-設定5-

「よがっだね、ほんどに、ほんどによかっだね……」

台の前で鼻水をすすりながら、両手を膝の上で握り締め頬に涙を伝わらせる女がいた。レバーにもボタンにも触らず、液晶画面に流れるストーリーを凝視して微動だにしない。

『ドミニク、ドミニク!』

『アネモネ!』

ホールの中で、これだけ人の声がして長いストーリーが流れる演出は滅多にない。否応無しに台から響く音声は周囲にも目立ち、何人か通路で立ち止まって覗き見する者もいた。

ヤラれている。すでに諭吉さん三名イカれている。ボーナスもARTもないまま900Gを越え、天井ARTに入ってからの液晶演出だった。ARTストックがある状態からのビッグボーナスで出たプレミア演出である。

「よがっだねアネモネ……そしてわだじもよがっだね」

キャスはART機『エウレカセブン』に十分に打ちのめされた後、はねっ返りを頂戴して沸騰した脳がさらに蒸発してしまいそうだった。

その隣りに座るタカシは、自分の台を打つのを止めていた。音を出さないであげている武士の情け的な配慮である。

「それ、打ち続けてもスキップされないから大丈夫だよ。白7揃いのチャンスも静かに効果音が入るだけだから」

「……うん、ありがと。でも見てる」

キャスは放置したままでも進んでいく演出を最後まで見届けようと、ベッドボタンに手を掛けることは無かった。

エウレカセブン。混迷する5号機時代にARTタイプの可能性を提示した革新的な台。ホールの大半をノーマルタイプであるジャグラーが占める状況の中、活気的なシステムと作り込まれた演出、そして原作が持つ世界観や音楽性で離れかけていたパチスロファンをつなぎ止めた。リリース当初からサミーの強力なプロモーションからそこそこの台数がホールで稼動したが、人気もあり追加生産や別パネルモデルも出回っている。

長く続いたストーリーシーンの演出が終わり、静止画面のループに切り替わった。キャスは大きく息を吐くと、張り詰めていた肩の力が抜けていった。これまでに聞いたことがない曲が台から流れていたが、それには気付かず放心しきっている様子だった。

「落ち着いた?」

「 ─── うん」

キャスとタカシ、二人は隣同士に座ってエウレカセブンを打っていた。新台として扱われてからそこそこ時が経つ。看板機種として扱われている店ならば、日を選べば設定が入ることもある。そしてこの台は打ちながらの設定判別は難しい。大まかな設定が見える頃には、勝ち負けが見えてしまっていることが多い。

それならば、打つ前の情報や朝イチの挙動がキーになる。前日のボーナスとART回数、そして最終ゲーム数はキャスが見てきた。この店に設置されている12台すべてのデータ3日分をメモも取らずに、だ。どう見てもすべてが店側のプラスに落ち着いている。

そして、タカシはキャスに下見をさせる根拠を持っていた。この店は、準イベント日には1~2機種に『全六』を入れることが多い。少し前に一番強いイベント日があったが、その日は全機種に満遍なく高設定を散らしているように見えた。

つまり、エウレカが全六の対象機種と読んで連れ打ちを決行している、という訳だった。ノリ打ちではない。それだけはしないと二人の間で約束している。と、ストイックな理由でエウレカを選んだように見えるが……

『エウレカにしよっ、フリーズ引いて太陽の真ん中まで行っちゃおうよ! もうエウレカだったら毎日打ったって構わないんだから。中段チェリーがドーンでREG引いたらピュルピュルリーだよ!』

と本当に毎日打ちかねないキャスの猛プッシュに耐えながら情報収集を続け、ようやく打っても良さそうな日と場所を見つけた。

そして朝から並び入店、朝イチの挙動を確認しようとすると予想は確信に……いや、優勢になった。キャスは自分の台を確保してから席を離れ、エウレカの島を見渡せる位置に立ってしばらくしてから戻るとタカシに告げたのだ。

『全部、バラケ目だけど昨日と出目が違ってた。ガックンはどれもしてない。高確演出が見えたのは5台かな』

この時に、キャスが昨日閉店時のリール出目をすべて暗記していたことをタカシは知った。キャスは当たり前のように告げた。

『だって大好きなエウレカちゃんだもん。あ、タカシも好きだよ。今日はありがとう』

照れることも無くそう告げるとキャスは鼻歌交じりでサンドに千円札を挿入しながら携帯電話をいじってマイスロの準備をしていた。タカシの方が返事に困る有様だったが、これで島の大半の台が設定変更され、しかも高設定に変更された可能性が一気に高まった。

その結果 ─── タカシは適度にボーナスとARTを引いて下皿が埋まるほどのコインを持ち、一方キャスは朝からストレートに天井まで持っていかれた。ストレート、ということは自力で設定変更を確認したとも言える。何も当らないこと自体は、高設定の可能性が消えつつあるとも言える。確実に把握している状況証拠と、どちらに転ぶか分からない物的証拠、どちらを取るか。悩ましいシチュエーションであり、これこそパチスロの押し引きでもっとも難しく、もっとも面白い勝負どころだった。タカシは自分だけではなくキャスや他の台の様子を常に気にして悩み続けていた。が、キャスはそんな悩みとは無縁のように台の演出を楽しんでいる。

これも昨日の段階で約束したのだった。

『明日、打ち始めたら周りは見なくていいよ。それは俺がやる』

『いいの? ボーナスとARTの入りくらいなら、見聞きできる範囲なら覚えられるよ』

『いいよ、それだと楽しめないだろ』

『タカシ……』

タカシはそこから先の甘い記憶に心をとらわれそうになったが、何とか踏みとどまって状況分析に意識を集中させた。

(キャスはドハマリからようやくボーナス、俺は順調。周りはドル箱が3人、投資中が2人、他は下皿遊戯……エウレカ自体が強いのは間違いないと思うけど)

タカシは打ちながら思案していたが、気付くとキャスが台上に置いていたハンドバックからハンカチを取り出して目元を拭いていた。

タカシは数ヶ月前の出来事を思い出した。あの時もキャスは泣いてばかりだった。


◇ ◇ ◇  


「お前ら、パチスロやめろ」

光一のセリフは決して脅迫めいたものでも、怒りに任せたものでも無かった。だからこそ、タカシの胸に深く刻まれている。

「お前らの打ち方じゃ、パンクするか身を滅ぼすか、ろくなことにならない」

主がいない中華式整体院・七龍には、怪我の治療を施されたタカシ、院を案内した光一、そして付き添ったキャスの三人が残されていた。

タカシもキャスも、光一の言葉にすぐ言い返すことは無く黙って下をうつむいていた。

新橋の雑居ビルの2階奥には時折女性の中国語らしき声が聞こえてくるが、それが止むと都心の一角とは思えない静寂がいきわたる。外に出ればうるさいくらいの雑踏や車の行き交う騒音が耳に入るのに、ここは嘘みたいに余分な音がしない。劉がここに院を構える理由が光一には改めて分かった気がする。そして、この沈黙と静寂が二人には辛いだろう。孤独に耐え、孤独を愛するには、まだ若すぎる。

「趣味や好奇心、小遣い稼ぎなら他で済ませるこった。こっちの世界はな、明るく誰でもウェルカム、って感じに見せかけて、どす黒い口開けてお前らみたいな堅気を呑み込み、噛み砕き、溶かしてクソのカスにしようと涎垂れ流してるんだよ」

光一は胸ポケットのセブンスターを取り出し、折りたたまれた切り出し口を開くと反対側の天をトントンと叩く。魔法のように頭を出してきた数本のタバコから一本を見定めると、フィルタに歯を立てて一気に箱から抜いて口にくわえた。

「ああ、他にもあるな。骨までしゃぶるんじゃなくて、ある日、5本勝たせる。次の日10本抜く。

次の日15本抜く。その次の日10本勝たせる。気付けば一月で50本は溶かしている。そんな飼い殺し客をやんわりと抱え込む。むしろ、今じゃそっちの方が主流かもな。いや、王道か。客も生活を脅かさない程度に負けて、趣味に払った遊び賃と自分を納得させる。そんな固定客を大勢飼い殺して、店は維持され利益を上げる」

