第29話 英雄の丘

「身構えるこたぁねぇ。ここは騒ぐような場所じゃないからな」


 ボールドウィン侯爵はタオルで汗を拭うと、ポケットからボロ布……いや、タンクトップに袖を通した。ただし、袖は無い。


「ここは『英雄の丘』と呼ばれていてな。このムーサは去年のクーデターの時、王女を乗せた潜水艦が旅立った港だ。犠牲者も多く出て、そこに慰霊碑が建ってる」


 ボールドウィンは小さな石碑の前に膝を付くと、厳かに頭を垂れた。

 特務潜水艦サラ・アレクシアの活躍については、エフォートも知っていた。

 当時のエイプルは『神聖エイプル』の成立により国際社会から孤立し、同盟国だったオルス帝国からも宣戦を布告されていた。

 オルス帝国皇帝との和議を結ぶために、多大な犠牲を払って潜水艦は出奔したのだ。

 結果は歴史の示すとおり。

『神聖エイプル』は壊滅し、時を同じくして大陸戦争も休戦となった。


 しかし、今はボールドウィンだ。

 この男は『シルバー・ピジョン』の正体がエフォートである事に気付いている。

 捕まる訳には行かない。

 カモメの声だけがこだまする中、エフォートはジリジリと距離を取る。

 自動車までの距離は約五十メートル。

 全力で走れば、おおよそ五秒。


「…………」


 こんな所にボールドウィンが現れるなど、完全に予想外だ。

 やはりオズワルドは疫病神である。

 当のオズワルドは何も考えていないようで、のんきに鼻くそをほじっていた。


「おいデビッド。いやエフォートとか言ったか。オレはなにも、今すぐお前を捕まえようってんじゃねえ。政府はコンピューター部品をお前に集めさせて、まとめて頂くつもりらしいんでな。つまり、部品がある程度揃うまではお前を泳がせる、って訳だ」


