第9話 バージニア
「そのぉ……本当に申し訳ございませんでした。リッチモンドさま」
「バージニアでいいわ、ナオミ。それに使用人のミスは雇い主に請求するから、気にしなくていいのよ」
オズワルドとぶつかった少女、バージニア・リッチモンドは長い髪の束を払うと、ナオミにウィンクしてみせた。
見ていない所で二人は打ち解けていたらしく、オズワルドは内心胸をなで下ろす。
しかし、代償としてバージニアが食べるケーキ・セットはオズワルドの支払いになったようだ。
「バージニア、きみも明日から王立学院に?」
バージニアは軽い溜息をつきながら、ケーキにフォークを突き立てる。
空になったカップにナオミが紅茶を注いだ。
「ええ。これまでは付属だったけど、明日から本校よ。一族の伝統だかなんだか知らないけど。学費の無駄だって言ってもお父様が聞かなくて」
「うちも似たようなものさ。僕はもっと、新しい科学を学びたいんだけど……先が思いやられるなぁ」
先ほどの話を思い出し、デビッドに視線を向ける。彼はバージニアの背後で、柔らかな表情のまま直立不動の体勢を取っていた。
「ところであなた、魔法を使う時に呪文を唱える?」
「いや……面倒くさくて省略してる」
「省略ですって?」
「うん」
バージニアは目を丸くして身を乗り出す。
魔法を使う時、呪文を唱える事で威力や精度を上げる事ができた。
先ほどデビッドも言っていたことだが、近代兵器に魔法が太刀打ちできない事はオズワルドも大まかには聞いていた。
ウバスに復員した兵士が言うには、魔法はもっぱら士官が兵士への制裁に使うばかりだったという。
現代においては呪文を必要とする局面は極めて限定されているのが実情だ。
「だからってねぇ。……ん? あなた、ノートンって言ってたけど、まさかウバスの?」
「そうだよ」
バージニアは軽く溜息を付いた。
「へえ……そんな有名人が入るなら、先生方も調子に乗るはずだわ。国内でも五指に入る大魔法使いの一族なんて」
「そんな事言われても、僕はよその魔法使いに会った事がないからわからないよ」
「これはとんだ田舎者さんね」
否定する要素が全く無い。
森と田畑しかないし、数年前まで電気すら通っていなかったのだ。
「ところで、君が持っているその本だけど」
「ああこれ? 書店でたまたま平積みになっていたから、何となく買ってみたんだけど。ええ、たまたまよ、たまたま。知り合いにこういうの好きな人いるから、どんな物かと思って。あなたは読んだの?」
知り合い云々などどうでも良いが、なぜかバージニアはどことなく落ち着かない様子だ。
バージニアがテーブルの上に出したのは、さっき行った書店で見かけたライト・ノヴェル。
ライト・ノヴェルとは、漫画調のイラストを表紙や挿絵に使った青少年や労働者向けの文庫本だ。
活版印刷の発展で図版の印刷も可能となり、気軽に読める娯楽小説として近年人気の書籍群だ。
「いや、それはまだだよ。同じ出版社の違う本はけっこう読んだけど」
「本当? どのくらい?」
「ええと、十冊くらいかな。『ブラシカの少女』とか」
なぜか身を乗り出すバージニアの頬は、見るからに紅潮していた。
何か変なことを言っただろうかとオズワルドは思ったが、思い当たる節は無い。
「あ、あらそう。な、なかなかじゃない。こ、これはね、神々の住む異世界『チキュー』を舞台にした幻想小説なの。そこは、全てが『コンピューター』っていう機械に支配されているのよ。で、没落したエイプル人の貴族がチキューに行って、魔法の呪文で『コンピューター』を動かせる事に気付くのね。それで大活躍して女の子にモテモテになる、って話」
バージニアは興奮した様子でまくし立てた。
「うーん、なんか作者の願望が透けて見えそうだね」
「……こういうの、嫌い?」
今度は俯いて影のある表情を作る。
面白い子だな、とオズワルドは素直に思った。
表情がコロコロと変り、好きな話題になると一気に口数が増えるタイプなのだろう。
「好きだよ。ハマっちゃった」
「そう! そうなの! ……今月出たばかりだけど、あたしもう三度も読み返したわ。あなたも読みなさい。貸してあげるから、ね!」
バージニアは本をオズワルドに押しつけてくる。
「えっ、でも初めて会ったのに……」
バージニアの人差し指が伸び、オズワルドの唇を塞ぐ。
艶やかなブロンドの髪が日差しに埋もれ、輝くのが見えた。
誰もが見返すような、そんな笑顔だ。
