-設定2-

「まーた、ディスクアップ打ってるし」

背後から声がしたのは、ボーナスゲームを22ゲーム目で右中リールを止め、リプレイ絵柄のジャックインがテンパイした瞬間だった。

「あうあうあ…どうしよう」

左リールを止められずに躊躇していると、肩越しに手が伸びてきて問答無用にボタンが押された。

「ノー!」

光一が叫んだ時には、下段受けリプレイ絵柄テンパイに赤7ビタ押しが決まり、リプレイ外しが完了していた。

「うー、悩んでたのに」

「男がごちゃごちゃウルサイ! ノーマルビッグでも残り5ゲームくらいまで攻めなさいよ」

「いや、俺ヒキ弱いし……いつも残り一桁でジャックイン来たら怖いから入れちゃうことが多いし」

ボーナスゲームは続き、逆押しの1/2ナビ発生手順を当たり前のように光一は決めていく。しかし、その1/2を外すことが多く肩を落としながら残り2ゲームとなった。ジャックイン成立をただひたすら祈るだけだ。

「あー終わっちゃうよー、おいらの112枚が…」

またもや左リールから小役ナビ出目、「ジュワーン」と目押し成功の効果音を出しながらも青7を狙って見事に外す。

「ヘタクソねー、これだったらさっきジャックインさせた方が早かったじゃない」

「それを見事なまでに阻止したのはあなたでしょうが!」

隣りの空席に腰を下ろして眺めていた春音は、光一の反論に聞く耳を持たずあきれている。

光一はベットボタンを押すと祈るように左の拳を固めてレバーに近づけた。

「お願いします……」

「ハイハイ、日ごろの行い悪い人間が都合のいいときだけ祈っても無駄だから」

そう言うと春音は光一の拳に自分の手を添えた。

「こういうのはね、気合いなのよ気合い… ほあっ!」

「ほあっ!?」

問答無用に力が込められてレバーが倒される。そして光一が右手でボタンを押そうとする間もなく、春音が一気に左中右リールと中指を滑らせるようにボタンを止めていった。

そこには、3つ揃ったリプレイ絵柄。音楽が変わりジャックゲームに突入していた。

「あいやー…」

黒い長髪をポニーテールでまとめた女性の笑顔、隣に座る春音のしてやったりの表情に光一は魂を吸い取られて気がした。

「私、お昼はパスタがいいなー。和風明太子高菜スペシャルのラージサイズ」

「仰せのとおりに」

光一はジャックゲームを終わらせると頭上の呼び出しランプを押した。席を立って店員に声を掛けると、ARへの突入演出は気にせず食事休憩を伝えた。

隣に座っていた春音は当たり前のように光一の左に立ち、わきの下に手を滑らせてきた。

並んで立つと春香の方が背が高い。春香が履いているのはスニーカーなので言い訳もできない。

(春音さん、スロ屋で勘弁してよ……)

(いいじゃないのよ、どうせむっさい男しかいないんだし)

(僕はそういう男たちの世界に生きてるんですよ)

ひそひそ声の会話が一旦止まり、春音は真横の光一の顔をじっと見つめた。

(どうしたの、春音さん?)

表情が読み取れない、何かを考えているような顔つき。しかしすぐに破願して光一の手を引いた。

「何でもない、早く行きましょ! おなかすいた~」

「っと待って待って!」

光一は引きずられるようにして、昼過ぎで半分ほどの客入りだったスロット専門店を後にした。


池袋駅東口。60階通りの人込みから逃げるようにサンシャイン通りへ抜ける横道の途中に、行きつけのスパゲティ屋があった。

平日の午後、会社の昼休みが終わり空き始めた店内は大学生や制服の男女が目立ち、モーニング娘。の「LOVEマシーン」が流れていた。

「光一のPHS全然つながらないんだもん」

「あの店じゃ電波入らないんだよね。それに打ってる時は店員の目も怖いし持ち出せないよ」

喫煙席に案内してもらった二人はメニューを広げながら話し続けた。

「よく店分かったね」

「まあ、3軒目だったけど。サントロペ周辺の店だけ探して居なかったらあきらめて帰ろうと思った」

「ついでに打とうとか思わなかった?」

「そうね……でも光一いないとつまんないし」

「それは俺が喜ぶべきところなのかな」

「いじる相手がいないと張り合いが無いのよ」

「いじられ役ですか……」

光一がまだ注文を決めあぐねてる頃、春音はすでにメニューを閉じてハンドバッグからパーラメントのライトメンソールを取り出した。灰皿が無いのに気付き、手を上げて店員を呼ぶ。

「ご注文はお決まりですか?」

「和風明太子高菜スペシャルとシーザーサラダ、あとアイスコーヒーを先に。あ、パスタはラージで……光一は?」

「……同じので」

「却下」

「だめ?」

「だめ。面白くない」

二人のやり取りをウェイトレスは気まずそうに立ったまま見つめている。

「それじゃ……ランチってまだやってます?」

「はい、Aセットが帆立とほうれん草のクリームソース、Bランチが……」

「じゃあAセットでお願いします。飲み物はカフェオレを」

「先にお持ちしますか?」

「はい、アイスコーヒーと一緒に」

ウェイトレスは注文を復唱するといそいそとテーブルを去っていった。

光一はメニューを閉じると、手を伸ばして隣の空きテーブルから灰皿を持ってきた。

「サンキュ!」

「いえいえ、面白くない男はこれくらいしかできませんので」

「……拗ねた?」

「……少し」

「かわいいよねー、光一は!」

春音は光一の頭に手を乗せるとわしゃわしゃと髪を撫で回した。

「やめーい!」

「そのくせ、男の威厳にはこだわる」

「うー」

「ふふふ、私に口で勝つなんて1000ゲーム早い」

「何ゲームハマればいいんだよ、それ」

「女は青天井なのよ」

「怖……いくら投資すればいいんだ……」

「そうねー、この後ちょっと西武にでも行かない?」

「いや、それはちょっと。せめてあのボーナス後ARの行方を確かめないと」

「稼ぎなさい、そして貢ぎなさい」

「こっちは食ってくのに必死なんだよ」

「必死さだけは伝わってくるわ」

春音はパーラメントに自前のジバンシーで火を付けると、一服して灰皿の上に置いた。

光一もつられるようにGパンの尻ポケットからひしゃげたセブンスターの箱を引っ張り出す。曲がった1本を取り出して真っ直ぐに直して口にくわえると、百円ライターを引っ張り出す前に春音が火を差し出した。

「あんがと」

「光一だけよ、こんなことするの」

「分かってる」

気付いていたのか、テーブルにウェイトレスが灰皿を持ってきた。すでに使っていたのを見て持ち帰ろうとしたが、光一は受け取って自分の分にした。

二人でタバコを吸いながら窓の外を眺める。何かを言う必要もなく、黙っている必要もなく、ただ同じ時を過ごすためのひと時。

「あ、ポルノだ」

「へー、あなたでも知ってるんだ」

「なんか、気取ってるような正直なような、何かいいんだよね」

ミュージック・アワーが流れる。光一が煙草を灰皿に置くと、春音がその指を手に取る。右手の中指、短く切り揃えられた爪の横に皮膚が硬くなった箇所がある。春音はただ指に触れながらその肌触りを感じ、光一はされるがままに外の景色を見ている。

お互いに何かを考えている。お互いに何を考えているか分からない。でも、それで構わない。口に出さなくたっていい。

「お飲み物お持ちしました。アイスコーヒーのお客様は?」

春音が煙草をくわえたまま小さく手を上げる。もう片方の手は光一の指に触れたまま。続いてカフェオレが置かれ、ウェイトレスは心なしか恥ずかしそうにその場を去っていった。

「春音さん、お行儀悪いよ」

「ホント?」

「うーん、正確に言うとエロいかな」

「じゃ、別にいいじゃん」

「それが公衆の面前だから行儀悪いの」

「くっだらない。お行儀良くしたって何の得も無いじゃない」

「ま、そうだけどね」

ふと、少し離れた女子高生たちが座るボックス席から嬌声が聞こえてきた。携帯電話の音声をスピーカーにして流し、ケラケラ笑っている。「ウケる」「マジ死んだほうがいい」とか聞こえてくる音声に罵声を浴びせているようだった。

