第2話
「ロイヤルクロエ、ねぇ……」
カードの地図を見ながら、ため息混じりに呟いた
この際、振られた腹いせだ、これも何かの縁だし…
と、行ってみようと思ったところまではよかったのだが
「ここ、どこ……」
完全に迷った
無理もない、この地図には目印が少なすぎる
信号1つと交差点だけが頼りの地図
迷うのも道理だ
「信号があそこだから、ここからまっすぐ3つ目の……道なんてないじゃない!」
地図がデタラメなのか、私の頭が足りないのか
どちらにせよ、このままではたどり着くことは不可能だ
「もう、どうなってるのよ!」
そう叫ぶ姿は子供のようで……我ながら恥ずかしいことをしてしまった
カードの地図をじっと見つめるが、見てもわからないという現実におそわれるだけだ
「どこにあるのよ、ロイヤルクロエ…」
「お呼びですか?」
声をかけてきたのは、私にカードを渡したあの青年だった
「あっ、あの時の!」
「あれ、来てくれたんですね」
「ねぇ!このお店、どこにあるの?」
「ロイヤルクロエでしたら、あなたの目の前に」
顔を上げると、カードと同じデザインの看板が目に入る
「うそ……さっきまでなにもなかったのに」
「いらっしゃいませ、ようこそ、ロイヤルクロエへ」
青年が礼儀正しく挨拶をする
丁寧にに腰を折ったその姿に、私も自然と背筋が伸びる
「こちらへどうぞ、素敵な時間にしましょう」
「えっ、あ……はい」
返事に動揺が見えてしまっただろうか
こんな経験は初めてで、どうにも慣れない
エスコートされるまま、カウンターの席に座る
「何にしますか?」
「カクテルってあまり詳しくなくて……お任せしてもいいですか?」
「わかりました」
そういうと青年は銀色のボトルを取り出した
これは私でも知っている
そこに入れたのは……4種類?
「何を入れたんですか?」
「最初のはウイスキー、次がホワイトラム、そしてレモンジュース、最後にスプーンを使ったのがシュガーシロップです」
ということは、レモンのカクテル?
ボトルに蓋をして振り混ぜる
カクテルというとこの印象が強い
「わ……かっこいい」
「そうですか?少し照れますね」
いつの間にか思っていたことが口から出ていたらしい
「すっ、すみません……」
顔が熱くなる
「構いませんよ」
微笑みながら青年はそういい、ボトルの中身をグラスに移す
あれじゃないのね
小さな円錐形のカクテルグラスを想像していたのでちょっと意外だった
そこに氷を入れて注いだのは……
「ソーダですか?」
「そうですよ、もしかして苦手でした?」
「いえ、大丈夫です」
「よかった」
グラスにマドラーをさして軽く混ぜると、それは私の前に差し出された
「お待たせしました、インペリアル・フィズです」
「いんぺりある、ふぃず……?」
聞きなれない単語を繰り返す
「炭酸のシュワッって音ありますよね」
無言で頷く私
「フィズってあれの擬音なんです」
「そうなんですね」
「インペリアルには、最上級の、なんて意味もあるそうです」
「えっ、じゃあもしかして、格式の高いものだったり?」
というと、青年は我慢できずという様子で笑った
「そんなことないですよ、安心してお召し上がりください」
そう言われて、グラスに口をつける
ウイスキーとラムの香りをレモンが引き締めたスッキリとした味わいで、ソーダの爽快感がそれを更に引き立てている
「おいしい!」
「ありがとうございます」
「こんなに美味しいお酒、初めてです」
普段は缶チューハイや居酒屋チェーン店のチープなメニューばかりなら当然だろう
「随分嬉しいことを言ってくださいますね」
微笑む青年の頬が少し染まっているように見えたのは気のせいだろう
「い、いえ……」
これ以上は言葉が出なかった
そしてそのまま30分以上が過ぎてしまった
き、気まずい……
本来ならば、会話をする必要などないのかもしれない
だが今ここには私と彼しかいないのだ
「あのっ!」
勇気を振り絞って声を掛けてみる
「はい、なんでしょう?」
何を話そうかなどは考えていなかった
「いえ、なんでも……」
私は馬鹿なのか
いや、ただの馬鹿だ
何も考えずに話しかけるなんて……
「お嬢さん」
「ふぁい?!」
考え事をしていたからか、すごく間抜けな返事をしてしまった
「ひとつ、ゲームをしませんか?」
「げーむ?」
意外な提案に聞き返してしまう
「簡単ですよ、連想ゲーム」
作業の手を止めずに彼は話を続ける
「相手が言った言葉に関連する言葉や、そこから連想されるものを応えるゲームです、どうです?」
こちらを向いた彼が私に問う
「面白そうですね、やってみたい!」
「では、最初のワードを決めましょう」
「どうやって決めるんですか?」
「そうですねぇ、大体目に入るものから選んだりするんですが」
そういい、辺りを見回す
「お嬢さん、名前を教えてもらえますか?」
「わたしのですか?」
「そうです、下の名前」
「すみれ、です」
「じゃあそれにしましょう、最初のワードは、『すみれ』」
「どちらが先に?」
「では、僕が」
こちらに向き直った彼が言う
「『道』で」
次は私か、連想されるものは……
「『ランドセル』とか、どうでしょう」
「いいですねぇ、『授業』」
「んー……『花丸』!」
「と、来たら『先生』でしょうか」
「そしたら……『赤』?」
「そうですねぇ……『女の子』で」
「『かみ』、ヘアの方の」
「『髪』ですね、では……『貴方』」
「……へ?」
