第14話 シルバー・ピジョン

 カーター・ボールドウィンは激怒した。

 必ず、かの怪盗を捕らえねばならぬと決意した。

 カーターには世の中の仕組みなどわからぬ。

 カーターは父親の代にお家取り潰しを受け、昨年まで平民として生きてきた。

 身体を鍛え、身体を鍛え、やっぱり身体を鍛えてきた。

 けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。


 ―― マーガレット・ウィンターソン著『恥じれカーター』冒頭より ――


 ◆ ◆ ◆


「あんのヒョロガリ野郎……このオレ様をコケにして、ただで済むと思うなよ!」


 オズワルドが入学早々いきなり停学処分を言い渡され、丸一日が経った頃。

 灯りの射さない路地裏を、カーター・ボールドウィンは走っていた。

 鍛え上げた肉体は絶大なパワーを誇るが、どうしてもスピードに限界がある。

 パワーとスピード、それはほとんどトレードオフの関係と言って良い。

 無造作に置かれたブリキ製のゴミバケツを蹴り飛ばすが、そんな事はお構いなしだ。

 狭い夜空に大きく浮かび上がる細い細い三日月は、まるでカーターを嘲笑う誰かの唇のようだった。


「とぅあッ!」


 つま先に魔力を集中し、地面に向けて防御魔法を発動する。

 小銃弾の直撃に耐える防御フィールドが瞬時にして展開し、反動でカーターの身体は宙を舞った。

 防御魔法は敵弾の防御だけに使うとは限らない。

 半球形のフィールドを形成する際、かなりの衝撃波を発生させるので、これはその応用だ。


 筋肉を鍛えることで、比例して魔力を増強する。

 学会で否定されているとはいえ、経験則としては必ずしも間違いではない。

 大陸戦争が終わり、多くの魔法使いは滅多に魔法を使わなくなった。

 使わない魔力回路は、筋肉と同様に衰える。

 これもまた学会に否定されているが、カーターはそう思い込んでいた。

 そのため、カーターは筋力トレーニングと並行して魔法のトレーニングも欠かさない。


 滝のように流れていたレンガ壁が途絶えると、ビルの屋上に佇む男が視界に入る。


「おおっと。こんな所まで追いかけてくださるとは。じつに光栄ですな、ハハハ」


 黒い山高帽に黒のアイマスク、これまた黒のマントを羽織った男の不敵な笑みが煤煙で霞んだ夜空に響く。

 この男こそ『シルバー・ピジョン』を名乗り、新聞の一面を賑わす盗賊だ。


「うるせぇ!」


 カーターは落ちていたレンガを拾うと、上段に振りかぶってピジョンに投げつけた。

 野球選手でもやって行けるであろう、空気を切り裂くような剛速球だ。


「おおっと、危ない危ない」


 ピジョンは大げさな宙返りでレンガを躱す。

 そのまま屋上の手すりに着地すると、懐から盗品を取り出してはカーターに見せつけた。

 一見すると定規のような、二十センチほどの物体。

 全体的には緑色で、ムカデのような足が生えた切手大の黒い石が並ぶ。

 本来はヒューストンという貴族が所蔵する『芸術品』だ。

 あくまでも一般的には、そう見なされている。


「持ち主に返せや、このコソ泥が!」


「悪い冗談です。これはあなたたち貴族が持っていても、何の役にも立たない。私が有効活用して差し上げようというのに。……この『メモリー・モジュール』を」


「ほう? それの正体を知っているとは、お前さん何が目的だ?」


「……さあ、何でしょうね。あなたには関係がない、それだけは間違いない。では、ごきげんよう」


 ピジョンはそのまま倒れるようにして、空中に身を躍らせた。


「テメェ!」


 カーターは手すりに駆け寄るが、下を見ても動くものは何もない。

『まるで魔法のように』消えてしまった。

 もちろん瞬間移動する魔法など存在しない。

 これは『奇術』、つまりトリックだ。

 しかし相手の方が一枚上手だったらしく、よくよく探してみたが結局見つけられなかった。


「……逃げやがって。クソが」


 シルバー・ピジョンはまさしく神出鬼没。

 あらゆる場所に忍び込み、跡形もなく消え去ってしまう。

 変装の名人で、貴族にも労働者にも、老人にも青年にも、時には女にでも完璧に化け、どれだけ明るくても、近づいても見破ることはできないという。


 カーターが非常階段を力なく降りると、小柄な黒髪の少女が出迎えた。


「サーセン、逃げられちまいました」


 少女の名は、サラ・アレクシア・マリア・クリス・アル・エイプル。

 ここ、エイプル王国の王女である。