気にした光一の様子に気付き、春音は女子高生たちのやり取りを眺めるとつぶやいた。

「たぶん、伝言ダイヤルじゃない、出会い系の。バカな男ひっかけて遊んでるんじゃないかな」

「ふーん……」

「そういうの疎いよね、光一は」

「いや、知ってるよ。パチスロ雑誌の広告でよく載ってる」

「なーんだ、使ったことあるの?」

「無いよ、あんな見た目に怪しいの。使ってたらどうしたの?」

「うーん、ちょっと真面目な顔してメッセージ吹き込んでる光一の顔を見てみたい気もするけど……殴って終わりかしら」

「大丈夫、そんなことしないよ。時間もお金ももったいない」

「それだけ?」

「ん、あー……。春音さんいるし」

「かろうじて人の心は失ってないようね」

「人を獣かロボットみたいに言わないでよ」

春音が何かを言いかけようとした時、注文のパスタがテーブルに置かれて二人の会話は中断した。


◇ ◇ ◇  


車内では、終始無言だった。

無視してその場を立ち去ろうとも考えたが、間違いなく付いてきそうな思い詰めた表情に根負けした。そして、仮にもメインの立ち回り先であるこの街でゴタゴタは起こしたくない。「付いて来い」とだけ言うと、ゴールデンの外に出てすぐにタクシーを捕まえた。

ベレー娘は、拳を握りしめて両手を膝の上に置いて目を閉じていた。どこに連れて行かれるのかも分からず、脅迫されるがままに耐え忍んでいる人質のような姿だった。

一方、光一は予想外のタクシー代の出費に困りつつ、どうしたものかと考えていた。

(買ってほしい……って、やっぱり売りたいってことだよな)

タクシーの後部座席に二人で座り、隣で身を固めるベレー娘を横目で見る。少なくとも、十八歳は超えていそうだ。いや、そういう問題じゃない。

(金なら別に出してもいいけど、何かそれはそれで面倒くさそうだしな……)

「お客さん、大森の駅でいいんですか?」

「ああ、アトレじゃない方の出口ね」

運転手とのやり取りを聞いて、間を空けて座っているベレー娘はわずかに体を震わせた。

何なのだ一体、いきなりパチ屋でおやじ捕まえて立ちんぼまがいとは。とうの過ぎた主婦が、ドル箱積み重ねた男に「3箱でどう?」と声を掛けるなんて話はよく聞くが。おじさんは……何か悲しくなるな、その若い身空で。

タクシー特有の鼻に付く芳香剤に、タバコ臭い光一のジャケット。その中にわずかに漂う、若い女性の香り。香水でもリンスでもない、自然と漂わせる生きる力がにじみ出るような匂いが光一を落ち着かなくさせる。

「……そのベレー帽、似合ってるな」

言った瞬間に今すぐドアを開けて車道に身を投げたくなるような気持ちになりながら、光一は沈黙に耐えられず口を開いた。

ベレー娘は、また体をびくっと震わせてから正面を向いたまま答えた。

「キャスケット」

「ん?」

「これ、キャスケットです。ベレー帽じゃなくて」

態度とは裏腹にはっきりとした物言いだった。昔ドラマで見た、身を投げ打つ覚悟を決めた奉公に出される気丈な農村の娘のようだ。

「そ、そうか。キャスケットね。うん、かわいいね、そのキャスケット」

運転手がバックミラー越しにこちらの様子を伺っていた。うだつの上がらない中年に若い女性の組み合わせ。そして長い沈黙と時折り交わされるかみ合わない会話。その視線が語る運転手が考えていることは想像に難くなかった。

言葉のキャッチボールをあきらめて光一は車窓に視線を移した。

(キャスケット娘ね……)


◇ ◇ ◇  


「私ね、就職するから」

フォークで巻き取っていたパスタの端が弾け、クリームソースが光一の頬に飛んだ。

一瞬動きが止まり、再びパスタを巻き始めると光一は無造作にそれを口に運んだ。一口で食べるには大きすぎたパスタの塊を強引に収めると、光一は必死にアゴを上下させる。

春音は光一の頬に人差し指を当てると、クリームソースを拭いそのまま自分の口に咥えた。

何とかパスタを喉に通した光一は、水を一飲みしてフォークを置いた。

「決まったのか」

「学校の先輩のデザイン事務所の人がね、その気があるのなら来なさいって言ってくれていたんだけど」

「それは……いい話じゃないか。どうせ、今内定取るの厳しいだろ」

「よく言うわ、ろくに学校来てないくせに」

春音は口を尖らせて手元のパスタをフォークで弄んでいた。

「工業デザインじゃなくて、雑誌とか広告の記事作ってるところなんだけどね」

「グラフィカルデザイン?」

「グラフィック。と言ってもスーパーのチラシから駅張りポスターまで、何でもやるって言ってたわ」

「向いてるよ、春音さんには。ほら、学祭のフライヤーとか一晩でちゃちゃっと作ってたし」

「あんなのはデザインのうちに入らない」

再びパスタを巻き始める光一は視線を下げたまま、春音は不機嫌そうにフォークで皿を刺すようにカツカツと当てている。

「私、働いちゃうよ。普通の社会人になっちゃうよ」

「いいことじゃないか。今の時代にまともな働き口があるなんて」

「そんなこと言ってるんじゃないのよ」

「しかもデザインの仕事ができるんだ。つぶしの利かない文系学生がどうでもいい企業に入るのとはわけが違う」

「もう……この甲斐性なし!」

ドゴッ!とテーブルから鈍く強い音が響いた。光一が皿から視線を上げると、テーブルクロスを突き抜けてフォークが突き立てられたまま見事に自立している。周囲の座席のざわつきをよそに、春音はキッと光一を射抜くように見つめていた。

「俺は後戻りできないし、することもできないよ」

「だから?」

「今は、自分が生きていけるかどうか、この世界でやっていきたいんだ」

「だから?」

「春音さんを巻き込むことはできない。何の保障も無い日銭を稼ぐだけの野郎人生に、他人を背負うことなんてできない」

光一は話し終えると、テーブルに突き刺さったフォークに手を添えて力を込めた。ほどなく抜かれたフォークを手元に置くと、代わりをテーブル脇のボックスから取り出す。

春音はそれを受け取ると、光一に突き立てた。

「何カッコつけてるのよ。背負うだなんていい気になるな!」

その声は細かく震え、きつい眼差しで光一をにらんでいた。

それを最後に春音は一言も口を聞かず、黙々とパスタを食べ続けた。 和風明太子高菜スペシャルのラージサイズとシーザーサラダを攻め続け、瞬く間に城は切り崩されていく。そして女性には難攻不落の皿2枚を陥落させると、すくっと立ち上がり横に置いたハンドバックをむしり取る。

「他人だなんて……そんなこと言わないでよ……」

春音は不機嫌を隠そうとせず、そう言うと大股歩きで席を離れていった。


◇ ◇ ◇  


「お客さん、ロータリー入りますか?」

運転手が心なしか含んだ口調で尋ねてくると、気付けばもう車の外は見慣れた風景だった。

「ああ、もうこの辺でいいよ」

尻ポケットから財布を取り出すと、光一は無造作に一万円札を差し出した。

「領収書よろしくね」

運転手とのやり取りが終わると、光一が先に、続けてベレー娘が車を降りた。

ロータリーから少し離れた通りは、駅から家路へと向かう人がぱらぱらと見受けられた。

「うーんと……」

光一は頭を掻きながら少し思案して、口を開く。

「コンビに寄っていいかな、キャスケットちゃん」

「キャスケットちゃん!?」

きょとんとするベレー娘。

「いや、その……名前言いたくないだろ?」

困った顔をしてみせる光一。その姿を見て、身をこわばらせていたベレー娘から少しだけ緊張が解けたのかもしれない。彼女は頭に載せたキャスケットを被り直して答えた。

「なら、キャスでいいです」


◇ ◇ ◇  


光一が一人店に戻って再び打ち始めると、液晶画面には「7」が表示され、ベットボタンを押すとアフのディッキーさんが華麗にダンスを繰り広げた。

戻ってきた店内は客の数も大分増え、ビッグ直後の台を食事休憩とはいえ放置していた主を周囲の人間はチラ見している。

光一はそんな周囲の気配も気にせず、ただ淡々とARを進めた。

ポンポンタンタンタン。

演出と効果音が伴わなければ、一切間を置かず目押しもせずにリプレイを揃える。

「ジュワン」という音と共に指定絵柄が光れば、それを左リールに目押しする。中、右は適当に押して星絵柄を引き込み、15枚の払い戻し。

隣に座る冴えない風体の小太りの男が、チラチラと羨ましそうに覗き見していた。近所の床屋で店主に言われるがままに切られた、小学生の延長のような髪型。開襟シャツを下に着て、トレーナーの首から襟を外に出している。バギーパンツの足元には、地元の安売り店で買ったような汚れが目立つ白のスニーカー。

