幕間 スチューピッド その二

 異世界人。確かに荒唐無稽な告白であった。

 しかし、スチューピッドの言葉には矛盾が無い。何より嘘をつくような男ではない。


「……信じるよ。お前の言うことなら」


 スチューピッドは安心したような顔で息を吐いた。


「良かった」


 どちらからともなく微笑み合う。

 スチューピッドの焼けただれた顔が痛々しかった。


「――俺もそうですが、ジョージ王も地球に帰りたいと思ったのでしょう。転移・召喚魔法は難しくて、マリア王女が成功したのはジョージ王を呼んだ一度きり。以後は専門の魔法使いがやっていました。でも、彼が亡くなってからは地球との連絡が途絶えてしまった。そこで、帰るための装置を開発していたんです」


「まあ、そうだよな。誰だって故郷を忘れる事なんてできやしない。まさかこれが……」


「本体はこの世界の技術でもどうにか作れたようですがね。肝心の制御装置が作れなかった。そこで王は魔法の呪文とコンピューター・プログラムの類似性に目を付けたんです。それは『パーソナル・コンピューター』の電源ユニットですよ」


「ふむ……?」


 スチューピッドの言う事を全て理解できた訳ではない。

 しかし過去三十年の文明の進歩はあまりにも急速で、異世界人の介入があったというのは奇妙な説得力があった。

 エイプルに伝わる伝説の英雄カトー様や、世界を滅ぼそうとした魔人ヤマダも異界から来たと伝わっている。

 その異界のアイテムが無造作に転がっている理由としては、数ヶ月前のクーデター事件で流出したと考えるのが自然だ。

 あるいは、すでにあちこちに当たり前に存在しており、誰も気に留めていなかったのかもしれない。

 真相はわからないが、気になる事が一つ。


「その部品があんな所に転がっているくらいだ。部品を集めれば、お前でも作れたりするのか? ……その、異世界転移装置ってやつは」


 しかし、スチューピッドはかぶりを振った。


「作れたとしても形だけです。紙を束ねてノートは作れても、本は作れない。本体は内蔵されたプログラムですから。それよりもエフォート」


「ん、どうした」


 スチューピッドは声を潜め、本題に入った。

 いささか荒唐無稽にも思える内容で、急には理解が追いつかない。

 しかし、スチューピッドの目は真剣そのものだ。


「…………なるほど。お前の話が本当だとすれば、奴ら・・には渡せないな。……ん?」


 視線を感じて振り返ると、スクラップ・ヤードにいた子供たちだ。

 目が合うと怯えたように逃げていくが、物陰に隠れてこちらを伺っている。


「あの子たちは?」


「近所の戦災孤児っすよ。ポンコツな俺の、身の回りの世話をしてくれる……」


「……そうか。なら、一応挨拶くらいしておくかな」


 エフォートは敵意の無い事を示すため、両手を挙げて外に出た。

 子供たちの心配そうな、それでいて怯えた視線を感じる。


「大丈夫。俺はスチューピッドの仲間だ」


 何も無い空間から小さな花を出すと、身を隠していた女の子に差し出す。

 彼女は恐る恐る花を受け取ると、わらわらと他の子供たちも出てきた。


「俺はエフォート。よろしくな」


 その後、エフォートはスチューピッドの小屋によく出入りするようになった。

 やがて警戒心が薄れたのか、近くの子供たちもエフォートに笑顔を見せるようになってきてくれたのだ。

 そんな矢先、数日エフォートが留守にしている間に事件は起こった。


 ◇ ◇ ◇


「ゴホッ、ゴホッ……ヒュー、ヒュー……」


 スチューピッドは真っ青な顔で咳き込んでいる。

 喉からは苦しそうな吐息が漏れ、見るからに苦しそうだ。

 濡れタオルを絞ろうと手を伸ばすと、ついさっき絞ったばかりなのに湯のように熱い。


「なあ、スチューピッド。やはり医者に……」


 エフォートがそう言うと、スチューピッドは力なく嗤った。


「ハハ……医者が……こんな所に来るもんすか。あ……あいつら、金持ちしか診察しねぇんだから」


「だからってお前、このままじゃ――」


 死んじでしまうぞ、という言葉を飲み込む。