「髪、綺麗だなって思ってたんです」
「はぁ……」
突然の事で呆然としてしまった
「次、お嬢さんですよ」
「あ、はい」
私から連想されるもの
「『花』でしょうか」
「お花、好きなんですか?」
「少しだけですけどね、お誕生日教えてもらえますか?」
「1月3日です」
「1月3日の誕生花は福寿草、花言葉は『幸せを招く』です」
「すごいですね」
「好きなだけですから」
「好きこそ物の上手なれ、ですよ」
彼はこちらに笑みを向ける
「カクテルにも花言葉みたいに意味があるんです」
「そうなんですか?」
「最初のインペリアル・フィズは『楽しい会話』です」
「確かに楽しい!」
思わず笑顔が溢れる
「そろそろ2杯目、お作りしましょうか」
いつのまにかグラスは空になっていた
「お願いします」
「何か希望はありますか?普段好んで飲むものとかでも」
そう言われると、ちょっと悩んでしまう
「オレンジジュースが好きです、子供っぽいって馬鹿にされることが多いので、普段は言わないんですけど」
「わかりました、ぴったりのカクテルがありますよ」
そういうと取り出したのは、オレンジジュース
「ウォッカとオレンジジュースだけのシンプルなカクテルです、名前だけは知ってるかもしれませんよ」
氷が満たされたグラスに注がれる
「スクリュードライバーって言うんです」
「聞いたことあります」
「油田の労働者が、ウォッカとオレンジジュースをネジ回しで混ぜて飲んだことが由来だそうです」
「そうなんですね」
グラスに手を伸ばす
「スクリュードライバーの意味は、『あなたに心を奪われた』」
「……っ!!」
伸ばした手を反射的に引き戻す
彼はこちらを見て微笑んでいる
指先が震えている
なんだろう、この感じ
前にも感じたことがあるような……
あ、あの時だ
初めて付き合った人とキスをする時の
あの時の緊張
あの、一瞬キスを躊躇う、緊張した指先
その震えによく似ている
「冗談ですよ」
そう言われて顔を上げると、少し困ったような顔が見えた
「どうぞ、お好きなのでしょう?」
オレンジジュース、と彼は言う
勧められるままにグラスに口をつける
「もっとお酒っぽい感じかと思ったけど、そうでも無いんですね」
「そうなんですよ、度数結構強めなんですけどね……」
「そうなんですか?」
「15度です」
「普段飲む缶チューハイくらいかと思いました……ジュースみたいに軽くいけちゃう」
「そう、だからレディー・キラーなんて言われてたりもするんですよ」
「レディー・キラー……」
「見た目が綺麗だったり、口当たりがよくてとても飲みやすい割に、度数が高くてあっという間に酔ってしまう、だから『女性殺し』なんて名前がついているんです」
恐ろしいものがあるものだ
と、思いながらも飲んでしまうのがお酒の怖いところだろう
確かに飲みやすい
「気をつけてくださいね」
そう言うと青年がグラスを差し出す
「これは?」
「ただのお水ですよ、そんなに警戒しなくても大丈夫です」
さっきの台詞といい、レディー・キラーとつくものを出してくるところといい、警戒しない理由がないのは事実である
ただ、それが読まれていたとなると、少し申し訳ない気分になる
そうして私が目を伏せたのを、彼は見逃さなかった
「昨日はどうしてあんな場所に?」
すかさず話しかけてくる
話すことに抵抗はないが、どうせなら私の得意な言葉遊びでもしてみることにしよう
「トルケスタニカの花をもらったんです」
トルケスタニカ、チューリップの原種で花言葉は「失恋」だ
伝わるだろうか……
「そうですか、あなたが持っていたのはヒナギクでしょうか」
ヒナギク、一般的に知られている花言葉は「平和」や「希望」
ただ、恐らく彼の言う意味はこれではなく、「あなたと同じ気持ち」という意味だろう
伝わることがわかれば遠慮はしない
「私はモッコウバラを送りたかったのだけれど」
否定の意味を込めたモッコウバラ、花言葉は「あなたには私が必要」
「でも今は、クリスマスローズを飾りたい気分」
クリスマスローズ、今の時期にぴったりの、今の私にぴったりの小さな花
花言葉は「私に慰めて」
「では、こちらを」
いつのまに作っていたのだろうか
私の前にグラスが差し出される
カクテルといえば、で連想される、あのグラスだ
「綺麗……」
べっこうより深い、澄んだ褐色をしていた
「なんて言うの?」
「キャロル、ブランデーとスイートベルモットのカクテルです、度数は33度」
「随分強いものを出すんですね」
少し煽ってみる
「これが最後の1杯なので」
青年は静かに答える
グラスに手に持ち、光に透かす
「どうしてこれを最後に選んだの?」
青年に問う
これが最後、ということは、これを飲んだらこの時間は終わってしまう
それが少し惜しい気がしてしまった
「飲んでほしいと、思ったからです」
うつむき加減に青年は答える
その表情を見ることは出来ない
ため息ひとつ、私は問いを続ける
「このカクテルにはどんな意味があるの?」
きっと青年の考えが込められているに違いない
私はそう思ったのだが……
「さぁ、どうでしょう」
はぐらかされた
「勿体ぶらずに教えてくれたっていいじゃない」
諦めた私はそっとグラスの縁に唇をよせた
それはまるで、このカクテルとの
いや、目の前にいる青年との口付けのようで
私はゆっくりと目を閉じた
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