そういった情報がまじまじと見なくても脳裏にインプットされていたが、それをどうとすることもなく光一はただ黙々とARを消化していた。

50ゲームを迎え、爆弾はまたも爆発。流れる音楽が変わり、今度はリーゼントのダンパさんが軽快に踊りだす。これで100ゲームまで継続が保証される。

(何も言えなかったな……)

機械的に動く手と裏腹に、光一は己を呪っていた。まとまらない頭の中に春音の言葉がひたすらうずまき続ける。胸には熱く吹きだまったマグマのような葛藤がぐつぐつ煮えたぐっている。でも、手だけはARを順調にこなし、コインは増え続ける。

(それより、何て言えばよかったのだろう)

いつのまにか100ゲーム通過、ついに液晶画面では200ゲームまで継続のギャル、シンディーさんが踊り始めた。継続判定の爆弾演出など気付きもしなかった。

コインが1枚床に落ちる。払い出しで満たされた下皿からこぼれ落ちたものだった。右手で操作し、左手で下皿を揉みながら打ち続けていたが、もうそこまでコインを吐き出しているとは思わなかった。嬉しくも楽しくも無さそうな表情で箱に手を伸ばす光一を、隣りの小太りの男が羨ましそうにチラ見している。

(次のボーナスでAR抜けたら、もう上がるか)

自分でルール付けして、自分でそれを実行する。光一はパチスロを打ち始めて間もなく、それだけは己に与えた義務として守り続けてきた。それにより結果が付いてきていることも実感している。だから、この世界でどこまでいけるか試してみようと考えることができた。

戻ったらとにかく謝ろう。今は俺がやるべきことをやればいい。

気持ちが少しずつ、ほんの少しずつローから上がり始めるのを感じる。底を打った、というところだろうか。自問自答を繰り返し、勝手に揺れる心を諌める。今はこの娘とのダンスタイム。浮気失礼、春音さん。

「うっし」

軽快に光一はレバーを叩いた。


◇ ◇ ◇  


駅から歩いて15分ほど、決して新築とは言えない年季の入ったマンションだった。一階にセキュリティも無く、エレベーターも壁紙が剥がれかけていた。玄関は狭く、空きが目立つ靴箱には数足の男物が並べられているだけ。

光一は部屋に上がると暗闇の中で慣れた手つきで明りのスイッチを入れて奥に向かっていく。後ろを付いてきたキャスは、玄関に立ったままその様子を伺っていた。

窓を開けられ室内に外気がわずかに入り込むと、光一が玄関に続くキッチンに戻ってきた。

「上がって」

キャスは導かれるがままキッチンを通り過ぎる。洗い物も無く、料理をしている形跡も無い。あまり生活観を感じさせない清潔さだった。

通された居間は、キッチンとうって変わり家具が調えられていた。テーブル、ソファ、大型テレビ、床はフローリングの上にカーペットが敷かれている。

「かけて」

「……はい」

キャスはソファに腰掛けると落ち着き無く部屋を眺めた。

光一はコンビニで買ったペットボトルをテーブルに置くと、自分はカーペットの上に胡坐を掻いて座った。

「お茶とかないから、これで」

「どうも……」

キャスは差し出されたお茶のペットボトルを両手に掴んだが、開けることなく下を向いたまま上目遣いに光一を見つめた。

「さて……」

光一は意を決したかのようにテーブルに手を置くと口を開いた。

「お金、困ってるの? 見た限りじゃ溶け切るほど突っ込んだようには見えなかったけど」

「溶け? 突っ込む?」

「ああ……最近堅気の人間と話すことも少なくてね。全財産使い込むまで金を使ったようには見えなかった、って」

キャスはペットボトルの蓋に額を当てるようにうつむくと、キャスケットが落ちそうになった。キャスはそのままにして口ごもりながら答えた。

「預金、無くなっちゃいました。来月の家賃も光熱費の分もみんな。換金したこれだけしか……」

そう言うとハンドバックから財布を取り出し、札をテーブルの上に乗せる。1万2000円。

「結局600枚で切り上げたか。そこそこボーナス回数付いてたけど、ノマれる最後の最後で止めることができたんだな」

「もう疲れちゃって……最初に少し出て、全然出なくなって、ようやくまた出始めて、また出なくなり始めて」

「なるほどね……」

光一はテーブルに置かれたセブンスターの箱に手を伸ばした。窓は開かれたまま、夜の空気が部屋に入り込み、室内の湿気も薄らいでいる。火を灯すと外に向けて煙を吐き出した。

「俺は君を買う気は無い」

「えっ」

キャスが驚いて顔を上げると、キャスケットが床に落ちた。

「ここに連れてきたのも話を聞きたいだけでね」

「それだと私、もう生きていけなく……」

「たかが一日数万の小博打でガタガタ抜かすな!」

「ひっ」

光一の一転した強い口調に、キャスは身をこわばらせた。

「いきなり時代錯誤に身を売り出して知らない男に付いてくると思ったら、今度は泣き通しか。あいにく身の上も分からない女に手を出すほど、こっちは困ってない。物珍しいとは思ったが、朝から打って負けた挙句に男から金をせびるというのは、その歳で感心しない話だ」

「ち、違うんです。まさかこんなことになるなんて思わなくて、研究資金も自分のお金も使いこんじゃって、もう私このままじゃ……。」

半泣きに近くなりながら言葉を詰まらせるキャス。

すると、立ち上がった光一はソファに近づき、小さくなったキャスの肩に手を置いた。

その触感に身を振るわせるキャス。彼女の頭の上には、床に落ちたキャスケットが被せられた。

キャスは口を半開きにしながら、思わず光一を見上げた。

「取って喰うつもりで連れてきたわけじゃない、ってことだ。おじさんが説教してやるから、好きなだけ言い訳してみろ」

目を潤ませたキャスは、黙ってうなずいた。


「確率統計学……?」

「はい、大学のレポートで日常生活を研究対象にした実験対象を探す必要があって」

少し落ち着いた様子のキャスは、光一に差し出されたティッシュ箱を膝に置いて鼻をかんだ。

「それってのは期待値とか収束とかってやつのことか?」

「大体、そんなところです。さすがにプロの方だけあってお詳しいんですね」

「ちょっと待て。なんでいつの間に俺がプロってことになんでなるんだ」

実際そうなんだが、という続きは言わず光一はキャスに質問した。

「平日の朝からお店に並んで入場券も持ってたし。あ、あの時は譲ってくれてありがとうございました」

「それだけ? 暇な学生や主婦、年金暮らしの爺さん婆さんだっているだろ」

「あなたはそのどれにも当てはまらないようだし、しっかりと勝ってたし」

「ほお……勝ってたと分かるんだ。客の数もまだ少なかったけど、見てなかったわけではないと」

光一の試すような視線を感じると、キャスは目を閉じてゆっくりと頭を左に傾けた。続けて右へと傾ける。ブランコが行っては戻るようにゆったりと頭を左右に揺らして、やがて口を開いた。

「ええ、おそらく130ゲームほどで白7揃いボーナス、次のリプレイタイム中に異色7揃いのボーナス。7をそろえる時の音で同色と異色で違いがあるんですよね。次のリプレイタイムは100回で終わって、おそらく300ゲームちょっとでレギュラーボーナス。それから200ゲームせずに異色7揃いで、リプレイタイム中に箱を手に取ってました」

「……」

光一はジーパンの中に入れたままだったメモ帳を取り出した。

「その後、私お金がなくなっちゃって銀行に行ってたので途中は分かりませんが……戻ってきてから700ゲーム近く当たらずに一度は箱を切り崩しましたが、間もなく赤7揃いボーナスで回復。以降はそこまで当たらないことも無く、レギュラーが4回続いたこともありましたが、もう一個箱を使うところまで勝っていましたね」

メモ帳に書かれた光一のボーナス履歴と、ほとんどずれていない。むしろ、打っていた光一よりも正確に流れを覚えている。

「あまり自信はありませんが……音と気配ではその程度しか記憶していません」

キャスは頭を揺らすのを止めると、目を開いて光一に申し訳無さそうにつぶやいた。

「お前、おれのこと常時観察してたのか……そんな気配は感じなかったが」

先程までとは異なり、光一のキャスを見る目が変わる。

「観察、というよりたまたま見聞きしたことを覚えているだけです。あなたのことだけを覚えているわけじゃなくて、私も打っていましたから。197ゲームに無演出からリールストップ時の3回連続効果音で黒い絵柄の8枚払い戻しで推定ボーナス重複成立。異色7揃いのボーナスで、それから100ゲーム間リプレイタイムの73ゲーム目、液晶画面に5人のキャラクターが表示されて1枚役を揃えられなかった場合のチャンス目と言われる絵柄配置が成立、レギュラーでした。その後当たらずに出てきたコインはすっかり無くなり659ゲーム目にようやくレギュラー。それまでには、78ゲーム目にスイカ、93ゲーム目にチャンス目、137ゲーム目にチャンス目、202ゲーム目にスイカ、215ゲーム目にスイカ、329ゲーム目にスイカ、377ゲーム目にチャンス目、450ゲーム目にチャンス目、453ゲーム目にスイカ、563ゲーム目にチャンス目が出ましたが、ボーナス重複はしませんでした。それからレギュラー終了後のリプレイタイムで43ゲーム目に……」