「あなたも王立学院に入るなら、教室で会うこともあるでしょう。その時に返してくれればいいわ。ああそうだわ、今から家にいらっしゃいな! デビッド! 車を回してちょうだい」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
「あの、ちょっと」
デビッドは当然バージニアの言う事しか聞かないようで、オズワルドの伸ばした手は空を切った。
◇ ◇ ◇
「…………」
「…………」
オズワルドとナオミはバージニアの自動車に押し込まれてしまった。
ふかふかのシートは尻と背中を包み込むようで快適そのもの。
左側通行のエイプルでは、運転手を務めるデビッドの後頭部が右前に見える。
オズワルドの左で、ナオミは石像のように固まっていた。
「カチカチカチカチカチ…………」
奇妙な音に気がつくが、どうやらナオミの口許から聞こえているようだ。
顔は真っ青で、視線は魚のように泳いでいる。
自動車に乗ったのは人生で二度目、それも初めて会った貴族のお嬢様の自動車となれば、人見知りが激しいナオミは気が気でないだろう。
「でね、あなたが読んだ『ブラシカの少女』、表紙絵を描いたのが――別のレーベルだけど筆のタッチがまるで――」
「……そ……そう。詳しいんだね、バージニアは」
右側からは、バージニアの止まらないお喋りが続いていた。
どうにも落ち着かない。車内の空気も何か良い匂いがして、やはりそわそわと落ち着かない。
実家のあるウバスでは、同年代の女の子などナオミと妹しかいなかったのだ。
しかしバージニアと仲良くなれば、今乗っている自動車を詳しく見せてもらえるかもしれない。
「ここよ。遠慮しないでね」
「へえ、こんな街の真ん中に」
自動車が停まったのは、王都北西部の高級住宅街の一角だった。
当然と言えば当然だが、ウバスのノートン家よりは小さい。
しかし、王都とウバスでは、土地の価値が比べものにならない。
資産価値という点に於いては、このリッチモンドの屋敷の方が圧倒的に上だろう。
なお、家柄は子爵とのこと。
庭を抜け、四階建ての屋敷の最上階へと上がる。
「入って、どうぞ」
バージニアが金のドアノブが付いた白いドアを開ける。
「おお……なんだかモノがたくさんあるぞ」
そこに広がっていたのは、いわゆる『女の子の部屋』という言葉から連想するものとはかけ離れていた。
「もちろん、ここで寝起きしている訳じゃないわ」
「なるほど、趣味の部屋か」
右の壁は一面の本棚。正面はポスターが何枚も貼られており、左の壁もまた一面の棚。
覗いてみると、漫画や『ライト・ノヴェル』に登場するキャラクターの人形が所狭しと並んでいた。
「ふむ、これが現代の彫刻か。さすがに都会の貴族は違うな」
「でしょう? でしょう? これの良さがわかるなんて、さすがオズワルドね!」
バージニアはオズワルドに白い手袋を渡してきた。
そして自分も手袋をはめると、棚から手近な彫刻を慎重に取り出す。
大きさは二十センチほど。レジンで作られた人形は可動部が一切無く、観賞用らしかった。
この人物は、書店で表紙を見た事がある。
足首まで伸ばした髪はツインテールに結ばれ、極端に短いスカートからは長い脚が覗いていた。
「下着まで作り込んでいるのか。さすがだね」
「……もうっ!」
バージニアは顔を赤くして人形をひったくると、棚に戻した。
◇ ◇ ◇
最初の印象こそ少々キツめといったところだったが、こうして話してみるとバージニアはコロコロと笑う少女だった。
特に『漫画』や『ライト・ノヴェル』に造詣が深く、話し出すと止まらない。
しかし、楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまう。
「バージニア様。お時間でございます」
ノックの音とともにデビッドの声が響いた。
「用事があったのか。なら、僕はおいとましよう」
バージニアはさも不機嫌そうな顔をして立ち上がる。
「はぁ……本当ならもっと話したい事があったのに。ごめんなさいね。それから……」
「うん?」
「ここであったこと、学院では黙っていてくれる?」
確かに、バージニアは貴族のお嬢様だ。
男子を部屋に招いたとなれば、よからぬ噂が立たないとも限らない。
ここは都会だ。いつ、どこで誰の目があるかわからない。
仕方がないことだろう。
「わかった。誰にも言わないよ。じゃあ、また入学式で」
笑顔で手を振るバージニアに見送られ、オズワルドは屋敷を後にした。
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