第23話 幕間、そして今
「なあ、スチューピッド。……お前、最後に何を言ったんだ?」
安らかで、何の憂いもない穏やかな顔でスチューピッドは横たわっていた。
もう痛みに呻く事も、病に苦しむ事もない。
永遠の安らぎがあるだけだ。
顔面を、全身を地獄の業火に焼かれながらも、この男は最後の最後まで自分以外の誰かのために頑張り続けた。
自分の事などお構いなしに。
それは、スチューピッドの周りで嗚咽を上げる子供たちが一番よくわかっている。
年齢も性別もバラバラだが、彼ら彼女らにとってスチューピッドがいかにかけがえのない存在だったか。
人間の価値を数字で測る事は出来ないが、スチューピッドを想って流された涙の数は両手両足の指だけでは数えられない。
家族を失い、孤独となった彼らに社会は冷たかった。
年端もいかない子供を過酷な労働にかり出し、あまつさえ稼いだ金を巻き上げる。
それが許せなかったのだろう。
「おじさん……これ」
年長の女の子オリビア。
おじさん扱いは少々悲しかったが、女子小学生から見ればエフォートはじゅうぶんにおじさんとも言える。
彼女がエフォートに差し出したのは、一通のボロボロの封筒だった。
「俺に?」
「うん。スチューピッドおじさんから預かっていたの」
オリビアは腫れそぼった目でエフォートを見上げる。
とても、とても悲しそうな顔をしていた。
いたたまれなくなったエフォートは、半ば彼女から目を逸らすようにして封筒を開けた。
「スチューピッド……」
最初に目に入ったのは、子供たちとエフォートを案じる言葉だった。
「やれやれだ。この子たちにはお前が必要だってのによ」
歪む視界を袖で擦り、続きを読む。
「ええと……『コンピューター』やその部品を可能な限り壊してくれ、だと?」
ジョージ王が中心となって開発していた異世界転移装置は、本来は王の故郷、地球を目指すための装置だった。
転移・召喚魔法を専門に扱う魔法使いが病死して数年。
難解な転移・召喚魔法の術式を地球製計算機の力で補おうとする機械。
一台は完成し王家が保管しているが、開発に使われた試作品がクーデターの混乱で流出した。
試作品は分解され、ある物は闇市に、ある物は美術品として貴族のコレクションとなっていた。
そして部品を集め、装置を組み立てようとしている者たちがいた。
彼らの名は『マイオリス』。
先のクーデターで王女を放逐し、一時全権を掌握するも最終的に鎮圧された武装革命組織である。
◇ ◇ ◇
「大陸戦争末期に急遽編成された義勇軍が王城に突入し、王城は奪還されました。それはご存じでしょう。しかし、結局『マイオリス』の根絶には至らなかったのです。彼らの残党は、今もこの国の暗部に潜んでいます」
「ふむふむ、それでそれで?」
オズワルドは、まるで子供のように目を輝かせて身を乗り出してくる。
シルバー・ピジョンことエフォートは眉をしかめた。
楽しむような話ではないからだ。
メイドのナオミが音も無く新しいお茶をテーブルに載せる。
「『マイオリス』が行こうとしている異世界は、地球ではありません。そもそも、転移魔法と召喚魔法は表裏一体、同じ物です。わかります?」
「うん、それはわかるよ。僕は使えないけど」
この少年も、結局は他の貴族と同じ。
平民など使い捨ての消耗品としか見ていないのだろう。
そもそも荒唐無稽な話だ。そう頭では思いつつも、なぜかエフォートの口は動いてしまった。
「彼らは……地球ではない別の異界から……恐ろしい魔物を呼び出そうとしているのではないか、というのがスチューピッドの推測です。来たるべき次の戦争に備えた兵器として使うか、あるいは今度こそ王家を打倒しようとしているか。いずれにせよろくな使い方はしないでしょう」
あるいは。誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
たとえ自分を捕らえた、いけ好かない貴族のボンボン相手であっても。
どうせ信じはしないだろう、そう思っていた。
「そりゃあ……大変だぞ! ナオミ、巨大ゴーレムってどこで買えるんだ!?」
「ええっ、ゴーレムですか!? その、きっと自動車屋さんではないかと……」
「買ってきてくれ。ああダメだ、僕は免許を持っていないや。そうだ、侯爵なら――」
どうやらこのいささか素直すぎるお貴族様は、エフォートの話を頭から信じてしまったようである。
なお当然だが、巨大ゴーレムは漫画やライト・ノヴェルに登場する架空の存在であり、自動車屋で買えるはずがない。
なおこの部屋には、ゴーレムの百分の一スケールの模型が棚に置いてある。
同じ物をバージニアも持っているのでエフォートも知っていた。
「いや、落ち着いてくださいよ。今すぐどうこうって訳じゃないんで」
オズワルドの額に浮いた汗を、ナオミが甲斐甲斐しく拭き取った。
「そ、そう。で、君はその後どうしたんだい?」
「やれやれ……」
エフォートは思わず頭を掻いた。
