初恋の正しい終わらせかた。

ホウボウ

冬はまだ、始まったばかりだ。

「あー。ほんと冬って感じだなぁ……」


 窓から見えるのは灰色の空。鉛にも似たそれは、いやでも心を暗くさせてくる。秋にはこれでもかというほどに主張していた校庭の銀杏並木も、色彩を無くしてしまって久しい。風に吹かれ、黄色い葉が舞うあの光景は秋の終わりを告げるようで、どうしても見入ってしまうものだったけれど。

 ……冬が来ていることを教えてくれるかのような今の光景に、少し寂しさを感じる。


「なに暖かい部屋でぬくぬくしてる先輩が言ってるんですか。ひざ掛けまでして……ホント外で部活してる運動部に失礼ですよ、失礼」

「なんかひざ掛けすると落ち着くんだよな……ってのはどうでも良くて。――別に寒いだけが冬って訳じゃないでしょ? 校庭の銀杏が散って寂しいなぁ、ってちょっと思っただけ」


 ――――私も今、同じことを考えてました。



 ……なんてかわいいこと、言えるような性格でもない。


「……そうですね」


 私はただ、そうそっけなく返すのが精一杯だった。


 割り当てられた狭い部室。その部屋に先輩と二人きり。

 ドキドキして、体温が上がってしまうのは私の方だけだな、と。二人だけしかいない狭い部室を暖める、ヒーターのオレンジの光を見つめてはぼんやりと思った。


 * * *


 最初は部活に入る気なんてなかった。――だから新入生向けの部活紹介なんてまともに聞いていなかったし、仲の良い友達から誘われても「勉強がんばりたいんだ、ごめん」とかなんとか言って、全部断った。


 ……正直言って、別に勉強なんてどうでも良かった。

 そこまで高い目標があるわけでもない。人並みにできればいいや、ぐらいにしか思っていない。(「学生の本分は勉強だ」と思って指導してくる教師や真面目な学生の人には申し訳ないのだけど)

 ただ、自分ひとりで過ごせる時間が欲しかっただけ。

 ――誰かと遊んだり、話したりするのは嫌いではない。けれど、自分を自分として保つための時間がどうしても欲しかったのだ。

 たぶんそういうことなんだろう、と気がついたのは、あんなに「勉強があるから」と断っていた部活に――文芸部に入って少し経ってからのことだった。



 本を読むのは好きだ。自分の知らなかった知識を、考え方を、視点を、与えてくれる本が好きだ。

 ……父が大きな本棚を家に置いていた(その割には部屋中に本が積まれてあって、母に『ちゃんと仕舞って!』とよく怒られていたけど)のもあるかもしれない。そこまではよく分からないけれど。

 ――分からないけれど、ひとりで過ごすときは本が側にあった。


 図書館が広いと自慢の高校。今時流行らないであろうアピールポイント。ここに通うと決めたのも、もしかしたらそれが一つの理由だったかもしれない。


 広く、蔵書量も多い図書館。……定期試験の前でもない限り、人があまりいないその場所。そこで私は出会ったのだ。

 ――後に部活に入る原因となるその人に。



「本、好きなの?」


 突然話しかけてきたのは見覚えのない男子生徒。いきなりの質問に、どう答えたかは覚えてない。が、二言目に「もし良かったら文芸部入らない?」と強引に勧誘されたことだけは鮮明に覚えている。


 話を聞いているうちに、話しかけてきたのは自分より年が一つ上の先輩だと知った。――そして彼の所属している文芸部が、来年から部員不足で廃部になってしまうかもしれない、ということも。

 それでも私は即、その勧誘を断った。折角友達に嘘(半分くらい?)を吐いてまで得た貴重な時間を、部活動なんかに取られてたまるかと。断った後の先輩の笑いながらも寂しそうな姿に少しだけ申し訳なく思ったけど、それも最初の何度かだけ。

 ……何度断っても、何度も何度もしつこく勧誘してくる先輩。その諦めない姿勢に少し体験するだけ、と折れてしまったのは仕方のないことだと思う。


「ここが部室」


 まあ、まともに来てる部員なんて俺ぐらいなんだけど。……と案内されたのは図書館の中にある一室。貸出禁止の本の棚がある部屋も横にあり、まあ簡単に言うと「図書館の奥」といったところにあった。すこし狭いけれど、あまり広すぎるのも落ち着かない。何より図書館より椅子と机が上等なモノだったのが心を揺さぶった。


「部員じゃないけど、どうせ僕以外に部室に来る人も居ないし」

 と言って同伴することを条件に入室を許されているうちに、だんだんと居心地が良くなっていき。……秋になる頃には入部届にサインしていた。


 最初は少し鬱陶しいとも思っていたけど、本を読んでいる時には話しかけて来なかったなと、そう気づいた時には少しだけ好感を持った。本の世界に入り込んでいる時に外界からの横槍が入ると、一気に冷めてしまうのだ。……最悪、その本を読み返すのが一ヶ月や二ヶ月先になることだってあった。

