幕間 チャータボックス

 王都の大通りは、今日も多くの人で行き交う。

 貴族、平民、外国人。

 労働者、学生、そして職にありつけないままの復員兵。

 エフォートもそんな復員兵の一人であったが、目の前に見覚えのある懐かしい背中を見つけた。


「待ってくれ。お前、もしかして……?」


 エフォートの声を聞いて、男は振り返る。

 チャータボックス一等兵。

 大陸戦争の末期、エフォートとともに最後の戦いに挑み、生き残ったかつての部下だ。


「エフォート……? エフォート伍長!!」


 チャータボックスは目を丸くすると、まるで体当たりするようにエフォートに抱きついてきた。


「無事だったんだな」


「こっちの台詞ですよ! 俺はもう、エフォートは死んだとばかり! グラットンには会いましたか? アイツも生き残って……」


 エフォートの表情に気付いたのか、チャータボックスが肩を揺すってくる。


「…………すまん。俺がもっと気をつけていれば」


 グラットンが毒入りの偽酒で死んだことを話すと、チャータボックスは力なく項垂れた。


「……エフォートが……悪いんじゃないですよ。アイツ……酒、すごく好きだったし。闇市で粗悪品掴まされるんじゃないか、って心配してたんです」


 チャータボックスは決してエフォートを責めなかった。

 しかし、やり場のない怒りからか、きつく握られた拳はわなわなと震えている。

 せっかく生き残ったというのに、あまりにもあっけない最後は受け入れがたいものだろう。


「――その、せっかく再開できたんだ。家に来ませんか? ガキが居るんで、ちょっと騒がしいですけど」


「無事に生まれたんだな。顔を見させてもらおうか」


 チャータボックスに付いて行くことにしたが、行先は驚くことに高級住宅街だった。

 白亜の豪邸が並び、道には紙くず一つ落ちてはいない。


「お前、こんな所に住んでいたのか」


「ええ、まぁ。……色々ありまして」


 このいかにも高価そうな自動車が並ぶ、高級なアパルトメントが家らしい。

 しかし、チャータボックスは自動車を見ると、固まったように立ち止まった。


「――すいません、またにしましょう。その、急用を思い出してしまって」


 あからさまに不自然だ。

 何か秘密があるのだろうか。

 さっき言った『色々』に、悪い予感がする。


「じゃあ、また来る。なかなか良かったぞ」


「待っていますわ」


 そんな声が扉の奥から聞こえてきたかと思うと、ドアが開いた。

 中から出てきたのは、身なりの良い中年男。

 皴一つない上着は高級品で、被った帽子も高級なシルクハットだ。


 奥に見えたのは、赤ん坊を抱えた若い女。

 写真で見たことがある、チャータボックスの妻だ。

 赤ん坊の髪と瞳は、チャータボックスよりもその紳士に近い。

 彼女は目を丸くすると、その場に立ったままバネ仕掛けで自動的に閉まるドアの中に消えていった。


「…………」


 チャータボックスはこちらに背を向けると、背中を震わせだした。

 拳は血が出そうなほど握りしめられている。

 男は自動車のドアに手をかける時、こちらに気付いた。

 

「どうした? チャータボックス君。これは君も納得しているはずだが?」


「それは……それは……確かに……そうですが……!」


「悔しければもう少し稼ぐのだな。だが、君の気持ちもわからんではない。受け取っておきたまえ」


 男は懐を探ると金貨を一枚取り出し、こちらに放ってよこした。

 キンキンと音を立て、金貨はチャータボックスの足元に転がる。


「っ……!」


 チャータボックスは拳を握りしめながら膝をつき、震えながら金貨に手を伸ばした。

 エフォートは思わずチャータボックスの肩を掴む。


「……拾うな」


 エフォートが代わりに拾うと、男に向けて投げ返す。


「ふむ。確かにチャータボックス君のためにならない行いだったな。以後気を付けるとしよう。ではごきげんよう」


 男は金貨を拾うことなく、自動車に乗って走り出した。

 排気ガスが二人を包む。


「……ちくしょうっ! ……チクショウッ! ……貴族だからって、好き放題しやがって!」


 チャータボックスは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、硬い石畳を殴りつけた。

 拳はすぐに血で染まっていく。


「よせ!」


 エフォートが押さえつけようとするが、チャータボックスは拒絶を全身で表して見せた。

 前からそうだったが、意外に力が強いのでエフォートは弾き飛ばされてしまう。


「うう……うああああああ……!!」


 泣き声が住宅街に響き渡り、通行人が怪訝な視線を向けてくる。


「ちょっと来い、チャータボックス!」


 ◇ ◇ ◇


 エフォートは、チャータボックスを連れて近くの酒場に入った。

 時刻は夕暮れ。

 多くの労働者で賑わう酒場は人でごった返している。

 窓側のボックス席に座ると、エフォートはビールを二つとつまみを注文した。


「くそう……くそう……俺が……仲間が命を懸けて守ったのは、いったい何だったんだっ! こんなのってアリかよっ!」


「…………」


 チャータボックスは、浴びるようにして酒を飲んだ。

 五杯。十杯。テーブルの上に次々と空のグラスが並んでいく。


「もう嫌だ……こんな世界……どこか遠くに、誰も知らない世界に行きたい……」


 チャータボックスの嗚咽はいつまでも止むことはなく、やがてテーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。


「…………辛かったな、チャータボックス」


 エフォートは上着をチャータボックスの肩に掛けると、カウンターへ移動した。


「支払いはこれで頼む。釣りは取っておいてくれ」


 泥のついた金貨を差し出すと、店主は目を丸くした。

 先ほどの金貨を投げ返したと見せかけて、実際には隠していたのだ。

 しょせんはあぶく銭。惜しむ理由はない。


「それから……目が覚めたら、何かサッパリするものを出してやってくれ」


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。

 これほどまでに後悔した事はない。

 己の無力を悔やんだことはない。

 なぜこんな事になったのか。

 エフォートは手のひらに穴が開くほど握りしめた拳を、石畳へと叩きつけた。

 何度も、何度も。

 拳が真っ赤に染まっても、その痛みよりも胸の痛みの方がよほど堪えた。


「バッカ……ヤロウッ!!」


 川に浮かんだチャータボックスを衛兵隊が回収するのを見て、エフォートは今まで生きてきた中で最大の後悔を噛みしめていた。

 遺書の内容は、家族を気遣うものだったという。


「ここではないどこか……か。…………無えよ。無えよそんなもん……! バカヤロウ……! バカヤローッ!!」

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