「お前!」

光一は両手で大きくテーブルを叩いた。

「ご、ごめんなさい!」

「それも全部覚えてるのか!?」

「はい……目の前で起こった自分のことなので、たぶん間違いないと思います……。ごめんなさい、余計なこといっぱいおしゃべりしてしまって。そうですよね、他人に自分のこと覚えられるのって気持ち悪いですよね……」

光一は目を見開いて、目の前のソファにちょこんと座りおどおどしているキャスを凝視した。目の前の事象を漏らさず正確に覚えているらしい。物覚えの良し悪しや記憶の得意不得意でなく、嘘とは思えないほど自然に過去の出来事を隅から隅まで反芻している。

「たしかにちょっと怖いな」

「……そうですよね」

キャスは悲しげに横へとうつむいた。そして抱えていたティッシュ箱をテーブルに戻すと、キャスケットを被り直した。

「で、何でパチスロなんだ? ギャンブルに手を出しそうに見えないけど。彼氏にでもそそのかされたのか?」

「いえ、大学の研究室の人でパチスロ好きの助手さんがいるんです。確率統計学の研究をするくらいだから、やっぱりギャンブル好きな人もいて。逆に極端に嫌う人もいるんですけどね」

「ふーん、それで」

「その人が言うには、ギャンブルですぐに結果を得られて一番確率に素直なのがパチスロだと言うんです。機械が毎回何かしらの当選抽選をしているだけだから。宝くじやトトも不確定要素は少ないけど、サンプル数を得るのや結果の判明に時間がかかるからと」

「……お勉強のサンプルね。パソコンとかで計算みたいのはできないの? 仮にいっぱい買ったとしてみたいな」

「できます。できるけど、シミュレーションじゃ駄目なんです。実際にサンプルを取って、それを元に母集団を推測する研究に基づいたレポートを作りたいんです」

キャスは光一の目を見て力強く訴えかけた。自分とはおよそ反対側の住人になりそうな真面目な学生なのだろうか。堅気としてホールになんか踏み入らず幸福な家庭を持って生きていけばいいものを。

「もう一つ聞きたいことがある。お前、ちょっと見る限り初めてには見えなかったが」

キャスは光一の質問に負けること無く、むしろ目を輝かせて答えた。

「勉強しました! 雑誌とかホームページで、お店がどういう仕組みになっているのかとか、コインを借りたり換金する仕組みとか。面白いですよね、コインと特別景品を交換して近くの交換所がその景品を買い取ってくれるなんて。直接は駄目だけど間接なら構わないっていう警察が認めた過去慣例で、そういったシステムを担う組織が警察からの天下りで成り立っているとか」

「ほう、確かにお勉強してるな。もうちょっと聞こうか、お前が打っていた機種については?」

「はい。ペイアウト率が一番高い設定にされている時、現在の機種の中で最高の部類に入るのが有名だそうですね。だけど、設定が低くてもペイアウト率は極端に落ちず最低の設定じゃない限りある程度の収支が期待できる性能だと」

光一はうなずくと続きをうながした。

「じゃあ何であの席に座ったかと、目押しをどうやって覚えたか教えてくれるかな」

「台の上の過去三日間の当選回数を見て、合計で一番少ない台を選びました。お店の傾向があるらしいですが、私は初めてで分からないからお店が設定を変える可能性が高いと考えて」

「初めて『可能性』っていう言葉が出たな」

「えっ?」

「いや、続けてくれ」

「あとリールを止めるのは通常0・75秒で一周するので、目立つ絵柄を基準に心の中で拍を数えて押しました」

「なるほどね……」

ベランダの窓から夜の風が差し込んでくる。少し若葉のにおいが溶け込んだ空気と、室内の煙草の煙が混じり合いこの部屋だけの雰囲気を作り上げているようだった。

光一はセブンスターを灰皿でもみ消し、コンビニで買った缶ビールのプルトップを開けた。

「酒は?」

「あまり……大学のコンパとかでおつきあい程度なら」

「そうか」

光一は飲み口を唇に当てると、のどを潤すためだけのように一口だけビールを噛み締めるように飲んだ。

「お嬢ちゃんは極端だな。ギャンブルに向いていない性格と勝つための素養、負けないための知識と騙される心理を持っている」

「おそらく向いてないんだろうとは思います」

「ああ、向いてない。ただ一つ、根本的な考え方としてまだ救いがある」

キャスは問いかけるように光一の顔を見つめた。光一は普段の生活では関わり合いになることが無い二十歳前後の女性に見つめられ、少し気恥ずかしくなり視線を逸らして自らの勿体付けに答えた。

「お嬢ちゃんは、ギャンブルの負けをギャンブルで取り戻そうとしなかった。俺に一晩買ってもらって何とかしようとした。熱くなるのは駄目なところだが、醒めてからはどうやら冷静らしい」

「冷静?」

「そうだ。金を何とかできたらまたパチスロ打ちたいって思うか?」

「いやです。こんなひどい目に遭うなんて二度ともう……」

「そこが救いなんだよ。『次は勝つかもしれない』という可能性を追わない。負ける奴は『こんなはずじゃないはずだ』ってサラ金で金借りてきてさらに負ける。その繰り返しでどうにもならなくなってドロンかドボンだ」

「ドロン? ドボン?」

「夜逃げか首吊りな。飛び込みは後が面倒だからお進めしない」

「う……」

当たり前のように人生の末路を語る光一に対し、キャスは恐れを抱いて唇を噛み締めていた。

「まあ、だからって身を売るという発想はどうかと思うけどな。友達にでも親にでも借りればいいものを」

「できません! こんなことが両親にバレたら私もう大学に通わせてもらえなくなります」

「俺に抱かれるのはいいの?」

「いえ、その、知らない人と一晩だけの援助交際なら大丈夫かなって」

キャスは体育座りのままうつむいてペットボトルを握りしめた。

「……じゃあ最後に。なんで、俺に声をかけたわけ?」

組んだままの膝からキャスは顔を覗かせた。

「強くて優しそうだったから」

「へっ?」

「たぶんギャンブルに勝っていて、それでも打っている姿とかお店の人と話している様子とか、何だか優しい人なんじゃないかって」

光一は呆気にとられたまま、思わず近くの鏡に映る自分の顔を見てしまった。こんな三十路男で会社勤めもできない男を捕まえて〝優しそう〟だと?

「お邪魔しました……私を買ってだなんて馬鹿なこと持ちかけてすみませんでした。私、お金全部使っちゃってどうかしてたんです」

キャスはソファから立ち上がるとぺこりと頭を下げた。玄関へ向かおうと荷物をまとめ始める。

すると光一はその二の腕を掴むと、出て行こうとするキャスを引き止めた。

「すみません、怒らせちゃいましたよね。すぐ消えるんで許して……ぶたないでください」

「お嬢ちゃん。今日の負け分、俺が買ってやろう。」

光一はしっかりとキャスを掴んで離さず、鼻が触れるぎりぎりまで顔を近づけた。

「えっ、じゃあその…やっぱり私を……?」

腕を掴まれたまま、火照る胸の奥をキャスは感じていた。

「源氏名はキャスな。俺は光一とかコウとか適当に呼べばいい」


◇ ◇ ◇  


「ここでいいのかな……」

翌日。キャスは中華料理屋の前で中に入るのをためらい立ち尽くしていた。

昼前でまだ店は開いていない。手には一枚の紙片が握られていた。

『この紙を持ってガード下の朋来っていう店に行ってこい。タオっていう主人がいるはずだから、そいつにこれを渡すんだ』

「そんなこと言われても、本当に大丈夫なのかな」

キャスは昨晩のことを思い出していた。

『お前、俺と連れ打ちしろ。最初は打ち子扱いで慣れてきたらピンで立ち回ればいい』

そして後から言葉を付け足した。

『お前の体には興味ないが、その頭は使い道がある』

失礼なことを言う男だ。それに、本当のことを言えば私の方がむしろ……。

キャスは手にした紙を見つめた。

書いてあるのは、中国語、らしい。漢字だから何となく読めるものもあるが、頭には〝六合彩〟とある。そして、普通の数字で番号が刻まれている。十六桁の数字で、見る限り登録番号か何かに見える。

