番外編3 戦国時代の剣術

 戦国時代の剣術ですが、現在みられる剣道や居合道、現在みられる剣術などと比べてどんな特徴があるのでしょうか?と言っても、室町時代や戦国時代の記録はあまりなく、実際のところはわかりません。


 剣道史や古流剣術界隈で一般的に言われているのは、

「戦国時代の剣術は、甲冑剣法である」

「甲冑の透間を狙い、重い甲冑※1を使うため、近世の素肌剣術※2に比べて腰を落とし股を開いて構える。」

 などでしょうか。

 ※1 甲冑を腰を落とす意味は重量ではなく、甲冑の防御能力を活かすためという話もあります。

 ※2 素肌剣術 甲冑を着けない剣術のこと。

 

 さらに剣術に詳しい人でしたら、

「甲冑を有効に使うために半身(または一重身※3)に構える」

「兜が邪魔で剣道のような大上段には構えられないので、八相に構える」

「身体を前懸かりに前傾気味に構える」

「尾張柳生の柳生兵庫助が甲冑の腰を落とした沈なる構えから、直立つ構えに変革した」

 などを挙げられるかもしれません。


 ※3 流派によって半身や一重身などの用語の意味は違いますが、この話では半身は真正面を向いていない構え、一重身は半身の一種で完全に真横を向いた構えとしています。


 現在演武されている新陰流(柳生新陰流)に、古式の三学円之太刀※4と呼ばれるものがあります。これは上泉信綱時代の使い方とされています。この古式の三学円之太刀には上記に書いた半身や腰を落とすなどの特徴が表れています。また、前回話題にした、塚原卜伝の新當流が、卜伝の生家吉川家に現在でも鹿島新當流として伝わっています。この鹿島新當流の構えなども、先ほどあげた特徴がそのままあらわれています。

 上泉信綱が柳生石舟斎に与えたとされる有名な影目録や、新當流各派の古い絵目録に描かれている構えも、まさに大股に身を沈め、やや身を前懸かりに描かれていますし、柳生系新陰流に伝わる、身懸五箇と呼ばれる教えがあります。


 ・身を一重になすべきこと

 ・敵のこぶし吾肩にくらぶべきこと

 ・身を沈にして吾こぶし盾にしてさげざること

 ・身をかかり先の膝に身をもたせ跡のえびらをひらくこと

 ・左のひじをかがめざること


 系統によって順序や表現が違う事がありますが、上記の五つです。

 これらは後世の柳生系新陰流では、戦国時代甲冑着用した剣術の構えであり、現代ではこの構えを取るわけではないとされます※5。

 この身懸五箇は柳生系の新陰流にしか存在せず、またその一部は鹿嶋新當流でほぼ同表現で登場するので、新当流由来の可能性があります。


 ※4 本伝や古伝など呼び名は派閥によって違うようです。

 ※5 柳生系新陰流は大きく分けて江戸系と尾張系になりますが、その両方で同じように現在はこの教えそのままに構えないとされています。


 ただ、この腰を落とす、股を広く開く、一重身になる、などの特徴の理由については異説があります。

 槍術の研究者として有名な島田貞一先生によると、甲冑が原因ではなく、中世期の身体文化の特徴であるとしています。弓や蹴鞠などの芸能などでも中世の腰を落とし股を開いた構えから、近世ではすっくと真直ぐ立った構えに変化するという、同様の変化がみられるそうです。


 理由はどうあれ江戸時代に書かれた文献を見ても、中世期の兵法と近世(江戸時代)の兵法は違う身構えをしていたとされています。


 また、戦国時代の剣術と江戸時代以降の剣術の違いについて、江戸時代の荻生徂徠が面白い事を書いています。意訳するとだいたい以下のような感じです。


「神道流・戸田流はさすが戦国の流儀で動きも技も多彩で身体を鍛えるのに良い。柳生流・一刀流は拳を打つのはもっともだが、両流とも立回りの見事なのを尊ぶ。平和な世のやり方だ。」


「面を打つのを第一にする流派がある。平和な世の中では良いやり方であるが、戦場とは遠い流儀だ。」


 これが書かれたのは戦国時代も終わって百年近く経過した時代ですが、古い流派と新しい流派の差が書かれていて面白いです。

 特に、一刀流も柳生流(柳生系新陰流)も戦国時代末期の流派で、現在から見れば戦国時代の流派と言えますが、神道流(新当流)や戸田流(中條流)とは違うと認識されていたようです。また神道流や戸田流の動きが多彩で体を鍛えるのに良いのだ、面を第一に狙うのは平和な時代(江戸時代)の剣術だ、というのは、現在の香取神道流や鹿島新當流などの技や動きを見ても頷けます。


 今回は、戦国時代の剣術についてでした。次回は愛州移香と陰流についての予定です。


 余談

 ところで、冨田流小太刀で有名な冨田勢源が書いたとされる目録を写したものに、「みなりの事」として身構えの要訣が書かれています。


「しつますおよはすそらすくくますのかすたうをすへてひさをひらきて太刀をまえにひつさけて(以下略)」


 これはおそらく以下のような意味だと思われます。


「(身を)沈まず、及ばず、反らず、屈まず、退かず、胴を据え、膝を開き、太刀を前に引提げて」


 つまり、低くもなく高くもなく、反りもせず屈むこともない、中庸の姿勢だったのでしょうか。ただ、膝を開く事は書かれているのが中世的な雰囲気を感じます。


 中條流(冨田流)では、大股に身を沈めた構えを獅子奮迅の構えと特別に扱っていたようなので、基本的には深く沈まず構えていたようです。特に、こちらから駆け寄るような攻め方が基本になっているので、大股で腰を落としていたわけではなさそうです。

 このあたりの中條流と新當流の身構えの差異も、私が新當流が比較的戦場を重視した武芸なのではないか、と推測する理由にもなります。

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