第8話 不思議な出会い
その頃、王都中の町という町、家という家では、二人以上顔を合わせさえすれば、まるでお天気の挨拶でもするように、『シルバー・ピジョン』の噂をしていました。シルバー・ピジョンというのは、毎日毎日新聞記事を賑わしている、不思議な盗賊の渾名です。
―― マーガレット・ウィンターソン著『怪人ピジョン』冒頭より ――
◆ ◆ ◆
「これでよろしいですか? オズワルドさま」
「右側をもう少し上げてくれ。もうちょい……そう、そこだ」
ナオミは画鋲でポスターを留めると、踏み台を降りた。
一歩下がり、ポスターを見上げる。
「アーデルハイドちゃん……なんて可愛らしいのでしょう。このポスターをお選びになるとは、さすがオズワルドさまです」
「ナオミもそう思うか? そうだろう、そうだろう」
アーデルハイドとはポスターに描かれたキャラクターで、先日買ってきた小説『ブラシカの少女』のヒロインだ。
流行っているのを、と言って買ってきた本だが、その面白さはオズワルドを一気に虜にした。
続きが気になり、その日のうちにシリーズ既刊十冊を全て買いそろえ、二日間の徹夜で全て読んでしまったほどだ。
書店が近所にあったのが幸いであった。
ナオミにも貸してやると、やはり気に入ったようである。
一機読みしたのだろう、目の下に隈を作っていた。
「ちゃんと寝なきゃだめだぞ」
「オズワルドさまこそ……」
書店巡りはオズワルドの楽しみになっていた。
行商人が持ってくる本とは違う、見たことも聞いたことも無い文化が目白押しなのだ。
特に『漫画』と『ライト・ノヴェル』には大きな衝撃を受け、オズワルドどころかナオミまで一気に夢中になった。
漫画とは近年流行している本の一種で、コマ割りされた絵と台詞や擬音で物語を表現する作品群だ。
紙の大量生産と印刷技術の飛躍的向上によって、大流行となっていた。
少年向け、少女向け、成人向けなど様々なジャンルがあり、ナオミは少女向けの物を何冊か買い込んでは熱中している。
とはいえ、ナオミは炊事や洗濯といった仕事を疎かにする事はなかった。
オズワルドは家事が一切できないので、ナオミがいなければどうなっていたかわからない。
「父上にナオミの賃金を上げるように頼まなくてはな」
「そ、そんな! ナオミは今のままで――」
その時、柱時計が針を二度打った。
「おっと、こんな時間か。そろそろ行かなきゃな」
「教科書の受け取りくらい、ナオミが行きますのに」
「本屋で教科書を買うなんて、ウバスじゃやりたくてもできない体験だよ。それに、教科書以外にも欲しい本がたくさんある」
正直をいえば、ナオミを一人で行かせるのに不安があったのも否めない。
もっとも、それを言えばナオミはムキになって一人で出かけ、また迷子になって泣いてしまうことだろう。
今日行くのは、いつもの本屋ではないからだ。
◇ ◇ ◇
「こちらのようですが……」
「うん、そうみたいだね」
王立学院の指定した書店は、学院の敷地内にあった。
学院の門をくぐるのは、入学試験に続いて二度目だった。
よく整えられた広い庭園と、中央にある高い塔がまず目に入る。
目指すのは、門からほど近い御影石を積んで造られた二階建ての建物。
「これ、学院の売店なんですよね? とってもオシャレ……」
「あまり奥まった所に作ると不便だし、学生や職員が行き帰りに買い物できるようにってことかな?」
書店だけではない。
食堂、喫茶店、文具店やスポーツ用品店などなど、学院生活に必要な物は一通り揃うようになっているようだ。
もはや商店街と言っても良かった。
オズワルドは書店のカウンターで教科書を受け取り、店を一歩出ると胸を躍らせながら本を開く。
重厚なハードカバーで、いかにも魔法使いの本といった具合だ。
ナオミが興味深そうに覗き込んできた。
「何が書いてあるのですか?」
「これは属性魔法についての初歩的な内容だ……そっちのは?」
ナオミは背表紙を順番に読み上げた。
「ええと、錬金術、占星術、無属性魔法、などなど……」
「機械工学とか、電気工学とかは無いの?」
「ええと、あ、これですね」
ナオミが差し出したのは、他の教科書の半分以下、冊子と言ってもいいような本だった。
「……これだけ?」
「はい、目録にある物は全て揃っています」
「……そうなの?」
「はい」
「…………そっかぁ」
オズワルドは平静を装いつつも、頭から血が引いていくのを感じていた。
辺境のウバスではなかなかお目にかかれない科学文明の成果。
それを存分に学べると思っていたのに、王立学院は魔法が最も重視されているらしい。
王国で最も権威のある、未来の指導者を育成する最高学府がこれとあっては、さすがに気落ちしてしまう。
だからだろうか。
「きゃっ!」
曲がり角でついうっかり、人とぶつかってしまったのだ。
「ご、ごめん! 大丈夫?」