 隙間だらけの掘っ立て小屋は、冷たい風が容赦なく吹き込んでくる。

 ただの風邪かもしれない。

 しかし、今のスチューピッドの体力では、風邪は命を奪う大病たり得る。


「……お、俺だってこんな所でくたばる訳には……行かないっすよ」


 スチューピッドは顔を動かし、小屋の隅で膝を抱えた少女に目をやった。

 彼女の名はオリビア。

 大陸戦争で親を失った戦災孤児の一人だ。

 スチューピッドに付きっきりの看護をしていたが、疲れ切って眠っている。


「ずびっ」


 背中で、鼻をすする音。

 振り向くと、何人もの浮浪児が心配そうな瞳で覗き込んでいた。

 彼らが、いかにも恐ろしい見た目のスチューピッドを心配するのは訳がある。

 彼らはスクラップヤードから再利用可能な資源を発掘して生計を立てているのだが、彼らの元締めは強欲な男で、売り上げの九割近くをピンハネしていたのだ。

 そこに現れたスチューピッドは、資源の中でも銅やアルミといった換金性の高いものを子供たちから預かり、密かに別の業者へ流していたのだ。

 そして、その売り上げを全て子供たちに渡していた。

 黙っていないのは元締めだ。

 スチューピッドを無理矢理連れ去り、一昼夜にわたって苛烈な暴行を加えた。

 それは、元々弱っていたスチューピッドの体力をさらに消耗させる結果になった。

 この発熱も骨折が原因なのか、風邪なのかエフォートには判別がつかない。

 端的に言えば、重体である。


「なあ……エフォート。お……俺に万が一のことがあれば……」


「万が一なんて考えるな。今は傷を治す事だけ考えるんだ」


「い……いいから……聞いてくれ……。奴らに……い、異世界転移装置を……作らせちゃいけない……」


「ああ、わかってる。今まで拾い集めた分も『集積回路』からきんを取り出して、子供たちのパン代に変ってるよ。お前が教えてくれた方法でな」


 スチューピッドから聞いた方法は、地球製の電子部品を酸で洗い、バーナーで熱して金や銀を取り出す方法だった。

 必要な薬品やバーナーなどの工具は、どれも闇市で手に入った。

 途中の工程でグラットンの命を奪ったメチルアルコールを使うのは皮肉でもある。


「はは……そりゃ……いいや。なあ、エフォート……ゴホッ、ゴホッ!」


「無理をするな」


 顔を歪め、スチューピッドはエフォートの肩を硬く掴んだ。

 無理をするなと言いたかったが、スチューピッドの剣幕に押され、黙る。


「頼んます……この子たちに、…………笑顔を」


「…………わかった」


 心配そうな顔で見守る子供たちが望んでいること。それはじつに単純な答えだ。

 エフォートは立ち上がると、小屋を後にする。

 心配そうに見守る子供たちをかき分け、富裕層が住むエリアへと向かった。

 時刻は夜。大通りの目立つ場所に、目的の場所はある。

 白亜の壁が美しい、富裕層向けの診療所だ。

 塀の上には泥棒よけにガラス片が埋め込まれている。


「いよっ、と」


 毛布を塀に被せ、作ったばかりのフック付きロープを投げる。

 小気味よい音を立てて、フックは塀に引っかかった。

 そのまま塀を登り、音もなく庭へと着地する。

 当然、番犬が吼えるのを見越して、あらかじめ肉を与えて手懐けてある。

 動物の調教も、プラチナ・レイヴンのノートに書かれていた通りに上手く行った。


「……ここか」


 診察室の窓にガラス切りをあて、手早く手首が入るほどの穴を開ける。

 鍵を開け中に入ると、消毒液の香りが鼻についた。


「抗生物質、鎮痛剤、外傷薬に栄養剤、っと。お、カルシウム錠剤まである。いいぞ」


 時価にして金貨三枚分ほどだろうか。

 この時、エフォートは生まれて初めて窃盗を行った。

 しかし、良心の呵責など微塵もない。

 チャータボックスの命と天秤に掛ければ、良心など犬に喰わせても構わなかった。

 入る時と同じように、音もなく外へ出る。


「待ってろよ、死ぬんじゃないぞ。スチューピッド!」

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