第12話 入学の日 その二

 階段状の座席が上に向かって扇状に広がった教室に入ると、思わず圧倒されそうになる。

 右を見ても左を見ても、貴族の子女ばかり。

 オズワルドは貴族など自分の親族とアパルトメントの大家しか知らなかったため、都会的で洗練された同年代の若者を前に尻込みしてしまう。


「……やっぱり、都会は違うなぁ」


 全員同じ制服を着ているにも関わらず、纏っている雰囲気がまるで違う。

 その時、ひときわ華やいだ雰囲気の少女が教室に入ってきた。

 オズワルドに気付くと、太陽のような笑顔で手を挙げる。


「ハァイ」


「やあ、バージニア。今日からよろしくね」


 予想通りというか何というか、バージニア・リッチモンドは同じクラスになった。

 バージニアはオズワルドの隣に座ると、悪戯っぽい視線を向けてきた。

 

「あーっ、あの時の変態! ……って、言ったほうが良いかしら? 一応」


「いや、そこまでしなくていいよ。そうだ、これ」


「ちょ、こんな所で!」


「え?」


 オズワルドが借りていた本をバージニアに差し出すと、バージニアは周囲を慌てた様子で確認し、素早く鞄にしまい込んだ。


「何でもないわ。……その、どうだった?」


「すごく面白かったよ。ありがとう」


「良かった! 平民向けの本だからって、友達はみんな興味を持たないのよ。面白いものは誰が読んでも面白いのに!」


 バージニアは頬を紅潮させ、前のめりになって語り始めた。


「――でね、最後の戦いでヒロインが絶体絶命のピンチになった時、主人公が現れて……もう、あたし感動しちゃって!」


「うん、僕もあの場面は好きだな」


 周囲を見ると、興奮気味にまくし立てるバージニアを見て、女生徒たちが口々に何か言っている。

 バージニアもそれに気付いたのか、軽く咳払いをして背もたれに背を預けた。


「……コホン。まあ、話は後にしましょ」


 軽く聞こえる笑い声の中、バージニアは自分の席へと戻っていった。

 落ち着いて周囲を見渡してみると、どうやらある程度の派閥というものが既に出来ているようだ。

 バージニアも数人の学生と談笑していた。

 当然といえば当然といえる。

 大半の者は、付属からエスカレーター式に進学しているのだ。

 なお、エスカレーターとはおもに商業施設で使われる設備で、機械仕掛けで階段が自動的に上下するものだという。

 オズワルドは現物を見た事がないが、街の中心近くにあるデパートメント・ストアに設置されているらしい。


「……大変だね、都会っ子は」


「そうでもない。好きに振る舞えば良いのに、それをしないのはあの子」


 隣の席で返事をしたのは、前髪を目が隠れるまで伸ばした女子だった。

 ぱっと見では、目が無いようにも見えるが、大きな瞳が前髪の間からチラチラと覗く。

 パッチリとした二重まぶたで、通った鼻筋と柔らかそうな唇を見るに、相当な美人だろう。


「何か理由があるのかな?」


「体面。エイプル貴族の悪癖」


 ヘレンが読んでいた本を閉じると、表紙が見える。

 バージニアに借りた本と同じものだ。


「もしかしてさ。……みんなこういうの、読まないのかな? バージニアは平民向けの本って言ってたけど」


「少なくとも、貴族の子女が白昼堂々と読むものではない。一般的には」


「じゃあ君は?」


「ここはエイプル。私のようなアリクアム人には関係の無いこと」


 彼女は、ヘレン・フリーマンと名乗った。

 隣国のアリクアム共和国からの留学生らしい。


「それより、あなた。初日からずいぶんと目立っている。気をつけて」


「どういう事?」


 説明を聞く必要は無かった。

 オズワルドは三人の男子学生に取り囲まれてしまう。

 彼らは一様に下卑た笑みを浮かべ、一人は拳を鳴らし、残る二人は魔法の杖を撫でていた。

 魔法の杖は、埋め込まれた宝玉により魔力を増幅する事ができる。


「おい、お前。見ない顔だが、バージニアさんに向かって馴れ馴れしいぞ」


「ちょ~っと来てもらおうか」


「なに、悪いようにはしない。ここの『ルール』を教えるだけだ。身体にな」


 オズワルドは、有無を言わさず教室を連れ出されてしまった。


 ◆ ◆ ◆


 ナオミが読んでいた本がクライマックスを迎えた時、不意に使用人室のドアが乱暴に開く。


「デビッド!」


 息を荒げて駆け込んできたのは、バージニアだ。

 全力で走ってきたのだろう。

 額には汗が浮かんでいるが、顔からは血の気が引いている。


「いかがなさいましたか、バージニアお嬢様」


 バージニアとは対照的に、落ち着いた態度でデビッドはハンカチを差し出した。

 いかにも有能な執事然とした姿は、周囲の使用人たちからも一瞬で尊敬の念を集めた。

 しかし、バージニアはハンカチを手で払う。


「大変なの! オズワルドが……!」


 ナオミは即座に本を置き、顔を上げた。

 全身を貫く嫌な予感。どうやらただ事ではないようだ。


 ◆ ◆ ◆


 走る。走る。走る。

 デビッドを先頭に、バージニアとナオミ、そしてヘレンが続く。

 タイミング良く上から降りてきたエレベーターに飛び込むと、エレベーター・ガールに屋上階を告げた。

 全身に加重が掛かる。

 バージニアは硬く握った拳を籠の壁に叩きつけた。


「三人がかりなんて卑怯だわ! 男らしくないわね、最低!」


 オズワルドは田舎から出て来て、右も左もわからない新入りだ。

 それに体格も華奢だし、どう見ても喧嘩が強いようには見えない。

