スロキチ
じく
-設定1-
平日。午前九時三十分。通勤客達と共にビジネス街と歓楽街が同居する新橋駅の改札を抜けると、光一の目に初夏の日差しが強烈に差し込んできた。やましい身の上にも、朝に弱い性分にも眩しすぎて、空を見上げては思わず顔をしかめる。
腕時計で時間を確かめ、光一は視線を人の流れとは逆の方向に傾けた。その先には大型電気量販店や飲食店などの歓楽街が見えるだけで、光一とその同類以外にとって取り立てて珍しい風景ではない。
「早すぎたか、な」
光一は歩みを止めると、ガラス張りで2フロアになっている駅に隣接したコーヒーショップに光一は足を向けた。
「カフェモカでよろしかったですか? お待たせしました」
どこのアンドロイドが話す日本語だ? と思いつつ、光一は生真面目そうな黒髪のウェイトレスがカウンター越しに差し出した甘い香り漂うカップを手に、二階への階段を上がった。
平日の午前中。都心のコーヒーショップで時を過ごす人間は……多い。学生、サラリーマン、主婦、老人。なぜここにいるのか十人十色のを都合を考えるのも嫌になるほどだ。
ただ、一つだけすぐに分ることがある。同業者はすぐに見抜ける。匂いというか、外見、立ち振る舞い、眼光、意識せずとも分ってしまう。賭けてもいい、窓際でスポーツ新聞を広げながら呆けているあの中年男性、茶髪のストリートファッションで足を投げ出しながら携帯電話の液晶画面を鋭く見つめる若者。あと若干異業種だが、やたら周囲とフロアの時計を気にしながら机の上においた一枚の紙を読んでいる主婦。
光一は新品のセブンスターの封を開けると、トントンと紙箱を叩いて慣れた手つきで一本を口にくわえた。一日で一箱は消えてなくなる。百円ライターで火を灯すたびに春音の小言が脳裏に浮かぶ。一切言い訳できない完全な正論に返す言葉もないので、ただ黙って煙を吸う。だってしょうがないじゃない、俺を俺として成り立たせている一部なのだから。そして、また春音があきれた顔で光一を見つめる。そんな日々の繰り返しだった。
窓際から誰かが席を立つ音で思いが途切れる。続くように腰から下げたチェーンの絡み合う物音が奥から。そして光一の横を強烈に化粧の匂いをさせた主婦が慌しく通り過ぎていった。午前九時四十五分。光一はまだ残っていたカフェモカを一気に飲み干し、その甘さを噛みしめながら席を立った。
「さて、お仕事お仕事」
同じ街のわずかな区画の違いだけなのに、気だるいもやががったような空気があたりに漂っているように感じる。そんな中に場違いなエレベーターガールのような制服を着た女性が立つ、きらびやかな建物の入口に向かって光一は真っ直ぐに歩いていく。そして目前まで近づくと、光一より先に女性が口を開いた。
「どちらですか?」
「スロットね」
「どうぞ、頑張ってください」
完璧な笑顔と共に一枚の紙を手渡された。相手が浮浪者でもイケメンIT成金社長でも石でもダイヤモンドでも変わらないであろう営業スマイル。それでも悲しいかな受け取った男の心は上を向く。
「あんがとね」
光一は紙を受け取ると入口には向かわず、建物の脇へと向かった。その建物は二階と地下一階を合わせた3フロアで、頭上にはきつすぎる蛍光色で書かれたゴシック体の看板がそびえ立っていた。
『ゴールデン6 全日出血営業、地域独走ナンバー1宣言!』
角を曲がると列は十人ほど。コーヒーショップで見かけた若者が二つ前に並んでいる。十分前に来てこの人数。四号機時代ならこの時点でアウト、店選びをすでに間違えていることになる。しかし、今は空前のパチスロ不況五号機時代。こんなものだ。
「もう昨日の冬ソナ何なのよ! 山田さんの台だけ20回以上回ってたじゃない。あれ、前の日に私が打ってた台なのよ。グランドじゃ15箱出した客もいるって言うし、ちょっと絞めすぎじゃないの?」
「お客様……」
「昨日出たのが138番台と山田さんの141番台でしょ。そうしたら、今日は144番台でしょ。きっとそうなんでしょ、教えなさいよ!」
「私にはそのようなことは……」
パチンコ側の行列から店員に絡む女性の声が聞こえる。良く見てみれば、案の定あの化粧のきつい主婦だった。店員も言ってやればいい、日本全国のパチ屋に144番台なんてまず存在しませんよ、と。
そんな喧騒を横に、堅気の人間は見て見ぬ振りして二度見して、深夜の駅で吐き捨てられた汚物のように距離を置いて通り過ぎていく。彼らが陽で自分が陰だとしたら、何とバランスの取れた不平等な社会だろうか。世の中は不平等に満ちている。だから、面白い。
光一は先ほど入口に立っていた女性店員から受け取った紙を広げた。パチスロ全台過去三日間のビッグボーナス回数が印刷されているが、これは実のところその日の朝見ても具体的な台選びにはほとんど参考にならない。たとえ高設定を入れていても、稼動が低ければビッグ回数も必然的に低くなる。情報として利用価値があるならば、店自体の出し具合、または島や機種単位で店側が力を入れているかどうかを知る大きな流れだ。なので、軽く流し見ると光一はすぐにその紙をジーパンの前ポケットにしまいこんだ。
あと五分ほど。そろそろ客を先に店の中に入れる時間だ。入る順番が変わるわけでもないのに、並んでいる人間は少しずつ前に詰め始める。結果的に光一は列の最後尾のままだったが、そんなに気にしていなかった。この人数で今の機種状況なら競争相手はいないに等しい。獣王のチカチカ点灯を朝一で取れるかで全てが決まったあの時代とは違うのだ。もちろん最初に打つ台を決めてはあるが。
と、間もなく入場かという頃に、一人列に加わってきた。光一の真後ろに立つと、息を切りながら少し身を横に乗り出して列の先を確かめる。何気ないそぶりを装って後ろを振り返ると、ベレー帽を被ったショートヘアの若い女性だった。顔をはっきり見ることはできなかったが、吐息から若そうに感じる。二十代前半だろうか。この行列に並ぶにはやや不似合いにも思えたが、それ以上のことを感じる必要が光一には無かった。
「入場を開始します。入場整理券をご提示の上、走らずにゆっくりと一人ずつご入場ください」
やたら通る店員の声が朝の街に響く。光一は尻ポケットから財布を出すと、細長い紙を取り出した。この店が前日に配布している翌朝の優先入場券だ。前日の夜に下見を済ませている光一は当たり前のように手に入れていた。
列が少しずつ前に進んでいく。すると、光一は自分の後ろに並ぶ女性の不自然な動きに気付いた。節目がちに周囲をきょろきょろ見回している。そして、気付かれない振りをして光一が手に持つ券を覗き見ていた。列は進み、もうすぐ入店できる。光一はしばし考えながらゆっくりと前を詰めていった。
(そうね、そんなもんだよな )
光一は心の声にうなずくと後ろを振り向いて券を差し出した。見ず知らずの男に振り向かれ、ベレー帽の女性はびくっと体を震わせて後ずさりした。嫌われたものである。
「ねえちゃん、これ使いな」
女性は光一の顔をしばし見つめるとおそるおそる手を出した。その時、初めて光一は顔を見ることができた。思ったより若い、というか幼い。下手すれば十代かもしれない。
女性は券を受け取ると押し黙ったまま頭を軽く下げて、光一を追い越して入口に向かった。その早足で去る後ろ姿は、光一にはどこか懐かしく眩しかった。
「コウさん、いいんですか?」
入口で整理券を受け取っていた男性店員が光一に声をかけた。
「可愛いなあ、いいなあ、若いって」
「前から回ってくださいよ、コウさんでも入れませんからね」
「あの前向きに生き急いでいるのが何とも……」
「コウさん? 一般入場は正面ですからね」
男性店員はあきれた様子だった。光一はうなずいて踵を返した。
「……ロリコン?」
