第24話 ヒッカー氏はまだ来ない

 少し前、ナオミが盛大に消化器を噴射していた頃の事だ。


 アパルトメントから少し南に歩くと、王城の近くに洒落た雰囲気のレストランがある。

 基本的には平民向けの店だが、普段の客層は比較的裕福な中産階級が多いようだ。

 白を基調とした店内は天井にシーリングファンが回り、電球の作り出す影がゆらゆらと揺れていた。

 店名は『アンモナイト』といい、看板にも店内に飾られた絵も、らせん状の殻で覆われた不思議な頭足類で飾られている。

 アンモナイトを好んで食べる者は決して多くはないが、少なくもない。

 しかし、不可解な事にこの店のメニューには載っていないのだ。

 店を貸し切って、カーター・ボールドウィンはサラ王女を連れて一人の男と向かい合っていた。

 ヒッカーという男と会うためだが、彼の姿は無い。


「まだヒッカーさんが来ていませんが、先に始めてくれとの事ですので。まあ、こちらをお飲みください。殿下はオレンジジュースをどうぞ」


 エイプル王国陸軍中尉、ビクター・ヨークの傾ける瓶から黄金色の液体がグラスに注がれていく。

 クリームのような泡が弾け、いかにも美味そうな香りが広がる。


「おっ、コイツぁカスタネ産のビールじゃねぇか! オレの好物、よく知っていたな!」


「お好きだと聞いていましたのでね」


「う~ん、コレだよ、コレ!」


 ビールはトレーニングの妨げになるかもしれない。

 しかし、それは習慣的に飲むのがいけないのであって、こうしてかつての戦友と語り合う日くらいは目をつぶっても良いだろう。

 三人はグラスを掲げ、軽くぶつける。


「乾杯」


「乾杯」


「かんぱーい」


 本当はジョッキが良かったのだが、生粋の貴族であるヨーク中尉の趣味でオシャンティーな細いグラスで乾杯する。

 テーブルの上には色とりどりの料理。

 サラは『お子様ランチ』という新料理、カーターは『カツ丼』を頼んでいた。


「コイツぁ美味いぜぇ!」


「油がおおいんじゃないかー?」


 サラの言う事は間違いない。ついでに言えば炭水化物も多い。

 しかし、そういったバランスは普段の日常生活で気をつければ良いのであって、こうして戦友と久しぶりの再会を楽しむ時くらいは構わない。


「サラさん、そもそもこの店にゃカツ丼は無かったんすよ。オレが頼んでメニューに入れてもらったんだ。そのお子様ランチも」


「そうなのかー。なんか浮いてると思ったんだ-」


 サラは口の周りをケチャップだらけにしながら、左手でミニカーを転がした。

 一般的には食事中に遊ぶのはマナー違反である。

 しかし、お子様ランチにはオマケとして最初から小さなブリキ製のミニカーが添えられているのだ。

 お子様ランチもカツ丼も、かつてジョージ王がレシピを発明したという。

 しかし、実際の所はわからない。

 エイプル王国いやこの世界には、数多くの地球人が流入している。

 国王にまで登り詰めたジョージも、その一人だ。サラの父である。


「さて、と」


 正面に座るヨークに視線を移す。

 ヨークはこの店の代表メニューであるパスタをフォークでクルクルと上品に巻いていた。


「すまねぇな、ヨーク少尉」


「中尉です」


 ヨークが少尉だったのは大陸戦争末期。

 終戦から一年が経過し、現在では中尉に昇進していたらしい。

 しかし、カーターにとってはどうでも良い事だった。話を続ける。


「借りていたアブドミナル・アンド・サイ・ボード、まんまと盗まれちまった」


「グラフィック・ボードです。どうしたらそんな間違いを犯すのですか」


「細かい事だぜ。オレ様がせっかく頭を下げてやっているというのに!」


「とても尊大な態度に見えますが」


「ケツの穴の小さいヤツだな、おめえは」


「ガバガバよりはマシです。私はノンケですので」


「奇遇だな、オレもだ!」


「えっ」


「えっ」


 厨房からガラスの割れる音が響くが、店主は音も無く片付けを始め、サラのもちゃもちゃという咀嚼音だけが響く。


「……とにかくです。グラフィック・ボードはパーティーのビンゴゲームでもらった景品ですし、諦めましょう。それよりも、『シルバー・ピジョン』の正体に心当たりがあるという事ですが」