 デビッドは汗一つ浮かべていないが、ヘレンは精神と肉体両方が酷く消耗していた。

 渡されたハンカチで顔の汗を拭く。

 気ばかり急いても、機械は仕様以上の性能は発揮しないもの。

 エレベーターの速度がひどくもどかしかった。


 王立学院は本校と付属があり、大半の学生は付属からエスカレーター式に進学する。

 付属の中ですでに派閥が出来上がっており、バージニアはその中でも上位グループに属していた。

 バージニアと関わる事はステータスであり、ぽっと出の受験組に許される事ではない。

 エイプル王国は貴族制だが、貴族の中でも明確にヒエラルキーが存在する。

 貴族の子弟が集う王立学院は、まさしく社会の縮図そのものであった。

 新人いびりはどこにでも存在する。

 高貴なる義務ノブレス・オブ・リージュなどどこへやら、そこは力が支配する無法地帯という側面を持っていた。

 自分が犠牲にならないために、他の誰かを犠牲にする。

 閉鎖された環境では、倫理というものは簡単に崩壊するものだ。


「えぐっ……ぐすっ……これはマズいです……マズいですよぉ……」


 ナオミは真っ青な顔で泣きながら救急箱を抱きしめていた。


「ナオミ……オズワルドはきっと、大丈夫よ……」


 根拠など無い。

 バージニアは気休めとわかっていてもナオミの肩を抱くが、震えは収まりそうになかった。

 ナオミは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、声を震わせる。


「は、早くしないと、オズワルドさまが……さ、殺人犯になってしまうのです……! あわわ、亡命しなきゃ……」


「え? 今なんて……」


 轟音と、まるで地震のような震動がエレベーターの籠を揺らす。

 一瞬照明が暗くなったが、どうやら無事に屋上階に到着したようだ。

 ベルが鳴り、エレベーター・ガールがドアを開く。

 そのまま四人は屋上庭園の扉に飛び込むと、一様に息を呑んだ。


「オズワルドさまっ!」


 ナオミが叫び、オズワルドの胸に飛び込む。


「どうしたんだナオミ。それに、みんなも」


 傷どころか汚れ一つ無いオズワルドは、何が起こったのかわからないといった顔でバージニアたちを見渡す。


「あなたこそどうしたのよ……。どういう事よ、これ!?」


 理解が追いつかないのは、むしろバージニアの方であった。

 コンクリートはいくつものクレーターができ、落下防止のフェンスは無残にも垂れ下がっている。

 砕け散ったベンチに一人、植え込みに一人、そして壁に叩きつけられたのが一人。


「新入りに対する洗礼だろ?」


 オズワルドはさも当然といった表情だ。

 バージニアは強烈な魔力の残滓に酔いながらも、オズワルドに疑問をぶつけた。


「これ……あなたがやったの?」


「新入りにちょっかい出して返り討ちとか、漫画やライト・ノヴェルでよくあるパターンじゃないか。僕だってそれくらい知ってる」


「なっ…………!?」


 漫画や小説と現実を混同しているとでも言うのだろうか。

 ナオミは涙と鼻水でオズワルドのジャケットをぐしゃぐしゃにしていた。


「ナオミはオズワルドさまが指名手配されようと、どこまでも付いていくのですっ! 衛兵が来る前に、早く逃げましょう!」


「ははは、大丈夫だよ。そんな強くやる訳ないだろ」


 ◇ ◇ ◇


 手分けして三人を医務室に運ぶ。

 医務官は留守だったため、デビッドとナオミが彼らに包帯を巻いた。

 服を切り裂く風魔法。氷魔法の凍傷と打撲。

 半分燃えて灰になった眉。

 どうやったのか想像も付かない傷もあるが、全員命に別状は無い。


「大丈夫、傷も後遺症も残らないよ。そのくらい考えているさ」


 オズワルドがそう言うと、ナオミはホッと胸をなで下ろしたようだ。


「亡命の必要は無いのですね?」


「ああ、もちろん」


 物騒な会話をする二人にバージニアは割り込んだ。

 あまりにも不可解な事が多すぎる。


「ねえ、オズ。あなた、どこでこんな魔法を身につけたの?」


 オズワルドは恥ずかしそうに頭を掻いた。


「いやほら。うち、田舎だから」


「説明になってないわ」


「先の大陸戦争で銃が軍に徴発されたんだ。だから、熊やオークが出たら魔法で倒すしかないんだよ。面倒なのはオークみたいな保護動物さ。畑の作物を食い荒らす害獣でもホイホイと殺せないし」


「あなた、オークを倒せるの?」


「年に三体までならね。政府から許可が出てる」


「そういう問題じゃないけど……まあいいわ」


 エイプル全土に生息するのはオークの亜種で、エイプルオークという。

 ヒグマと同レベルの体格で、知能もそれに近く、基本的に人間の敵う相手ではない。

 絶滅が危惧されており、捕獲や駆除には制限が掛けられている。

 殺さずに追い返すために、オズワルドは魔法を細かく制御する方法を身につけているのだろう。

 命のやりとりをする実践に於いては、呪文の詠唱はタイムロスたり得る。

 なお、銃をはじめ火薬を使った武器は、原料が便所の土だった事から貴族は忌諱する傾向が強い。

 しかし、兵士の武器が火縄銃からライフル銃に置き換わった今、銃は魔法を凌駕しているとされる。


「…………面白い人」


 黙って話を聞いていたヘレンが不敵な笑みを浮かべた。


「ヘレン。そういえばあなた、なんで来たの?」


「興味本位。予想以上に面白かった」

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