『それで相手に何か渡されたら、黙って受け取ってこい』

『それだけ、ですか?』

『ああ……そうだな、もし何か問題が起こったら……』

『起こったら?』

『何も考えずに逃げろ、それで俺を捜すんだ』

そんな無責任な話があるか! と言い返そうとしたが、貧困の窮地に言うことを聞く約束の手前、黙って紙を受け取った。とにかく来月の家賃を用意して、次の仕送りまで何とかしなければならない。

覚悟を決めてキャスは朋来の入り口に向かった。


◇ ◇ ◇  


光一はゴールデン6地下のスロットフロアにいた。休憩スペースに腰掛けている。

「光一さん、行ってきましたよ!」

キャスは対面の席に座り声を掛けた。

「お金もらってきましたよ。……光一さん、聞いてます?」

店内のBGMに筐体からの効果音でけたたましい音量に負けないよう、キャスは声を大きくしてうつむいている光一に呼びかけた。

「ん…ああ。ふああっ……」

あくびを隠そうともせず、椅子の上で大きく伸びをして光一は頭を上げた。

「ふうっ……今、何時?」

「3時半です。あきれた、よくこんなうるさい所で居眠りできますね」

光一は懐のタバコを取り出すと、髪をかきむしりながらライターを探した。

「それより、あの『六合彩』換金してもらいましたよ」

「タオには会えたのか」

「ええ、光一さんの使いと言ったらすぐに話が通って。あの丸々としたお髭の主人、私のこと気に入ってくれたのかジャージャー麺もご馳走してくれて」

嬉しそうにキャスは答えた。

「なんだつまらないな。あそこの主人、人身売買やってる本国系の組織とつながってるって話だったんだけどな。ああ…そうか、さっそく値踏みしてたかな」

「人身売買!?」

笑顔で開いた口がそのままひきつる。

「噂だよ噂。で、何か言ってたか?」

「…そんなところに私一人行かせるなんて!」

「昨日はそれをお望みだったんじゃないのか?」

「意味が違うし、死んじゃったら意味ないし!」

「もしかしたら脂ぎったマフィアのボスの愛人くらいにはなれるかもしれない。ま、よさげだったら紹介料をもらうつもりだったんだけど」

「光一さん!」

「ウソだよ、ウソ。そんなバイオレンス映画みたいな話。たとえそうでも日本で日本人の堅気に華僑が手を出すわけ無いだろ。で、タオは?」

「……『オモシロイ話アッタラ聞カセテ』って」

「オモシロイ、ね」

光一は話しながらずっとさがしていたライターをあきらめ、テーブルに置かれていた紙マッチに手をかけた。

「そうだ、お金渡します。驚いちゃったこんな大金、持ってるの怖いから」

キャスは、鮮やかなスクリブルが描かれた小さいハンドバッグを開けようとした。

「それは持ってろ」

「え?」

「それでとりあえず生活くらいできるだろ。あとは種銭だ」

「いや、だって」

「そんなはした金……それくらいの金に慣れなくちゃ何もできない。持ってろ、それを元に稼いでみろ」

そう言いながら紙マッチの束から1本を裏に折り曲げると、千切らずにそのまま弾き出すように親指で擦って火を灯した。

キャスは開けかけたバッグを閉じると、テーブルに頭をぶつけそうな勢いで頭を下げた。

「おいおい、大げさだな」

「やってみます。私、頑張って稼ぎます! そうしたら、さっそく今日は何を打ちますか?」

キャスは顔を上げると目を輝かせて光一を見つめた。

光一はようやく一服にありつけて至福の紫煙を吐いた。

「そうしたら明日から1週間、〝見〟だ」

「〝見〟って、見学ですが?」

「そう、打っちゃダメ」

「それじゃお金増えないじゃないですか!」

「だが減りもしない。パチ屋に来たら打たなければならない、って決まりはどこにも無い」

「でも……光一さんが選んだ台で私も打った方がきっと」

「打ち子になりたいなら、ネットで怪しい会社でも探せばいい。まずはお勉強だ、明日から始めるが朝から来れるか?」

「試験も終わってるから時間ならあります」

「じゃあ明日朝、この店の並びで落ち合おう。あそこで明日の優先入場権もらっときな」

そう言うと光一は景品カウンターの方向を指差した。


◇ ◇ ◇  


光一が部屋に戻ったのは、まだ陽の落ちていない夕暮れ時だった。

こんな早い時間に家路につくことは滅多に無い。

玄関に鍵が掛かっていないことで、ある程度察しが付いた。

扉を開けると、見慣れたシルバーのチェインがあしらわれた赤いミュールが散らかっていた。その散らかったミュールを拾って揃えるのも、また自分だけの見慣れた風景だ。

ただいま、は言わない。もし誰もいなかったら寂しいから。誰かいたら返事を強要するみたいで嫌だから。ある日、一方的に決められたルールだった。

キッチンを素通りし、カーペットの敷かれた居間へ。無機質だった空間にいつの間にか一つ一つ家具が増えていった。きっとそのセンスは悪くは無いのだろう。あるがままに任せて、不愉快なことは一度も無かった。

そして、そのコーディネーターはベランダに立っていた。

物音に気付いていないわけもないが、平屋建ての街並みの向こう、飛行灯が点き始めた高層ビルを春音は眺めていた。

「早いじゃない。生活費稼ぐんじゃなかったの?」

光一は無言でタバコと鍵をテーブルに置くと、そのままベランダに向かった。

近づくとメンソールの香りが漂う。そして春音の匂いも。

「夕ご飯、用意してないわよ。食べるなら外……」

「ごめん」

「………」

背中を覆うように抱きしめてきた光一の腕に、春音はそのまま自らの手を重ねた。

「ごめん」

「許さない」

「ごめん」

「許さないんだから」

二人の間にパーラメントの煙が入る。階下には子供たちがはしゃぐ声。買い物帰りの主婦。ただゆったりと夕暮れを迎えた街は、二人の存在を許しているのか、二人に無関心なだけなのか。

何かを口にした瞬間、壊れてしまうのでは。

壊れるのを望みながら、今がいとおしくて、いとおしくて。

「分からないんだ。俺、自分のやりたいことがいっぱいあって、春香さん好きだし大事だし。パチスロも好きだし、これで食って生きたいし」

「正直だよね」

「俺にはそれしか」

「だから好きよ。嘘をつかない光一が。だから嫌い、嘘で気持ち良くさせてくれない」

「……」

「嘘でもいいから『俺が食わせるから好きなことやれよ』とか、『君に相応しい仕事は他にもある』とか言ってよ」

春香は光一の手の甲の皮を優しくつねった。

「できないよ、嘘はつけない」

「じゃあ、せめて今だけでも私を気持ちよくさせて」

春香は重ねられた手に指を滑らせ、光一の手を握った。指一つ一つがしっとりと汗ばみ熱を帯びていた。春香の胸が光一の背中に当たる。その膨らみはいつでも心地よく、光一を包みこむ温もりがあった。背後の春香の左胸から伝わる鼓動が、自分の心臓に響き、共鳴する。