そう囁いた男性店員の声を光一は聞き逃さなかった。
「ばーか、マス掻いて寝ちまえ!」
そう言うと光一は先ほど女性店員が立っていた正面入口へと向かっていった。
種田光一。三十一歳。職業、パチプロ。パチスロメイン。日々ホールに通い、日銭を稼ぐ。独身。
主戦場は都心ビジネス街。仕事帰りのサラリーマンをメインの客層とした店に、朝一から詰める。
「ツッタカ、ツッタカ、ボンボンボン……」
光一がゴールデンの店内に入ったのは、すでにこの店お決まりの開店時のテクノだった。刷り込みというのは怖く、いつの間にか口ずさんでいたりするから恐ろしい。
パチンコの島を通り過ぎて、地下への階段に向かう。冬ソナの島には先ほどの主婦が一人、早くも打ち込み始めていた。朝から頭から湯気が立って見えるほどガラス盤に顔を近づけて入れ込んでいる。そして、もう一人。コーヒーショップでスポーツ新聞を広げていた中年男性。仕事人の島をのんびり台を見ながら歩いている。前日と比べて釘を眺めているのだろう。もしかしたら奴は自分のことを知ってるかもしれない。もっとも、自分と同じでその存在を知るだけ、名前も素性も知らないよく見かけるプロという認識くらいだろうが。
階段を下りると、スロット専門のフロアになる。客は五~六人。列に並んでいた数と比べると少ない。目当ての台が他人に取られると、すぐに他の店に向かう者も多い。光一は周囲を見渡しながらも迷わず一点を目指していた。
「……ん」
光一が目指した島は『リングにかけろ』、通称『リンかけ』は8台。爆発力と演出の面白さから人気の台も、世に出て一年近く。朝から積極的に打つ人間も少なくなってきていた。しかし、その島に先客が一人。隣りの赤ドンの島に続く島の右端に座っていたのは、ベレー帽の娘だった。光一は背後から軽く様子を伺ってから左から4台目、島中の台に携帯電話を置いた。
一旦島を離れ、フロアをゆっくりと巡回してみた。エヴァの島には、小役カウンターを傍らに置いてブン回している若者が一人。最近よく見かける奴で、プロというよりは食い詰めた学生らしい垢抜けない服装をしている。この店は小役カウンターやノートを取り出しても特にお咎めは無い。昔のホールは、ボールペン一本取り出そうものならばすぐに店員が背後に張り付いたものだった。
ジャグラー島に老人が一人。常連中の常連、通称「ジャグ爺」が背筋をピンと伸ばしてバシッ、バシッ、と元気良くボタンを叩いていた。ジャグ爺は光一に気付くと、金の八重歯を覗かせてニッコリ笑った。
「おおうコウさん、今日も拳闘モノかえ?」
「そのつもりだけど……おっ」
光一はジャグ爺の回す台に目をやった。第1・2リールは止められ、第3リールだけ空回しされている。光一は第1・2リールの出目に気付いていた。おそらく、チェリーのこぼし目。そして、単チェっぽい。
「ジャグ爺、ねじり頃かもよ。もしかしたら、な」
「なぬっ! コウさんが言うのなら……」
ジャグ爺は右手を掲げて親指を突き出した。
「ぬぉおりゃあああああ、かーっ!」
本人的にはゴゴゴゴ!くらいの効果音が聞こえているのだろうが、敗戦処理投手のスーパースロー映像のごとく親指が第3停止ボタンに触れた。
「ぬぐぐぐぐ……」
親指を激しくボタンにねじり込む。それ以上ボタンは凹まないのに、台を突き抜かんばかりに、ツボを見つけたとばかりに、何か怪しいエキスを注入せんとばかりに、ねじ込む、ねじ込む。
「ほあああっ!」
ジャグ爺は奇声とともに目をつぶり顔をしわくちゃにして親指を一気に引いた。
ガコッ。
天国の調べ。幸福の音色。盤面左下ではGOGO!ランプが煌々と光を放っていた。
「なっ! 入ってただろ」
光一はにんまりとジャグ爺に微笑みかけたが、ジャグ爺は頭を垂れて肩を落としたまま動かない。
「爺?」
光一は顔を覗き込んだ。よくよく見ると、薄目を開けたまま口を半開きにして恍惚の表情を浮かべている。
「爺、逝くな!」
「もう逝ってもいいわい。この高まりは、今のわしの唯一の極楽じゃ」
「って、上手くいけばあと30回くらいペカるぞ、この台」
台上のカウンターは、まだ二千円も使っていない回転数が刻まれている。
「なら本当に逝けるかもしれんのう……」
ジャグ爺は姿勢を元に戻すと、光一に耳打ちした。
「実はのう……」
「なんだい、ジャグ爺?」
光一は素直に耳を傾けた。ボソッとつぶやいたその一言に、光一は吹き出しかけた。話し終えると、ジャグ爺は恥ずかしそうに視線を台に向けて、ベットボタンを押した。
「ええやないか、爺!」
「内緒じゃぞ」
「さあね?」
「こら、年寄りはもっといたわりんしゃい!」
「スロ打つじじいは長生きするよ」
光一はそれを最後にジャグ爺の元を離れた。朝から幸せを分けてもらえたような気分だ。こんな薄暗く陽の光の届かない場所にも、生きる希望はある。光一は両手で指間接を鳴らし、そして首も左右に曲げてポキポキ鳴らすと、携帯電話を置いた自分の台へと向かった。
財布から札を取り出す。
サンドに吸い込まれていく諭吉先生。
100の数字が表示され、すぐに90に変わる。
吐き出される50枚のコイン。
左手で一握りのコインを右手に移す。
指先で作ったコインの束を投入口に滑らす。
デデデッと連続する投入音。
クレジットの数字を軽く見やる。
中指でベット、人差し指でレバー。
軽く。リズム良く。力を込めず。
でも、ちょっとした気持ちを入れて。
左リール、1周だけ直視。
〇・七五秒の拍は体に染み付いてしまっている。
黒の目立つ絵柄を基点に第1停止。
黒絵柄が下段に止まる。
間を置かず中リール、右リール停止。
繰り返す。
ポンポン、タンタンタン。
ポンポン、タンタンタン。
ポンポン、タンタンタン。
ポンポン。
液晶画面が反応する。
タン。
中リールから、中押し。
上段、黒絵柄停止。
タン。
左リール黒絵柄枠下スベリ。
液晶画面に緑のグローブ登場。
右リール白7狙い。
タン。
右下がりにスイカ絵柄揃う。
払い出し音。
液晶画面、発展無し。
台の横にコインを一枚そっと置く。
無言で続く台との会話。一つ一つの行動に意味があり、気持ちが込められ、脳に電流が走り、記憶と分析が絶え間なく続く。
右からバシ、バシ、カーンという音が聞こえた。液晶演出無しで黒チェリーか青チェリーを引いたに違いない。自分の打ち続けるリズムは変えることなく、横からの音に集中する。こんな時に、決して光一は振り向いたり手を止めたりはしない。スロ打ちというだけで浅ましい存在なのに、誰かが幸運を掴みそうになるのを野次馬根性で見つめるなんて、自分の品性の無さを晒すような行為はなけなしのプライドが許さない。ただ、他の台の動向を知ることは仕事上不可欠でもある。
演出音から全てが分る。ファイナルブロー演出へ発展、対戦相手は……石松。
「堅いな」
光一は誰に聞こえるともない独り言をこぼし、音への集中を解いた。やがて右からはボーナス確定を告げる台詞が聞こえてくる。推定回転数200程、とりあえず続ける価値はある台だ。
対抗……的中。ただし、裏目は買ってない。なぜなら、目の前の台が本命だから。
ポンポン、タンタンタン。
ポンポン。タン、タンタン。
ポンポン、タンタンタン。
ポンポン、タンタンタン。
ポンポン、タンタンタン。
ポンポン。タン……タン……タン。
ポンポン。タン……タンタン。
ポンポン。タン……タンタン。
どうかな……。
光一は液晶画面の演出とリールの出目を同時に把握しながら、可能性を探る。黙っていても、頭を働かせなくても、同じリズムでコインを入れてレバーを叩きボタンを三回押せば、すぐにその答えは出る。それがパチスロ。生まれも育ちも偏差値も関係なく、一回60円、約1/300の確率で6000円の当たりを狙う回胴式遊技機。
ポン………!
