第31話 SSSランク

「昨日、君がバージニアにお金を貰うのを見たんだ。結局お弁当とガソリン代しか使わなかったから、残りのお金をどうするのかな、と思ってね」


「なるほど。それを確認に来た、と。大した洞察力です」


「うん、ナオミに言われるまで僕は気にも留めなかったけどね」


「でしょうね。オズワルド様の不足気味の愚鈍な脳で気が付ける訳が無い」


 ナオミは思わず赤面してしまう。

 オズワルドが自分で気が付いた事にしてくれれば、それで良かったのだ。


「口に気をつけたまえよエフォート。僕はその気になれば、君を全裸でボールドウィン侯爵の部屋に放り込めるんだ」


「殺す、と言われるほうがマシですな」


「でもまあ、お金の事なら良い使い方だと思うよ」


 三人の前には、ボロを着て薄汚れた顔をした子供たちが群がっていた。

 彼ら彼女ら一人一人に、ナオミが大鍋で作ったシチューを配膳する。

 エフォートの買った食材は日持ちのする物が中心だが、オズワルドは野菜や肉といった生鮮品を主に購入していたのだ。


「おねえちゃん、ありがとう!」


「え、ええ」


 ナオミからシチューを受け取った少年は満面の笑みを浮かべ、貪るようにシチューをかきこんだ。

 少年は青っ鼻をすすりながら、湯気にむせた。


「慌てちゃだめです。ゆっくり食べるのです」


「うん! おねえちゃん大好き!」


「まあっ! おマセさんなのです」


 ものの十分もしないうちに、全員にシチューは行き渡ったようだ。


「僕たちも食べよう。あそこがエフォートの小屋だって」


 オズワルドが指差したのは、橋の下にある小さな小屋。

 そこで三人もシチューにありついた。


「ナオミの料理は相変わらず美味いなあ。なあエフォート、君もそう思うだろう?」


「ええ、とても。あなたには勿体ないですよ、これは人間の食べ物です。それも上等の。オズワルド様は豚の餌をお召し上がりになるべきです」


「豚? そうだ、明日は豚を食べよう。僕は豚が大好物なんだ」


 オズワルドとエフォートがとても仲良しになったようで、ナオミは微笑ましくなった。

 壁や棚には様々な工具が並び、オズワルドは興味深くそれらを眺めていた。

 一斗缶には『ラテックス』のラベルが貼られており、あの精巧なマスクもここで作られているようだ。


 食べ終わる頃、ドアがノックされる。


「エフォートさん、オリビアです」


「ああ、入ってくれ」


 遠慮がちに入ってきたのは、栗色の髪をしたソバカス顔の少女だった。

 年の頃は小学校の高学年といった所だろう。

 しかし、おそらく学校には通っていない。


「エフォートさん、いつもありがとうございます。この前、スクラップ・ヤードでこんな物を見つけました」


 オリビアがエフォートに差し出したのは、三十センチ四方の緑色の板。

 黒い石や小さな円柱、ファスナーのような溝の入った部品が所狭しと並んでいる。


「これは……『マザーボード』か。オリビア、よくやったぞ。これは大変な物なんだ。……ありがとう」


 エフォートがニコリと微笑むと、オリビアは顔を真っ赤にして小屋を出て行った。

 オズワルドは全く気付いていないようで、ノンキに鼻をほじっている。

 だが、ナオミにはすぐにわかった。

 オリビアはエフォートの事が好きなのだ。


「マザーボードって?」


「コンピューター部品を取り付ける基板ですよ。……残念ながら壊れているようですが」


 エフォートの言うとおり、端の方が掛け、緑の板にヒビが入っている。


「ほんのちょっとじゃないか」


「目に見えないほど細かい電気回路なんです。一カ所でも切れてしまえば、この世界では修理できません」


「そっか、残念だなあ」


「そうでもありません。貴金属が取れますからね」


 エフォートはマザーボードを木箱にしまった。

 木箱には、他にも似たような部品がいくつか入っているようだ。

 机は万力の置かれた作業机で、ファイルや工具の山ができている。


「ここは以前話した戦友の隠れ家でしてね。今は私が工房に使わせてもらっています」


「へえ~!」


 オズワルドは目を輝かせて身を乗り出した。

 こんな嬉しそうな姿を見るのは久しぶりだ。

 ナオミの胸にも温かいものが浮かんでくる。


「あなたの脳で理解できるかわかりませんが、まあ軽く説明くらいはしてやってもいいですよ」


「そうこなくっちゃ!」


 その日、オズワルドは終始ご機嫌だった。

 ナオミは残りの食材で、夕食の準備に掛かるのだった。


 ◆ ◆ ◆


 翌日。


「まだかしら。遅いわね」


 オズワルドが来る。バージニア・リッチモンドの家に来る。

 バージニアの頬は思わず緩んだ。

 身体を念入りに洗い、香水を吹き付け、ドレスを選ぶのに悩み、アクセサリーでまた迷う。

 髪型や化粧はスタイリストが全力を尽くしてくれた。

 見せる予定は無いが、下着も最新デザインの背伸びしたセクシーな物だ。


