幕間 グラットン

「もうすぐ家だが、せっかくだから一稼ぎしておくか。餅代くらい欲しいぜ」


 餅とは、炊いた特殊な米を突き固めた携行食で、ジョージ王が縁起物として広めたものだ。

 喉に詰まらせて死ぬ者も居るが、エイプルの老年層はこういった新しい料理は好まない。


 クレイシクからエイプルへ帰るために、二ヶ月もかかった。

 ただ移動するだけならもっと早く済むのだが、衛兵から隠れ、ぎゅうぎゅう詰めの船と故障ばかりの列車。

 道程は決して楽ではない。

 エフォートは街から街へ、通行人に奇術を見せては小銭をもらう生活を続けていた。


「この辺にするか」


 王都の中心部には、街を南北に区切る大きな公園がある。

 休日ともなれば、家族連れやカップルで賑わう、王都市民の憩いの場だ。


「さあさあ、世紀の大奇術! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」


 何のコネも無い平民には、劇場を借りるなどという真似はできない。

 せいぜいリンゴ売りに小銭を渡して協力してもらうくらいだ。


「いやあ、叫んだらお腹が空いてきた!」


 リンゴの絵が描かれた看板から本物のリンゴを取り出すと、観客は大いに沸いた。


「いやあ、このリンゴは赤いけど、私は青リンゴの方が好きなんだよ」


 エフォートがリンゴを軽くなぞると、赤かったリンゴは一瞬で青リンゴに変った。

 拍手を浴びながらリンゴに齧り付く。


「美味い! でも、食べ過ぎは良くないね。食べ物を粗末にする訳には行かないし、天に返すとしましょうか」


 青リンゴは一瞬で白い鳩に変り、どこへとなく飛び去った。

 先ほど以上に観客が沸く。

 エフォートは恭しくお辞儀をし、被っていたシルクハットを観客に差し出した。

 すると、銀貨や銅貨が次々と飛び込んできた。


「すごいですわ。一体どうやったのかしら?」


 身なりの良い、栗色の髪を縦ロールにした女が興味深そうに覗き込んでくる。

 しかし、そう簡単に見破られては困るのだ。


「わたくしめの魔術にございます、お嬢様」


 エフォートが大げさな身振りでお辞儀しながら帽子を差し出すと、女は中に銀貨を入れてきた。

 もう一人、亜麻色の髪をしたスタイルの良い女が、縦ロールの財布をむしり取る。


「ケチケチしないでドーンといきましょ、ドーンと!」


「ちょっと!」


 亜麻色の髪の女は、他人の財布を丸ごと帽子に突っ込んできた。


「……よろしいのですか?」


「貴族が平民にあげた物に、返せなんて言いませんわ。おほほほほほ……」


 二人のお嬢様は小声で言い合いながら去って行く。

 残った観客からもう一度というリクエストが上がるが、同じ奇術は二度見せてはならない。

 これはレイヴンと交わした絶対の約束だ。

 エフォートは看板を持ち上げると、裏に隠れていた女の子に銀貨を渡した。


「またお願いするよ」


「大カンゲイだよー。こちらこそありがとねー」


 看板に穴が開いており、裏に隠れていた女の子からリンゴを受け取ったのだ。

 あとは穴を塞げば、まるで絵が本物に変ったように見える。

 リンゴは酢酸ビニルでコーティングされており、それを剥がすことで一瞬で色が変るのだ。

 エフォートは戻ってきた鳩を内ポケットに収めると、足早にその場を去った。


「貴族どもも、みんながみんなあんなお嬢様ばっかりだったら良いのに」


 もらった財布を開けてみると、意外にも中身は銅貨や銭貨だった。

 たいした額ではない。

 これがわかっていたから、もう一人の女も財布を丸ごと突っ込んだのだろう。


「なるほど。お貴族様も、けっこうな奇術師だな」


 ◇ ◇ ◇