 それを本人に告げるとは、ずいぶんと舐められた話だ。


「……ほほう? そんな事を私に話してどうするつもりですか?」


 ナオミを人質にこの場を脱出する――最初に頭に浮かんだこのアイデアは、即座に却下だ。

 そうなればオズワルドとボールドウィン、両方と戦う事になる。

 勝ち目は全く無いだろう。額に汗が浮かんだ。

 オズワルドと並んでボールドウィンもまた、最強クラスの魔法使いである。

 攻撃魔法は使えないが、防御魔法を応用した白兵戦が得意なのだ。

 加えて見た目通りの腕力も侮れない。


「つまりだな。お前を捕まえるよりも、抱き込んだほうが合理的だと判断した訳だ。つまり――」


 ボールドウィンは身をよじり、『サイド・チェスト』を決める。


「クックック……オレも手伝ってやるという意味だぜ! 同盟成立だ!」


 この男には人の話を聞くという発想が無いらしい。


「それはありませんな。私に何の利があるんです」


「エフォートがどうなろうと、デビッドとは無関係だ。オレはそんなヤツは知らねぇ。つまり――」


「黙認して頂ける、と」


「そうだ。こっちの仕事が済んだら執事でも羊でも勝手にやってろ。その薄い髪を丸刈りにして、その毛でセーターを編め」


 エフォートにとっても利のある話といえる。


「まあ、いいでしょう。私の髪は未来のあなたと違ってフサフサですがね」


「クックック……さあ、どうかな! お前と違ってオレは毛根も鍛えているぜ!」


 エフォートとボールドウィンの視線が交錯し、まるで火花が散っているかのように敵意と敵意がぶつかり合う。

 先に目を逸らした方が負けだ、とも高も思っているのだろう。

 緊張感溢れる時間は、一秒がまるで永遠にも感じられた。

 しかし、その張り詰めた空気はナオミののんきな声で断ち切られてしまう。


「うわあ。お似合いです、オズワルドさま!」


「はっはっは、僕は上品だからね。仕方ないね」


 マヌケなオズワルドは、ナオミの作った花輪を頭に被ってご機嫌だった。

 実際には上品さなど欠片もない。

 思わず殴りたくなってしまうのを必死に堪えるが、オズワルドは意外な行動に出た。


「綺麗な花だ。でも、僕の頭に飾るより、こっちにお供えした方がいいだろう」


 花輪を慰霊碑にかけると、膝を付いて頭を垂れたのだ。


「ここは勇者たちの眠る所だからね」


 ◆ ◆ ◆


「ふむ。では新たに発見された『マザーボード』の回収は……八九三八一〇番にお願いしよう。大役だが、頑張ってくれたまえ」


 怨嗟の表情に見える、異国の奇妙な仮面を被った男はそう言った。

 壁際に置かれた革張りのソファに背を預け、優雅に脚を組んだその男こそ、この『集会』の主催者。

 顔は知らない。名前も身分も、誰も知らない。

 彼だけではない。この部屋に集まった数十人の老若男女のうち、誰一人として素性が明らかな者は居ないのだ。

 この『主催者』も一番台の持ち回りである。

 服装や立ち振る舞いを見る限り、参加者は身分の高い人間ばかりのようではある。


「はっ。お任せを」


 八九三八一〇番と呼ばれた仮面の男は、深く深く頭を下げた。

 窓はカーテンが全て閉ざされ、魔法のランプだけが室内を朧に照らしている。

 この魔法のランプは、僅かな魔力を込めるだけで一晩中部屋を照らすことができる優れものだ。

 当然、魔力を持たない平民には使うことができない。

 近年では電灯の普及により、スイッチ一つで誰でも使える照明が普及している。

 それでも、この部屋を照らすのは魔法のランプだ。

 これまでも。そしてこれからも。


「次の議題は? 誰か何かあるかね」


 手を挙げたのは、白無地で目の分にスリットが入っただけのシンプルな仮面の男。


「この所『シルバー・ピジョン』を名乗る蠅がコンピューター部品を集めているようだが。あの蠅を放っておいて良いのか?」


「ふむ」


 主催者は組んでいた膝を組みかえる。


「その蠅が何のために集めているのか、心当たりは?」


「さて。さっぱりだ」


「だが、我々が銀の鍵……『ハードディスク』を確保している以上、大したことはできないと思うがね」


「それはそうだが、目障りだ。コンピューターは我々『マイオリス』の物だろう」


 仮面の参加者は、そうだ、そうだと声が上がる。


「では、身元がわかり次第すぐに処分するとしよう。他に議題は?」


 手を挙げる者は居ない。


「では、最後に私から。これが一番重要なのだが……オズワルド・ノートン君の勧誘だ。八〇一〇七二番、できるかね?」


 立ち上がったのは、仮面舞踏会で使われるトカゲを模した仮面の女。

 ベルベッドのドレスは艶やかに光り、絹のようなブロンドの髪を頭の両脇で縛っている。


「はい、おまかせください。必ずや良い結果を持ち帰ってみせます」


 居住まいは堂々としたものだが、声を聞けば思ったよりも若い女である事が窺える。


「期待しているよ。では、今日の集会はこれでお開きとしよう。次回の開催も、予定通りに」


 主催者の言葉で、参加者は次々と席を立っていく。

 女も席を立ち、ひとり部屋を出た。

 仮面を外すためには、誰も居ない場所に行かなければならない。

 それは、この八〇一〇七二――バージニア・リッチモンドとて例外ではなかった。

 街灯の明かりから外れ、顔を覆う仮面を外す。


「ふう……やっぱり慣れないわね。緊張しちゃう」


 バージニアを含む参加者は例外なく仮面で顔を隠しており、その身分を詮索することはこの『集会』では最大の禁忌である。

 個人の識別は六桁の番号のみ。

 毎年、年度初めに割り振られる番号は、そのまま組織内での序列を意味する。

 オズワルドの勧誘に成功すれば、バージニアの序列は一気に六番台、いや五番台さえも夢ではない。

 彼は一番台も有り得る男だ。あのエリック・フィッツジェラルドのように。


「待っててね、オズ。あたしがあなたを一番台に乗せてあげる。そして二人で……」


 タクシーを拾い、貴族街までしばらくの間揺られる。

 デビッドの報告を聞くのが楽しみだ。

 さり気なくバージニアを持ち上げるよう頼んでいる。

 デビッドの事だ。きっと上手くやってくれているだろう。

 タイミングもじつに良い。

 今日の昼間、学院からオズワルドの停学明けが発表されたのだ。

 週明けにはまた会える。

 踊るような気持ちで屋敷のドアを開いた。


「ただいま。デビッド、いる?」


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 デビッドはいつものように深々と頭を下げる。


「オズの停学明けが週明けに決まったわ。良い機会だから、うちに呼んでお祝いしましょう。そうすればお父様に紹介できるわ」


「かしこまりました。明日早速、招待状を渡してまいります」


「で、今日どうだったの?」


「は、はい。オズワルド様はムーサの海にひどく感激されたご様子でした。……バージニアお嬢様に感謝の意を伝えるよう、言付かっております……」


 デビッドはどうも顔色が悪い。尋常ではない。

 真っ青な顔をして額には脂汗を浮かべ、尻をムズムズさせている。


「デビッド。あなた、大丈夫?」


「は、はい。問題ありません」


 無意識だろうか、デビッドは尻をさすった。


「どうしたのよ」


「な、何でもございません」


 デビッドは目を逸らした。


「あなたらしくないわね。人と話す時は目を見なさいよ」


「し、失礼しました」


「言いなさい! お尻、どうしたのよ!」


 絞り出すようにしてデビッドは言う。


「じつは……たまたまボールドウィン侯爵に会いまして……それで少し。幾分乱暴なお方ですので」


「…………まさか、あなた……ボールドウィン様に――」


 掘られたの、という言葉を飲み込む。

 淑女の使う言葉ではないし、デビッドの傷をえぐるような真似はしたくなかった。

 相手はエイプルでは最高位の貴族。

 没落しているとはいえ、逆らえる相手ではない。


「わかったわ。今日は下がりなさい。デビッド」


「はい」


「生きていればきっと……良い事もあるわ。おやすみ」


「ありがとうございます。おやすみなさいませ、お嬢様」


 ◆ ◆ ◆


 デビッドことエフォートは、使用人室に戻ると執事服をハンガーに掛け、軽くブラシを掛けた。


「いてて……あの脳筋野郎、加減ってものを知らないのか」


 デビッドの尻はもちろん掘られたものではない。


『とにかくだ、明日からはオレも一緒にヤルからな!』


 ボールドウィンはそう言うと、丸太のような腕でエフォートの尻を叩いた。

 そこには運悪く吹き出物ができており、見事に潰れてしまったのだ。

 吹き出物を作ったのは完全に油断だ。

 エフォートは自分自身を戒めた。


「さて……」


 エフォートはクローゼットを開くと、中にしまい込んだ財布を確認する。


「特別ボーナスだ。しめしめ」


 オズワルドは海を眺める事で満足してしまい、食事とガソリン以外に金を使う場面は無かった。

 バージニアから受け取った金貨の大半は残っている。


「ふふふ……これでガキどもに、いくらでもパンを買ってやれるぞ! ジャムも付けてやるか!」

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