しばらく口にくわえたままもったいぶっていたタバコにようやく火を灯すと、光一は話を続けた。

「お前らは、どうやら早い段階から飼い殺しの段階から抜けちまったみたいだ。気付いちまったんだな、大勢の養分の存在でこの世界が成り立っているって」

「……養分?」

怪我をしたタカシの傍らで口を開けずにいたキャスが、一方的に押さえつけられているような場に穴を開けるかのように聞き返した。その声色はかすかに震えていたが、よどみ止まった空気を動かす力を持っていた。

「有名なギャンブル漫画があってな、打ち手なら誰もが納得する絶妙な言葉だよ。誰かの負け分が、他の誰かの勝ち分になる。まあこれ、賭け事だと直接的で分かりやすいが、世の中すべてが当てはまるんだけどな。平和とか平等とか、そんなもんはこの世に存在しない。百歩譲って、ここは半世紀前の共産主義国家じゃない。金で勝ち負けが決まる国だ。そして世界のほとんどの国がこの仕組みを取っている ─── 話が逸れたな」

「知ってますよ、仲間内でもよく使ってる言葉です」

キャスの一言が、タカシにも力を与えたようだった。頭に巻かれた包帯落ちないように押さえながら、タカシは口を開いた。

「マトリックスって映画、覚えてるか亜夜」

「……うん、何となく。映画館でやってたのは小さい頃だと思うけど、テレビで見た気がする」

「人類は機械たちが存続するための養分として蜂の巣の中の蛹のように飼われている。その代わり、蛹の中で人類は滅びたはずの文明時代の夢を見させてもらえる」

「見た。気持ち悪かった」

「そして、自分達が夢と引き換えに飼い殺されているのに気付いた一部の人類が、荒廃した現実世界で機械と戦う、そんな話だ。最後のほうは思想じみていて分かりにくかったけど、世界観はそんな感じだった」

灰が伸びて落ちてしまいそうなタバコをくわえたまま、光一はタカシの言葉を楽しげに聞いていた。

「あれは俺らには青春時代のリアルタイムだったな。ビジュアルやCG、それにあのスタント処理が話題だったっけか。なら、覚えてるか? 今の話はもう最後の方のことだ。それよりもはるか前、最初の方で主人公は2種類のカプセルの選択を迫られる。たしか、覚醒の赤いカプセルと忘却の青いカプセルだったかな。エンターテイメントだ、そこで主人公が青いカプセルを選んだら、話は終わっちまう。ただな、お前らは現実の世界で生活して、現実の闇の世界の手前にいる。今日のは、その触りに過ぎない。この世界で生きるとなると、こんなことは表に出ていないだけでしょっちゅう目にするし、時にはとばっちりを喰らうこともある。まあ、他にも止めたい理由は山ほどあるが……お前らがこのまま打ち続けると、いずれ養分から覚醒した者の宿命として次の段階の苦しみを嫌ってほど味わうことになる」

「宿命って ─── 」

キャスはその先を語らずに口を押さえた。タカシは光一の言葉が途切れると下を向いて身を震わせていた。

「ん、どうした、二人とも?」

会話に食いついてきたはずのキャスとタカシが黙ってしまったのを、光一は理解できないでいた。

「何だよ、いったい」

先程までの緊張感を持った静寂とは異なる、違和感を感じる沈黙。それはキャスの嬌声で破られた。

「宿命って、素でそんなカッコ良すぎる言葉聞いたの初めてだよ、光一さん!」

押さえられた口から飛び出したのは吹き出すような爆笑だった。

「あの、ちょっと劇画染みているというか、助けていただいた上で言うのもなんですが、今どき子供向けのアニメくらいでしか……すみません、ツボに入ってしまったようで」

体を震わせていたのは笑いをこらえていたかららしい。

「だめだよ、タカシ。光一さん真面目に説教してくれているんだから」

というキャスも、緩む頬が元に戻らない。

「ごめん、阿佐田哲也とか福本伸行の世界を地で生きているような人に出会えるとは思わなくってね」

「ごめんね、光一さん。私たちのこと思って話してくれてたのに」

キャスは必死に笑いをこらえつつ光一に向かって頭を下げた。

そして、当の光一は ─── しばし呆気に取られていた状態からようやく状況を理解した。その結果……恥ずかしさの余りに、拗ねた。

どうやって拗ねたかというと、立ち上がってつかつかと院の空きベットに座り込むと毛布を頭から被って、引き篭もった。三十代の腕一本で凌ぐ男が、見せられない紅潮した顔を隠して肩をプルプル震わせながら毛布にくるまっていた。

(そうだったのかよ、俺、若い奴から見るとそんな感じだったのかよ……)

(きっとキモくてイタいオヤジとか思われてるんだ、いやこんな言い方もきっと古いんだ)

(内心、いいこと言ったっていうか、決まったと思ってたのに)

(何より、俺、本気で、真面目に、ホントのこと言ったんだけどな……)

そんな心も露知らず、ありえない反応で閉じこもってしまったおじさんの前で、キャスとタカシは仕方なく数十分ほど謝り通すこととなった。


◇ ◇ ◇  


「やっぱシビアな世界だと思うんだけどなあ」

キャスとタカシがエウレカと戦いまみえている頃、光一は別の店でエヴァンゲリオンを打っていた。実は、朝は二人と同じ店、同じ台を目当てに抽選に並んでいた。光一の長年の経験と、タカシの分析が一致した結果だったが、その答え合わせは打ち合わせ無しに三人が出会ったことで初めて導き出されたものだった。ノリ打ちでもなく、共闘しているわけでもない。

そして抽選を迎え、

『やっりー、私4番』

『19か、何とか取れるかな。たぶん新台に結構流れるだろうし』

『ね、ね、光一さんは』

『……言いたくない』

と、絶望的な番号を引いた光一はすぐにその場を去って第二候補の店に向かったわけだった。下見で天井までそれほど遠くないゲーム数が分かっていた台だが、そもそも保険のつもりだったので乗り気ではない。そして何より光一はノーマルタイプが好きではない。

「いや、打ちますよ。これでもプロのつもりですからね、エヴァもジャグも打ちますし、ベルだってブドウだってカウントしますよ……あ、また揃った」

小役カウンターの黄色いボタンを押しつつ、頭上のゲーム数を見上げた。脳内で割り算することだけはスロット打ちは慣れている。光一は頭をかしげながら打ち続けた。

(ベルは走りすぎなんだけどな……天井まで素直にたどり着くわ、速攻でバケ引くわ、ビッグ来ないわ、早い話が出玉追いついてこないわ)

とっくに持ちコインは飲まれ現金投資中である。単調な作業に他の台への興味が頭をよぎるが、我慢、我慢、我慢。

「遊びだったら修行なんかしねえだろ」

光一の周りでは、エヴァンゲリオンからまた一人、一人、客が台を離れていく。どうやら最近の若い打ち手は、朝は500ゲームくらいで見切ってしまうらしい。〝期待値〟的に他の可能性のある台へとすぐに切り替える理屈のようだ。

タカシはそのスタイルをストイックに突き詰めるタイプだろう。最近はキャスと打つことも多くなって色々と妥協はしているらしいが。だが、ギャンブルはそれだけじゃない。彼らが〝展開〟〝波〟と呼んで偶発的な出来事として片付ける現象、光一はアバウトに〝流れ〟みたいなものと思っているが、それは存在する。そうでなければ、日々チンチンにやられて目を真っ赤に充血させて自棄酒を飲む人間と、めくるめくボーナスとARTにナニをおっ勃てて大興奮する人間、どちらも打っているのは同じ設定ベタピンなのを説明しようが無い。天井ハイエナ狙いだけで稼ぐならばブレは少ないだろうが、それで果たして楽しいだろうか。

「仕事だから、修行に耐えて楽しみたいのよね。ん?」

違和感、それはパチスロ演出の原点。その違和感は唐突に眼前に現れていた。何の演出も起きないまま第三リール停止後、そこにはチェリーが止まっていた。


◇ ◇ ◇  


「口ずッさむメッロディーが、思い出させてくれる♪」

先程までのハマリが嘘のよう、キャスは天井からARTを契機に持ちコインを増やしながら、文字通りメロディーを上機嫌に口ずさんでいる。ビッグ・レギュラー織り交ぜて軽いゲーム数でボーナスを引いてARTを継続させていた。目立ったセット数上乗せは無いが、BGMが『Story Writer』から『少年ハート』に変わり、あと1~2個はARTストックがありそうだった。