ベットボタンを叩くと同時に、光一の動きが止まる。そして、台上のカウンターを見上げつつジーパンの尻ポケットから手帳とペンを取り出した。
ポン…タン…タン…タン。
リールには白い7絵柄が右上がりの一直線に並び、液晶画面には派手な音楽とともに“BIG BONUS”と表示されていた。光一は特に表情も崩すことなく手帳を開けて「127、白7、チャンス目、4K。チャンス目1/2。スイカ0/1。」と書くと、席を立った。
自動販売機でブラックの缶コーヒーを買う。手のひらで缶をもてあそびながら、遠めに自分と同じくリンかけを打っているベレー娘の様子をうかがった。ボーナス後RT100Gを終えて、その後は動きが無い。リンかけは朝一の挙動で設定が明確になるわけでは無いから、よほどボーナス暴れださない限り気になりはしない。
ただ珍しいと思ったのは、彼女がピンで打っているようにしか見えなかったからだった。今の時代、ホールのスロットコーナーに女性は珍しくない。ただし、中年主婦層を除いて十中八九若い女性は男の連れがいるものだった。この国で普通に生まれ育った女性ならば、自らの意思でスロットを始める可能性は限りなく低い。男に誘われて打ち始め、ハマってしまうと手が付けられなくなるのがギャンブルに溺れる女性のパターンだ。
少し観察してみることにした。斜め後ろから悟られないように何気なく。
打つ姿勢に揺れはあまり見られない。必要最小限の手の動きに留まっている。感情に左右されるタイプではないかもしれない。ただし、長時間打ち続けて体力的にも精神的にも煮詰まってきた場合にどうなるのかは未知数だ。
頭上のカウンターはかなり頻繁に見上げているので、何らかの確率的な根拠は気にしているのだろう。リールと液晶画面とカウンター、ほぼ同じ割合で気にしているように見える。視線の行き先の動きだが、わずかな体の動きには現れている。打ち慣れている者ならば、隣に座っている人間が自分の台を見ていること、それも何を気にしているかが分る。それが背後から観察しているならば明白になる。
そして、一つ気になることがあった。打ち方に抑揚が無い。リズム感が無いというか、機械的というか。コインを投入する、ボタンを押す、レバーを叩く、リールを止める、といった一連の動作が紛れなく淡々と進んでいく。ラスベガスのスロットマシンを打っているかのようだ。もっとも、レバーを叩いた瞬間に結果が分っているのは同じことなのだが。
「コウさん、もう見ですか?」
背後から声を掛けてきたのは若い男性店員だった。朝、優先入場を仕切っていた店員で、胸のプレートには『リーダー:渡辺』と書かれている。
「ん……見慣れない子がいてね。ちょっと拝見してた」
光一は渡辺の方には振り向かず、姿勢を変えないまま小声で答えた。
渡辺は襟元に付けてあるインカムがオフになっていることを確かめてから、近くの空き台を拭き掃除しながら話す。
「ああ、さっきの女の子ですね。見ない子だな……男連れでもないし。気になるの、コウさん?」
「いや、まあ珍しいなって」
「誰が何の理由があって打ってるかなんて、いくら考えたって分らないですよ」
悟ったかのような台詞を吐くと、島端の頭上のランプが赤く光るのに気付き渡辺は会話を打ち切った。コイン補充の呼び出しだろうか。
渡辺は、光一が数少ない会話を交わす店員の一人だった。客と店員が必要以上に話をすることは、ホールでは大概ろくなことが無い。胴元と子がいるギャンブルである以上、大げさに言えば敵対関係。客の損した金で彼らの給料が支払われている。そんな簡単な事実を店はやんわりと誤魔化しながらご奉仕やら感謝祭やらで客を出迎え、客はそんな気分に浸りながら自分だけがバカ勝ちする選民思想を夢見て金を落としていく。
渡辺はそこら辺の感覚を若いながら理解している青年だった。アミューズメントパーラーとして接客第一顧客サービス向上を目指しますといった純粋バカでも、バイトとしてただ時間と労働力を提供するしかできない雇われバカでも無い。何かこの仕事をすることに狙いや意義を見出しながら、身の程をわきまえている。ここが薄っぺらい祭りを装った鉄火場であることが分っている人間に見えた。いつの時代にもギャンブルが無くならないように、こういった嗅覚を身に着けた人間というのも世代を問わず現れるのだろう。自分がこの店を稼ぎの一つにして、渡辺がこの店で働く限りかなうことは無いが、いつか酒でも交わしたい相手でもある。
一方、朝からリンかけを打つあのベレー帽の娘は、どうもギャンブルの匂いを感じさせなかった。稼ぎを狙う猛獣でもなく、熱中した哀れな羊にも見えず。
思いをめぐらしていると、定時の店内放送が流れてきた。
「いかん、ストーキングよりお仕事お仕事」
他人をここまで気にする自分を珍しく思いながら、光一は自分の台へと戻った。
投資は1万に達していない。同色ビッグでRT200G。ボーナスがつながってくれれば収支上は楽な展開になってくる。コイン持ちながら確率が付いてきてくれれば。
光一はそんなことを考えながらボーナスゲームを消化していった。その間にも液晶画面に表示されるクイズにはしっかり正解していく。出玉上の特典は無いが、クイズに5問正解した場合に表示される液晶演出に若干ながら設定による違いが現れる。今回画面に現れたのは、私服を着た女性たちだった。光一は手帳に『1』と書き加えた。
ボーナスゲームが終わると、光一は演出をキャンセルせずに音楽が終わるのを待った。そして途切れるのと同時にベットボタンを押す。「ブーメランラッシュ!」という声優の声とともにRTが始まった。そして、音楽の前奏から本奏に入り込むタイミングでレバーを叩く。これは、光一にとっての儀式みたいなものだった。これで何か得するわけでもない。むしろ時間効率を考えればポンポンとすぐに始めてしまえばいい。それでも演出をキャンセルしないのは、彼にとっての台への敬意、製作者への感謝、そして自分のスタイルを崩さない決意の表れみたいなものだった。
(さ、お願いします!)
心中で手を合わせながら、光一はRTを消化し始めた。
スリル音、中リールに女性の絵が描き込まれた黒絵柄を上段狙い。
中段停止。
(まあ、ベルってことで)
右リール下段に赤7狙い。予想通り止まると共に液晶画面では黄色いスポットライト。
左リールは適当押し、ベル揃い。
歓声、枠上ランプ水色点灯。
ポンポン、タンタンタン。
液晶画面カットイン、三人。中リール黒絵柄狙い、上段停止。
(河合いないし)
キャラ通りなら、黒チェリー。左リール黒狙い、黒チェリー停止と共に『竜二、ここで決めるっちゃ!』とファイナルブロー演出へ。
右ストレート、右ストレート、ギャラクティカマグナムで沈没。
(50Gで一枚役もスイカもない。そろそろお願いしますよ)
『チャーンス』と枠左ランプ点滅。ただし、高速。
(い、一応確認……)
中リール、黒絵柄上段停止。右リール、黒絵柄枠下滑ってスイカテンパイ、左リールスイカ狙いハズレ。青チェリー成立確定。
目を閉じてポン。ファイナルブロー演出行かず。
口をへの字にしながらレバーをポン。スリル音。中リール中段黒絵柄停止、液晶画面は黄色スポットライト、ベル揃い。
(そ、そこを何とか)
次ゲーム、演出なしリプレイ揃い。
何事も無く、リング上の戦いは続く。
やや体を左に傾けつつ、息を吐いて続行。
カーン!
『ここでゴーング!』
中リール停止。黒絵柄は上段。黒チェリーorスイカ。
『戦いは次のラウンドに持ち込まれました!』
右リール、黒絵柄枠下滑ってスイカテンパイ、スイカ確定。
『竜二、ミット打ちで極めたあの技で決めるっちゃ!』
(……菊姉、いま『ミット打ちで』って言いましたよね。『姉ちゃんと極めた』じゃなくって!)
左リールスイカ狙い、当然揃ってファイナルブロー演出へ。
最初、剣崎の右ストレート。リールはリプレイ。
(まずは打たせてですよね)
次に竜二のブーメランフック。リールはリプレイ。
(そうそうここで返して)
最後、剣崎のギャラクティカマグナムと共に枠左ランプ点灯『チャーンス』、通常点滅。
中リール黒絵柄上段停止以外なら、青チェリー否定のボーナス確定。
(キテるんじゃない?)
と、恍惚の瞬間を期して……上段停止。
(いや、まあ通常チャンス告知もありますから)
左リール黒絵柄下段スベリ、そして右リール。
(ここでカウンターでブーメランテリオス辺り是非!)
右リール停止、カウンターなし。
『高嶺君ダーウン!』
(うっそ!)
しばし手を止め、ベットボタンに手を添える。
手に力を込める瞬間に叫ぶ! ただし心の中で。
(立て、竜二!)
RT消化は100Gを超えて、ここまでスイカ1回、一枚役無し。黒チェリーは数回あったが数えてはいない。
(うーん、初回RT200のスルーって低設定まぐれ当たりで投資分飲まれパターン……)
期待できない演出が続き、淡々とリールを止めていく。と、
『ブシューン……』と液晶画面が消え、先ほどまで流れていた音楽が止まる。ベットボタンを押した手が止まり、もし光一を端から見ていた人間がいたなら、彼の腰が少し浮いたのが分るだろう。
レバーを叩く。セピア色のムービーが液晶画面に流れ、剣崎にグローブを奪われる竜二の姿。リールを止めず、フルでムービーを見る。剣崎のギャラクティカエクササイザー特訓に続く高確率の回想演出。
さて、どうする。どこを止める。
一枚役確定の状況、RT中の回想演出は信頼度がかなり高い。
可能性を最後まで残す順押しか、0か結果保留か確定の中押しか。
(……種無しは無いだろう)
中押し、黒絵柄下段停止。
(第一条件クリア……)
中段停止だと、一枚役ながらボーナス重複否定の種無しが確定する。
左リール、下段赤7狙い。赤7……下段停止。
(はうぁ!)
