第17話 現場百回

「まずは現場百回ってな、捜査の基本だぜ」


 王都の中心部から北西に少し進んだところにある貴族街の一角。

 ボールドウィン侯爵とサラに続いて、オズワルドとナオミも事件現場に向かっていた。


「すごいです……お屋敷がたくさんあります……!」


「ここはどうやら富裕層が多いらしいな」


 ナオミの言うとおり、右も左も高い壁に囲まれた白亜の豪邸がいくつも並ぶ。

 ここに今回『シルバー・ピジョン』の被害者、ヒューストン男爵家があるのだ。


「オズワルドさま、あれは何でしょう? 塀の上にガラスの破片がたくさんあります」


 ナオミの指差す先を見ると、コンクリート塀の上には尖った破片が無数に顔を出している。

 どうやらコンクリートに直接埋め込まれているらしい。


「あれか。昔はガラスも宝石扱いだったのさ。お金持ちの家です、と宣伝している訳だ」


 オズワルドがそう言うと、サラが袖を引っ張ってきた。


「ちがうよー。トゲトゲで塀にのぼれなくするんだよー」


「えっ、そうなの? 知らなかったなぁ。……ところで侯爵。なぜサラが来ているのですか?」


「助手だ!」


「はあ、助手ですか」


 サラは賢い子だし、侯爵の気が付かない点に目が行くかもしれない。

 しかし所詮は子供だ。

 ナオミにこっそりと耳打ちする。


「ナオミ。サラがイタズラしないように、見ておいてくれ」

 