それは、まるで絵本のお姫様を思わせる、凜とした美少女だった。
年の頃はオズワルドと同じくらい。
腰まで伸びたブロンドの長髪をツインテールに結わえ、つり目がちの気の強そうな視線は、話しかける事を躊躇させる。
しかし、オズワルドの視線は彼女の下半身に吸い寄せられた。
ミニスカートがめくれ上がり、むっちりとした太腿と白い下着が露わになっていたのだ。
彼女はオズワルドが差し出した手を取って立ち上がると、尻に付いた埃を払った。
「ええ、大丈夫。あたしも不注意だったわ……って、あなた、大丈夫!? どうしたの!? 何を泣いているの!?」
見れば、なぜかナオミが目に涙を浮かべている。
「ぐすっ……ブロンドのツインテールお嬢様だ……きっと同じクラスになって『あーっ! あの時の変態!』って突っかかって、色々あってお嬢様に縁談の話が来て、断るためにオズワルドさまに恋人のフリをさせるんだ……昨日読んだ漫画でそうなってたもん……」
「ま、待ちなさい! あたしがいつ彼を変態扱いしたのかしら? 色々あって、って何!?」
「……くすん」
「ああもう、泣かないでよ! あたしが泣かせたみたいじゃない! ちょっとこっち来なさいっ!」
彼女はナオミを連れてどこかへ行ってしまった。
オズワルドは一人、その場に残される。
「…………何なんだろう」
何も言わずに帰ってしまうと、ナオミが探し回ってしまうだろう。
あまり遠くへ行くわけにも行かなかったので、喫茶店のオープンテラスに掛け、受け取った教科書をめくってみた。
「……う~ん。王立学院って、科学技術の研究でも国内随一なんだけどなぁ」
渡された教科書の記述はあまりにも簡素で、期待外れ以外の何物でもない。
「優秀な方はオルス帝国やアリクアム共和国へ留学に行かれます。そちらの方が進んでいますので」
不意に声を掛けてきたのは、タキシードに身を包んだ青年だった。
短く刈り上げた金髪に、宝石のような青い瞳、通った鼻筋。
背はオズワルドよりも頭一つは高いだろう。
あまりにも整った顔は、まるで彫刻のようですらあった。
「あなたは?」
青年は恭しく頭を下げる。
「失礼しました。私、リッチモンド家で先ほどのバージニアお嬢様の執事をしております、デビッド・ペイジと申します。以後、お見知りおきを」
「ど、どうも」
「お嬢様はお優しいお方です。例え平民のメイドであっても、女の子が泣いているのを看過できるお方ではありません」
どうやら、先ほどのブロンドツインテールお嬢様はバージニア・リッチモンドというらしい。
「さっきの続きだけど、いいかな」
「何でしょう?」
「科学文明の礎はジョージ王が作ったんだろう? 蒸気機関、活版印刷、電気照明や電信だって……」
「ジョージ王と賢者たちが何でもやってくださいました。王が亡くなられたたことで、庇護を受けていた賢者たちは貴族に疎まれ、世界中に散っていったと聞きます」
「派閥争いに敗れたのか。……ん、あり得そうな話だね」
途端に血なまぐさい話になってしまう。
デビッドは右手を挙げるとウェイトレスを呼び出し、アイスティーを注文した。
程なくして運ばれたアイスティーは、デビッドではなくオズワルドの前に置かれた。
「どうぞ、お時間を取らせたお詫びでございます」
「ああ、どうも」
デビッドはオズワルドの横で姿勢を正した。
無関係な人から見れば、この美丈夫がオズワルドの執事に見える事だろう。
「他の国は、最初こそ劣化コピーしか作れませんでした。ですが改良に改良を加え、彼らなりに試行錯誤を繰り返したのです。今ではエイプルをはるかに凌ぐ技術水準に至っております」
「それ、本当?」
「はい。リーチェの戦いで、クレイシク王国の戦車にエイプルのタイプⅠ戦車が惨敗したのはご存じですか?」
「いや……初耳だ」
戦車とは、膠着状態が続いた塹壕戦を打破するために開発された超兵器だ。
大砲や機関銃で武装し、装甲を施した不整地車両らしい。
らしい、というのは、オズワルドは実物を見た事がないからだ。
「大陸戦争において、魔法は近代兵器の前に敗北したのです。魔法は戦場では、もはやただの手品に過ぎません」
「……!」
ただの手品。
貴族と平民を分かつ絶対的な差。それが魔法だったはずなのだ。
「昨年のクーデター事件も、首班のフィッツジェラルドを倒したのは平民の兵士だと言われております」
フィッツジェラルドとは、世界最強の魔法使いと言われてた男だ。
クーデター事件の主犯だという。
現在はお家取り潰しのうえ爵位を没収、服役中だと聞いている。
「ふうん……時代は変ったんだね」
おそらくは、オズワルドの思った通りに。
しかし、この国の支配階級はそれに気がついてはいないだろう。
この教科書を見れば、それは明白だ。
「おっと。バージニアお嬢様がお戻りのようですね」
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