 大陸戦争における戦線は、塹壕戦に突入したことで膠着し、王都にはほとんど被害が出なかった。

 戦争末期のクーデターで列車砲が乗っ取られ、王城をはじめとして王都内に砲弾が降った程度だ。

 皮肉なことに、王都の損害はその全てが同じエイプル人によってもたらされたものである。


「おいおい、嘘だろ……」


 エフォートの家があった場所は、更地になっていた。

 巡回中の衛兵を捕まえて問いただすと、先のクーデターで列車砲の砲弾が落ちたらしい。


「ま、大した物は無いけどさ」


 列車砲の砲弾は、王城を除けばほとんどが貧民街に着弾していたらしい。

 クーデターを起こした勢力というのが、王立学院に籍を置く貴族の子弟によって成されたという。

 彼らに本気で国を変えようという意識は無く、言ってしまえば学生さんの『革命ごっこ』だ。

 だから照準も貧民街に合わせられていた。

 王立学院のお貴族様にとって、スラムの貧民は人間ですらなかったのだろう。

 じつに迷惑な話ではあるものの、王女の直属の家来によって鎮圧され、王都は平穏を取り戻した。


 残ったのは、貧困の中で傷つく平民の貧困層だ。

 それだけではない。

 大陸戦争の終結に伴い、従軍していた兵士たちが次々と復員していたのだ。

 多くは家族の元へ帰ったが、帰るべき家が無い者も少なくない。

 そして、彼らの多くは職が無かった。


 異臭のするボロ服を着て、物乞いをする者。

 誰かが落とした小銭に、雲霞のごとく群がる者たち。


 ここではゴザや防水布の上に、どこからか盗んできたであろう品物を並べ、あらゆる物が売買されていた。

 食料や衣類は言うに及ばず、手榴弾や機関銃まである。

 用途不明のガラクタも、ここでは飛ぶように売れているようだ。

 廃材を組んで作ったバラックの前に椅子が並べられ、食堂らしき店を開いている者までいる。

 材料に何を使っているか分からないが、張り出された値段は魅力的だ。

 漂う匂いに腹の虫がなる。

 エフォートは空いた椅子に座ると、店主に声を掛けた。


「おっちゃん、ラーメンね」


「はいよっ!」


 ラーメンとは、小麦を練った麺にかん水を加え、スープに漬けた麺料理だ。

 ジョージ王がレシピを発明したとされ、現在では国民食と言われるほどに普及していた。

 箸を使って音を立ててすするのがマナーだという。

 麺をゆでている鍋は、よく見れば兵隊が被っている鉄兜だ。

 明らかに機械部品を流用したであろう金網で湯切りした麺が、よく分からない生き物の骨で出汁を取られたスープに入って出てくる。

 おそらくは鶏ガラだと思われるが、聞かないほうが幸せだろう。

 代金は銅貨一枚。

 表通りで食べれば、おそらく五~六枚は必要だ。


「ごっそさん」


 食べ終わって歩き出すと、瓶を蹴飛ばしてしまった。

 拾ってみると、消毒用エタノールだ。

 すぐ近くに赤提灯の屋台が出ているので、おそらくはこれを客に出しているのだろう。

 エタノールならまだ良心的な方で、酷い所ではメタノールを出している所もあるらしい。

 アルコールとはいえ、メタノールは少量でも視力を失う猛毒だ。当然、大量に飲めば命はない。


「酒は……やめとこ」


 こんな日くらい酒を飲んで憂さを晴らしたいところだが、それで視力や生命を失うのは堪らない。

 そもそも、あまり飲む方ではない。

 エフォートはあてどなく裏通りを彷徨った。

 今夜の寝床すらままならない放浪者は、他の大多数の復員兵と変らない。

 そうしているうちに、やがて日が傾いてきた。


「エフォート……? エフォート伍長!!」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには見慣れた顔があった。


