第18話 罠
「さらに言えば! 犯行当時、犯人は現場に居たんだ!」
「そこまで絞り込めているとは……さすが歴戦の勇士ですね、ボールドウィン侯爵!」
「ハッハッハ、これくらい誰でも考えつくことだぜ! ココよ、ココ!」
ボールドウィン侯爵は人差し指で自分のこめかみを指していた。
ナオミはまるっきり絞り込めていないような気がしたが、オズワルドはきっとその英知で何かに気付いたのだろう。
ボールドウィン侯爵は勢い良く立ち上がると、フロントダブルバイセップス、バックダブルバイセップス、スロントラットスプレッド、バックラットスプレッド、サイドチェスト、サイドトライセップス、アブドミナルアンドサイ、モストマスキュラーの基本ポーズを繰り返している。
自信満々の笑顔と、眩いばかりの白い歯が暑苦しくて仕方がない。
オズワルドが目を輝かせているのを横目に、ヘレンはオズワルドとボールドウィン侯爵に構うことなくソファに腰掛けた。
「サラ。お菓子をあげる」
「わーい。ありがとー」
膝を叩き、サラを抱きかかえては膝に乗せた。
「ナオミには私から説明する」
「ええっ? わ、私にですか?」
「オズワルドには侯爵が説明してくれる。あなたはあなたで聞いて」
なぜかヘレンはナオミに説明を始めた。
侯爵はボディビルの『基本ポーズ』を次々と披露し、オズワルドは拍手を送っている。
そんな二人を横目に自分だけが話を聞くのは出過ぎた真似かと思うが、それを指摘する勇気もナオミには無かった。
「あの馬鹿どもは役に立た――」
「えっ? 今なんと……」
「何でもない。夫人は予告状を受け取ると、不安になって衛兵隊に助けを求めた」
「ええ、あの。それはわかるのです」
衛兵隊は国内の治安を司る組織で、一部の国では警察とも呼ばれている。
警備だけでなく、犯罪の捜査も衛兵隊の仕事だった。
「当然と言えば当然。でも、それが罠だった」
「罠……ですか?」
「到着した衛兵隊の隊長に、夫人は『黒石の木簡』の警備を任せた。でも……」
「まさか、その隊長が?」
「ご名答。夫人は『シルバー・ピジョン』が化けた隊長に、何の疑いもなく『黒石の木簡』を渡してしまった。私が個人的に相談していたボールドウィン侯爵が追いかけてくれたけど」
「……逃げられたのですね」
「そう聞いてる」
『シルバー・ピジョン』は変装の名手だと言われている。
予告状が届いて駆け込んだ先が犯人となっては、もはや誰を信じていいのかわからない。
「そ、それでは……」
ナオミの胸に、水にインクを垂らしたように不安が広がっていく。
「そう。もしかしたら、オズワルドやボールドウィン侯爵、あるいはこの私がシルバー・ピジョンの変装かもしれない、ということ」
「そんな……それじゃあ、誰も信用できません」
「そういうこと。自分で考えて」
ヘレンの言葉はナオミを不安にさせるのにはじゅうぶんだった。
もしもシルバー・ピジョンがオズワルドに変装すれば、これほど恐ろしい事はない。
「ミセス・ヒューストン。例の写真を見せては?」
「この子にわかるかしら?」
ヘレンはオズワルドと侯爵に一瞬だけ視線を向けた。
「考える脳ミソは多い方が良い」
「……確かにそうね。盗まれたのはこれよ」
ヘレンに促され、ヒューストン夫人は一枚の写真を差し出した。
写っていたのは、一見すると定規のような物体。
手の爪ほどの大きさの黒い長方形の石が八個等間隔に並んでおり、片側は櫛のように金属が光っている。
「これが『黒石の木簡』ですか?」
「ええ。美術品見本市で買ったの」
「これが美術品……ですか?」
特に理由がある訳ではないが、ナオミにはどこか違和感があった。
まるで『何かの部品』のように見えたからだ。
「まあ、美術品に関する教育を受けていないと、これの良さはわからないと思うけど。金貨五十枚くらいしたもの」
「そんなにですか!?」
ナオミの給料は月に金貨一枚。
それを聞くと、途端に高尚な芸術品に見えてくる。
細工は細かく、その素材は今までに見たこともない物だった。
写真である以上、色はわからない。
「そこで、このカーター・ボールドウィンは考える」
「は、はぁ」
そこで侯爵が割り込んできた。
「待つだけではなく、ヤツが欲しがりそうな物をこちらで用意すれば、向こうからやって来るはずだぜ!」
侯爵が差し出した一枚のビラ。
『偉大なる大芸術家、カーター・ボールドウィンの世界展』
とあった。
◆ ◆ ◆
「あっ……あのっ……!」
「えっ? なになに?」
「これっ……う、受け取ってくださいっ!」
ナオミの差し出したビラに青年は目をやると、彼はとても残念そうな顔をした。
「……なぁんだ。ビラ配りか。それよりさ、そのバイトいつ終わるの? お茶しない?」
「夜までには終わらせるぜ!」
ナオミの代わりに返事をしたのは、ボールドウィン侯爵だった。