一方、タカシはボーナスこそ軽いがARTに入ったのは数回で続かず、噛み合わない状態が続いている。最初の現金投資こそ少なく済んでいたので辛くは無いが、どこか歯がゆいのがART中のハズレで設定判別のサンプルを稼げないが故だった。

「タカシ、エウレカ楽しいよ~。曲聴いてるだけでアガってくる!」

「ああ、亜夜が楽しいなら嬉しいよ」

「何、それ優等生のセリフ言っちゃって。それよりタカシ、気付いてる?」

曲に合わせてリズミカルにボタンと押していくキャスは、タカシの耳元で囁いた。

「ん?」

「タカシの隣りも私の隣も、ART中のハズレ多いし、通常時低確からレア役でART入ってる」

「ああ、何となくは気付いてたけど」

「どれも設定5~6くらいの割合でハズレ出てるよ」

「お前、数えてたのか!?」

「うん、周り5台くらいだったら余裕だよ」

キャスはタカシにウィンクしてみせると、自分の台に警告演出が出て視線を液晶に戻した。

「お前、無理するなって言ったのに……」

「大丈夫だって、タカシが今日この日にこの台を打たせてくれたのが嬉しかったんだもん。私にできるのってそれくらいだからね」

「キャス……」

タカシは胸の中で渦巻くさまざまな思いを押さえるために、手に握っていたコインをぎゅっと握りしめた。

(俺は亜夜を利用している。亜夜は俺を頼りにしてくれている。でも利用したいわけではない。利用して捨てるわけではない。そう信じたい)

タカシは打つ手を止めて楽しそうに、本当に楽しそうにパチスロと向かい合っているキャスを見つめていた。こういうシチュエーション、ありそうで、無い。他人が打っているのをずっと見るのはマナー違反。相手が悪ければ眼を飛ばされるか口論になりかねない。ただチラッと台の挙動を探ったり、台探し中に打っている人間の表情が視野に入ることはある。それは総じて……表情を押し殺しているか、怒りやストレスをにじませている場合がほとんどだ。当っている人間の場合は大体二通りに分かれて、興奮状態でさらなる出玉を期待しながら勢いよく打ち続ける素人と、出ているからこそ台の設定や状態を冷静に把握しながら淡々とこなしていく玄人に分かれる。ただ、どちらにしても大人の独り遊びが基本の世界、他人の目もあって喜びや嬉しさを露骨に表すものは少ない。

(ただ、亜夜は嫌味じゃないんだよな)

幸せを吸い取られている感じではなく、周りにまき散らしているような空気感。その喜びを浴びれば自分も幸運を引き当てられそうに思える。ただし、ドツボにはまって深い悲しみに沈む姿を見れば、それもまた共有してしまいそうな力を持っている。実際、タカシの反対側のキャスの隣りに座る男性は、キャスの打つ姿を時折り見てはうるさそうな表情はしていない。むしろ、その幸運と不運の繰り返しに共感しているように見える。

(これって女だから ─── だけじゃないよな)

タカシは、ART中の演出がはずれて惜しくもボーナスを逃し頬を膨らますキャスの表情に心を奪われていた。

「ねえ、タカシ」

「な、なに?」

キャスは打ち続けたまま口を開けた。

「あんまり難しい顔しないで」

「あ、ああ」

見透かされていたのだろうか。

「私はね、こうやってタカシといっしょに楽しんだり悲しんだりしながら遊ぶのが好きなの」

「俺もだよ」

「ホント? 前みたいに勝ち負けだけ追いかけて、私をお嬢様扱いで打たせないとか嫌だからね。そうしたらまた別れるから」

「いや、そんなことは……でも、他のことならリスクなく亜夜と楽しめるかなと思うことはある」

「ふーん。それって私のことあんまり考えてくれてないよ」

「そんなことは」

「私、パチスロ好きだもん。タカシが打っているの見てたときから面白そうで仕方なかったんだから。仕組みも複雑で、知識や技術が活かせる場合もあるし。それに画面のアニメも楽しいし」

「でも、金がかかっている。間違えれば身を滅ぼしかねない。これに限れば、俺は光一さんと全く同意見だよ」

キャスは打つ手を止めると、しかめっ面で口を尖らせてタカシを睨み付けた。

「また、そんなこと言ってる。私ね、一人で打ってみてこんな楽しいものなのか、って感動したけどちょっと寂しかったんだよ。これって全部私だけに起こっていることで、嬉しかったり悲しかったりするのを誰にも伝えられないのかって。そうしたらね光一さんが教えてくれたの。『そういうのと折り合いつけて生きていくのがこっち側の人間なんだって』。いちいちカッコつけるのよね。でも続きがあったの」

「何て?」

「うんとね、『人間関係や社会と断絶しても稼げてしまう仕事だからこそ、少しでも人や台とのつながりは大切にしなければいけないと思っている』って。面白いよね、そこに『台』も入るっていうのが」

「そうか、あの人しょっちゅうホールの中でもいろんな人に話しかけたり声を掛けられたりしてるよな」

「半分はナンパにしか思えないけどね~。ふわふわしてていい加減に生きているようにしか見えないけど、ただのおじさんではないよね」

「それは、プロで10年以上食っているというのが本当だとしたらタダ者じゃないだろうな」

「タカシも頭いいしタダ者ではないけど、ちょっと違うのよね」

「……気になるな」

「教えて欲しい?」

「うん」

「じゃあね ─── 『星に願いを』が見たい」


◇ ◇ ◇  


「うぃーっす。高設定の銀英伝が打てるって聞いて来たんですけど」

昼過ぎ、ゴールデン6の地下スロットフロアに足を踏み入れた光一は、フロア主任の渡辺を見つけてさっそく声を掛けた。

「いらっしゃいませ。あいにく当店には高設定のパチスロ銀河英雄伝説はございません」

「お、問題発言じゃない、それ?」

「嘘は申し上げておりませんよ、お客様」

「だよねー」

3割ほどの客入りの島に目を配りながら、渡辺はにこやかに光一の無茶振りを受け流した。

「ってかさ、何で入れなかったの? 他の店見た感じ、結構客付いてたぜ」

「うちの店には少々向いてない感じだったんですよね……店長と一緒に内覧会に行ったのですが、二人とも同じ感想でした」

光一の口から出てきた言葉は、ゴールデン6にはパチスロ銀河英雄伝説は設置されていないが故の他愛ない会話に過ぎなかった。

「あれスゴイよ、いい音出して7がドガシャーンって連続で揃いまくって。久しぶりだわ、演出とスペック両方で脳汁を強制的に抽出させるあのゴリ押し感は。『ダブルチャレンジ』のAT100ゲーム30倍に匹敵するかもな」

「あれは一発勝負でしたからね。銀英伝のほうが印象に残りやすい分、お客様はハマりやすいと思いますよ」

「だったら入れればよかったじゃない」

「あれはキツいんです。6は午前中には分かってしまいますし、抜きにかかるとお客様を飛ばしかねない。使いにくいんですよ、うちのようなお客様に長く緩やかに遊んでいただきたい店としては」

「いいねー、一般人代表として言わせてもらうと客を大切にする店は好きだよ」

「光一さんには言われたくありませんね」

「まったくだ」

おどけて見せる光一に、渡辺は口端をわずかに上げて見せた。この男が本当に感情を動かした時は、営業スマイルではなく今のような表情を見せることを光一は知っている。

「さて、前置きはここら辺にしておいて……どうよ、右手の具合」

「何のことですか?」

「劉先生に聞いてるよ。完治するには一ヶ月はかかるって。それなのにお前もうドル箱運んでるっていうじゃないか」

「人間には手が二本あるんですよ、光一さん知りませんでしたか? 左手でどうにでもなります」

心底、何を言っているんですか? という顔をしてみせる渡辺だった。

「冗談じゃなくて、本気で心配してるんだよ。巻き込んだみたいな感じだったしな」

「あの中国人の先生は腕はいいですが、口は軽いですね全く……お気になさらないでください。治療費は光一さん持ちでしたし、本当に大丈夫ですよ。この仕事、立ち続けるのさえ辛くなければ案外平気なものです。肉体労働と思われがちですが、どちらかと言うと頭の方を使うことが多いですからね」