実際に声が出ていたかもしれない。
(ありがとうございます……ありがとうございます)
ボーナス重複、確定。
赤7が枠下に滑っても可能性は残るのだが、やはりこの時点で確定するのは何物にも代えがたい。
少しだけ目を潤ませつつ一枚役をそろえ、次ゲームからボーナス絵柄を揃いにかかる。
数ゲームかかり、液晶画面ではファイナルブロー演出で竜二が倒されていた。
ベットボタンを軽快に叩いて、思わず呟く。
(立て、竜二!)
『立て、竜二!』
菊姉の声と共に竜二が立ち上がった。
朝一でRTからつながり調子はいい。一枚役もスイカもまだ設定6を否定はしていない。
このパターンなら高設定を否定し始めるまで打ち、まずい気配を感じたらためらわずコインを流せばいい。
やや気が楽になり、周囲を眺めた。時間は昼前。朝一より若干客が増えている。他店で高設定を逃したと判断した打ち手が流れてくる時間帯だった。しかし、リンかけの島にはあのベレー帽の娘以外座っているものはいない。すっかり設置されて日が経ち、設定判別が難しいのと波が荒いこと、そしてハイスペック機ゆえに高設定が入りにくいと思われがちで最近は敬遠される傾向がある。
ふと、しばらくの間右側からそれらしい音が聞こえてこないことに気付いた。
どれほど光一が胸中で台と会話をしていても、近くのボーナス当選を聞き逃すことは無い。
そして光一の推測は間違っていなかった。聞こえてきたのは、台からではなくコインサンドから吐き出されるコインの音だった。
(でも、追加投資するのか。肝の据わった娘さんだな)
持ちコインが飲まれるとヤメる通称「ノマれやめ」で、席を立つ打ち手が多い。結局のところパチスロは打つか打たないかの二択でしか、打ち手は差をつけられない。打ち続けているとやめるタイミングを見失いがちになることも多いので、キッカケとしては間違っていないだろう。ただ、勝つための根拠としては薄い。
もし投資額と比べるならば、投資分のコインを残してやめるべきだ。設定が低いと判断できれば、残りコイン枚数に関係なくその時点でやめるべき。設定が高いと考えるなら、ためらわず追加投資すればいい。
でも、そんなこと考えて実際に行動できるのは一部のプロに過ぎない。大多数のギャンブラーは、大勝ちの夢を見て賭場にやってくる。プロですら、可能性という名の幻惑に惑わされて夢見がちになってしまう者は多い。
(……夢見てないな、あの娘さん)
光一は心なしか残念な気持ちになりつつも、自分の台に意識を向けて打ち始めた。
スロットを打ち続けると時間の経過がとてつもなく早くなる。精神が集中した状態、または肉体が限界を超えようとする状態、「ゾーン」に入り込むとそんなことがあるらしい。それほどの事ではなくても、楽しいことに夢中になると時が経つのを忘れるというのはよくある。
ただ、スロットを打っている時はそれらには当てはまらないことが多い。機械に対して機械的な行動を続けて同調する感覚。単調な行為をただひたすら繰り返すことで陥る、思考の停止。目の前で起こる事象にただ反応するだけの作業。人が人で無くなる時間。脳がCPUの奴隷に成り下がり、全身の血管と血が銅線と電流に移り変わったかのような感覚。
「うう……」
光一は左手を回して、右肩から肩甲骨にかけて揉みほぐし始めた。
(うう、今日は早いな痛くなるの)
それでも右手は打つ動作を止めていない。
(な、当たれば肩こりもふっ飛ぶってもんだ。そろそろ頼むよ~)
台を見つめながら心中で語りかける。なかば意識的に、なかば心の向くままに。スロットという機械に自分が支配されないように、光一はいつも台に語りかける。肩の痛みも自意識を保つための気付けみたいなものだ。
しかしながら、勝ちを決められれば止めてしまうに越したことは無い。2000枚出せば御の字と考えよう。設定6以上の暴れっぷりを示さない限り。
1時過ぎ、ゴールデン6にも客がぽちぽちと増えてきた。ほとんどが若者、プロ系か、暇と金をつぎ込む学生だった。
(肉6チェックが完全に終了した頃合か)
肉6、キン肉マンの設定6のことである。掴めば勝ちは確実、5000枚は吐き出すお宝だ。店が設定6を入れていることさえ確信できるならば、朝一で台を取り設定判別を掛ければいい。設定変更を示す高確演出、ゴングBGでのMT突入、赤7で主題歌、黒7でMT突入と単発終了。2~3000円で一台のチェックは終わる。掴めば続行、否定されたら処女台に移動、他の台が設定6を示したら撤収。割り切りやすい、そして若い連中が好むフットワークのが必要な立ち回りだ。
そして、このゴールデン6にはキン肉マンは無い。業界の主流から外れた、地元系中規模ホールだ。だからこそ、リンかけも店としてはまだまだ看板台、設定を殺してはいない。打ち手側の主流があるならば、それを避けた亜流の稼ぎ方もあるということだ。
リンかけも光一とベレー娘が打っている台以外は全くの処女台ばかり、何人か客が付き始めた。店がまだ信用されている証拠でもある。全設定1、通称「ベタピン」と客に思い込まれてしまったら、ハマると1000Gは平気で突き抜けるリンかけに触ろうとするまともな客はいない。1000G、三万円強、1500枚が二時間しないで溶けて無くなるわけだ。
ということで、肉6にありつけなかった連中がこのホールに流れてきたというわけだ。朝一の選択肢に選ばれる店ではないが、フォローとしては選ばれやすい傾向がある。
それから数時間、周囲のリンかけは出したり出さなかったり、トータル差枚数では店がちゃっかり稼いでいる様子だった。ほとんどの客が最高でも一万円ほどの投資で当てるか止めていく。当てた奴はノマレかチョイプラスで撤収、等価ではなく五・五枚交換ということもある。基本設定1~2で一台ほど設定4~5を入れれば見せ台にもなり、店にとっては堅い稼ぎだろう。
この時間に来る若者たちはしっかりしている。打ち方もそつなく変則打ちでフラグを判別している。液晶演出もその材料に過ぎないかのごとく、素っ気無い顔をしている。リンかけで使う人間は少ないが、雑誌が発売した小役カウンター機を使う者もいる。
そして、RT終了ですぐにメダルを流し撤収することが多い。つながらなかったらプラスでもマイナスでも終わり、大したものだ。光一にはなかなかそれはできない。台の設定を見抜いて信じようとせず、用が済んだらポイ、というのができないのだ。波が荒いゆえに設定6以外は短時間でその設定を反映しないのは事実なのだが、暴れん坊だからといって手に負えないからサヨウナラというのも情緒がない。
(情緒じゃ勝てない、ってか)
光一はいとおしむように自分の台を眺めながら、この日11回目の異色ビッグボーナスRT100Gを消化していた。頭上には一箱と半箱、下皿分を含めればもう少しで2000枚に届く。
(そんなこと言ったってな。お前、そろそろ貢いで欲しそうだよな)
設定6なら止まらずにスランプグラフは上昇の一途をたどる。ここまで悪くて600Gハマり、連荘と呼べるような爆発は無いが、同色ビッグボーナスに恵まれたこともあり多少の波は描きながら緩やかにメダルは増えていた。
そして、リンかけを打つものならば大概の人間は知っているか体験している。一日フル稼働するならば、中間設定以下ならその日に一度は1000G近いハマりがまず訪れるものだ。
光一はRTを消化すると一旦席を立った。一応、フロア内の他の台の様子を見ておく。全体的な出方を眺めつつ、もし余程いい台があれば触ってみてもいい。そして、その場合は今の台を手放さずにタバコを下皿に投げ入れてから動く。
ジャグラーシリーズの設置台数が多いのは、他の店と変わらない。ただこの店の強みは、五号機導入初期以前から常にジャグラーを多めに入れていることだった。確実に固定客が付いていること、そしてシリーズの中でジャンキーやラブリーよりも、アイムジャグラーがしっかりと多く置かれているのがその証拠だった。堅く、そして欲をてらわずに小さい店なりに五号機導入時期を乗り切った感がある。
ルパンでそこそこ出してるのが一台。爆発力は無いが、意外にこいつは手堅い出し方をする。
エヴァは小役カウンターを使って攻めている客は無し。近隣でまだしっかりエヴァに設定を入れてきている等価店があるので、客はそっちに流れている。