「おう、最初に気付いたのはオズワルドのメイドでな。なかなか頭が回る女だぜ!」


「オズワルド……というと、あのノートン家の次男坊ですか。ノートン家は先のクーデターの際、王党派でしたね」


「だから部屋を貸した。学院に潜むマイオリス残党のケツを掘らせるためにな」


「ケツを掘らせる……ですって?」


『ケツを掘らせる』とは、トリュフを掘る豚をイメージした、カーターオリジナルの慣用句である。

 トリュフとは高級キノコの一種だが、地下で育つため、どこに埋まっているかわからない。

 そのため、嗅覚に優れた豚を使って探すのだ。

『マイオリス』残党も一般の教職員や学生に紛れ、誰がそうであるのかわからない。

 気の利いた表現だ、とカーターは自賛していた。

 しかし、斬新で芸術的な文学表現は、常人のヨークには理解できなかったようだ。

 高度な教育を受けた貴族でありながら、哀れな男である。


「ま……まあ、それは置いておきましょう。で、誰なんですか? シルバー・ピジョンは」


「それがなんと、リッチモンド家の執事だっていうじゃねぇか」


「リッチモンド男爵家ですか。なるほど確かに、貴族の使用人であれば色々とやりやすいでしょう」


「確か、デビッドとか言うヤツだ。割と最近入ったらしい。明日さっそく乗り込んで、ふん捕まえてやるぜ!」


「ほほう? それは頼もしいですね」


 ナオミがデビッドの自動車と接触事故を起こしかけた時、車内でカツラを見つけたのだという。

 オズワルドに心配をかけないよう黙っていたのが仇になったが、当時はナオミにとっても思いも寄らない事だったろう。

 そして犯行の行われた日。

 ナオミは差し入れにケーキを持ってきたデビッドに会った。


「で、その時の服装がな。いかにも執事って感じの黒い……なんて言ったっけな」


「タキシードですか?」


「そうそう、タキシード・ベンチプレスだ」


「ベンチプレスは余計です。つまり、シルバー・ピジョンの怪盗『紳士』の衣装は、普段から着ている執事服を流用したものだった、と。確かに合点がいきますね」


「そういう事だ!」


「大佐」


「大佐はよせ。オレはもう軍を辞めたんだ」


 正確には辞めたのではなく、辞めさせられたのだ。

 クーデター鎮圧の旗印として担ぎ上げられ、ただの一等兵だったカーターは一気に大佐となった。

 ただの兵隊に大部隊の指揮などできるはずもなく、ただのお飾り。

 当時クーデター軍に追い詰められていた政府が、平民階級の支援を受けるために与えられた階級だった。

 多数の平民の支援を受けた最後の戦いで、クーデター軍は瓦解。

 時を同じくして戦争は終結し、世界に平和が訪れた。

『大陸戦争』は、人類初の国家総力戦であり、国力の全てを戦争のために投入する戦いだった。

 しかし、戦争が終わればどうなるか。

 大佐の給料を支払えなくなった軍の主計官が、土下座して予備役に入ってくれと頼んできたのだ。

 平和な時代が訪れた今、莫大な予算を浪費する巨大な軍隊は必要ない。

 世界中のあらゆる国が、多かれ少なかれ軍備を縮小せざるを得ない状況だった。

 やむを得ずカーターは予備役への編入を承諾した。


「失礼。シルバー・ピジョンの捕縛に関しての話です。これはサラ様のアイデアなのですが……」


 ヨークはサラの閃きを褒め称えつつ、奇抜すぎる作戦を語った。

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