「そんなもんか?」

「ええ、いろんなお客様がいらっしゃいますから。以前の仕事と比べれば楽なものです」

「それは振りだよな、おい」

「ええ、教えませんけど。今日は営業終了ですか? 休憩スペースは皆さんで共有していただきたいのですが」

行く当てがなくなるとゴールデン6の休憩スペースで昼寝をすることが多い光一へのあてつけだった。

「ダメ?」

「駄目とは言いませんが、休もうとして席が空いていないのを見ると残念そうに立ち去っていくご老人を見かけると、お力になれない自分の心が激しく痛みます」

「分かったよ、爺さん婆さんには譲るって……お前、もしかして機嫌悪い?」

渡辺は眼鏡のサイドフレームに手を当てて位置を整えながら答えた。

「一店員としては感情を持ちませんが、一個人としては含むものがあります」

「あ、含んでるんだ。隠さないのが何ともお前さんらしいと言うか。やっぱりガキどもの喧嘩に大人が口出しするもんじゃないってか」

「いえ、そのことではなく」

「何よ、もったいぶって」

「うちの妹がですね……光一さんに会いたいと言うんです」

「おお、モロミちゃん! あれは驚いたぜ、まさかお前に妹がいてしかもキャンギャルって言うんだから。しかもいい胸してたよな、お義兄ちゃん」

「僕はもしかしたら、この仕事を始めてから初めてお客様を殴るかもしれませんね。どうすればいいですか光一さん」

「いや、ああ、ほら、腕もまだ治ってないし止めといた方がいいと思うよ」

少しだけ冗談なのか本気なのか捉えきれずにたじろぐ光一だった。

「そうしておきます。それに、その必要は無いかもしれませんしね」

「何で?」

「それがですね……『うちの兄貴を怪我させたオッサンは、絶対私がタマ取ってやる』って聞かないんです」

他人事のように困った困ったと手を広げてみせる渡辺。

「それって……どっちのタマかな」

「聡子とは二十一年ほど共に暮らしてきましたが、間違いなく命と合わせて合わせて三個ですね」


◇ ◇ ◇  


「 ─── 俺、そんなつもりで言ったんじゃないからな」

「分かったから光一さん。私達を心配してくれてるのは分かったから」

若者二人に会話センスを全否定されてヘコんでいた光一も、ようやく会話に戻ってきた。

「まあ、その……俺が言える立場じゃないが、お前らは学生で今からならいくらでも生きる道を選べる。好きこのんで首突っ込むものじゃない、ってことだ。決まった月給がもらえるわけでもないし、保険や税金、年金も高くつく」

それを聞いたタカシは驚いた表情を見せた。

「それって、光一さんはすべて払っているということなんですか?」

「ああ、俺はちょっと裏技使ってるけどな」

「裏技?」

キャスは素直に食いついて聞き返してきた。

「まあそのうちに機会があったら紹介でもするよ。あ、あてにはするなよ。訳あって俺だけ特別にしてもらっている話だから」

「引っ張るなー。ねえ、もう宿命と書いて『さだめ』とか笑ったりしないから教えてよ」

「いいよ亜夜、そこから先はプライベートだし」

タカシはキャスの追及を止めさせる役を買って出た。

「でも意外でした。領収書も請求書も出ない世界でそこまちゃんとしてるなんて」

「なるほどね……お前さんなりにパチプロに対するイメージってのがある訳だな」

タカシの光一を見る目が変わった気がした。

「もちろん確定申告しないでその日暮らしもできるだろうけど、お役所が『払う』って言ってる納税者を拒むわけもないし。何だな、日頃のゴミ収集とか駅前の自転車整理とかにサービス料払ってるくらいに考えてるよ。保険はさすがに怖いから、年金はそのついでって感じかな」

「ふーん、ちょっと見直したよ光一さん。ただのスロ打ちプータローとして生き抜く奇跡のおじさんと思ってた」

キャスも感心した様子で光一の説明を聞いてうなずいている。

「ほめられてるんだか、怒るところ何だか……まあ生きていく上でその方が都合いいと俺なりに考えた結果だよ。そういう点でも現実は厳しいというか、容赦なく毎日の生活に降りかかってくるってことだ」

「勉強になるなー。タカシは知ってた?」

「そうだな……もし社会的な立場を保ちながらパチスロの収入で生活するならそうなるだろう、って考えたことはある」

「考えたんだ」

意外だったらしい。キャスは驚いた仕草でタカシの腕を掴んだ。

「光一さんの考えに少し近い。今の院生で研究助手の立場からどうするか。そのまま大学に残って雇ってもらえるかどうかは分からない。もし駄目だったら就職には厳しいご時世だ。第二新卒なんて言葉も出始めているけど、もし駄目だったら定職を掴むまで生活費は何かしら稼がないと」

「そこにアルバイトって選択肢は無いのか?」

光一がタカシに尋ねる。

「明らかに時間効率が違います。即物的に言えば割に合わない。同じ時間と能力を使ってパチスロを打った方が、金銭的にも精神的にもプラスが大きい」

光一の問いかけにタカシは躊躇いなく答えた。

「ほう、そこまで言い切るのは大したもんだ。お前さんみたいなのが増えれば、たしかにプロとしては取り分が減って困るといえば困るな」

「だから光一さんは止めろって言ってるの?」

キャスが間に入る。

「それとこれとは違うかな。昔だったら……プロを自覚して打ち始めた頃だったら『困る』じゃなくて、『殺す』だった」

「マジで?」

「あ、若者風の『コロす』というか、放置できないレベルの嫌悪感を抱くだろうってことで。でも、今日みたいな騒ぎくらいはちょっとしたきっかけで起こしたかもしれないな」

タカシはばつが悪そうに黙っている。

「それでな……正直、損した得したとか勝った負けたとかはどうでもいいんだよ。金が溶けたとか借金増えたとかの話は大概、取り返しが付く。時間がかかってもな。だが、てめえの身体と社会的地位、この二つは傷付けちまうと死ぬまで後悔することになる」

「……」

「……」

タカシとキャス、二人とも今度は軽く言葉を返すことができなかった。

「特に犯罪絡みはヤバいぞ。事実上、この国での社会的な存在が否定される。暴力沙汰、金銭トラブルに巻き込まれる確率は、ホールに出入りするだけで急上昇する。分かってくれたか?」

「うん、分かった……」

キャスは申し訳無さそうに口を開いた。

「光一さん、私は前科者でも光一さんのこと見捨てないよ」

「ちっがーう!」

「うん、それは俺も違うと思う。フリっぽかったけど、それは違う」

光一とタカシ両者からツッコミが入った。

「たはは、ゴメンゴメン。でも光一さん……じゃあなんで、あの時私にお金を貸してくれたり、スロの立ち回り教えてくれたの?」

「ああ、それは」

「ふふん、いいよ言わなくて。これ以上、敬愛する先輩を困らせるつもりは無いから」

キャスは嬉しそうに、心の底から嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべた。

「ありがとう、光一さん。いろんなこと教えてくれて。そして、タカシと私を助けてくれて」

「いや、その、まあ……」

光一は無意識のうちに胸ポケットのタバコをまさぐった。すでにそれがテーブルに置かれているのにも気付かずに。

「さっきの話だけど、青いカプセルと赤いカプセルの話。ネオは赤いカプセルを飲んだんだよね」

「それで仮想世界『マトリクス』から抜け出して、残酷な現実世界に身を投じた」

「私は違うな」

「えっ?」

それは光一とタカシ、二人の驚きの声だった。

「私だったら……」

キャスは楽しみを前にした子供のように、無邪気に言い放った。

「カプセル、両方とも飲んじゃう!」


◇ ◇ ◇  


ゴールデン6で渡辺と他愛ない会話を楽しんだ後、光一は呆気なく店を出た。よく通う店であり、隠れた優秀店であるが、打つ台が無い以上はとどまる理由も無い。素人の「打ちたい」という欲求だけでその場で何かを打ってしまうのとは、さすがに心構えが違う。ではどうするか、と言えば足で稼ぐのみ。前日の下見でマークしていた天井深めの台の育ち具合や、高設定らしかった台の今日の挙動を、数件の店に渡って巡回するだけだった。

そして、それさえも見当たらずにふらっと立ち寄った店がHOPS、駅から近く明らかに立地条件の良い大型店だった。少しでも新橋近辺で打つ者ならば近寄ることの無い、仕事帰りのサラリーマンがたまたま立ち寄っては金を溶かしていくホールだった。