半ズボンにタンクトップ姿で青年に詰め寄る。
「お前さんさえそのつもりなら、お茶よりもも~っと『イイこと』できるんだがな!」
侯爵が一歩、また一歩と詰め寄るごとに青年の顔は青くなっていく。
「す、すいません! い、急ぐので失礼!」
青年は右手で尻を隠し、逃げるようにして去って行った。
「ちっ! せっかくジムに勧誘しようと思ったんだがな! さぁて、そろそろ戻るか!」
王都市外中心部エリアにそびえる『ウェール・デパートメント・ストア』。
石造りの落ち着いた建物で、地上五階、地下一階。
屋上に係留された赤いアドバルーンが遠くからもよく見えた。
出入り口にはブロンズでできた二頭の獅子が出迎える。
「いらっしゃいませ。『ウェール』へようこそ」
洗練された制服を着たドア・ボーイの出迎えだ。
回転ドアをくぐり、三人は店内へと足を踏み入れた。
広大なエントランスホールは市松模様の床と相まって、どこかの貴族の屋敷を連想させる。
ただ普通の屋敷と違う所は、階段が機械仕掛けで自動的に動く『エスカレーター』になっている所だ。
壁際に目をやると、並んだ扉の一つが開き、三メートル四方程度の部屋から十人ほどの客がぞろぞろと出てくる。
時計に似た針が文字盤の上をせわしなく動いており、おそらくはあれが噂に聞く『エレベーター』だろう。
いずれも歩くことなく階を移動する装置だ。
機械文明の発達は、階段すらも機械化してしまったらしい。
「ま、とりあえずあれだけ配っておけばじゅうぶんだろ! 新聞広告も出したしな!」
「は、はあ」
最上階に昇り、展望レストランの横を抜けて目的の場所へ。
「お帰りなさいませ」
「おう、ご苦労!」
紺色の制服を着た警備員が敬礼で出迎えるが、警備員は変装したオズワルドだ。
ナオミは周囲を伺うと、小声で話しかける。
「オズワルドさま、警備服もバッチリ決まっています。カッコイイです」
「しーっ! 僕に話しかけちゃだめだよ! 誰が見ているかわからないんだから!」
「あっ……そうでした。失礼いたしました」
急いでオズワルドから離れ、侯爵に続いて重厚な扉をくぐる。
薄暗い展示室には、いくつものスポットライトが光の輪を作っていた。
その光輪の中には一つ一つに観たこともない品物が並んでいる。
やがて、奥にある展示台の前で侯爵は足を止めた。
「コレよコレ!」
「あの、ボールドウィンさま。結局これは一体?」
大きさは幅二十五センチ、高さ十二センチといったところ。
二つ並んだ大きな風車と、クシのような金色の部分が見て取れる。
タイトルは『風神の籠手』とあった。
「これは『グラフィックボード』といってな。『コンピューター』という装置の部品だそうだ」
「はあ」
「残念ながらオレの作品じゃねぇ。ツテを頼って借りてきたんだ。オレの作品はこっちだ」
侯爵が指さしたのは、全高三十センチほどの筋肉モリモリマッチョマンの立像。
全体が金メッキされており、自分自身がモデルのようだった。
「これをボールドウィンさまがお作りになったのですか?」
「おうよ。金貨五百枚で買いたいって奴がいるが、今回の作戦のために待ってもらっているぜ!」
「そ、そんなに値打ちがあれば本当に狙われてしまいます!」
金貨五百枚などという高額な現金は見たこともないが、ナオミは芸術に関する教育を受けていない。
わかる人にしかわからないのだろう。
「大丈夫だ。オレが作った物だからな、万が一の時もまた作ればいいって訳だ。そもそもしょせんあぶく銭よ。あとは――」
侯爵は何も乗っていない展示台を指差す。
「もう一つの作品を乗せるのはこれだが……まあ、コイツの説明は後にしよう。さ、配置に戻るんだ」
オズワルドは警備員に扮して入り口で見張り、ナオミはメイドとして必要な雑用をこなす事になる。
給仕やクリーニングの手配、荷物の受け渡しなど、やる事はいくらでもあった。
オズワルドは仕事をしたことなど無いのでナオミは心配だったが、先輩の指導もあり上手くやれているようだ。
ボールドウィン侯爵は展示場に常駐し、新聞や雑誌の取材を受け、時折サラがお菓子を持って遊びに来る。
何のことはない、普通の美術展示だ。
……スタッフの多くが衛兵隊から派遣された捜査員である事を除けば。
◇ ◇ ◇
そんな日々が少しの間続いたある日のこと。
バックヤードの郵便受けを開けたナオミは、自分でもわかるほど青くなった。
急いで詰め所の置かれた休憩室に駆け込む。
「き、来ました!」
ナオミは封蝋の押された手紙を侯爵に差し出す。
侯爵は内容に目を通すと、ナオミにも見せてくれた。
内容は想定通り。
『展示の最終日、『風神の籠手』を戴きに参上する。 ――シルバー・ピジョン』
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