戦国無双が吹いている。八台中、無限戦国ラッシュに突入しているのが二台。設定を店が入れてきているのは分っているのだが、差がつくのは高確率ゾーン幅とレギュラーボーナス後の無限戦国ラッシュ突入割合。ボーナス確率に差は無く、平気で1500Gくらい吸い込む。展開次第の台に日々の糧をつぎ込むことはできない。
哲也は四台中三台が稼動中。この時間にしては客つきが良く、台自体の人気が分る。出方は一台が1箱に手が届くかどうかで目立ったものは無い。
新台はスーパージャックポット、小役とボーナス揃いで小役が優先されるのが許されたり、その他演出面で規制が若干緩められた五号機新基準の対応機である。一度触ったが、単純な完全告知機ながらなかなか面白い。ジャグラーの牙城を崩すには至らずとも各メーカー必死なのだろうが伝わってくる。
光一が観察を終えてリンかけの島に戻ろうとすると、一階から降りてくるベレー娘を見つけた。右手に財布を持ち、小走りで台に戻っていく。顔の表情自体に感情は見て取れなかったが、目が血走っているようだった。周りを気にする余裕も無く、光一を気にかけることもない。
自然を装って背後を通り過ぎて頭上のゲーム数カウンターをチラッと覗いた。
1127G。
光一は自分の台に戻って座ると、タバコに火をつけた。
(あちゃー、やっちゃったな……。ATM戻りだな、あれは)
中年男性が熱くなり、台を罵ったりどつきながら金を溶かしていく姿を見ても一向に感じるものは無い。間接的に彼らの金が自分の生活費になっていくだけだ。ある意味、感謝すらしている。
だが、ちょっと様子が違う。ギャンブルにハマッってしまった女性の怖さを感じつつも、それ以上の鬼気迫る雰囲気を感じる。それに中年よりもヤンキーよりも、若い娘の方が好きだ。当たり前だ。
(言いたいなー。「もうやめとけ」って言いたいなー)
負けてるときの心理は簡単だ。負けてるから今の時点で止められない。勝って取り戻すしかない。ただそれだけなのだ。だから止められない、だから負け続ける。
(でもなー、言うこと聞いてくれないだろうなー。下手すりゃ怒るかもなー)
光一はタバコ一本分の時間打ち続けると、下皿のメダルを箱に移し変え始めた。できるだけ音をさせず、気付かれないように。
チャリン。
手からメダルが一枚こぼれ落ち、床を転がった。手を伸ばすがメダルには届かず、あきらめて一度立ち上がり近づいた。腰をかがめ拾い上げると、そこはベレー娘の台の近くだった。
思わず顔を上げた時に台を見てしまう。
「今日はここまでにしましょう」
液晶画面の貴子が河井にそう告げていた。スイカ当選でピアノ演出のハズレシーン。
(うわー)
ひっそりと、でも力強く彼女はレバーを叩いた。頭を垂れつつ、上目遣いで恨めしそうに台を睨んでいる。怖い、怖すぎる。
光一はあくまで無関心を装いつつ、メダルを手に自席に戻った。二箱を重ね、席を離れる。
メダルを流すカウンターで待つと、店員の渡辺が気付き早歩きでやってきた。
「コウさん、今日も堅いですね」
光一の顔は見ず、計数カウンターの蓋を開けて箱からメダルを流す。手を添えて2つの口に均等に流し込む、万が一にも詰まらせないための丁寧な動作だった。
「あれ以上は出ないよ。だったら俺は、時間を大事にする」
6時間で3万円だったら十分、無理に時給を下げることはない。
計数中の間、渡辺はビニール袋から半分だけ取り出したおしぼりを差し出した。光一は中のおしぼりだけ抜き取ると、油脂とヤニで膜を張った顔面を満遍なくぬぐい、メダルの匂いが染み付いた手を拭いた。この店はあくまでタオルのおしぼりにこだわっていて嬉しい。今じゃほとんどの店が紙おしぼりだ。
渡辺は計数カウンターから打ち出されたレシートに自分のサインを書き込むと、頭を下げて差し出した。
「お疲れ様でした」
この瞬間だけ、必ず渡辺は言葉を崩さずに毅然とした仕草で対応する。
「ありがとうございます」
だから、光一は必ずそう答える。
くだらない、ほぼ毎日のやり取り。でも、これだけはなぜか守りたかった。
形式とか礼儀とか、もしかしたら仁義とかにこだわる、男特有のこだわりかもしれない。
「あの娘、どっぷり行っちゃってないか?」
自分が先ほどまでいたリンかけの島に光一は目をやった。
渡辺はうなずいて、流し終わった空箱のうち一つを計数カウンター横に置いた。
「台を確保したまま店を3回出て戻っています。金下ろしてきてるのに間違いないでしょう」
「回数まで覚えてるんだ」
「まだ客つき少ないし、こちらからしたら目立ちますから」
「見てんだよなー、こっちが気にしてないだけで結構」
「仕事ですから」
渡辺はわずかに口元だけ笑みを浮かべると、残ったもう一つの空箱を持って光一が打っていた台に戻しに行った。
光一は渡辺の後ろ姿と、その先のハマりきってるベレー娘を見つめるとため息をついた。
(どうか、娘さんがチャラ線かチョイ負けで収まりますように……)
と思った矢先に、ベレー娘が立ち上がって先ほどまで光一が打っていた台が気になる様子で頭上のカウンターを見つめていた。
(いやいや、自分で打ってて何だけど展開勝ちだって。止めとけ!)
心中で叫んでいると、店員の渡辺が箱を戻しに台に近づく。すると、島背後の通路を歩いていたキャップを被った若者がそれに気付いた。空き台に箱が置かれていない、それは客がメダルを出して流した後ということは打ち慣れている者ならすぐに気付く。
箱を置いた渡辺が布巾で台の清掃を始めると、若者に声を掛けた。若者はうなずいた様子で答えると、渡辺は笑顔で拭き終えた台を明け渡した。
(やるなー、というかでかした!)
先ほどまで出ていた台、そこに店員が「打ちますか?」と確認して台を清掃する。わざわざ聞かれた客は「いいえ、やめておきます」とはまず言えない。山っ気を出してホールに来てるのだから、目の前の宝を逃そうとは思わないのが心情だ。
ベレー娘はやや残念そうな顔をして、また自分の台を打ち始めた。
光一は結局のところただ見ていただけなのだが、安堵に包まれつつ地上への階段に向かった。
交換カウンター、店外の換金所と順に周り換金を終えると外は夕暮れ、5時前になろうとしていた。今から打つことは無い。しかし、一杯引っ掛けるには早く店も開いてない。
少し考え、光一は仕事帰りのサラリーマンが目立ち始めた駅前に向かった。
駅の対面には一階がパチンコとパチスロの併設店が入った大型の雑居ビルがあった。光一は店の入口には向かわず、小型店舗が立ち並ぶ方の入口から二階へとエスカレーターに乗る。
二階に上がると、目の前には薄暗い明かりしか無いゲームコーナーがあった。陰鬱な雰囲気が立ち込め、客足もまばらだった。
フロア自体に人気は少ない。ほとんどが他に時間の使い道を知らないくたびれたスーツを着た仕事帰りのサラリーマンや、流行とはかけ離れた薄汚い服を着た競輪の場外車券売り場から放り出された初老の男たちだった。外の喧騒といきなり切り離されてしまった過疎世界、現代社会に適応できない人間が逃げ込むには居心地がいい空間だった。
ランチタイムが稼ぎ時の定食屋は、居酒屋に営業形態を変えて軒を連ねる。他に理髪店、靴磨き、紳士小物など、日本を長年支えてきた企業奴隷御用達の店ばかりだった。
そして、このフロアに最も多いのがマッサージ店だった。こんなに集まって成り立つのかと思えるほどの店舗数。そしてほとんどが中国・韓国・東南アジアの流を名乗り、店舗前には白衣を着た店員が数少ない通りがかりに声を掛ける。
「コーサン、オゲンキ」
白衣からもぷっくりと肥えたお腹が目立つ盛りが過ぎてしまったであろう女性が、訛った日本語で挨拶してくる。
「おう、お元気よ俺はいつでも」
「ココクル、コーサンオゲンキナイネ。ウチデイヤイヤサレル、キクネ」
「イヤイヤじゃなくて『癒される』だろ」
「ニホンノオトコ、『イヤイヤ』ガスキネ」
白衣の女性はニンマリと笑って親指を使った下品なサインを見せた。
「そっちはまずいだろ、風俗じゃないんだから」
「コーサンスキナラ、ワタシイツデモOKネ」
光一の二の腕をわざとらしく掴み、胸を寄せてくる。しかし同時に腹の肉もやせ細った光一の体に押し付けられては、いくら頑張っても奮い立つことはできない。ただ、加齢臭に届かない限りはどんな女性からも何かしら男を引き寄せる匂いはしてくる。
「ま、また今度な、な。今日はもう決めてるから」
