第22話 変身

「賢者の石……?」


 全くもって心当たりがない。

 錬金術師が卑金属から金を作り出すために探し求めた触媒とされるが、そんな物は持っていない。


「『賢者の石』っつーと、やっぱ『CPU』か。オズワルド、お前どこでそれを手に入れた?」

 ボールドウィン侯爵は、トレーニングを始めようとしていた所を無理に頼んで部屋に連れてきたためか、少し機嫌が悪そうだ。いつもより表情が硬い。

 

「何ですか、それ?」


 侯爵は両手の指で小さな四角形を形作る。

 どことなくあざとい女の子が指でハート型を作るポーズを彷彿とさせ、胃の辺りに不愉快なモノが湧き上がってきた。


「ほらアレよ。五センチ角の正方形で、表は金属版、裏に針先くらいの穴がいっぱい開いてるヤツ」


「ああ、それなら……」


 鍵の掛かった机の引き出しに鍵を差し込み、開く。

 シコルスキーのペンダントは、最後に見た時と同様そこにあった。

 見たところ偽物にすり替えられているという事も無いようだ。


「ちょっと見せろや」


 料理用ミトンにも似た巨大な手に、ペンダントを乗せようとするが……


「オズワルドさま!」


 ナオミが声を上げる。

 いつもの彼女らしくない、思い詰めたような声。

 顔面は蒼白で、握りしめた手はわなわなと震えている。


「……ナオミの話を……聞いてくださいませ」


「聞くよ。何でも話してごらん?」


「は、はい。ボールドウィンさま。そのペンダントを、どうなさるおつもりですか?」


 侯爵は、お前は何を言っているんだ、といった表情で首を傾げた。


「いや、あのクソ鳩が狙っているなら、現物の確認は必要だろ?」


「そう言って他の宝物も盗んだのですね。『シルバー・ピジョン』さん」


 ナオミの口から出た言葉に、オズワルドは耳を疑う。

『シルバー・ピジョン』と呼ばれた男は、どこからどう見てもカーター・ボールドウィン侯爵であった。

 無意味に鍛え上げた筋肉は長袖のシャツに包まれてはいるが、その存在感はいつもと同じ。

 少なくともオズワルドにはそう思える。

 しかし、ナオミは何の根拠も無しに人を犯罪者扱いする訳がない。


「ナオミ、どういう事なのか、説明してくれるかい? 言いにくい事でも構わない。何かあっても、僕がどうにかしてあげる」


「あ、ありがとうございます、オズワルドさま」


 ナオミは少しの間俯いていたが、今にも流れそうな涙を堪えてボールドウィン侯爵……あるいは、『その男』に視線を向けた。

 その顔は、いつもと同じ。そのはずだ。


「オイオイ姉ちゃん。オレが『シルバー・ピジョン』ってか? バカ言うもんじゃねぇぜ」


「今日は服を脱がないのですか?」


「なにィ?」


「閣下はいつでも、どこででも、誰にも言われなくても裸になります! 一人でも多くの人に、筋肉を見せたくて見せたくてたまらないのです! そして、ワイセツ物陳列の罪で何度も捕まっているのです! なのになぜ! 今日は長袖シャツを着てらっしゃるのですか!?」