 かつて過激派組織によるクーデター事件の際、命からがら王都を脱出して以来の付き合いだ。

 過激派組織の指導者を相手にした最後の戦いで住まいたる王城は破壊され、今も復興作業が続いている。

 現在はニコラス・ケラー総理大臣の屋敷に身を寄せているが、お忍びで城下を歩き回ること、年に三百六十日。

 一年は三百六十五日なので、ほぼ毎日だ。


「せっかくサラさんが賊の逃走経路を予想してくれたのに、オレぁ自分が情けねぇ」


「ま、しかたがないさー。おまえはよくやったよー」


 量販店にありそうな安っぽいワンピースに、ゴムぞうり。

 どこから見ても平民の小学生にしか見えないが、サラは世界でほぼ唯一の『回復魔法』の使い手である。

 父の代に王家と対立し、お家取り潰しを受けていたボールドウィン家は、彼女の一言でその地位を取り戻した。

 経済的に困窮していたカーターにとって、彼女は恩人だ。

 貴族に復帰し、アパルトメントを与えられたことでカーターの生活は安定した。

 これで育った孤児院に、より多くの寄付ができる。


「あんなモン集めて、何をする気やら」


「やっぱり、『アレ』を造るつもりかなー?」


「……だろうなぁ」


 この不思議な盗賊には、『みょうな癖』があった。

 一つは犯行を行う前に、必ず予告状を送り付けるのだ。

 今回もとある貴族の屋敷に予告状が届き、まんまと犯行を成功させた。

 警備に訪れた衛兵に変装していたのだ。


「ボールドウィン閣下、ご無事ですか! シルバー・ピジョンはどうなりましたか?」


 腕章を付け、重そうなカメラを抱えた新聞記者が駆け寄ってくる。

 ストロボの閃光が一瞬あたりを包んだ。


「……逃げたぜ。残念ながらな」


「ほほう? 少し詳しく伺っても?」


「ああ、オレはヤツを追い詰めたんだが――」


 事情を説明する。

 ただし、盗まれた『メモリー・モジュール』については伏せたままだ。

 記者の頬が、一瞬だけ上がるのをカーターは見逃さなかった。


「……それはそれは、残念でしたねェ」


 記者は満足げにメモ帳をポケットに仕舞った。


「……ま、記事の方は好きにしろや」


 シルバー・ピジョンのもう一つのくせは、決して人を殺さない。

 怪盗紳士と呼ばれる所以だ。

 紳士を気取るには、彼なりの理由があるようだ。

 新聞社にも同様の予告状を送り付け、取材に訪れた記者の前で犯行に及ぶ。

 そして、狙うのはたいてい貴族や富裕商人だ。

 卑しい事だが、成功者の不幸を大衆は喜ぶもの。

 今までも事件のあった翌日は、発行部数を大幅に増やしている。

 大喜びでインタビューに精を出す記者も、頭の中はボーナスのことで一杯だろう。


「後始末は衛兵隊に任せるぜ。オレは帰る」


 カーターはタクシーを拾うと、サラを抱えて乗り込んだ。

 自分一人であればトレーニングがてら走って帰っても良いが、サラと一緒ではそうも行かない。


「あいつ、次何を狙うと思います?」


「さー?『ハードディスク』かなー? それとも『グラフィックボード』かもねー」


 いずれも異世界で作られた場違いな異物オーパーツだ。

 それは『コンピューター』と呼ばれる装置の部品であった。

 解析機関など問題にならない超超高速、極大容量の『電子計算機』だ。

 完成すれば、異世界へ行く装置すら作ることができるという。


「でも、そうそう簡単に作れるモンじゃないでしょ?」


「そーだよー。ガワはつくれても、中身はホイホイつくれないもんねー」


 サラはぷう、と頬を膨らませる。

 サラの父、今は亡きジョージ王はこの世界の人間ではない。

『地球』と呼ばれる異世界から三十年ほど前に召喚されたのだ。

 この秘密を知る者は、政府中枢に近いごく一部の者しか知らない。

 当時カーターは産まれていなかったが、現代では信じられないような原始的な生活をしていたという。

 シートに背を預けると、カーターは大きく息を吐いた。

 原始的な生活といえば、思い出す顔がある。


「……ったく、オズワルドのバカは入学早々やらかすし、踏んだり蹴ったりだぜ」


「なにやったんだー?」


「聞いてくださいよ、あの脳筋野郎・・・・……」


「ぶふーっ! けほっ、けほっ……」


 理由はわからないが、サラが吹き出した。


「大丈夫っすか。誤えん性肺炎で死ぬ人もいるんで、気をつけてくだせぇ」


「ううー。と……とにかくだなー。明日か明後日にでも、もういちど現場をみたいなー」


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