ドクッ、ドクン。

ドク、ドクン。

微妙にずれ、わずかに重なる。

そして、鼓動は早まる。

ドク、ドク、

ドク、ドクッ、

ドク、ドク、

ドクッ、ドクン。

春香の吐息が首筋にかかる。

ドクドク、

ドクッドク、

ドクッドク、

ドク、ドク。

指に力がこもる。

背後の春香が足を絡める。

光一は応え、重なる腕を自分に引き寄せる。

二人の鼓動が近づく。

ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、

ドクン。

春香のしなやかな体躯がこわばり、光一の熱を帯びた四肢を絞めつけた。


◇ ◇ ◇  


翌朝、キャスは開店30分前にゴールデン6に到着した。あの後、何時集合とも言われていないことに気付き、そして携帯番号も教えてもらっていなかった。

だから昨日よりは早くやってきたのだが、状況は激変していた。4~5人しか並んでいなかったのとは一転、ざっと見て50人くらいはすでに列を成している。

キャスは列の最後尾に着き、光一を見つけようと列の前方を伺った。いる。前から3人目に立ち、片手にスポーツ新聞、片手に缶コーヒーを持って大あくびをしていた。

必死に視線を向けて、こちらを気付かせようとする。すると、光一の後ろに並んでいた中年男性と目が合い、ニヤリとされてあわてて目を背けた。

「もう、どうすればいいのよ」

列の順番を死守するか、声を掛けに行くか悩んでいると、光一が呆気なく列から抜け出して近づいてきた。

「遅かったな」

「……すみません」

「朝っぱらから拗ねてどうすんだよ。大丈夫だよ、台取りしてもらうわけじゃないんだから」

光一はまだ眠そうでよく見ると寝癖も残っている。

「いつから並んでたんですか?」

「最近はこまめにチェックして店を渡り歩く若者が多くてね。しかもしっかりと並びに来る。今日は念のため6時に一度様子見に来て、大丈夫だったから飯食って並び始めたよ」

「そんな早く!?」

「別に仕事なんだからそんなもんだろ」

「はー。何か普通に働いてた方が楽かも……」

「そんなの当たり前だろ。詳しいことはあとで話すから、入ったら『バイオハザード』っていう台を眺めててくれ」

「バイオハザード、ってゲームの?」

「らしいな。ゲームの方は知らないが、それのパチスロ版が今日新台導入なんだよ」

光一は行列の様子を改めて眺める。

「……ふだん見ねえ奴らばっかりだ。しかもノリ打ちグループっぽい。イヤんなっちゃうよなー、こういうことされると店だって方針変えちまう」

「ノリ打ち?」

キャスは光一がそれとなく目線を向けた若者のグループを見つめた。

「!」

キャスは息を飲んで目を背けると、キャスケットを目深に被り直した。

「どした?」

「いや、その、顔を合わせたくない知り合いが……」

光一は目を細めて片唇を上げると、頭をボリボリと掻いてからスポーツ新聞を前に広げた。

「見えない、って見られちゃまずいけど」

「どいつか教えろよ……うぉあた!」

小声でそう呟くと、光一はスポーツ新聞に指で穴を二つ空けた。

「きゃっ」

キャスは頭を抱え込まれて思わず声を上げる。

「けっこう、かわいい声出すのな」

「エロ親父っ」

「いっ痛ぅ!」

キャスは光一の足を踏みつけると、目の前に空いている穴から若者のグループを見つめた。

「ベースボールキャップを逆にかぶったデブと、鎖を垂らしたパンクっぽいのと、あの眼鏡かけたすらっとした男。知り合いはこの3人」

「ふーん。あいつら俺の後ろで7人くらいで群れてたな」

「やっぱ、そうなのか……」

知っている顔以外にもグループが形成されていることに、キャスは心当たりがあるようだった。キャスケットをさらに目深にかぶって執拗に周囲をキョロキョロしている。

「非常に興味深いね」

光一は穴から前方を覗きながら、したり顔でつぶやいた。

「是非あとでお話聞かせてもらえるかな?」

「いいですよ……少し驚いただけです。むしろ、ヤル気が出てきました」

「ほー。それじゃ面が割れない程度でいいから新台の観察頼むな。疲れたら休憩スペースでも外でも休んでいて構わない」

「はい、頑張ります!」

光一とキャスはお互いにスポーツ新聞の両端を持ったまま、陰でうなずき合った。


9時ごろ、店員がまだ電気の入っていない自動ドアを開けて外に出てきた。光一も顔を知っている渡辺だった。並びの様子を見て一度店内に戻ると、先頭位置を示す看板を置いて列の整理を始めた。

「優先入場券をお持ちのお客様はこちら壁際に二列でお願いします。優先入場券をお持ちでないお客様は、9時30分までお店正面で一般入場券をお配りしてます。一般入場券をお持ちのお客様はこちら右側に二列でお並びください」

相変わらず手際よく、並ぶ人間の神経を刺激しないように柔らかい物腰で案内を繰り返す。同じ案内を何度もあえて口にして、客に「質問する」という手間を省かせて、信頼感を植えつけていく。

一通り列整理を終えると、渡辺は入口に近い列の先頭側に戻ってきた。光一の方をチラッと見やるが、それだけで口は開かない。光一も声を掛けることは無い。店員と客、お互いに仁義は心得ている。つるんでいるわけではない、殺気立った並び客が耳を澄ましている場所では目立たないに越したことはない。

ただ、渡辺の目の下にうっすらと隈が見えた。どこかしら普段とは違う疲労の色がうかがえる。

(徹夜で設置して、そこそこ回したか? 山佐はリセット癖が少なかったと思うけど……)

光一は考えられる限りの状況を想定した。台によっては導入直後の初期状態だと特有の挙動をすることがある。そうでなくてもリセット後や電源OFF後などにARTの高確率状態からスタートすることもある。他にもリールの挙動などメーカーによって癖があるのは事実だ。

思いを巡らせていると時間が過ぎるのは早かった。

開店時間が迫るに連れて列はふくらみ、前に詰めるように案内された客達の肩と肩が触れる距離になる。誰しもが俯きがちに、その時を待つ。キャスが言っていた若者グループも、前情報を話していたのが寡黙になっていた。ビジネス街で出勤していく堅気たちが、不気味そうに眺めつつ視線を合わせないようにして通り過ぎていく。確かに不思議な光景だ。健全な日常生活の街並みと鉄火場が、境界線も無く街に同居している。ガラス1枚で、人間の欲望ON/OFFを仕切ってるのだから大したものだ。

本当に腐った国だ。さしずめ自分は腐った側のマジョリティか。

自己嫌悪とも自己満足とも取れる妄想は、渡辺の声と共に断ち切られた。

「おはようございます。優先入場の方から走らず順にお進みください」


戦闘、開始。


入口。

左手にチケットを受け取る係員。

手を出せば向こうから受け取る。絶対的0・5秒カット。

前の男はパチンコの常連なので、三歩先で左に曲がる。

歩きながら進路を右に寄せて後ろの客達の追い越しを防ぐ。相対的1秒カット。

スロットは右に曲がって地下フロアへ。インベタで早足、気持ち的に2秒カット。

階段をリズミカルに降り、走ってるのではなくウキウキしてると思わせて店員の注意を避ける。精神的に1秒カット。ただし、その自己解釈に恥ずかしさ増量。

ここからはホールを固定して打つジグマの強み。ずばり、台はどこか。

読みは一点、決まっている。昨晩午前0時ごろ、店の近くで張り込み「戦国無双」が搬出されているのを見届けた。

階段を降り終わって躊躇無く直進。相対的1秒カット。このための下見、2時間半。

歩きながら左右を視認。台配置変わらず。一島目通過中、二島目に注視。

二島目、戦国無双があった場所、台配置が変わっている。しかし、バイオ無し。

昨日まで壁沿いに設置されていた主力機種が押し出されている。

「読めた……そりゃあ渡辺、疲れてるわけだ」

二島目を通過、そのまま進むと突き当たって右に曲がる。後方に気配なし、もはやライバルはいない。

躊躇わず右に曲がると同時に、胸ポケットから携帯を取り出す。

視野に入ったのは、壁沿いで向こうの角から真ん中までに設置されたバイオの島。

さすがに壁沿いすべて16台導入は無かった。8台、おそらく設定5と4が1台ずつ、残りは低設定。

「カド……3か」

台の設置された島端を〝カド〟と呼ぶ。端の台をカド台、2番目からカド2、カド3。カド2かカド3、一瞬迷った。店の傾向的にはカド2が若干強い。6台なら迷わずカド2だった。

8台で中に高設定を寄せてくる可能性、そして新台ゆえに周囲の気配をできる限り察知したい。ここまでの思考、約2秒。

壁沿いの入口から真ん中やや向こう側、バイオが始まって3台目の下皿に携帯電話を置くと、光一はゆっくり椅子に腰掛けた。

入店からおよそ15秒。後ろから他の客がバイオの島に駆けつけたのは、それから10秒ほど後だった。


戦闘、終了。


やるべき事はやったとばかりに、光一は1000円分のコインをすぐに借りて下皿に流すと席を立った。瞬く間にバイオの島は全席埋まり、あぶれた客は物欲しそうな顔で他の台に向かったり、そのまま背後で空き待ちを始めていた。

そして光一も全台を見渡せる位置に立ち、最初の数ゲームの挙動を観察した。その少し斜め後ろには、ようやく入店できたキャスも立っている。

目立った動きは……無い。開始5分で半分以上の台が騒ぎ出す、という現象は起こらなかった。1台だけ、何かしらの契機役からさっそくボーナスがかかったくらいだ。

光一はキャスに目配せをして通り過ぎる。キャスは俯き加減で小さく頷き、台を探している仕草を見せながらバイオの島の背後に立った。

光一はいつもの缶コーヒーを買ってくると自席に座った。

(さて、久しぶりのガチンコ新台勝負。がんばりまっしょ!)