「お嬢様。オズワルド様の出迎えは私がやりますので、奥でお休みください。これは使用人の役目です」


「嫌よ。そもそもあなたが迎えに行けば、待たなくて済んだんじゃない」


「どうしても寄りたい所がある、との事ですので」


 デビッドが言うならそうなのだろう。

 何だかんだでオズワルドとは仲が良いのだ。


「んもう。仕方がないわね」


 ティーパーティーには他の級友も呼んである。

 そろそろ戻らなくてはいけない。

 屋敷に向かってきびすを返そうとしたその時だ。


「ガッ! ガッ!」


「あれは……?」


 バージニアは思わず目を擦った。


「ガッ! グガガッ!」


 曲がり角から姿を現したのは、地響きを立てて闊歩する奇怪な生き物。

 見上げれば、背に乗っているのはオズワルドとメイドのナオミだ。


「なによ、あれ!?」


「やあ、バージニア。今日はお招きいただき、ありがとう」


 オズワルドはまるで崖から飛び降りるように、その生き物の背中から降りた。


「グガアアァアーッ!!」


 丸々と太った、それでいて筋肉質の身体、ホオズキのようにらんらんと光る凶悪そうな目、ナイフのように鋭い牙と、巨大な鼻。


「ズオオォオーッ!!」


 それ・・が雄叫びを上げると、思わずバージニアは後ずさる。

 恐怖に脚が震えた。

 本能が、全身の細胞が危険を告げている。これは、人間の敵う相手ではない。

 多少魔法が使えるとはいえ、ちっぽけな人間など吹けば飛ぶ蟻も同然だ。


「これ、お土産。みんなで食べて」


「な、何よコレ……?」


 オズワルドは軽く首を傾げると、何でもない事のように話し始めた。


「見ての通り、豚だけど。サウスブロックの養豚場で買ってきたんだ。なんかSSSランクとか言ってたよ」


「え……えと……強さのランク?」


 この巨大で凶暴な顔は、二、三人殺していてもおかしくない。

 オズワルドは豚だと主張しているが、怪しいものだ。

 サイズは豚どころか牛よりもずっと大きく、大型トラックに匹敵する。

 このような生物が存在するなど何かの冗談か、あるいは夢に違いない。


「味のランクだと思うよ? 普段は高級レストランに売ってるんだってさ。買おうとすると、なぜか養豚場の主人が僕にお金を渡そうとするんだよ。普通、逆だよね」


「そ、そういう事もあるかしら」


 おそらく、あまりにも凶暴すぎて手が出せないのだろう。

 養豚場の主人は、処分料のつもりでオズワルドに金を渡そうとしたに違いない。

 その時の顔が目に浮かぶようだ。

 バージニアの想像の中で、その男は膝を付いて涙を流しながらオズワルドに手を合わせていた。


「もちろん、ちゃんと僕の方がお金を払ったよ。貴重な食料を分けてもらうんだから、当然さ」


 人の食料ではなく、人を食料にしそうな顔をしている。


「グルルルル……グフーッ!! グフーッ!! ドワオォォォオオオッ!!」


 空気がビリビリと震える中、デビッドがオズワルドに駆け寄った。

 その背中が震えているのは、恐怖か、あるいは怒りか。あるいは両方だろう。

 この恐ろしい魔獣を前にして平静でいられるのは、鋼のような精神の持ち主である。


「お引き取りください」


「でも僕はバージニアに招かれて……」


「この化け物を連れてお引き取りください! 当家に入れるのは人間だけです! 怪獣は入れません!」


「グガアアァアアーッ!! ドワオォォォオオオオオッッ!! ズオオオォォォオオーッ!! キシャアアァァァァアアアアァァァアアアアアアッッッッ!!!!」


 怪獣が雄叫びを上げ、空気が、いや大地が震える。

 周囲の人々は通行人も含め、誰もがこの世の終わりを予感した。

 人の身においては決して抗えない、世界の破滅そのものという『現象』だ。

 その場の誰もが、絶望に身を包まれて天を恨んだ。

 人類には、もはや打つ手などない。ああ、人生とはかくも唐突に終わるものなのか。


「やれやれ。僕はバージニアへのプレゼントのつもりで買ってきたのに。何で君に追い出されるかなあ。……わかったよ、連れて帰るよ」


 オズワルドは人差し指を立てると、小さな魔方陣を呼び出す。

 怪獣は一瞬全身を硬直させると、その場に倒れ込んだ。

 地響きはまるで地震だ。


「夕方までは目覚めないよ。これでいいかな?」


「……まあ、よいでしょう。暴れないように繋いでくださいね。あと、必ず連れて帰ってください。いいですね!」


「ちぇっ」


 寝息を立てる怪獣を横目に、メイドのナオミがスカートの裾をつまんでお辞儀する。


「こんな事もあろうかと、クッキーを焼いてきたのです。お収めくださいませ」


 バージニアは包みを素直に受け取った。


「あ、ありがとう。ええと、あの、は、入ってちょうだい」

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