光一もこのホールで打つことはまず無い。だが選択肢を狭めるのも惜しい気がして、下見や立ち回りの一つには含めていた。

「やっぱ昼間過ごすには最高だよな、ここ」

そしてもう一つの利用価値。冷暖房完備で広い休憩スペースがありながら、夕方になるまでは数えるほどしか客がいない。ホールのくせに台から発せられる音声もほとんど聞こえず、昼寝するには最高の環境だった。

ただ、さすがにベンチに直行していきなり熟睡というのも芸が無いし、店員に何か言われかねない。まずはパチスロコーナーを軽く流していくことにした。

エヴァ、バジリスク、エウレカ、ガンダム、ウルトラマン、銀英伝、バラエティ……機種の揃え方は普通だが、履歴はどれを見てもマグレ吹きを除いて死臭が漂っている。当日も含めた大当り履歴が常に表示されているゲーム数カウンターが設置されているが、ほとんどが1~2回、つまりボーナス数回引いては全ノマレで客の心が折れて終了のものばかりだった。ひどい台だと3日間すべて0、なんて台もある。

「なんだけどね……ん?」

光一がゆっくりと通路を歩きながら左右のゲーム数カウンターを順に眺めていくと、ふとある一台の前で立ち止まった。機種はエウレカ。今頃キャスと光一がキャッキャうふふしながら打っている、もしかしたら高設定を掴んでいるかもしれない台だ。

台の履歴は3日間のボーナス回数はすべて0。だが、光一はこの店のクセとゲーム数カウンターの特徴を覚えていた。

イベント日を謳っている日の場合のみ6台に1台くらい中間設定が入れられる他は、まず設定1の据え置き、いや放置といっていいだろう。設定の入れ具合で客足をコントロールすると言った発想をこの店はおそらく持っていない。設定変更判別の対策は一切無し。つまり朝イチ出目揃いやガックン対策も施されていない。何も知らない若者がやってきて朝からの処女台をチェックしていくこともあるが、ことごとく据え置きであることに気付くとションボリした顔で去っていく。

そして、もう一つ。この店のゲーム数カウンターは、ARTをボーナスとしてカウントしない。エウレカならばビッグとレギュラーのみを表示し、ARTの当選状況は分からないのだった。

光一はゲーム数カウンターのボタンを押しながら、当選履歴とそのゲーム数を計算していった。

今日を含めて5日間、大当りが一切無い。そして6日前は1回のビッグボーナス終了後、150G回されて終了している。計算の方法は、その日の累計ゲーム数からボーナス当選時のゲーム数を引くだけの簡単な方法だ。

つまり問題はただ一つ、この6日間にARTに当っているかどうかは分からない。ただ、刻まれたゲーム数を見るに、ARTでゲーム数が稼がれているようにも見えない、累計で200ゲーム以下の日ばかりだ。エウレカの天井はボーナス&ART間909ゲームハマリで、すべての宵越しゲーム数を合計すると……823ゲーム。

「3本か……宵越されていなければ即ヤメとして……」

この店を下見や天井チェックしているプロ系の人間は、光一の知る限り数人いる。そのうちの一人はタカシだったりもするが、この後にやってきた目の利く者が打ってしまう可能性もある。

見逃してリスクを避けるか、他の誰かが打って見事天井を当ててしまうか、自分で打って3千円まる損するか、天井に届いて最低3セットのARTを手に入れるか。

大事なのは今。パチスロは打ってどうにかすることを考える素人が多いが、大切なのはその台を打つか打たないかのジャッジだ。雑誌には天井までの残りゲーム数から換算される期待値が掲載されている程の世の中。打ち始めたらあとは答え合わせのスタートであって、解答時間は終了している。

あらゆる状況証拠を考える。この店が台を据え置く確率と、ART当選がハマリゲーム数に挟まっている確率。どうする、打つか打たざるべきか。

「これがまさにギャンブルか」

他に目立つ客がいるわけでもないが、とりあえず席に座る。三千円、その人間にとってどうにでも変わってしまうお金の価値。生活するには一日を十分に生き抜くことができ、パチスロならば10分ほどで使いきってしまう。

「ま、これでヤメるんだったら、そもそもスロ打つなってことだよな」

光一はひとりうなずくと、千円札をサンドに差し込んだ。


◇ ◇ ◇  


タカシは展開に恵まれない状況が続いていた。ビッグとレギュラーを絡めてボーナスは軽いが消化中のART当選には恵まれず、通常時レア役からのART突入でボーナス間をしのいでいる。ART中のボーナス当選から畳み掛けるような展開にならず、ドル箱を使うか使わないかを前後する持ちコインで水平飛行を続けている。

キャスはいきなり3万近い投資を強いられたが、それゆえに天井到達、しかも設定変更を確認できた。ARTに入ってからはビッグボーナスがARTストックを示唆するストーリーBBになったりなど、一気に跳ねっ返りが来ている感じだった。すでにARTのセット数は11まで進み、『少年ハート』が流れホランドが出撃している。

「ホランドって、男前だけど子供だよね。そういうのって、女心を微妙に突いてくる」

恋人であり月光号の操舵士でもあるタルホの『ホランド、気をつけて』というチャンス演出が聞こえてくる。一方タカシは、

『ねだるな、勝ち取れ!』

とレントンの声が響く通常時特殊リプレイからの六択チャンスを外していた。

「勝ち取れない……ねだっていないんだけどな……」

その場その場での運不運には行動を左右されないように気をつけているタカシだったが、さすがに応えているようだった。今日だけで十回以上機会があるが、一度も当てていない。

「ウッヒャウ!」

思わず叫んでしまったキャスのチャンス演出は強チェリーを示唆していたようで、演出は発展しなかったが第3リールが停止した瞬間に『ズババババ!』と盤面右のコンパクトドライブが光った。ARTセット数を獲得したサインであり、獲得しても潜伏することが多いこの台ではレアな演出だ。周囲で打つ他の客も、キャスの台が分かりやすく息を吹き返してきたのを気にしている。

「ヤバイ、楽しいよ、楽しすぎるよタカシ!」

「亜夜が楽しければ、僕は言うことないよ」

「またそういうこと言う……素直に『何でお前だけ当たるんだ』って文句言えばいいのに」

キャスは左手で拳を作ると、ペシっとタカシの頬にそれを押し付けた。とっさのリアクションにとまどったタカシはあえてそれをそのままにしていたが、放置していたらそのままグリグリと顔に食い込んできた。

「えぐり込むように打つべし、打つべし!」

「亜夜、痛くはないけど打ちにくいのですが。それの元ネタ知ってるの?」

「うん、私は打ったことないけど『あしたのジョー』の演出で聞いたことあるよ」

「さすがだね……何でも見逃さないな」

キャスはニンマリと笑い、誉められたのを喜び思わず突き出した拳をさらにタカシの頬に食い込ませた。

「そんなこと……あるよ、タカシが軽い演出でスイカを2回取りこぼしたのもちゃんと分かってるよ!」

「む」

タカシは打つ手を止めると、勢いを殺した撫でるような仕草で右手をキャスの左手に絡め、クロスカウンターを決めた。


◇ ◇ ◇  


「最近のカップルはパチスロ打ちながらクロスカウンターを打ち合うものなんですかね……」

渡辺はパーラー弘樹の店内に入って一礼すると、見覚えのある二人がエウレカを打っている様子を見て一人つぶやいた。

頭取り。他店の店員が店にやってきて、客付きなどをシートなどに記録していく行為である。事情を知らない一般客は不思議にその光景を見ることも多く、事情を知らない者は他店ではなく自店の店員がリサーチしていると勘違いしている場合も多い。だが、ボードを手に抱えて露骨に記録を残す姿をよく見れば、異なる制服を着つつ私服の上着を着ていることが分かる。つまり、ホール関係者や近隣の店舗でよく打つ客ならば、それが頭取りであることに気付くし、顔自体を覚えていることも多い。

そして考えると、なぜそんなことが許されるのかという点に行き着く。これが実に日本人的な発想と伝統から積み重ねられた結果なのだが、簡単に言えば互いのホールが了承済み、ということなのである。