「お前……グラットンか!」


「俺はもうてっきり死んだとばかり! こんな所で会えるなんて……良かった、良かった……っ!」


 グラットンは袖口で目もとを拭う。

 あの最後の戦いではぐれて以来だった。


 ◇ ◇ ◇


「悪いな、世話になるよ」


「全然大丈夫っすよ! 入って、どうぞ」


 グラットンが根城にしているバラックに、エフォートは通された。


「――天窓っすよ。オシャレでしょ?」


「…………そうだな」


 屋根のトタン波板に穴が開いているのだ。

 空き缶に入った、よく分からない油の灯で室内は照らされている。


「伍長、酒飲みます? 取って置きの本物っすよ。そこらの偽物じゃない、本物のブランデー!」


「いや、俺はいいよ」


「そっすか? じゃ、遠慮なく」


「お前の酒だ、好きにしろよ。ところで……」


 エフォートは、他の仲間の事を聞いた。

 グラットンは一瞬震えると、酒を呷り、絞り出すように答えた。


「そうか……スチューピッドは……」


「ええ。砲弾が落ちてきて、気がついたらはぐれてて。……くそう、俺がもっとしっかりしていれば……!」


「それを言うな。指揮官は俺だったんだ。お前とチャータボックスは生き残ったんだろう?」


 やがて酒も進み、グラットンはムシロの上に横になった。


「表通りの奴らはいいよなぁ……ヒック。俺たち、あんなに必死で戦ったのに。あいつら、感謝の一つもありゃしない。エフォートもそう思うでしょ、ねぇ?」


「……そうだな」


 エフォートは空き缶のランプを吹き消した。

 辺りは暗闇に包まれ、天井の穴――いや、天窓からは星空が見える。


「あ~あ。俺も『チキュー』に行きてえぇや。知ってます? チキュー」


「ああ、よく知ってるよ」


『チキュー』とは、エイプル人が古くから信じている異世界だ。

 かつて世界を救ったという伝説の英雄、カトー様はチキューから来たと伝えられている。

 子供向けの絵本や演劇の主役として、いつの時代も大人気だ。

 近年ではカトー様を題材とした映画も公開されているが、映画としての出来は微妙だった。


「噂ですがねえ、ヒック……ジョージ王の最後の発明、チキューに行ける装置らしいっすよ。……ヒック。王家が持ってるって。……でも試作品が分解されて、部品を貴族どもが持ってるらしいっす……ヒック」


「へえ、初耳だな」


 この世界ではどうやっても作れない機械で、部品そのものが異世界で造られた物だという。

 ジョージ王もそのチキューから来ていて、故郷へ帰るために作り上げたらしい。

 王宮は万全の警備体制が敷かれているが、貴族の屋敷は数段劣る。

 貴族たちが持っている部品を集めることで、その『異世界転移装置』を組み立てる事が出来るという話だ。


 酔っ払いの戯れ言なので、頭から信じるという訳には行かない。

 しかし、続くグラットンの言葉は、やけに耳に響いた。


「あ~あ。こんな救いの無い世界に居るより、異世界に行ってイチから人生やり直したいっす……」


 エフォートも、同じ事を考えたことが無いとは言えない。

 どんなに努力しても、決して報われないのがこの世界だ。

 富の九割を、人口の一割に満たない貴族や資本家が独占し、残りの一割を九割の平民が奪い合う。

 まっとうな方法では、決して這い上がれない。

 国のために命を賭けて戦った兵士にも、何の報いも無い。

 生きていても、死んでいても。

 結局は使い捨ての消耗品だ。


「……もう、寝ようぜ」


「は~い、おやすみなさ~い。ヒック」


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。


「バッッッッカヤロウッ!!」


 バラックの建ち並ぶスラムにエフォートの声が響いた。

 視界が歪む。零れる涙を拭うことも忘れて、グラットンに平手打ちをした。


「バカヤロウ! グラットン、お前何やってんだよ! まだまだこれからなのに! せっかく生き残ったのに! こんなのあるか、バカヤロウッッ!!」


 グラットンの冷たい胸に縋り付き、エフォートは声を上げて泣いた。

 メタノール。明確な有害物質。

 アルコールの一種とはいえ、酒に含まれるエタノールとは訳が違う。

 少量でも死に至る猛毒が、悪質業者によって酒瓶に詰められていたのだ。

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