「あっ、はい。かしこまりました。でも、大丈夫だと思います。サラちゃんはとってもお利口さんなのです」 


「それはわかっているが――」


 自分からも言っておく。


「サラ。大人しくしているんだよ」


「おー。まかしとけー」


 聞いているのかいないのか、よくわからない返事だ。

 歩きながらヨーヨーをコロコロと転がしている。


「これかー? ヨーヨーっていってなー。『撫でたら痴漢ぜよ!』って決めぜりふがはやってるんだー」


「お、それなら僕も読んだよ」


「にしし、オズは古典も知ってるんだなー。しゅぴーん。しゅぴーん」


 やがて、ひときわ大きな屋敷に辿り着く。

 高い塀と頑丈そうな門扉で守られ、番犬も強そうだ。

 侯爵が門に付いたブザーを鳴らす。


「オレだ。カーター・ボールドウィン」


「お待ちしておりました。そのままお待ちください」


 驚くことに、ブザーにマイクとスピーカーが着いており、屋敷の中と話ができるらしい。

 程なくして現れた使用人の男性に連れられ、門をくぐる。

 噴水のある立派な前庭を進み、中へ。

 建物は四階建てで、正門から立派な扉を開くと、赤じゅうたんの敷かれたエントランス・ホールが広がっている。


「ヒューストン男爵家か。……どこかで聞いたような」


「ヘレンお嬢様のホームステイ先なのです」


 ヘレン・フリーマン。アリクアム共和国からの留学生で、王立学院では座席が隣同士だ。

 彼女の家はもちろんアリクアムにあるため、エイプルでは当然どこかに家を借りる必要がある。

 王立学院の寮費は高額のため、近隣の貴族に余っている部屋を借りるのもよくある事のようだ。


「ああそうか。そうだったね」


 ナオミは人の顔と名前を覚えるのが得意だ。

 あまりにも気弱で怖がりなため、人の名前を聞き返すことができず、一度で覚えるようになったという。

 逆にオズワルドはあまり得意ではないため、ナオミのこの特技は重宝していた。


 ◇ ◇ ◇


 一行は応接室に通される。

 部屋はオズワルドのアパルトメント全室と同じくらいの広さだった。

 いかにも高級感のある調度品に、マントルピースもよく手入れされていた。

 侯爵を挟むようにオズワルドとサラがソファに掛け、ナオミが後ろに控える。

 ほどなくして館の主が現れた。


「よくお越しくださいました。私がアナ・ヒューストンです」


 ヒューストン男爵夫人は、目の下に隈を浮かべ、頬もこけている。

 王都を騒がす大怪盗に押し入られ、見事に宝物を強奪されてしまったのだ。

 無理も無い。 

 この年相応に美人な中年女性に続いて入ってきたのは、オズワルドも知った顔だった。


「私は書生のヘレン・フリーマン」


 ヘレンは人差し指で前髪をまくり上げると、鳶色の瞳でオズワルドを見てきた。

 意外にもパッチリ二重でまつげも長い。


「あなた、私の同級生に似てる。ノートンという超ド田舎貴族、知ってる?」


「僕は本人だよ、ヘレン」


「だといいけど」


 一見するとシュールなやり取りだ。

 犯人の『シルバー・ピジョン』は変装の名人であり、いつどこで誰に化けているかわからない。

 そのため、お互いに百パーセントの信用はできないのである。

 侯爵はソファの上で偉そうに脚を組んだ。


「さァて。それじゃ、まず状況の整理とイクか! ヒューストン夫人、とりあえず最初から全部話してくれや」


「はい。あれは閣下に警備をお願いする前日の事でした」


 ◇ ◇ ◇


 ヒューストン家の使用人アルバートがいつものように運んできた郵便物の束に、それはあった。

 まるでタイプライターで書かれたような整った字体に、近年では省略されがちな封蝋。

 夫あてではあったものの、ヒューストン夫人はパーティーの招待状かと思い開封した。

 夫人は夫の秘書的な業務を手伝っており、郵便物の開封はよくある事だったのだ。

 今、夫は貿易の仕事でオルス帝国へ行っている。

 招待状であれば早めに断りの手紙を出なければならない。


「それが『シルバー・ピジョン』の予告状、と」


「はい。当家の家宝『黒石の木簡』を頂戴する、とありました。実物は衛兵隊が証拠として持っていきましたので、これが写真です」


「どれどれ」


 ボールドウィン侯爵は大判の写真を受け取ると、オズワルドたちにも見えるようにテーブルに置いて眺めた。

 写真とは、写真乾板の銀粒子に光学レンズで風景や人物を記録する技術で、ジョージ王が発明したと言われる。

 まずは一枚目、写っているのは手紙だ。


「こしょこしょこしょ……」


「ふむ、ふむ」


 サラが侯爵に何か耳打ちをしていたかと思うと、唐突に話を振ってきた。


「オズワルド。お前はどう思う?」


「えっ? その、綺麗な字だな~、と」


「その通りだ! よく気が付いたな、偉いぞ!」


 侯爵は万力のような手でオズワルドの頭をわし掴み――否、撫でてきた。


「は、はぁ。見ての通り言っただけですが」


「だから! ここまで綺麗な字を書けるということは、それなりの教養ってモンを持った奴が書いたんだろうぜ。綴りのミスも無いし、少なくとも義務教育は済ませているって訳だ!」


 義務教育が平民向けにも始まったのは、概ね三十年前。

 それ以前は識字率も低かったという。

 だとすれば、平民の高年齢層ということは考えにくい。


「なるほど……確かに」


 侯爵の言うことは理に叶っている。

 僅かな材料からでも少しずつ犯人を絞り込もうとするには、こういった推理が必要なのだ。

 オズワルドは侯爵が筋肉だけではない事に感嘆していた。


「あのっ、オズワルドさま」


「うん?」


「こそこそこそ……」


 今度はナオミがオズワルドに耳打ちしてくる。

 ナオミの指摘にも一理ある。

 さも自分のように言ってみた。


「なるほど、確かに。でもボールドウィン侯爵。代筆の可能性はありませんか? 王都のような都会には、読み書きのできない人向けに代筆業者が多く居ると聞きます」


 サラが侯爵に軽く耳打ちしている。


「ふむ、確かに。代書屋は依頼主の秘密を守る義務があるが、犯罪に関わる文書の作成は禁止されているし、報告の義務もある。で、オズワルドよ。お前が仮に犯人で、字を書けないとする。業者に頼むか?」


「う~ん、どうでしょう」


「迷うよなぁ? 代筆屋にタレ込まれたら困るもんなぁ? 情報提供には賞金も出るんだぜ」


「なるほど……」


「ついでに言うと、シルバー・ピジョンが予告状を送るのはいつものことだ。衛兵隊の分析によると、高い確率で同一人物の筆跡だってよ。つまり、グルになってる闇業者がいるか、あるいは本人が直接書いてる、って訳だ」


「つまり?」


 侯爵は立ち上がると、両腕の力瘤を見せつけてきた。

 窓から差し込む光で、磨き上げられた歯がキラリと光る。


「オレ様の推理によるとな、シルバー・ピジョンの正体は――」


 思わず生唾を飲む。

 侯爵はこの僅かな材料から犯人像に心当たりを見つけたらしい。


「十代から三十代、もしくは四十代から五十代以上の男、もしくは女だ! 単独犯もしくは複数犯の可能性もある!」

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