丁重に腕を解かれると、男を引き寄せる匂いをますます強くさせながら白衣の女性は引き下がった。
「マタ、『チーロン』カ」
「ああ、俺にはあそこが一番体に合っててね」
「マタクルヨ、コーサン。キタラ、サービスイヤイヤタップリネ」
光一は苦笑いで答えながら店の前を後にした。
フロアは上から見て正方形のように通路がつながっていて、歩いていると自然に一周することになる。歩き続けると、フロアの隅にアクリルの小さい看板を出したマッサージ店に光一は躊躇わず入っていった。看板は毛筆体で『七竜 中華式整体院』とだけ書かれたもので、呼び込みの店員も立たず商売っ気を感じさせない軒先だった。
整体院の中は、受付の机の向こうにベッドが2つ並ぶだけの質素な佇まいだった。光一が入ってくると、ラジオらしい音が漏れている間仕切りの奥からカーテンを開けて一人の男が出てきた。
「なんだ、コーか」
無精髭を生やした五十代ほどに見える男は、サンダルを突っかけ片手にスポーツ新聞を持ったままベッドのうちの一つを指差した。
光一はそのベッドに腰掛けると何を言われずとも上着を脱ぎ始めた。
「劉先生、調子は?」
「いかん、同郷ラインで展開読みきっても裏目、タテ目ばかりだ」
光一が劉先生と呼ぶ整体師の日本語はいたって滑らかだった。奥から聞こえてくるラジオは、よく聞いてみると今日開催された競輪の各地の結果や明日の展望を語るものだった。
「やめた方がいいよ、先生は賭け事向いてないから」
「失礼じゃな、好きでやっとるんだから放っておけ」
「それがいけないのよ、好きでギャンブルやっちゃだめよ」
「黙れ、博徒が偉そうなこと言うな」
そう言いつつも劉に怒った様子は無い。分かっているから今更言ってくれるな、という社交辞令のようなものだ。光一も真剣に止めようとしているわけでもなく、特に生身の人間が鍛えた体でもがき駆け抜ける競輪というギャンブルに魅せられた者は、その世界から抜け出すことがなかなかできないことも分かっていた。それが分かっているから、光一は競技としては興味深く競輪を見てはいるが、決して車券には手を出さないようにしている。
光一が服を脱ぎ上半身裸になると、劉は白衣を羽織り奥で手を洗っていた。金属製の洗面器に浸された消毒液で丹念に手を拭っている。やがて腰掛けている光一の背後に立つと、指をポキポキと鳴らして三十過ぎた男の背中を眺めた。
「相変わらず体幹が曲がっとる」
「生き方がそうなんでどうしようもないですよ」
「無駄な肉をそぎ落とした良い体構えなのに、勿体ない話だ。触れるぞ」
「はい、お願いします」
劉は光一の首の根から肩、肩甲骨と何かを確かめるかのように触診を始めた。その指は年齢と外見に相応しくないほど滑らかな肌を保ち、爪も綺麗に切り揃えられていた。背骨から両脇の筋肉をなぞり、わずかな力の強弱で指圧しながらからだの反応を確かめている。ただ、一箇所だけ劉がまだ触れていない場所があった。
「こっちはどうだ」
「ええ、おかげさまで大丈夫です。お願いします」
「うむ」
劉は光一の右肩を両手で覆うようにして包んだ。まるで気を送るかのようにしばらくの間そのままの体勢を保つ。ラジオの音声が切られた院の中は、光一の息遣いと、その肩の上下に合わせた劉の呼吸だけが静かに響いていた。
「大丈夫そうだが……筋の張りがひどいな」
劉が両手を離した右肩には、見た目に分かる手術痕があった。10cm弱ほどの縫い痕は、右肩の外側をなぞるように残されている。
「商売道具なんでね、こればっかりは」
「横になれ。始めるぞ」
マッサージというよりは施術、光一に整体の知識は無いが、劉のそれは過去に受けたマッサージの類とは明らかに質が異なるものだった。癒されているのではなく厳しく治療されている感覚になる。時折光一が漏らす叫びに似た声は、その情け容赦無い施術を物語っていた。
「息を吐いて、そのまま止めて」
劉は言われるがままにする光一の両手を取り、仰向けになった胸元に置いた。その上に自分の掌底を合わせると、人工呼吸のように一気に光一の胸を押した。
ボキャッ。
あまり日常生活では聞き慣れない音と、肺に残されたわずかな空気を搾り出された光一の音にならないうめき声が同時に響いた。
「殺される……」
「なら来るな。終わりだ」
「……ありがとうございました」
劉はカーテンの奥に戻っていった。光一は左手で右肩の様子を触って確かめる。施術前とは明らかに肩の軽さが違う。劉に言わせると、ここだけはコリをほぐして血やリンパの流れを良くするマッサージ寄りの指圧をしているのだそうだ。
小さい紙の束と、先ほどとは違った新聞らしきものを持って劉は現れた。
「コー、いい知らせがある」
光一は驚いて服を着ている手を止めてしまった。
「どうしたの? 競輪は負け続きなんでしょ」
「続いてはおらん、今日はたまたまだ。それに勝ったところでお前には一銭もくれてやる気は無い」
「じゃあなんで?」
「これを覚えてるか?」
劉は持ってきた紙の束を見せた。それは名刺ほどの大きさで中国語とアラビア数字で何か書かれたものが印刷されていた。
「それって……●●●だっけ?」
「先月、三千円分お前さん乗っただろ。それが安いながら当たった」
「へー、そいつはまたツイてるね」
光一は関心無さそうに聞く。以前ここで施術を受けていた時、たまたま華僑の人間が来て●●●の話が出た。そこで誘われるがまま軽く買ってみただけのことである。
「これが預かっていた●●●だ。ガード下の『朋来』という中華料理屋にタオがいるから、時間があるときに行ってみろ」
「タオってあのとき話した華僑の?」
「そう、タオはそこで店をやりながらこの街の華僑を取りまとめてる。話はもう付けてあるから換金してもらうといい」
「劉先生も買ってたんでしょ。だったらいっしょに換えてもらってよかったのに」
「バカいうな、俺がノんでたらどうする?」
簡単なことだ。劉が光一から金を預かり、光一の分のくじを買ったと嘘をついて後で「はずれてた」と言うこともできる。また、実際にくじを買ったとして本当の賞金より少ない額を光一に伝えることもできる。
「劉先生は、ギャンブル下手だし治療も荒いけど、嘘はつかないよ」
「医者くずれのことを少し買いかぶりすぎじゃ」
劉はそう言いつつ、照れ隠しに●●●を束ごと光一に突き出してきた。光一は無造作に受け取った●●●をポケットにしまいこむと、財布から五千円札を取り出して劉に渡した。劉はそれを受付に置かれた小型金庫にすぐにしまいこむ。
「それともう一つ、これは俺からの好意だが」
「なんか高そうだね」
服を調えた光一は受付の前に立った。
「物じゃない、情報だ」
「無形のものは対価が怖いんだよ。特に華僑系の人たちのは」
「俺にとっては無用の話だから気にするな。お前には役立つかもしれない。あと、俺を他の華僑と一緒にするな」
最後だけ若干の怒気を帯びた声で劉は答えた。
「ごめん、先生。で、話ってのは?」
「HOPSというパチンコ屋を知ってるな」
「ああ、時々様子は見に行くよ。グループ系の大型店で、最近は客の飛び方がひどい」
「らしいな。あれだけの規模で客が入らなかったら、一日ごとに維持費だけで赤字が増え続けるだろう」
「それくらいなら別にわざわざ聞かなくても」
「中国人系の金貸しに、店長が泣きついたらしい」
光一の表情が変わった。話の筋が段々と分かってくる。
「ノルマ未達で社内の上司に掛け合っても突っぱねられたかな」
「そこら辺はよく分からん。ただ、日本人がサラ金でも闇金でも無く華僑に借りたということは、記録に残したくなかったのだろう」
「怖い話だな……」
そう言いながら光一はすでに頭を巡らせていた。俺がその店長だったらどうする。どうやって負債を取り返すか。
一方、劉は明らかに仕事の顔つきになってる光一の様子を楽しそうに見つめている。
「稼ぎ話になりそうか」
「分からない……ただ何かは起こると思う」
「ほう、そいつは楽しみだな。俺も祭りなら一枚かんでみたいものだな」
「先生は一日13時間打ち続けられる?」
「無理だ! 日本人は娯楽にまで忍耐を持ち込むのだから変わっとる」
なるほど、と光一は感心した。競輪・競馬など券を買う類は、購入するわずかの時間を除けば打ち手を拘束する時間は限りなく〇に等しい。それに比べパチンコ・パチスロは実際に店に出向いて台の前で打ち続けなければ結果は出ない。
