゃないです」


「ああっ違くて! 好き! 好きです! ラブの方です!」


 噛んでしまったせいで必要以上に熱烈な告白みたいになってしまった。


「へぅッ――、え、でもなんで急に……?」


「ららら、ラブストーリーは突然にッ!」


 なんか名曲をごちゃ混ぜにしたみたいになった。


「ぇえええ」


 来栖さんは耳まで真っ赤になって俯いてしまった。赤いのは僕も同じだったけれど。


「ご」


 絞り出すような来栖さんの声に僕は息を潜め身体中を耳にして傾けた。


「ごごご、御免ッ」


 バッ、と頭を下げると来栖さんは耐えきれなくなったように走り去っていった。


 なぜ断り方が武士ふうなの? と思わないでもなかった。


 ***


 それ以来僕はずっと来栖さんのことを見つめている。

 もちろん見つめるだけではない。


 彼女が困っていれば誰よりも早く飛んでいき、彼女に降りかかりそうな災いは代わりにこの身で全て受け止めてきた。そんな僕についた字名は、来栖さんの『尾行騎士ストーキング・ナイト』。身に余る名誉の称号だ。


「いやそれ蔑称だろ……」


 赤花は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「なんだと、来栖さんを馬鹿にするなんて許せん!」


「馬鹿にされてるのはお前だ」


「なんだ、じゃあいいや」


 赤花は「やれやれ末期だな」と呟いてどこかへ行ってしまった。


 誰になんと言われようと、僕は来栖さんのことが好きなんだ。一度武士っぽく断られたくらいではこの想い挫けたりしない。


 そうして一年が過ぎ、僕は今一度行動を起こす時だと、彼女をクリスマスに誘ったのだ。結果はまぁご存知の通りだが。それでも赤花の言う通り望みがないわけじゃない。


 今は何よりも来栖さんが泣いて喜ぶようなプレゼントを選ばなければ!


 いや彼女の泣き顔は見たくない。笑顔で喜んでくれるものを!


 *


 三日三晩、寝ずに考えた。三日目とかは眠気がヤバ過ぎてほとんど何も考えられなくなった。ちゃんと寝て考えるべきだった。


「で、プレゼントどうするか決まったのか?」


「まだ」


 僕が寝不足のしわがれ声で答えると赤花は呆れた様子で椅子に体重をかけ前脚を浮かせた。


「あと一週間もないけど、大丈夫か?」


「こうなったらもう、直接聞くしかないか……」


 僕はゾンビのような動きで来栖さんの後頭部に顔を向けた。


「いやそれはダメっしょ」


 非難するような赤花の視線。


「だよなー。僕だってサプライズで喜んでもらうのが一番だけどさー」


 でも最も避けたいのはサプライズで嬉しくもなんともないものを渡してしまうことだ。


『え、何これ。益木くんって、センスまで武士なんだね。クリスマス向いてないよ』


 空想の来栖さんが吐き捨てる。


 やめろぉおおお、聖母のような来栖さんがそんなひどいこと言うわけないだろ! あぁ、でも言わないだけで思ったりはするのかな……そんなこと思われたくないよぉおお。


 僕が身悶えしながら来栖さんの後頭部を見つめていると、つい、と振り向いた彼女と目が合った。そのまま来栖さんは席を立ってこちらに近づいてくる。え、えっ?


 身構える間も無く、目の前に来栖さんの笑顔がやってきた。寝不足でしょぼついた眼球にはそれは余りにも眩し過ぎて僕は直視できない。


「益木くん、この間はごめんね。せっかくのお誘いだったのに」


「え? いやいや、来栖さんが謝ることなんて何もないよ! むしろ僕の方こそ気を遣わせちゃってごめんね!」


「いえいえ、そんな」


 僕は躊躇った。もういっそ聞いてしまおうか? 「何か欲しいものある?」って。なんかズルっぽい気はするけどそれが一番外さないし。


「来栖さん」


「え、あ、何かな?」


 意を決して顔を上げると、来栖さんはちらり、と僕の顔を見てからすぐ目を逸らした。僕の顔色が余りにも優れなくて見るに耐えなかったのかも。


「あの、クリスマス――」


「おおっと、益木! ちょっとこっちこい!」


「な、赤花!? いたっ、イタタタ! なんだよ!?」


 言いかけた僕の頭を万力のような力で掴むと、赤花は僕を廊下に連れ出した。来栖さんはぽかんとした顔をしてそれを見送った。


「おい益木。お前さっき何を言おうとした?」


「それは、『クリスマスプレゼント、サンタさんに何をお願いした?』だけど。それで来栖さんの欲しいものを聞き出して、僕が彼女のためだけのサンタになるって寸法さ!」


「発想がキモい」


 赤花は僕のナイスなプランをバッサリと斬り捨てた。


「なあ益木、本当にそれでいいのか? そうやって聞き出したプレゼントをもらって、来栖は本当に喜ぶと思うか?」


「え、そりゃあ欲しいものをもらえば嬉しいんじゃ……?」


「甘ぁい! クリスマスケーキよりも甘いぞ、益木!」


 突如、赤花は吠えた。よくわからないが何かが気に障ったようだ。


「違うだろ! プレゼントっていうのは、気持ちを贈るものだろうが!」


「――っ!」


「年に一度のクリスマス。そんな大事な日にもらうプレゼントが事前にわかってるだなんて、味気ないだろ! 欲しいものなんて最悪自分で買えばいんだよ! 大事なのは、お前が好きな相手に何を贈りたいかだろうが!」


「赤花……!」


 肩で息をする赤花を僕は瞳を潤ませて見つめた。


 僕はなんて愚かだったんだ。外したくない、来栖さんにガッカリされたくない、そんなことばかり考えて、日和っていた。


 僕が来栖さんのために贈りたいものを選ぶ。そうだ、それが一番大事なことなんだ。それをこいつが思い出させてくれた。


「ありがとう! 目が覚めたよ、赤花!」


「へへっ、気にすんなよ。それにお前三日三晩寝てないんだからずっと目は覚めてるだろ」


「はは、違いない」


 僕たちは謎の高揚感に包まれがっしと手を握った。


「決めたよ。今後、当日まで来栖さんの前ではクリスマスのクの字も出さない」


「おう、その意気だ」


 意気揚々と教室に戻ると、来栖さんはまだ僕の机の横に立っていた。


「あ、益木くん。さっき何か言おうとしてたけど……」


 ちらちらと意味深に視線を動かしながら来栖さんは促してくる。あぁ、遠慮がちな来栖さん、好き。

 でも僕は鉄の意志ではぐらかした。


「あれ、そうだっけ? 別になんでもないヨ。何もない何もない。あ、それじゃあ僕ちょっと用事ができたから帰るね」


「えぇ!? まだ昼休みなのに!?」


 驚いた声を上げる来栖さんに背中を向けると、僕は痛む胸を押さえてそそくさと教室を後にした。


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