指を鳴らし、眼前のリール配置を確認すると光一は下皿のコインを握りしめた。


◇ ◇ ◇  


「なあ、場所変えないか……そこら辺の公園とかベンチとか」

隣りでは二人の子供を連れた主婦が気怠そうに携帯電話の液晶画面を見つめている。子供たちは携帯ゲーム機に興じ、引っ切り無しに嬌声を上げて耳が痛い。仲間にできるモンスターを集めて対戦するゲームらしく、兄弟で戦うその真剣な姿は一見微笑ましくもあるが、それがゲームであることに複雑さを感じなくも無い。

反対側では、会社ならば昼休みをとうに過ぎた時刻だというのにスーツ姿の推定50代のくたびれた男が座っている。百円のコーヒーだけを置き、ただ無言でテーブルを見つめている。数十秒おきにため息をつき、体をときおり震わせている。放っておいてよいのだろうか、このまま片道切符でどこか旅立ってしまうのではないか、と他人事ながら心中穏やかではない。

「お昼のマクドはこんなものですよ。フィレオフィッシュでしたよね、お肉駄目なんですか?」

トレイに置かれた2人分のハンバーガーやポテトを、キャスは置き換えていく。

「ちょっとこういう所のだと。白身魚のフライくらいなら差は無いだろう……って、お前、それ食うのか!?」

キャスは嬉しそうに紙箱からダブルクォーターパウンダー・チーズを取り出した。

「そうですよ、今日は頭も体も使ってるからチーズ付きにしましたけど」

「その……太らないのか?」

「私は気にしませんけど、女性にその聞き方はあんまりですよ」

と言いつつ、キャスは箱の中でこぼれていたレタスを一通りつまんだ後に両手でダブルクォーターパウンダー・チーズを鷲掴みにした。

「ん……んあ」

開く、人体の限界に挑戦するかのごとく開く口。頬をプルプルと震わせ、肉と肉と肉で構成された頂に記念すべき第一噛みを刻んでいった。

キャスケットを被った小さくて初心な女子大生くらいにしか思っていなかったが、自分のつたない女性観の貧しさを感じる光一だった。

現在、午後1時半。台は確保したまま休憩札を取り、昼食を取りながら落ち着いて話せる場所を探した。光一は普段ならば昼食は取らないか、一人で落ち着ける喫茶店を選ぶ。二人なのでどうしようかと光一が戸惑っていたところ、キャスの提案で結局マクドナルドになった。キャス曰く〝対カロリー費用効果が高い〟らしい。ダイエット中の女子高生が聞いたらドン引きしそうな言葉だったが、今現実を目の前にして納得せざるを得なかった。

「それより、首尾は……モグモグ……いかがでしたか?」

「うーん。分からない、と言うのが正直なとこかな」

「台の仕組みですか?」

「いや、それは事前に調べてたし、どうってことはないんだ。ただ、周りと比べても設定差を感じることができない。ボーナス確率に差があることは分かってるんだが、それが最大機械割119%につながっているようには思えない。ボーナス終了後で台枠が光っている間、どうやらビッグ後が50ゲーム、レギュラー後が30ゲームの間に角チェリーか中段チェリーを引くと、前兆後にARTに入ることがあるようだね」

「あの『ガシャーン!』 って鳴って『バイオハザード』って怖い声で始まるのですね」

「ああ。なんかもう、キシャーって突然光ったり、扉から突然怪物が現れたり、最初はケツが浮いたよ。慣れれば、そっちの方がむしろチャンスと分かったけど」

「0・1・5・2・0・1・0・3」

「なんだ、それは?」

「向こうの端から順にガシャーンって言った回数です。光一さんは1回」

「ART回数か……確かに、そこで差がつきそうだな。偉いな、キャス」

「マックフルーリおごってくれます?」

「かまわないが、太らないのか?」

「私は気にしませんけど」

キャスはそう言いつつ、もうすぐ食べ終わってしまうダブルクォーターパウンダー・チーズだったパンと肉片の塊を名残惜しそうに口に放り込んだ。

「5回ARTに当たって台は、7が4つ揃った後にやたらリプレイが連続していました。その最中にボーナスが当たって、ボーナス後10……13ゲーム後だったかな、ガシャーンでした。それからART終わってもまたしばらくしてガシャーン」

「7揃いはRT突入で、その間はART当選高確率らしい。果たして7揃いに設定差はあるか。俺のはビッグ中のボーナス絵柄揃いで単発だったな。見えないな……」

「島中側の端の台はレギュラーボーナス中にガシャーンで、画面が切り替わってましたよ」

「ボーナス絵柄揃いでか?」

「いえ、確か普通に9枚役でした」

「んー、レギュラーはまだ引いてないから分からないな。ここまではビッグのヒキ強だけでほぼトントンだが……あからさまな吹き方をしない限り、撤収した方がいいかもな」

「やめちゃうんですか?」

「まあ、初日だしもう少し挙動は確かめたいけどな。ネットや雑誌で解析が出回る前の数日間、今の時代にキズはまず有り得ないが、実際に確かめることで有利な情報を掴めることはある」

「なるほど。私、少し光一さんを少し勘違いしてました」

「なんだそりゃ?」

「光一さんはバイオリズムとか波長とか読めて、ギャンブルの勘が鋭いオカルト系の人だと思ってました。でも、意外に理性的で、まめで、努力を惜しまないんですね」

「ほめられてるんだか、馬鹿にされてるんだか……。まあ、天運地運は気にしているかな」

「天の運と地の運?」

「天から授かる文字通りの運と、自分の力で引き寄せる地力の運、かな。これもオカルトと言えばオカルトだが。幸運を活かせない日もある。努力が報われない日もある。たとえ機械が相手の完全確率抽選だとしても、そのくじを引くのは人間だ。世の中は不公平だが、そう言った運気の流れは不安定なだけで総合的には公平に分配されている、と俺は信じてるよ」

「何だか、説得力はあるのですが話そのものが胡散臭いですね。それと、さっき『キズ』って言ってましたけど」

「ああ、それは運も何も関係ない。要は不良品、台の設計ミスやコンピューターのバグと言うやつで、それを利用してもれなくプラスにできてしまう、まさに『攻略法』だよ。今じゃすっかり鳴りを潜めたがな」

「そんなのあったんですか?」

「三日間で百万」

「百万!?」

「いい時代だったよ。情報が出回るのもネットが無くて時間がかかる時代だったからな。物理的な回路の接触不良で、レバーをゆっくり倒すことで前回の成立フラグを繰り返すことができる台があった。しかもそれは製造ロットの関係で同じメーカーの他の台にも通用し、台の特徴によってはそれを使えば一気にART大連チャンってのもあった」

「よくそんなの気付きましたね」

「俺が見つけたわけじゃない。たまたま香ばしいプロっぽいのがいて、そいつを観察してたら何となく分かった。すぐに噂話も流れてきたしな」

「何だか、闇社会の恐ろしさを感じます……」

「最近はメーカーも企業としてしっかりチェックしているようで、そんな話も無いけどな。言えることは、それでも相手は機械に過ぎなくて、しかも機械を設計しているのは人間ってことだ。マシンだコンピュータだと言っても、しょせんは人間が当てるくじ引きなんだよ。ただ、ちょっとでも当たりやすくなる努力はしておく、というのに過ぎない。ところで……例の若者グループの話だが」

話に夢中になっていたキャスは突然ふられた話題に一瞬だけ躊躇したが、すぐに笑顔で切り返した。

「マックフルーリ、買ってきていいですか?」


◇ ◇ ◇  


(ミステリアス、というか表情と内面が一致してないタイプなんだよな)

リールは4つ。山佐が得意とする「4th」リールというやつだが、このバイオでは3+1ではなく、文字通り4つのリールが連なっている。演出用ではなく、役を構成するためのリール。前作のキン肉マンでもその気配はあったが、このバイオではいよいよ明白になっている。ゲームを淡々とこなしていく限りは、ハズレかリプレイか9枚役か。レバーオンと共に何かしらの演出が起こると、特殊リプレイかチェリーの可能性がある。そう、いたってパチスロにありがちな普通の挙動だ。

そして、そう言った打ち手の意識や常識を逆手に取って、時には後から演出が発生することも無くはない。第1~4ボタン停止のタイミングで何かが起こり、そのレア性ゆえに期待を持たせることもある。だが、それもパチスロがレバーオン時にフラグを確定させている以上、「決まっていることをどう見せるか」という演出に過ぎないのだ。この事実を意識できるかどうかで、パチスロもパチンコも見え方がガラリと、今まで楽しんでいたものがすべて幻想だったと絶望するほどに変わってしまう。

(来た)

コインを入れ、レバーオン。液晶画面に変化はない。そして第1ボタンをおした瞬間、突然スリルを感じさせる音と共に、画面がいくつものモニターを設置した司令室のようなシーンに変わった。第1リールでは角にチェリー、真ん中に7が止まっている。

(「今」決まったことじゃないか?)

