異世界列島:番外編.異世界クリスマス

黒酢

異世界列島:番外編.異世界クリスマス

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【日本国/東京都/渋谷区/代々木公園/12月24日_夜】


 〝青の洞窟SHIBUYA〟。それは例年、〝代々木公園ケヤキ並木〟から〝渋谷公園通り〟までの約八〇〇mにかけて開催される、冬の定番イルミネーションの一つ。


 約六〇万個の電球によって作り出されるロマンチックなイルミネーションが、約一月以上の間、渋谷の空を幻想的な青色に染め上げ、見る人全てを魅了する。


 12月24日、クリスマス・イブ。この日は多くの人が街に繰り出す。


 クリスマス・イブは「クリスマス前夜」と思われがちだが、実際には「クリスマスの夜」を意味する言葉だ。


 これはキリスト教会の暦が、日没から日没までを一日とすることに由来する。もっとも、宗教色の弱い日本の〝イブ〟にとってそれは重要では無いのかもしれない。


 そんなクリスマス・イブともなると、この場所は多くのカップルや家族連れなどでごった返す。しかし、そんな一大イベントも、今年ばかりは少し事情が違った。


 点灯式は12月23日に延期され、早くも12月25日にはイベントが終了する。一日当たりの点灯時間も、五時間から三時間に短縮されての開催だ。


 これは列島転移災害に伴う、電力供給の逼迫を受けた措置である。当初はそもそも、その開催自体も危ぶまれていた。


 実際、全国各所のイルミネーションの多くが、生活に必要な電力を確保するための「自粛」又は、電力料金高騰に伴う資金難によって「中止」を余儀なくされている。


 それはこの〝青の洞窟SHIBUYA〟もまた例外では無かった。


 主催の実行委員会が開催を主張する一方、後援の渋谷区や特別協賛の日露フーズが「待った」をかけたからだ。この国難に際して、〝いるみねーしょん〟とは何事か。という、国民からの批判を恐れてのことだ。


 しかし、国難の中にあるからこそ娯楽が必要だ。という街の人々の応援に支えられ、規模縮小の上で何とか開催にこぎつけた。


 都内に住む大学生、草野 彩子は、同じサークルに所属する恋人の若狭 徹を連れ立って、このイルミネーションのために渋谷に繰り出した。二人は去年もこのイベントに足を運んでいる。


「今年は無理なんじゃないかって。そう思ってたの」


 草野は真っ白な息を吐き、真横を歩く若狭の顔を見上げた。


「俺もだよ。にしても去年より混んでるな」

「仕方ないよ。今年は都内のイルミネーションも少ないんだし」


 今年ばかりは仕方ない。と、草野は首を竦める。


 その仕草が妙に可愛くて、若狭は彼女の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。急なことだったからか、「ひゃっ?!」と可愛らしい悲鳴を上げよろめく彼女。若狭は慌てて彼女を抱きしめる。


「おっと……すまん」

「もう。危ないよ」


 草野の抗議に、若狭は話題をすり替える。


「この後、家、来るだろ?」

「もう……話をすり替えて」

「来ないのか?」

「行くけどさ」


 草野は「ずるい」と顔を膨らませ、若狭を睨みつける。若狭はへへっと表情を緩ませ、今度は優しく彼女の頭を撫でた。草野は嬉しいながらも、気恥ずかしそうに俯く。


「ケーキを買ってあるんだ。お前、甘いもの好きだもんな」

「え?」


 若狭の言葉に、草野は驚きの表情を浮かべ、顔を上げた。


「ケーキ……買えたの?」

「おう」


 そう言って若狭は胸を張った。今年のクリスマスケーキの価格は例年の三倍~五倍以上と言われている。これは、小麦粉や乳製品、砂糖、油、卵といったケーキの原材料の高騰によるものだ。


 いずれの品目も国内での自給率は低い。列島転移災害により輸入が途絶えた状況で、ケーキの価格が吊り上がるのも無理は無かった。


 もっとも、三倍程度の値上げで済んだのは企業努力によるものだ。


 各社は、クリスマス商戦に向け、代用食材を使ったクリスマスケーキの開発を行った。例えば、小麦粉の代わりに米粉と片栗粉を使ったり、乳製品や油、卵が少量で済むケーキを考案したり、と。


 それでもこれだけの大幅な値上げは、大学生の財布にはかなり厳しいはずだ。にも拘らず、甘い物が好きな自分のためにケーキを用意してくれた。そのことが草野の心には何よりも嬉しかった。


「ありがと」

「感謝しろ……って言ってもチョコは無理だった。ごめんな?」


 若狭はそう言って草野をちらりと覗き見る。草野は甘い物が好きだが、中でもチョコは一番の好物だ。しかし当然、チョコレートのように原材料のほぼ全てを輸入に頼っていた品は手に入らない。


 仮に手に入ったとしても、一般人では手に届かないほどその価格は高騰している。一大学生に過ぎない若狭が買えようはずは無かった。


 彼女の好きな物を用意できなかった悔しさと申し訳なさが、若狭の顔に滲み出る。しかし当の草野はそんなこと気にしていないと首を振って微笑みを浮かべた。


「嬉しいよ。すごく」


 草野の笑顔はどんなイルミネーションの輝きよりも綺麗だと、若狭は心の底から思う。


「そうか。そりゃよかった。準備した甲斐があるよ」


 二人は夜の代々木公園を抜け、帰途に就く。冬の寒いクリスマス・イブ。公園を抜けたところで雪が降り始めた。


「あ、雪」


 草野の言葉に若狭も顔を上げる。真っ白な氷の結晶がコンコンと降り注ぐ。その様はすごく幻想的で、まるで自分たちのために降っているかのようだと、若狭は思った。


 これは苦難に満ちた日本に向けて、神様が贈ったささやかな贈り物かもしれない。その日、日本の広い範囲で降雪が確認された。


 明日はホワイトクリスマスだ。

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