「努力が報われる、ってのが好きなんだよ」
「分からないな……汗水垂らして働いて、その金をまた苦労して無に返すのか」
「言ってやりな、外のサラリーマンたちに」
「そんな義理は無い」
「もっともだ。また来るよ、劉先生」
「もう少し定期的に来るようにしなさい。今は安定しているが、もう良くなることは無いのだから」
光一は頭を掻きながら院を出て行った。
外に出るとすでに陽は落ち、駅前は夜の賑わいを帯び始めていた。
この街の夜は歌舞伎町やセンター街とは違った、また異質の盛り上がりがある。スーツを着崩した中年男子が大手を振って集団で飲み歩く。どこを歩いても辺り一面には醤油だれを焦がした甘い焼き鳥の匂い。他の歓楽街が店側の呼び込みやけたたましい音楽で喧騒を醸し出すのに対し、ここでは人々の笑いや怒声がそのまま街の声になっている。
嫌いではない。この日本特有の泥臭さを感じさせてくれる街並みは、今となっては他の場所では感じられない。
すべての苦痛から解放されたかのように生き生きと酒を酌み交わしている男たちをよそに、光一は駅を中心としたホールのチェックへと向かった。
「呑みたいなー、ちくしょう」
思わず声にして独り言を漏らす。それでも、頭の中では先ほどの劉の話を片隅に置きながら今の時期のホールの出し具合を想像しつつ、歩きなれたいつものルートをゆっくりと進んでいた。
GENES
弱めイベント 客付き並 札は時限式絞込み 9時に高設定発表 おそらく出てる台を後付で高設定とするガセ札日 肉で3000枚 新台のバイオで2000枚が2台
パーラー弘樹
月2イベント日 メール内容強めながら機種特定なし 空き台少 ミドルスペック台に高設定投入の兆候あり ハイスペックはベタピン回収
KING
スロットコーナー縮小から動きなし 数人の一見客を除き稼動無し あいまいなガセメールだけ夕方に届く 末期か
特に収穫も無く、次にローテーション通り向かったのがHOPSだった。
曲がれば間もなく店の入口という交差点に差し掛かると、プラカードを持った店員が声を枯らして呼び込みをしていた。
「ほ、本日、爆裂出玉レッドカーペット開催中です! パチンコパチスロ至上最大のスペシャル赤字体勢でお客様に大ご奉仕! 今からでもじゃじゃ漏れ必死の大満足で皆様のご来店をお待ちしています!!」
よく見ると異様に背が低く、プラカードが一人で叫んでいるようで不気味だった。看板には「駅から徒歩30秒 安心の都内最大系列店 パチンコ・パチスロ HOPS」と書かれている。
自分の前方を歩く若いサラリーマンの二人連れがそれに気付いたのか、会話がこちらにも聞こえてきた。
「ガセだよ、ガセ」
「終わってるよな」
「うざいんだよ、大声でウソ撒き散らしやがって」
おそらくわざと周りに聞こえるようにして喋っている。他店の仕込ではないだろうが、目前の店員に対するあてつけだろう。
「本日は爆裂出玉レッ……うわっ!」
呼び込みを続ける店員が、雑踏の歩行者と交錯してしまったようだ。倒れかけたプラカードをあわてて持ち直してから、相手に対してしきりに謝っている。
「大変申し訳ありません。お怪我はありませんか」
近くで見ると身長は150cmほどで制服がまるで似合わず、顔はカサカサに乾ききって目と目の間が妙に開いた男だった。
「邪魔なんだよクズが!」
ぶつかった相手が、店員と触れたスーツの箇所を露骨に払ってみせる。酔いが回っている感じのハゲかかったサラリーマンだった。上から下まで満遍なく贅肉が備えられ、汗をだらだら垂らしながらメガネを顔の肉に食い込ませている。ハゲデブリーマン。光一はたった今、そう命名した。
「大変失礼しました。お気をつけてお歩きください」
「あー? 気を付けるのはてめえだろ、できそこないの小人が」
「……」
ハゲデブリーマンは、必要以上に店員に絡み始めた。店員は返す言葉が無く、俯いたままプラカードを地面に置いて支えにするようにただ立ちすくんでいる。通り過ぎていく人並みも、二人の周囲をよけるような流れを自然と作り始める。
「お前、そこの店んだろう。何がご奉仕だって? 今日だって5万やられたぞ、この野郎」
「それは、その……」
ハゲデブリーマンは大声でわめき続けた。
「みなさーん、HOPSは仕事帰りの皆さんをだまして尻の毛まで引っこ抜くボッタクリ店ですよ~。詐欺まがいの宣伝に騙されて入ったら最後、一銭も出さない極悪営業中ですよ~」
店員はなおも俯いたまま反論せずにプラカードを握り締めていた。体が小刻みに震えているのが分かる。
光一は頭をポリポリと掻いてからため息をつくと、ポケットをまさぐり携帯電話を握り締めて二人の近くに向かって歩き始めた。
「お前、誇大広告だろ。損害賠償しろよ訴えるぞこのチビ助が」
ハゲデブリーマンの詰問が続く中、光一は携帯電話を耳に当てて話し始めた。
「えっ、何? 聞こえないよ。……電車止まってるの?」
わざとらしく声を大きくしたせいか、騒ぎの中心にいる二人だけでなく周囲の人間もチラッと光一の方を気にし始めた。
「困るなー約束に遅れちゃうじゃない。山手か京浜東北で回ってきてよ……そっちも別の人身でダメ? どうなってるのよ一体」
近くを通り過ぎようとした集団がザワザワし始める。
(まいったな、明日早いのにな)
(地下鉄行ったほうがいいかな)
(そうしたら二次会は失礼しちゃおうかしら)
(近くだし様子見に行く?)
もう一軒寄っていくか悩んでいた集団が、あきらめて駅の方向へ進路を変えていく。
「しょうがないな……先方には俺から伝えておくよ。うん、ああ分かった。いつ頃着きそうか分かったら教えて。俺も電車確かめてくる」
光一はため息をついて携帯電話を折りたたんだ。そして、気付かれないようにチラッと横目でハゲデブリーマンの様子を伺う。すると、奴もこちらの会話が気になっていたらしく目が合った。
「あの……」
先ほどまでの剣幕とは一変し、おどおどした様子でハゲデブリーマンは光一に話しかけてきた。
「電車止まってるんですか?」
光一はちょっと驚いてから困った顔を見せて答えてみせる。
「えっ? ああ、うるさくてすみませんでした。電車が地下に入る辺りで止まっちゃったらしくて電波悪かったから。何か、東海道線と横須賀線が架線トラブルとかで止まってるらしいですよ」
「山手と京浜東北は大丈夫ですか?」
「車内放送で言ってた、という話だから分からないけどそっちも人身があったらしいですね」
ハゲデブリーマンは酔いが覚めた様子で鞄から携帯電話を取り出すと時間を確かめた。
「まずいな、今日は大丈夫と思って録画予約してなかったんだよな……チューブ待つのも嫌だし……」
「どうしました?」
「一騎当千が……いや、何でも……」
「本当かどうか分からないから、駅行って確かめた方がいいですよ。電車止まったなんて嘘付く奴いくらでもいますから」
「あ、ありがとうございます」
そう言うと、ハゲデブリーマンは先程までの騒ぎようとは打って変わって静かになり、いそいそと駅の方角へ歩いていった。
騒ぎの中心から置き去りになり、プラカードの店員はぽかんと口を開けて光一を見ていた。
光一はハゲデブリーマンの姿が人込みに消えていくのを確かめていた。
「あれって……ああ、あの恥ずかしいスロか。最近、見慣れない奴らが打ってるとは思ってたけど」
「あのう」
見上げるようにして店員は光一に声をかけた。光一は身長180cmくらい、大人と子供というほどではないがかなりの差がある。
「ああいうのってな、自分が被害者だとか正義があると信じ込むと、とたんに普段出せない鬱憤晴らしに高飛車になる。根は逃げてばかりの小心者なのに。そんで、普通に他人と話すときは必要以上に畏まっちゃったりするんだよ」
「は、はあ」
「ま、いいや。それより早く店に戻った方がいいよ、じきに奴が戻ってくるかもしれない」
「何でですか? 電車が止まっちゃったとか」
「全部嘘だから」
「へっ?」
「あれは全部俺の独り言だよ」
「だって話してたじゃないですか」
「携帯で話してる姿って、他の人から見ると独り言ぶつぶつ喋ってるおかしな奴にしか見えなかたりするだろ。ワンカップ持ってうろつく意味不明なこと喚いてるおやじも、携帯持たせりゃ一応人として成り立って見える。そんなもんだよ」
「そう言われるとそうかも……でも、何で」