ホールは基本的に十八歳以上で公序良俗を著しく乱さない者ならば、誰でも出入りできる半パブリックスペース。店に入れば店のルールが掟にはなるが、例えばプライベートで他店の店員が入ってきてもそれを断ることもできない。その気になれば第三者を雇ってライバル店を調査することもできる。

だが、それをやるのは手間であり人件費もかかる。ならば、いっそのこと一般客に公開される範囲の情報ならば、お互いに隠さないで堂々と調査しあいましょう、と同地域内の店同士が協定を組む風習がホール間で出来上がったのだ。

ただしルール、守るべき仁義と言ってもいいだろうが、ホールに入ったら礼節を守って黙って一礼する。店員同士でも頭を下げ、頭取りをする者は必ず制服姿のままではなく何かを羽織る程度の装いはする。記録を行う際は大きい通路まで、客やホール店員の邪魔にならないよう島の中までは入りこまない。

このような業界特有の風習として『頭取り』が行われている。他業種ではここまで堂々と他店調査をすることは珍しいだろうが、ライバルだけど持ちつ持たれつというパチンコ・パチスロ業界ならではのものだろう。

かくして渡辺はゴールデン6の店員として、パーラー弘樹の頭取りにやってきた。慣れた仕草で手に持つシートに書かれた座席表に客付きのチェックを入れつつ、気が付いたことがあればメモを残す。店員とすれ違う際は軽く会釈をしてその手を止めるようにしている。

「お客様、うちではあからさまな調査行為はお断りしているのですが」

と突然、背後から声を掛けられた。渡辺は一瞬メモを取る手を止めたが、そのまま振り向くことはなく再び手を動かし始めつつ低いトーンで返した。

(駄目ですよ、いくら頭取りでも公然と会話するのはルール違反です)

平静を装ってはいるが、常に沈着冷静を装う渡辺にしては言葉を発せられる言葉の端々に荒さが含まれていた。

「大丈夫よ、ナベちゃんだったらみんな知ってるし」

(そうじゃなくってですね、あらぬ疑いをお店やお客様に持たれる可能性が……)

(それって私達が付き合ってる、ってこととか?)

「和美さん!」

声の主は女性、先日のとある騒動で顔は知りつつも初めて交流を持つこととなった推定三十代前半の女性店員だった。熟年美女店員、と言い換えてもいいかもしれない。その後、交流が『大人の交流』に発展したことを知る者は当事者だけの秘密、ということになっている。

(ね、今来ているってことは早番でしょ。この後、鳥よし行かない?)

和美は渡辺をいじめるのをさすがにあきらめ、相手に合わせて素知らぬふりでささやいた。

(……メールします。今は勘弁してください)

(ナベちゃんカワイイよね~、ウチの息子達もこれくらいイケメンに育つといいな)

「イッ!」

渡辺は臀部に走った鋭い痛みに思わず短い悲鳴を上げてしまった。近くにいた何人かの客が不思議そうに振り返る。和美は深紅のマニキュアが塗られた指をスッと渡辺の下半身から離すと、その場を離れていった。


◇ ◇ ◇  


「ダメ、ダメだってばよ!」

光一の打つエウレカの盤面には斜めにスイカがテンパイしつつ第3リールがずれた強チャンス目が止まっていた。頭上のゲーム数カウンターは156ゲーム、宵越しの分を含めると873ゲームだった。

「えっと……ここは疑似で」

ベッドボタンをそっと押すと、『カシン!』という音が鳴った。

「オッケー、オッケーよ」

続けてレバーをあえて軽く何気ない流すようなモーションで叩く。すると、マシューのDJ演出が始まる。

「いいよー、軽い演出歓迎だよ」

第1リールは下段BAR停止で通常出目、第2リールは……リプレイテンパイ。

「いやいやいや、リプレイは7分の1で引きますからね、たまたまですよね」

第3リールにも中段にリプレイが止まり、リプレイ小役が成立。ボーナスフラグが成立している場合、リプレイ確率は通常時よりアップするのが一般的なパチスロ台の仕様だ。演出では警報が鳴り、何かしらの発展演出を示唆していた。

「擬似2で発展はスルーですよね、フットサルではいはいパターンだよね」

少しだけ気が楽になって強めにベッドボタンを押すと液晶画面には……フットサル演出画面。左手を腰の近くで握り、グッと小さくガッツポーズ。

「よしよしよしよし」

第1リールを安心してBAR狙いで止めると、BAR中段停止、下段にはチェリーが止まった。

「ふぎゃっ!?」

光一はボタンを押したまま凍りついた。

(えっと、考えられるのは弱チェリーか強チェリーだろ……ああ、あれがあるか! やばいよ、やばいよ!)

しばらく考えた末に第2リールに左手をかざして見えないように隠すと、さらに目をつぶって第2停止ボタンを押した。演出ではムーンドギーがゴールデンファルコンシュートを放っている。これは演出中にレア役を引いた場合に選ばれやすいもので、むしろチェリーを引いているのに通常レベルの演出である方がボーナス成立済みの可能性が高い。

光一がおそるおそる目を開けて左手を退けると……中段にはBARが停止。つまり第1、第2と中段にBARがテンパイしている状態になっていた。

「ふうっ……ん? あ、そうかまだあるか!」

一瞬安堵のため息をついたが、すぐに次の可能性に気付き光一は唾を飲んだ。ここまでに光一が恐れていたこと、それは第2リール中段にリプレイが停止してリプレイが斜めにテンパイしてしまうことだった。もしそうなれば通常時ではありえない『チェリー+リプレイ』が必ず停止しボーナス確定、告知演出が一般的な最近ではあまり意味をなさなくなってはいるがリーチ目、『入ってました目』になる。

そして結果は中段BARテンパイ。これはほぼ弱チェリーで、もし上段にBARが停止するズレ目だった場合は強チェリーになる……が。

(弱チェだよな、たまたま引いちゃった弱チェだよな!?)

分かっている、自分がいかに浅はかで普段はレア役を引くことしか祈っていないくせに、天井前だと真逆を祈っている卑しい存在であることも分かっている。でも、それでも願わざるを得ない。願うのは、第3リール下段にボーナス図柄かスイカが停止して弱チェリーが入賞すること。恐れているのは上段に止まって払い出しなしのチェリー、つまりボーナス確定となってしまうこと。

(あるんだよ、弱チャンス目の後とかで軽く流してると『ほへっ?』って止まってラッキーみたいなの)

冷房がよく効いているガラガラのホールなのに、こめかみ辺りにうっすらと汗を浮かべながら光一は第3停止ボタンに指を添える。親指を軽く引いて覚悟を決めると、めったにしない強打でボタンを押し込んだ。そこには ───

『チャラララララ、チャラララー……』

シュートが決まらずうなだれるゲッコーテイストの面々、第3リールには下段に赤7が停止、払い出し表示には4が表示されている。

(セーフ、セーフ!)

弱チェリーと共に演出失敗、演出契機が弱チャンス目だったので、低確率での弱チェリーならARTに当選する確率も低い。

「耐えたな、よくやったよ俺」

光一は張り詰めていた肩をガクッと下ろして低くだらしなく椅子に寄りかかり、大きく息を吐きながらベッドボタンを押した。


『ボールはまだ生きている!』


椅子からずり落ちた真っ昼間からパチスロを打つ中年男性は、口をあんぐりと開けてこう呟いたらしい。

「一緒に逝こうか、レントン」


◇ ◇ ◇  


「太陽のー真ん中へーいま俺はー飛べるだろー、悲しみのー夜を抜けーいまよりもー飛べるだろー、アイキャントフラーイアェー!」

「いや、それ飛べてないし」

ノリノリのキャスに突っ込みを入れるタカシだった。

「いやー、英語苦手だし、わたし第二外国語は中国語選んだし、単位取りやすいから」

「"can"なんて中学英語だろ」

「いいじゃん、出てるんだからさ」

「ハイハイ……」

キャスのART連チャンは止まらず気付けば20連を突破、BGM『太陽の真ん中へ』と共に画面にはthe ENDが出撃していた。ビッグボーナスを挿んでは7揃い、レギュラーボーナスを挿んでは5択ベルの3問正解など、小気味良くARTセット数の現状維持か増加を繰り返しているように見える。

