第30話 エフォートの休日
「ふん、ふふ~ん♪」
この部屋は半地下なので、窓が地面の高さにある。
ナオミの目の前で、オズワルドは四つん這いになって窓枠をカタカタといじっていた。
「…………」
吊りズボンの尻に引っかき傷が出来ていた。
即座にポケットから針と糸を取り出し、即座に縫い合わせる。
オズワルドは気付きもしなかった。
ナオミは満足して裁縫道具をポケットにしまう。
「よし」
カチリ、と音がして錠が外れる。
なお、番犬はオズワルドがとっくに手なずけていた。
野生の熊や猪と比べれば、訳は無いという。
「さすがなのです。オズワルドさま」
「はっはっは。そうだろう、そうだろう。この鍵は簡単、オモチャみたいなものさ。……よいしょ、っと」
ウナギのようにヌルリと潜り込むと、続いてナオミも滑り込んだ。
スカートの中が見られてしまうかもしれないと思うと慎重になる。
ここはリッチモンド家の使用人室、つまりエフォートの部屋だ。
「ナオミはウバスにいた頃、鍵なんて使った事が無かったのです」
「僕もだよ。でもある日、出かける時に鍵を掛けると都会っぽいかな、と思って掛けてみたんだ。ほんの出来心だったけど……」
「お屋敷中大騒ぎになったのです。ドアが開かない、って」
「懐かしいな」
その事件の事は、ナオミもよく覚えている。
ドアや窓に鍵を掛けるなど、ウバスでは有り得ない事だ。
「出かける時に鍵を掛けるなんて、オズワルドさまはイタズラっ子なのです」
「父さんにさんざん怒られたっけ。いつか鍵を掛ける生活をしてやる、と思ったものさ。でも、実際にやると面倒なだけだな」
「まったくなのです。でもそれ以来、オズワルドさまが鍵を研究したおかげで入れたのです」
「そうだね。何事も無駄なんてものは無いのさ」
堅そうなベッドでは、エフォートが静かに眠っていた。
まるで死んでいるかのように微動だにしない。
「ナオミ、エフォートを起こしてくれ」
「はい、オズワルドさま」
エフォートの毛布を乱暴に剥ぎ取る。
せっかくオズワルドが来ているのにのんきに寝ているなど、失礼にも程があった。
「あれっ?」
毛布の下から現れたのは、エフォートの身体ではなく丸めた毛布だった。
生首のように転がっているのは、よくできた作り物の頭部である。
オズワルドはその頭部を抱え上げると、まじまじと興味深そうに眺めた。
「なあんだ。エフォートは顔だけだ」
「でも、よくできているのです」
「まあね。しょせん顔だけだけど」
「手足も胴体も無いのです」
「うん、エフォートは顔だけだ」
「……いい加減、不法侵入はおやめください。オズワルド様」
ドアが開き、トレイにカップを載せたエフォートが姿を現した。
今日はお仕着せの執事服ではなく、私服のジャケットにスラックスだ。
「なぁんだ。もう起きてたのか。おはよう、エフォート」
そう言うと、中央に置かれた丸テーブルに紅茶の入ったカップを並べる。数は二つ。
どうやら最初から二人が来る事を予測していたらしい。
「デビッドです。ここではね。どうぞ、お掛けください。グリーンバーグさん」
エフォートは椅子を引き、ナオミを座らせた。
「ええっ? ナオミだけですか?」
「私は顔だけの気が利かない男らしいので、馬鹿な田舎貴族なんか知りません」
「やれやれだ。顔は良くても口は悪いなあ」
結局オズワルドもテーブルに掛けた。
ナオミに出された紅茶を渡そうとするが、オズワルドは柔らかな笑顔でかぶりを振った。
遠慮しながら口を付ける。
低質な茶葉を使用しているようで、値段なりの香りが鼻孔を包んだ。
「私は上品に話しているつもりですよ? ……まあ、それはいいです。結果的に伺う手間が省けましたから」
エフォートは懐から一通の封筒を取り出した。
「とりあえず、停学明けおめでとうございます。バージニアお嬢様がお祝いをしたいとのことですので、これが招待状です」