光一は店員の肩をぽんと軽く叩くと、いたずらが成功して喜ぶ子供のような無邪気な笑顔をこぼした。
HOPS店内はあまり冷房が効いていないのか、外とあまり変わらない温度で光一には過ごしやすかった。ほとんどの店は必要以上にクーラーを効かせていて、決して若くなくしかも細身の光一には寒いと感じるほど応える。
(確かにひどいか)
客がまったくいないわけではないが、閑散とした雰囲気は否めない。3階建てで設置台数も駅前で最大のホール、平日でも夜なら満台に近い稼動じゃないと成り立たないだろう。
稼動が下がる、割を低くしないと赤が出る、出玉が無いから客が飛ぶ、そしてまた稼動が下がる、の悪循環。
パチスロは数人、パチンコも半分くらいの客付きだろうか。最近は五号機導入で客が少なくなったパチスロの利益の低さをパチンコで補うホールがほとんどだろうが、それができていないように見える。他の店と比べると差は歴然だった。
パチンコのコーナーをゆっくりと流していると、島の陰で店員が二人話しているのが見えた。一人は白Yシャツにネクタイの社員らしき若い男、もう一人は先程の格好と異なり祭り法被を着せられたあの小さい店員だった。怒られているのかしきりに頭を下げている。
会話を終えて光一の姿に気付くと、あわてて店員は近づいてきた。
「さ、先程はありがとうございました!」
「どうしたの? 何か怒られてたみたいだけど」
「いいんです。上司に怒られるのはいつものことですから」
背の低い店員は中年顔をほころばせて光一に頭を下げた。こぼれた歯のうち前歯が一本銀歯で、笑顔も少し間が抜けている。胸のプレートを見ると「笑顔で対応 出玉で感謝 HOPS 牧」とあった。肩書きが無いことから決して店でも厚遇されていないことは分かる。
明らかに自分より若い社員に怒られて、何も気にせずすぐに笑っていられる。他人から見れば悲壮感を覚える姿だが、当の牧はそんなことを感じていない様子だった。
「ただ、お、お客さんに言われると応えます……」
「あんなの八つ当たりもいいところだ。あんたは経営者じゃない」
「一年前くらいはもうお客さんだらけで、よ、呼び込みに出る暇も無かったんだけど。マイク持って店内でガンガン煽ってましたよ」
「そうだな……」
(ああ、こいつは根っからのパチ屋店員なんだな)
光一は牧のことが好ましく思えてきた。ホールでは店内放送で客の大当たりを「ありがとうございます」とけたたましい音量と独特の口調やリズムで流す。店の目的はその客を祝福するのがメインではない。他の客の大当たりを知らせ射幸心をひたすら煽ること、店側が出していることを強調するためだ。
でも、この牧はそんなことまで考えていないように見える。客が出してくれることが単に嬉しい、客の幸せが自分の幸せ、という感じだった。どもり気味な話し方も、外での呼び込みではやたらスムーズにお決まりの口上を並べ立てていた。
「ずっとこんな感じ?」
「じ、自分もいつシフトを外されるか……」
島端の頭上に付いているランプが赤く光った。客がコールスイッチを押した知らせである。牧はそれに気付いていないようだった。
「呼んでるよ」
「えっ?」
「花の慶次の島。さっき一人だけ連チャン始まってたじゃない」
「わ、わ! ありがとうございます」
そばに積まれていた空き箱を抱えると、猛スピードで牧は駆け出した。パチンコでの呼び出しのほとんどは、大当たり時の箱の追加と一杯になった箱の積み出しだ。遅くなると出玉の置き場所が無くなり、客は打つのを中断して損を被りながら空き箱を探したり置き換えたりすることになる。これはパチンコ店としてはありえない。
(きっと色々鈍くさい生き方してるんだろうな)
そして、それは嫌いじゃない。
光一はわたわたと客の出玉を抱えて床に置く牧の姿を背後に、HOPSを後にした。
打ち終わった後の店周りの最後は、ゴールデン6に戻ってくる。他の店でも気になった台は番号をメモしているが、自分のメインホールは念入りに見て回る。
時間は九時を過ぎている。ゴールデン6では高設定台の発表がすでにされているはずだった。光一としては予想の答え合わせと、明日の台選びの予想材料として当然記録に残しておく。
店に入ると、やはりHOPSとの差は歴然としている。規模こそ比べものにならないが、密度や稼動を見ると十分に儲かって見える。一人から一日に五千円から一万円いただく。ときおり二~三万円勝てる客がいる。その客は日で異なり、ときどき客は勝って帰れる。結果的に店は儲かり、客もギャンブルに勝つという爽快感を持って家路につける。それが、理想の形なのだろう。自分はその中での異分子、許される範囲で日々の糧を拝借しているといったところか。
パチンコフロアの盛況を通り過ぎ、地下のスロットフロアに向かった。この時間だとそこそこ客つきも良く、稼動によって各台の設定もおのずと見えてきていた。
各機種に高設定を散らすパターン。死に島を作らないようにし、ジャグラー他ミドルスペック機に厚めに設定を入れている。
(爺さん、ぶち当てたな)
ジャグ爺が打っていたアイムジャグラーのゲームカウンターを調べる。そのそばにはドラゴンボールに見立てた設定6確定札と、3000枚突破札が刺さっていた。ビッグ32回、レギュラー28回、いい感じで出ている。総ゲーム数は6232。
(少ないなあ、さすが爺さんのんびり打ってたな……というか、これでこのボーナス回数ってどんな引きしてるんだ!?)
その気になれば9000回以上は回せる。そうすればビッグ40回もいけたのではないだろうか。ただ、そんなことをすればジャグ爺はピエロの手で天に召されてしまうだろう。
戦国無双は設定6でもビッグ3回レギュラー0回、設定6の恩恵を受けないまま沈没していた。ルパンの札台は素直な2000枚ほどの出玉。スーパージャックポットはほぼ全台で1000枚くらい出して見せていた。一週間くらいはこんな感じだろう。
(さて、リンかけは……)
夕方まで自分が打っていた台に向かうと、あの時座ったキャップの若者がまだ打っていた。どうやらジャブジャブ漱石さんをコインサンドに突っ込んでいるようだ。もちろん札は刺さってない。光一の後、1000G越えが1回、ビッグ2回、ミドル1回。若者は怒っている様子で打つ手つきも荒い。そして、勧めた店員の渡辺は早番ですでにもういない。
そして、札が刺さっていたのがベレー娘が打っていた台だった。札の内容は「4・5・6札」、設定4か5か6という意味だが、その中身はもちろん4に決まっている。ベレー娘の姿はすでに無かったが、
どうやらあの後、多少は持ち直しだった。
光一としては、本命がハズれて対抗と思っていたのがアタリだった。ハズしながら展開を見てプラスの時点で逃げを決め込んだ。最高ではないが、及第点はもらってもいい。日々の糧を得られれば文句は無い。
(明日は新台打ってみようかな……平日最後だし)
キン肉マン・エヴァなどプロ定番機種が無いホールで、新台ながら完全告知のゆるい台を朝から打つ。自分では悪くないと思っている。
光一は一通り狙い台や出玉が目立った台のメモを取り終えると、フロアの片隅にある休憩コーナーの椅子に腰を下ろした。近くの自販機で缶コーヒーを買い、タバコを取り出す。ホールを何件も歩き渡り、ましてや今日は牧という店員の騒ぎにもちょっとだけ介入して疲れてしまった。二十代の頃はこんなことは当たり前、早上がりの場合は他の地域に足を運ぶこともあった。
座ったまま足を投げ出して大きく伸びをする。
(一服したら、ホントは止まってない電車で今日も帰りますか……呑むのはおウチということで)
大あくびをして涙をこぼし、指で目を拭う。取り出した一本のタバコに火をつけようとした時、目の前に立っている人の姿に気付いた。
座っていた光一が見上げると、そこには見覚えのある女性が立っていた。
「あの……」
(べ、ベレー娘!?)
光一はくわえたタバコをぽろりと床に落としてしまった。帽子を深く被り、俯きがちにつばで視線を隠すベレー娘は申し訳なさげに話しかけてきた。
「どうしたの……ですか?」
思わず敬語を使ってしまった光一に、ベレー娘はきキッときつく視線を向けた。
「私を、買ってくれませんか?」
春音。俺、どうしたらいいだろう?
(設定2へつづく)
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