一方、タカシは変わらない展開、大ハマリはないが突き抜けるわけでもない状況が今もなお続いていた。打ち続ける理由は、チャンス目からを中心としたボーナスの軽さと赤REGと白REGの割合がほぼ1:1であること、サンプル数は少ないがART中のハズレが高設定領域を維持しているからだった。

「今、ハズレどれくらい?」

タカシに問いかけられたキャスは手を止めると、しばらく目をつぶってから答えた。

「22セット分くらいで12回かな」

「……悪くないね。4~5はあり得る」

「タカシは?」

「500ゲームも稼げてないから当てにならないけど、一応6以上」

「いいじゃん、いつか出るよタカシも。それよりもさ、早くフリーズ引いてよフリーズ!」

「65536分の1だよ。引こうとして引けるもんじゃないって」

「タカシもだいぶこなれてきたけど、やっぱり賢いというか、普通なんだよね。もっと念を込めてレバーを叩くとかさ、人知を超えた力を発揮するとかした方がいいよ」

「何かすっかり光一さんに毒されてないか?」

「あの人は台とお話してるみたいだからね。私はまだその域には達してないけど」

キャスは目の前の台のサイドランプを撫でて『いい子いい子~』と声をかけながらARTを消化し続けた。

その時だった。

『ズドン!』

タカシの台から聞きなれない音が響いた。思わず台ではなく自分がフリーズしてしまったようで、タカシにしては珍しくリールをじっと見つめていた。中段チェリー、ボーナスかART確定である。

「……と言っても、2048分の1か」

「すごい、すごい! この調子ならフリーズも引けるよ」

「まあ、そうだといいんだけどね」

安心した仕草でタカシは次ゲームを第2リールから押していく。中段に白7を狙ってボーナスフラグの絞り込みを始めた。キャスは何かに気付いた様子でタカシに質問する。

「ねえ、タカシは中段チェリーの時に何を期待する?」

第2リール中段に白7が止まり、続いて第1リールに白7を狙う。上段か中段に白7が止まれば、白7ビッグ確定になる。

「もちろん赤7だよ。300枚は大きい」

「ふーん、私はARTかな。やっぱ夢があるよね」

白7が枠下に滑り落ちる。赤7ビッグか、ボーナス非成立のARTだった。

「夢もいいんだけどね、赤7なら7揃い期待度も大きいし、終了後の高確も確定だし」

「ええ、超高確だよ超高確! 私はそっちの方がいいかな」

続けて同じ手順で赤7を狙うタカシ。しかし、赤7はテンパイせずボーナスは否定された。

「ほら、お望みのARTだよ。ほぼ単発なんだけどね」

「ふふーん、悲観的だと引けるものも引けなくなっちゃうよ」

「亜夜が楽観的過ぎるんだよ」

タカシは通常時のBAR狙いに切り替えて、発展演出が失敗しながらも相変わらず騒がしい液晶画面を眺めつつ前兆を消化していく。そして当たり前のようにコーラリアンモード、ARTが始まった。リプレイ成立時にサイドランプが黄色に点灯、など高確以上を示唆する状態が続く。そして頻度の高さから超高確であることも推測される。上段にベル・チェリー・リプレイのシングルこぼし目、つまり状態転落抽選が行われるたびにタカシはランプの状態を気にかけていた。

「タカシだって気になるんじゃない?」

「それは……やっぱり引いた以上はね」

ランプ色矛盾の頻度が落ちたような気がして少し顔を曇らせるタカシ。せめて高確でいて欲しいと悲観的な考えになりかけていた頃に、レバー音と共にレントンのカットインが入った。

「アツっ!」

「アツい!」

この時ばかりは二人とも同時に声を挙げた。第2、第3停止とセリフ演出のステップアップが入り、ベッドボタンと共にヘルタースケルターの次回予告が始まった。

「まず入った」

「だね」

ボーナス成立は堅いと確信したタカシは、またボーナスフラグの絞り込みに入ろうとしたが、キャスがその手を止めた。タカシは一瞬「なぜ?」と言いたげにキャスの顔を見返したが、興奮するその顔を見て何を望んでいるか理解した。うなずいて、第1リールのBAR狙いに戻す。出目は通常出目。液晶ではスピアヘッドとの対決演出が始まっていた。ホランドの攻撃、レイが避ける。マシューの攻撃、チャールズが避ける。レイの攻撃、ホランドが……避ける!

「よし」

「うっし!」

二人ともまずは小さくガッツポーズ。4回目の演出になった時点でボーナスは確定した。タカシはそれでもあえてボーナス図柄は狙わず液晶画面の推移をキャスと共に見守っていた。ヒルダがチャールズを撃墜しWIN、ボーナス確定告知画面へ。表示されたボーナスの種類は……白7、白7、赤7。

「キタキタキタキタ!」

今度は声を挙げたのはキャスだけ。タカシは顔をこわばらせた緊張のまま、第1リールに白7を止めた。第2停止ボタンに親を掛けようとしたが、思い直したようにわずかに引っ込めた。

「駄目だ、押せない……」

「何言ってるのよ! タカシの臆病者、チキン、味噌っかす、ウンコタレ、万年レギュラー男」

「ウン……は嫌だな……、というか亜夜の口からそういう言葉は聞きたくないよ……」

「じゃあ、一万年と二千万年前からレギュラー男」

「それはあなたと合体したい、ってこと?」

タカシ的には滅多にないうまい返しをしたつもりだったが、キャスは目を見広げるとみるみるうちに顔が真っ赤になっていった。

「バカっ!」

キャスが思わず無限拳を放つと、タカシは避けられず顔に喰らってしまう。その衝撃で第2停止ボタンが押されてしまい、第2リール内に白7が止まった。二人があえて引き伸ばして待った運命のジャッジメントタイム。白7が右上がりにテンパイした瞬間、


ピュルピュルピュルリー、ピュルピュルピュルリー!


台が、鳴いた。キャスが泣いた。全米が泣いた。タカシはどっちかというとイイ感じに入ったパンチの痛さに泣いた。

「気持ちいい~!」

キャスが恍惚とした表情でタカシの顔を抱え込んだ今、目の前では超高確時のレギュラーボーナスによる3回以上の5択ナビ出現が確定した。


◇ ◇ ◇  


「うーん……」

光一はうなっていた。時に眉をしかめ、時に不思議そうな顔をしながら、HOPSのエウレカを打ち続けていた。目の前では……終わらないART。16回目を越えようとしている。

「なぜよ、なぜなのよ」

天井目前で引いてしまったボーナスは、赤7、赤7、白7のレギュラーボーナス。ただ、ちょっとだけいつもと挙動が異なっていた。ボーナス消化1ゲーム目にナビ無しでベル揃い。以降は5択当てですべて不正解。何事もなかったかのように通常時に戻ったが、ゲーム数を消化するうちにシングルこぼし目から前兆、ARTに突入した。

「1回正解で薄いとこ引いたとしてもせいぜい単発じゃないのか?」

続いてくれるのは嬉しい。出玉を得られるのも問題ない。ただ、その理由が分からないのが光一にとって本当に気持ち悪かった。

ちなみにARTがこれだけ続いている中、ボーナスは1回も引けていない。その点では低設定らしい挙動で唯一安心できるものだった。もちろん当たってくれる方が嬉しいには違いないが、自分が低設定の天井狙いで打ち始めた以上、その推測が正しい方がプロとしては納得がいく。

「何なんだろうな、天井手前でREGドボン、に対する神様のお恵みかな」

そう呟いた後、プロが神様などと発言してしまった自分に対してさらに自己嫌悪する光一だった。

「まあ、いいんだけどな……帰ったら解析ちゃんと見とこ」

レア役はぽつぽつと引くが、ボーナスの当たる様子もなければ、セット数上乗せをしているかどうかも分からない。俗に言う『謎連』である。

ARTだけなので出玉スピードはそれほど速くなかったが、それでも1000枚以上は出たのかホッパーが空になったらしく液晶画面がエラー表示になり『店員さん、店員さーん』という音声が鳴り始めた。客がほとんどいない状況なので格段に周囲に響く。呼び出しランプを押そうとしていたら、それよりも先にホール係員が駆けつけてきた。