順に第2、第3ボタンを押すと、その度に同じような音とシーン切り替えが起こった。そして、第4ボタン。7が……止まった。台枠が光り、画面には司令室の椅子に座る男が映し出された。

(これがウェスカーモード……ART高確のRT。この成立も第4で確定したとしか思えない。押し順と押し位置、サブ基盤側のコントロールか? となると、レバーオン時の成立フラグとは関連しない押し順チャンス的な……いや、それじゃ毎ゲームがチャンスになっちまう。角チェリー成立時に限り押し順チャンスが発生して、7が4つ揃えばいいのか)

7が4つ揃ったのは今日初めてだった。午前中に2回、角にチェリーが止まって同様の演出が起きたが、4つめの7は揃わなかった。その場合は前兆演出らしきものがしばらく続き、結局ボーナスもARTも起こらなかった。いわゆるガセ演出だ。

(そうなると、角チェリーという考えは捨てた方がいいな。こいつは1ライン機なのだから、単純に7が揃うかどうかだけだ。1ライン機だが他に見える箇所の配置を意識させる、親切でもあり上手い誤魔化し方でもあるな)

分析しようとする思考に頭が支配され、肝心のゲーム進行にはまるで心を留めていなかった。気がつけば、ほとんどがリプレイで9枚役がときおり成立し、コインは微増している。残りゲーム数は20ゲームほどだった。

(待てよ…。ビッグ中のボーナス絵柄揃いで入ったART、あれは最初ATだったよな。それにナビが入ってARTになった。つまり、7揃いは状態に関係なく50ゲームのRTということにすぎない。

「はーん」

光一は独り言を口にしてウェスカモードを消化していった。

(ちょっとだけ君のことが理解できた気がするよ…ん?)

液晶画面に変化があり、リールには7が3つ揃っていた。その瞬間、左隣の客がピクッと反応する。

(ふーん、よく見ていらっしゃる。やっぱ最近の若者は目ざといね)

光一の左に座る客、痩せて眼鏡をかけた男。朝、キャスが顔見知りと言っていた男だ。隣りから様子をうかがっている限り、一連の動作や、台の演出やリール停止に反応するポイントなど、打ちなれた様子である。感情的な表情も見せず、おそらく現時点でマイナスであろう収支にも躊躇すること無く、千円札をサンドに放り込んでいる。そして、ことあるごとにこの眼鏡のもとに他の若者たちが声をかけてきた。グループのうち4人がバイオに座れたらしい。半分を占拠して、仮に今日が二台高設定を入れているとしたら、ノリ打ちならまず勝てるだろう。しょっちゅう自分の左側で会話を交わされるのは集中できず嫌な面もあるが、今日のような状態なら情報収集にありがたく活用させていただく。ただ、話しかけてくる輩は「あれが起こった」「これを引いた」「こんな演出が出た」と自慢げに話す役に立たないものばかりだった。それに対して眼鏡は収支だけを聞いて後は適当に相槌を打っているだけだった。

(こいつがさしずめボスってところか。さて、どうにも運任せというか展開に身を流しているばかりだが……)

先程の7の3つ揃い以降、液晶画面は多少騒がしくなっている。50ゲームが終わり、敵との対戦シーンに移った。おそらくこれに勝てばART当選なのだろう、とレバーを叩く。

「!」

自分より先に眼鏡が反応した。しかも今度は隠そうともせずにこちらを見ている。同様に右隣の客もガン見してきていた。ホールでためらうこと無く、他の人間の台を凝視するシチュエーション。それは見る人間が迷惑を顧みない恥知らずなだけか、見ることが悪いとも思えないプレミアなシーンか。

(うん、ゲームの方は知らないけど俺にも分かる。小冊子に載ってたよ、タイラントって奴だよな。これに勝つと「プレミアバイオハザード」とかになるんだよな。まあ見たくなるよな。いいよ、ゆっくり回すから見ていきなよ)

光一はふだんの打ち方からスピードを緩め、ベッド、レバーオン、ボタンと液晶画面の演出が行きついてから順に動作を進めていった。通りすがりの客もタイラントに気づいたのか、背後でこちらを見つめている。

(柄じゃないんだよ、こういう見せ場って言うか、でかいの一発当てるっていうのは)

主人公のクリスという男が、バリーという仲間の助太刀を受けてタイラントという化物に銃撃を浴びせる。

倒れず、次ゲームに続く。次も同じ演出。連続する演出は、より派手に有利に発展していかないと失敗してしまうことが多い。日本人特有の、期待したい、でも失敗するとショックが大きい、だからダメっぽそうなら期待しない、という「負けの覚悟」を満たさせてストレスを軽減する、演出手法の一つだ。またもや二人がかりの銃撃にタイラントは倒れず、次ゲームに続く。今度はタイラントの攻撃。首根っこ捕まれて鋭利な槍のような手で串刺しにされる。お子様には見せられないグロいシーンだが、ホールにお子様は出入りしない。フラフラと倒れる主人公……、が堪えた。次ゲームに続く。

(これは……)

今度は主人公側の攻撃になる。

(連続演出は4ゲームくらいがお約束だろ)

助太刀に先程までの男ではなく、レベッカという少女が現れた。

(演出、上がった)

二人の銃撃は先程より派手になっている。

(こりゃあ、キちゃったろ)

ここまで来て、平静を装っている光一も自分の鼓動が高まっているのが分かった。第4ボタンを押す手が少し震える。ここまでの流れが前兆演出の結果で、1ゲームごとの成立フラグの結果でないことは分かっている。結果自体は少し前に内部で決まっているはずだが、今は演出にしか頼る術はない。第4リールを止めると、タイラントを2発の銃弾が貫く。ここまでは先ほどと同じ。ダメージに巨体は傾き、勿体つけるようにフラフラと揺れる。タイラントのアップが映り、その体躯は地面に……崩れ落ちた。

「おお」

小さいが周囲から感嘆の声が漏れた。その中には女性、キャスの声も混ざっていた。気になって見える範囲にまで近づいていたようだ。

(うわー、当たっちゃったよ。やったねパパ、明日もホームランだ……)

達成感と脱力感を覚えながら、心中で大昔のCMのキャッチフレーズを棒読みする光一だった。右隣りの客は、恨めしそうな表情で自分の台を再び打ち始めた。そして左の眼鏡は、見届けると席をすっと立ち上がった。隣りでバカ当たりされて、気分の良いギャンブラーはまずいない。自分以外の誰かがプラスになった瞬間、自分がマイナスになる可能性が高まる。ましてや同じ店で同じ新台を打ち、それがすぐ隣りだったなら冷静でいられるはずもない。光一はさして気にすることも無く、これから始まるARTに意識を向けようとしたところだった。

「あっ」

キャスの声が聞こえた。

その刹那、何が起こったかすぐに分かった。だからこそ、光一は一瞬レバーを倒す手こそ止まってしまったが、すぐに打つ手を動かして背後を見ようとはしなかった。

キャスは席を立った眼鏡の男の正面に立ったまま動かないでいる。眼鏡の男はキャスをしばらく見つめてから何かを呟くと、外へ目配せしてみせた。キャスは黙ってうなずき、二人は揃って階段へと向かっていく。

光一はその一部始終を、席を立つことも顔を向けることも無く見ていた。リールを覆うガラスの反射越しに。そしてキャスをひたすら見つめ続けた。キャスは、気付いた。そして確かにガラスに写る光一の視線を感じてから、眼鏡と共に去っていった。

(拉致、って訳でも無いよな……。こりゃあ立ち入るには事情が分からなさすぎる)

「コウさん、何だかエライの引いたみたいですね」

複雑な顔をしてARTを消化している光一に話しかけてきたのは、店員の渡辺だった。光一の左隣、眼鏡が先程まで座っていた席が無人になったので様子を見に来たのだ。新台は誰もが打ちたがるから、当然稼働も上がりやすい。休憩札も無しに席を長時間空けるようだったら、すぐに店側は空き台整理としてコインや荷物を預かってしまい、他の客に席を開放する。

「うん、まあ。また人生に残された限りある運をスロに使っちまったみたいだ。……ところで、ちょっと頼まれてくれない?」

右隣の客が自分と渡辺の会話を聞いているのに気付いた光一は、渡辺の耳元に口を近づけた。光一が話し終えると、渡辺は「かしこまりました」と答え、すぐにコインを入れるプラスチックの空き箱を持ってきて頭上の棚に置いた。

(相変わらず小粋なフェイント入れるよなー)

右隣りの客は、何てことの無いそのやり取りを見届けると自分の台に顔を戻した。

渡辺は光一に軽く会釈をすると、階段の方へと向き直りきびきびとした歩調で歩いていった。


(設定3へつづく)

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