「おいおい、ナオミ。失礼な事を――」


 そう言いかけてオズワルドは言葉を飲んだ。

 確かにボールドウィン侯爵は、今まで一度も長袖のシャツなど着た事がない。


「う~ん。じゃあこうしよう」


 オズワルドはソファで脚を組んだまま、右手の指をパチンと鳴らした。

 ごく簡単な火属性魔法。

 この程度であれば呪文の詠唱はおろか、魔方陣の召喚すら必要ない。


「グ……グアアーッ! あああ熱い、熱いイイイイッッ!!」


「あれ?」


 ボールドウィン侯爵は、全身を炎に包まれてのたうち回り始めた。

 この程度の魔法など、侯爵の力をもってすればいとも簡単に防げるはずなのに、だ。

 ナオミはバタバタと厨房に駆け込むと、真っ赤な消化器を抱えて戻ってきた。

 粉末消化剤が勢いよく吹き出し、部屋全体が粉塵で包まれる。


「う~ん。おかしいなぁ……」


 窓を開け、風の魔法で空気を入れ換えると、黒焦げになった侯爵が転がっていた。

 周囲に漂っているのは、皮膚や肉が焦げる臭いではない。これは、ゴムが焦げる臭いだ。

 思わず鼻をつまみたくなる臭いで、オズワルドは確信した。


「ひ……ひでえ……じゃねぇか……」


「まあ、多少は仕方が無いさ。ナオミの正しさが証明された。ただ、それだけの事だよ」


 起き上がった黒焦げの男が顔に手をやると、ボロボロと焦げた破片をまき散らしながら顔の皮――いや、ゴムのマスクを剥いでいく。

 身体も同じだ。

 ゴム製の肉襦袢をボロボロと剥いでいくと、多少筋肉質ではあるのだが、とてもビルダーとは言えない普通の肉体が露わになる。


「ふふ……ふふふ……これが……あなたの答えですか。グリーンバーグさん」


「何の話だい? …………デビッド」


 デビッド・ペイジ。これが本名なのかどうかはわからない。

 しかし、オズワルドの同級生、バージニア・リッチモンドの専属執事こそ、あの大怪盗シルバー・ピジョンの正体であったのだ。


「オズワルドさま。私が」


「うん?」


 ナオミの表情はいつになく硬い。

 何か、大切な話があるような。そんな顔をしていた。

 ナオミは数歩踏出し、シルバー・ピジョンを睨み付けると、震える人差し指を突き付けた。


「お掃除、手伝ってください。オズワルドさまのお部屋がこんなになったのは、あなたのせいなのです!」


 口調こそ珍しく激しい物だったが、ナオミの目尻には涙が浮いていた。

 泣きたいだろうに、泣くまいと堪えているのだ。

 そんな健気な気持ちを汲んでやるのが貴族の勤めである。


 ◇ ◇ ◇


 オズワルドが窓から外の歩道を見下ろすと、ひときわ大きな人影が近付いてくる。

 何も知らない本物のボールドウィン侯爵が帰宅する頃、アパルトメントの一室は可能な限り原状復帰を成していた。

 掃除のプロフェッショナルであるメイド・オブ・オールワークと、本職に紛れ込んで違和感のない執事もどきがいるのだ。

 一室の清掃ごとき訳はない。


「オレ~の上腕二頭筋はよォ~♪ ブラシカの~山のように~♪ ジャカジャンッ!! オレ~のちんこは列車砲~♪」


 何やら良い事があったのだろうか。

 窓の下の歩道からは、下手くそで極めて不快な、それでいて意味不明な歌が聞こえてきた。


「……ひどい歌だなぁ」


 小さな声でつぶやいたつもりだったが、侯爵はすぐにオズワルドに気付いた。


「どうした? オズワルド」


「いえ、何でもありませんよ」


 よく見れば顔が赤い。酒を飲んできたのだろう。

 当然だ。しらふでアレでは恥ずかしすぎる。


「そうか、ならいいが。お前、今日くらいは大人しくしてろよな! ちったぁ反省しやがれ!」


 本物のボールドウィン侯爵はそのまま自室のトレーニング・ルームへと消えていく。

 オズワルドは窓を閉め、掛け金を降ろすとソファに腰掛けた。

 ソファテーブルの上には焼け焦げたマスクと肉襦袢が乗っている。

 オズワルドはマスクを手に取り、あらゆる方向から穴の開くほど見つめる。

 まるで本物と見分けの付かない作り物の顔は、今にも『熱い、熱い』とうめきそうなほどだ。

 相当に高度な加工技術が使われているらしかった。


「う~ん、見事だ。君が作ったのかい?」


「ええ。それが何か?」


 むっとしたような表情でシルバー・ピジョンはそれでも答えた。


「さて、デビッド。いやシルバー・ピジョンと呼んだ方がいいかな? 君を衛兵隊に引き渡すのは簡単だ。でも、少しばかり気になる事があってね」


「……何でしょう」


「君はいったい、誰なんだ? なぜこのペンダントを狙う? ナオミと何を話した? そして何より、なぜ逃げなかった? 僕にもこのマスク、作れる?」


「あまりいっぺんに質問されても困りますね」


「それもそうか。一つずつでいいよ」


「答えその一。私が逃げずに掃除したのは、グリーンバーグさんに助けてもらった礼のつもりですよ。その気になればいつだって逃げられます」


「なるほど。ナオミに感謝するんだね」


 シルバー・ピジョンはデビッドの姿で雑巾を絞る。

 その姿は、どこにでも居る普通の青年だった。


「デビッド・ペイジというのも偽名でしてね。大きな仕事をするには『日常』ってものが必要なんですよ。貴族のお嬢様の使用人とあれば、たいていの場所には入り込めます」


「なるほど、よく考えたね。それから? もっと聞かせておくれよ。君の話を」


 思わず前のめりになる。

 オズワルドは王都を騒がす大怪盗を捕らえる事よりも、この男の生い立ちに興味を持った。


「妙な事を気にされますね」


 そこで、ふと大切な事に気が付いた。

 こんな面白い人物が来ているのに、何のもてなしもしていない。


「ごめんごめん、忘れてたよ。ナオミ、彼にお茶とお菓子を出してくれ」


 ナオミは一瞬目を丸くしたが、素直に厨房に入って準備を始めた。

 すぐに衛兵隊に引き渡される事はないと判断したのか、シルバー・ピジョンは渋々とソファに腰を下ろす。

 ナオミが紅茶をシルバー・ピジョンの前にそっと置くと、周囲に良い匂いが漂いだした。


「どうしたんだい? 毒なんて入っちゃいない。ああ、コーヒーの方が良かった?」


 シルバー・ピジョンは少しの間何かを考えていたようだったが、やがて大きく息を吐き、紅茶のカップに口を付けた。


「ま、良いでしょう。……そうですね、あれは大陸戦争の末期の事です。クレイシク戦線で仲間とはぐれ、重傷を負った私は一人の老婆に助けられましてね――」

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