やって来たのは背の低い見覚えのある中年顔。前歯が一つ銀歯になっていて、笑顔もどこか間の抜けた感じのする『牧』と書かれたプレートを胸に付けた店員だった。

「あ、ああ、あの時はどうもです!」

「いいよ、あんなの単なる気まぐれだから」

光一は以前、駅前で呼び込みをしていた牧が客に絡まれていたのを体よく追い払ったことがある。あの時以来、見かけることはあったがそもそもHOPSで打つこと自体がほとんど無かったので話をすることも無かった。

「お、お待ちくださいね」

牧は手馴れて……いない様子で、液晶画面を懸命に眺めてから腰に下げたキーチェーンから鍵を探し出す。見つけて台に差し込もうとすると違っていたらしく、また鍵の探し直しになる。何回か繰り返すうちにようやく鍵が合うと、あわてて台を開いて頭を筐体の上部にぶつけてしまった。

「イタタタタ、す、すみません、すみません!」

ホッパーが空になっているのを確認すると、そこで初めて気付いたかのように補給メダルを取りに行こうとした。

「あのさ」

「ハイ?」

「俺が言うのも何だけどさ、サイドタンクがいっぱいだから、それをホッパーに戻すのが手っ取り早いと思うよ」

「あ……ああ!」

もっとも、サイドタンクの状況関係無しにメダルを追加するという姿を見せ付けるという儀礼的な意味やスピード優先で、とにかくカップ一杯分をホッパーに補給して完了する、という方が主流かもしれないけど。と、いう補足はあえて口にせず、光一は補給コインを取りに行こうとする牧を呼び止めはしなかった。

席を立ったついでに、改めてホール内の様子を歩きながらうかがってみる。すると、店員の数の少なさに気付く。まだ夕方五時を過ぎない閑散期だが、先程の牧を含めてもパチンコに二人だけ、スロットには一人も常駐の店員がいない。いくら何でも少なすぎる。

牧の戻りが遅い。気になってパチンコ側の様子を覗いてみると、当り台の箱追加と玉下ろしに追われていた。傍らには補給用のメダルカップが置かれたままになっている。もう一人店員がいたはずと思って探すと、そいつは違う島に張り付いてぼーっと鼻をほじっていた。担当する島が違うので手伝う気もないらしい。

(末期だよな……)

客の来ないホールがすることの一つとして、露骨な人件費削減がある。死に物狂いでとても扱いきれない多さの台を少数の店員がまかなうのは、見ていて辛いものだ。客は店員の対応が遅いからいら立ち、客離れも進みやすい。だが、現場の店員はどうにもできない。これで、何かしらの台を『調整中』といった札を貼って機種ごと封鎖し始めたら、いよいよ閉店のサインと思っていい。電気代に手を掛けてしまうホールなんてものは、種籾を売ってしまう農家のようなものだ。

ようやく牧がメダルカップを持って戻ってきた。申し訳無さそうに両手に二杯持参して、ホッパーを満たしていく。

「す、すごいですね、いっぱい出るといいですね!」

ああ、お前はなんていい奴なんだ。俺が出しまくったら、たぶん今日のパチスロ全体がこの店で赤字になるぞ。お前の給料どころか、またシフトに入る人間が減るかもしれないぞ。

「も、もっと、お客さんが来てくれるといいんですけどね……」

牧は笑顔を作りつつも寂しそうな口ぶりで開けた台を閉めた。しかし、台を閉めても液晶画面のエラーが元に戻らない。牧は、どうしたのだろう? と必死に台を開けては閉めて頭を抱えている。

そんな時だった。HOPSのパチスロ側の入口から、一人の男が入店してきた。光一が振り向くと、そこには制服に上着を羽織ったゴールデン6の渡辺がいた。光一は困り果てている牧と、一礼をして入ってくる渡辺を交互に見比べた。そして何かを決意すると島中から渡辺のいる方向へ歩き始めた。

すると、それに気付いた渡辺が光一に対して鋭い眼光を向けてわずかに顔を横に振った。

(ここではお話はできませんよ)

渡辺は心の声を送っていた。

(いや、分かってるけどさ。何かエラーが収まんないんだよ)

光一もすがるような目で心の声を送り返した。

(駄目なものは駄目です)

(俺も分からないんだよ。分かればこいつに教えちゃうんだけどさ)

参った様子で台の側に立つ光一と、台を開けて中のスイッチや基盤におそるおそる触れては慌てて手を引っ込める牧。渡辺は島端からその様子を眺めるていた。頭取り用のシートを手に抱えてしばらく考えているようだったが、やがて何かを思いついたのか再び光一の方に顔を向けた。

(何か分かったか!?)

光一が気付いて目を見開いてみせると、渡辺はボードを左手に、ペンを右手に持ち替えた。

(ん?)

渡辺は左手のボードを前にかざすと、それをそのまま手前に動かした。

(そうか、そういうことね。オッケーオッケー!)

光一は渡辺の仕草を見逃さないようにじっと目を凝らした。渡辺も何とか伝わるように念を込めながらジェスチャーを開始した。

(台を開けて)

(何だ、冷蔵庫を開けて?)

次に右手を前にかざす。

(中のスイッチを押して)

(缶ビールを取り出す?)

続いて右手を下に動かすと、ペンを斜めにしてしばらくそのままにしている。

(出てくるコインを受けて……間違えました、先にカップを添えてからスイッチを押さないと)

渡辺は首を振って一度ボードを前に戻した。

(違った? 缶ビールは無かった?)

渡辺はもう一度、前にかざしたボードを手前に動かすと、右手を下に添えてから左手を前方に差し出して何かを押す仕草を見せた。

(スイッチを押して、残りの払い出しメダルをカップで受けます)

(おお、ビアサーバでビールを注ぐわけね)

左手を手前から置くに戻すと、最後に右手のペンを傾けてみせた。

(台を閉じて下皿に受けたメダルを戻せば完了です)

(ってええ! ビール捨てちゃうのかよ!)

光一は驚いた様子を見せつつも渡辺に親指を立てて見せた。

「なーんて訳無いよな。そうだったよ、思い出した。了解ですよ渡辺さん」

光一は牧に声を掛けると、サミー系の台のホッパーエラー時の対処方法を教えてあげた。


「渡辺、サンキューな!」

HOPSの店外、渡辺が頭取りを終えてゴールデン6に戻ろうとしていたところに、追いかけるようにして出てきた光一が背後から声を掛けた。店外ならば問題は無い。

「いえ、伝わって何よりです」

「お前の家ってビアサーバ置いてる?」

「僕は飲みませんが聡子が自前のサーバでよくビール飲んでます。『カーッ、やっぱビールは生よね!』とか先行きが不安な男前なセリフを言いながらよく飲んでます。で、なんで知ってるんですか?」

「いや、あんまり関係ないんだけど何となくな」

頭上に『?』を浮かべる渡辺だったが、思い当たることも無く口を開いた。

「珍しいんじゃないですか? HOPSで打たれるなんて」

「宵越し天井かもしれないのがあってな」

「あり得ますね。平日五日分を溜め込んで、週末にまるで設定を上げたかのように出玉を見せるパターンはよくあります」

「まあ、結局は天井に届かなかったんだけどな」

「でも結構出てませんでしたか?」

「それがさ、レギュラーから謎連が始まってな……」

光一は今に至るまでの台の挙動を説明した。すると、渡辺はあっけなく解答を教えてくれた。

「そのレギュラーの1ゲーム目、共通ベルじゃなくてレアベルだったんですよ。目押しはしました?」

「したよ、通常出目でベルが揃った」

「それはどのラインで?」

「確か上段に……あ!」

「おかしいでしょ? ナビ無しでベルが上段に揃って払い出し8枚じゃありませんでしたか?」

「そう言われるとそんな気が……」

「それ、エウレカの一番の爆発フラグですよ。1ゲーム目で弱スイカ以外のレア役だったら50%で5ポイント獲得、以降も獲得扱いで最低15セット、最高25セットです。ちなみにレア役がBAR揃いの場合は100%、5ポイント扱いです」

「 ─── それってやっぱり薄いんだよな」

「各レア役ごとに65536分の1です」

「またやらかしちまったか、俺」

スマン、牧。お前の給料を俺の無駄引きで削っちまったよ。光一は心中で謝罪弁明を繰り返すだけだった。

「ところで念のためお聞きしますが」

「なんだよ、改まって」

渡辺は真顔で光一に尋ねた。

「光一さんは、サクラですか?」


(設定6へつづく)

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