「お、なんか都会の貴族っぽいね。お茶会ってやつだ」
オズワルドが受け取った封筒は、封蝋の代わりにキスマークが付いている。
「リッチモンド家は都会の貴族ですよ。やれやれ、私はあなたの執事じゃないんですが」
「バージニアの執事でもないだろう? 君は従僕と言ったほうが正確だ」
「都会の貴族ってのは見栄を張るもんです」
「ふうん。大変だねえ」
オズワルドは高貴で上品な笑みを浮かべながら、封を切った。
横目でチラリと文面を覗き込むと、どうにも恥ずかしい文句がずらずらと並んでいるようだ。
ナオミは少し悲しい気分になってしまう。
「……この家でやるのか。まあ、僕の部屋は狭いから仕方がないけど」
「開催は明日の午後です。どうせ暇でしょう」
「お、僕のスケジュールもちゃんとわかっているね。さすがだよ」
「……ちっ。お嬢様に感謝することですね。さ、お引き取りください」
エフォートは椅子を無理矢理引っ張ってオズワルドを立たせる。
「ときにエフォート。仕事はいいのかい?」
「……今日は休暇を頂いておりますので」
「だろうねえ。私服だもんねえ」
◇ ◇ ◇
「…………なぜ付いてくるんです」
「君が自分で言ったんじゃないか。僕は暇なんだ」
「そりゃあ良かったですね。永久に停学でも私は全然構わないのですよ。もっとも、世間一般ではそれを退学と言うようですが」
ナオミとオズワルドはエフォートの後を付いて、平日の王都を歩いていた。
ウバスと違い、町ゆく人々は誰も忙しそうに早足だ。
エフォートは大きなリュックサックと、両手に大きな紙袋を抱えている。
中身は全て食料だ。
米や小麦粉、乾パンや缶詰が主だが、中にはキャラメルやチョコレートといった菓子も僅かながら含まれている。
買い物をするエフォートを後ろから覗き込む二人を、彼は舌打ちしながらも追い払おうとはしなかった。
「それは困るな、ちょっとだけね。ときにエフォート。この先はスラムだけど、良家の使用人がそんな所に何の用だい?」
「すでにおわかりでは?」
「さあ、何の事かな」
今日のオズワルドは比較的大人しい服装をしているのだが、それでもこの辺りの住民よりは身なりが良い。
行き交う人々も、少しずつ柄の悪い人々が増えてきていた。
ある者は露骨に三人――おそらくはオズワルドを睨み付け、地面に唾を吐いて舌打ちする。
「お高くとまりやがって……吸血鬼が」
貴族に対するあからさまな憎悪だ。
実際に貴族が人の血を吸う訳ではない。
平民が領主に納める税金や年貢を血に例えているのだ。
ウバスでももちろん同じだが、領主の人柄か不満を口にする者は少なかった。
辺境ゆえ小作料が安かったというのもあるだろう。
住民も先祖代々ウバスの住人ばかりだ。
しかし、王都ではそうは行かない。
耕作に使える土地は僅かだし、そこには既に昔からの小作人がいる事だろう。
新たに王都に流れ込んだ者は、もう耕す土地が無い。
「…………」
ナオミは抱えた紙袋を抱きしめる。
これも中身は全て食料。
オズワルドの買い物だ。
「……ご存じの通り『デビッド』は世を忍ぶ仮の姿です。このエフォートは本来、ただの平民の労働者なのですよ。そして……」
いつの間にか、三人は薄汚れた少年少女たちに囲まれていた。
あちこちツギの当たった、薄汚れた服。漂う異臭。顔も垢で真っ黒だ。
彼らの目には警戒の色が浮かんでいる。
ナオミは不安になってオズワルドの袖を掴んでしまう。
「大丈夫だ。問題ない」
さすがにオズワルドは全く動揺していないようだ。
頼もしくなり、安堵の息が漏れる。
一人であれば泣き出していたことだろう。
「――彼らの協力者です」
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