 でも、先輩は本好き同士でそういうのがなんとなく分かっているのか、集中して読んでいる時には話しかけてこないし、居ないものとして扱ってくれる。


 そこにいるのに、気にしない。そんな風に扱ってもらえるのは初めてで。その空間の心地よさに溺れてしまうのも時間の問題だった。


 ――そして、なんだかんだと面倒見のいい先輩に淡い恋心を抱くのも。






「そう思えば先輩、受験勉強の方はどうなんですか? 部室に来ても最近は本読んでばっかりですケド」

「んー? 何それ? そんな言葉初めて聞いたけど……」

「現実逃避するのも大概にしてくださいね」


 こんな風に軽口を叩けるようになったのはいつ頃からだっただろうか。……こうやって気軽に接することのできる先輩も、この心地の良い空間も。卒業と一緒に消えてしまうかもしれない。――そう思うと少し寂しい。


「まあ、なんとかなるでしょ。大学に行くだけが人生でもないんだし」

「だからといって家業を継ぐとか、そういうのはないんですよね」


 先輩の家は普通のサラリーマン家庭だと、いつか聞いたのを思い出す。

 逃げてるのバレちった、とでも言いたげな顔をして、しぶしぶ参考書を鞄から取り出す先輩。その姿に安心した私は、読みかけの小説に掛けた紐を手繰った。



 ――静かな時間が流れる。二人の中で先に集中が切れたのは私の方だった。「あとがき」に達した本を閉じ、机に置くと、目の前で真剣に勉強している先輩が目に入る。

 真剣に勉強している先輩の横顔を見ながら、こうやって集中している姿を見たのはあまりないな……と。そんなことを考えているうちに、一段落した先輩が伸びをした。


「どうですか、進み具合は」

「うーん、まあまあってとこかな。てか、見られてたの……? けっこー恥ずかしいんだけど……」

 真剣に勉強していたところも、その後伸びをして緩んだところも、ばっちり見ていたけれど。私は見てないですよと、そう嘘をついた。これぐらいの嘘は許して欲しいと思う。


 その後、今年は幽霊部員が入ってくれたから安泰だ、とかなんとか話しながらぐだぐだとているうちに下校時刻になっていた。

 先輩が戸締まりをし、その鍵を返すのを待って、一緒に校門を出る。


「それじゃ、僕はこっちだから」

「あ、お疲れ様です」

 改札を通った辺りでそこそこに話を切り上げ、駅のホームで分かれる。先輩にこうやって挨拶できるのも後何回ぐらいなんだろうかと――そんなことを考えさせられてしまった。


 高二の冬。先輩の卒業はすぐそこまで迫ってきていた。



 ……といっても恋愛(?)初心者な私に何か現状を打破できるような特別なコトなど何も思いつくはずがなく。ただ、いつものように先輩と放課後の時間を静かにすごしていた。

 何やってんだ、と自分に問いただしてはみるものの、直接的な行動が起こせるハズもなく。ああでもない、こうでもないと悩んでいるうちに私の登校日も残り僅かになろうとしていた。



 ――そんなある日だった。


 いつものようにホームで別れ、ぼうっと電車を待っていた。その時自分の前に立っていた同じ制服の女の子がカバンを肩に上げようとして――目の前でちらり、と揺れたのだ――自分の想いをそっと伝えられる〝ソレ〟が。


 その日、私はそれを買いに走った。それはもう、全速力で。普段の運動不足を恨むぐらいに。


 * * *


「――――で、先輩。第一志望には受かりそうですか?」

 いつものように下校のチャイムが鳴る。鞄にギリギリまで詰めようと苦戦する先輩に、私は話しかける。


「あー、もう。嫌なこと訊くなよ……春日は親か?」

「私はちゃんと努力してる姿は見てますから」

 うーん、どうだろうな。まあまあかな、と悩みながらも答える先輩。


「まあまあって……」

「受験だから何があるか分からんだろ? 結構これでも精神的にキてるんだぜ、俺」

「そんな受験も人生もまあまあで過ごす先輩にプレゼントです」


 ごそごそ、と鞄を漁る私。中から取り出したのは――


「呪いの札……」

「違いますよ。何言ってんですか」

「ああ、なんだお守りか。春日のことだから俺が全部滑るように呪ってくるのかと……」

「普通に合格祈願のヤツですよ。……近所の神社ので悪いんですけど」

「え、マジで俺にくれる流れなの? クリスマスプレゼントみたいで超嬉しいんだけど」

 朱色のソレを手の中で転がして、本当にありがとう、大切にするよと、そう言って笑う先輩を見てほっとする。……プレゼントを貰うことに抵抗あるタイプだったらどうしよう、と少し不安だったからだ。

 お守りの紐を指に掛け、くるくると指先で回す先輩が帰り道「女の子から何かプレゼント貰うの、もしかしたら初めてかもしれないな~」なんて言うから。

 ……私が先輩の〝初めて〟になれたのが嬉しかった、なんて気持ちは心の中に仕舞っておくことにする。



 ――絶対に忘れないで、とは言わないけれど。


 彼の心の中に、少しでも私の姿が忘れられないように残ってくれればいいな、と。

もう一つ買った自分用のを握りしめながら、そう思った。

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