この少年と話していると、どうも調子が狂ってしまう。
「ええと、どこまで話しましたっけね」
「手紙だよ」
「そうでした。ま、とにかくそんな訳で、私は一つでも多く『コンピューター』の部品を集め、破壊していたのです。『マイオリス』が装置を完成させないためにね。集積回路を溶かして金を取り出す、というのもありますが」
エフォートは気取った素振りでカップに口を付ける。
しかし、その姿はパンツ一丁であった。
どんなに格好を付けても、パンツ一丁であった。
ナオミが何やらオズワルドに耳打ちすると、オズワルドは奥の寝室を指差した。
「ときにエフォート。もう遅いけど、帰らなくて良いのかい?」
「帰る?」
「君はバージニアの執事だろう。もっと聞きたい事はいっぱいあるけど、そろそろ仕事に戻らなきゃ」
「……? 妙な事を」
エフォートはオズワルドの言っている事がさっぱりわからなかった。
王都を騒がす大怪盗を捕らえたはずなのに、だ。
「だってそうだろう。僕はね、自慢じゃないが家事というものが一切できない」
オズワルドはまた妙な事を言い始めた。
「お貴族様というのは、そういうものでしょう」
「父上は薪割りもするし、母上の作るチーズは絶品さ。世界一だよ。それに兄さんの趣味は料理だし、妹は洗濯や裁縫が得意だよ」
「なるほど。確かにそれでは全く自慢になりませんな」
「だからさ、バージニアも君がいないと困るだろう? 続きは明日にしよう」
「…………」
このオズワルド・ノートンという少年は、エフォートがまた明日も来る事に何の疑いも持っていないようった。
「自分で言っていたじゃないか。大きな仕事をするには『日常』が必要だ、って」
「…………あなたは。私を衛兵隊に引き渡さないのですか?」
「侯爵には悪いけど、世界の危機の方がよっぽど大切さ。バージニアはこの事、知ってるの?」
「いいえ。お嬢様は何も知りません。オズワルド様も内密にしていただければ幸いです」
「そうか、わかった。……君も大変だな」
オズワルドはさも深刻な顔をしようとしているらしい。
しかし、その目はとても楽しそうにしているようにしか見えなかった。
エフォートはふと古い記憶を思い出す。
目に見える何もかもが輝いて見えた日々。使命に燃え、仲間たちと肩を寄せ合った日々。
決して良い事ばかりではなかった。
現実を知るにつれ、悲しい事、やるせない事は増えていった。
そんな日々は二度と帰ってこない。
仲間たちも、もういない。
「ナオミ、それは一番カッコイイやつだろうね」
「はい、オズワルドさまの一番のお気に入りです」
ナオミはすでに、服を抱えてオズワルドの側に控えていた。
「うん、それそれ。やっぱりイケメン執事に貸すにはそのくらいでなきゃ。エフォート、僕の服を貸すから今日は帰るといい。明日また続きを話そう」
「……………………かしこまりました」
オズワルドが敵でないのなら。
少なくとも今のところは、『賢者の石』が『マイオリス』の手に渡る事はない。
上手く行けば、ノートン家の協力を得られる可能性もある。
渋々とエフォートはオズワルドの服に袖を通した。
ケミカルウォッシュのデニムパンツに、同じ素材のブルゾンは袖を切り落とされている。
ズボンの裾はかなり短かく、極めつけは赤いバンダナに指ぬきグローブ。
現代では有り得ない服装だった。恥としか言いようがない。
「…………ダサい服です。この手の服が流行っていたのは、もう三十年も昔の事ですよ。私だって話にしか聞いた事がありません」
「そうかなぁ。そのうちリバイバル・ブームが来ると思うんだがなぁ」
「あり得ませんな。では失礼」
◇ ◇ ◇
アパルトメントを後にしたエフォートは、もう一度オズワルドの窓に目をやる。
大げさな身振りで、メイドの少女にあれこれと指図する少年の姿が影絵で見えた。
「……やれやれだ。バージニアお嬢様もなぜ、あんな終わってる服装センスの男を気に入っているやら」
通行人の視線が痛い。服装があまりにも奇抜すぎる。
それよりも重要な事は、オズワルドを『マイオリス』に入れてはならないという事だ。
連中がオズワルドの強大な魔力を欲しがらない訳がないのだ。
入学式の日、エフォートはオズワルドの強力な魔法を目の当たりにした。
平民には感じられないが、バージニアに言わせれば今までに感じた事がない強力な魔力の残渣を感じたという。
「それほどの魔力があるなら、スチューピッドの『もう一つの仮説』も視野に入れなくてはな」
エフォートは恐怖に身震いした。
オズワルドであれば、莫大な魔力を消費するという例の秘術が使えるかもしれない。
おぞましい、恐ろしい秘術だ。絶対に使わせてはならない。
それに比べれば、異世界転移などちょっと変った旅行でしかないだろう。
「あいつバカだからな。いいように騙されてホイホイと協力しなきゃ良いが……」
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