幕間 プラチナ・レイヴン

 エフォートは古びたノートをパラパラとめくる。

 あちこちがすり切れ、手垢の汚れを見る限り、相当に使い込んでいるようだ、

 奇術のタネだけではなく、綱渡りや空中ブランコのコツ、動物の調教などが事細かに記されていた。

 奇術の指南書というよりは、サーカス全般の指南書と言ったほうが良いだろう。


「ふぅん、なるほど……?」


 読み進めるにつれ、奇術の極意は腕力や器用さではなく、観客の心理の裏を掻く事にある事が分かる。


 心理的な死角。

 物理的な死角。

 目の錯覚。

 先入観。


 とりあえず、簡単な奇術を試してみることにした。

 道具箱を漁ると、目的の物はあっさりと見つかる。


「サムチップってのは……これの事か」


『サムチップ』とは作り物の指で、中は空洞になっている。

 これに物を隠したり、あるいは取り出したりするのだが、どうしても親指が少し長くなってしまい目立ってしまう。

 基本的には他で目を逸らし、観客の死角に入れて使うものらしい。

 サムチップに『シルク』と呼ばれる赤い布を詰め込み、指にはめる。


「……こんな感じか?」


 便所のドアが開き、老婆が戻ってきた。


「なあ婆さん。手は洗ったのか?」


「失礼なことを言うでない。洗ったに決まっておろうが」


「そうか、ならこれで手を拭けよ」


 サムチップの中からシルクを取り出し、老婆に差し出す。

 老婆からは何も無い所から出て来たようにみえるはずだ。

 しかし老婆は溜息を付くと、エフォートの手首を掴んだ。


「バカ者。サムチップが丸見えじゃ。そんな事では小学生も騙せんぞ」


「あれぇ?」


 老婆はサムチップをむしり取ると、自分の指にはめてエフォートに向けた。


「横から見れば、親指が不自然に長いのじゃ。継ぎ目も目立つ。正面から見せてみい、目の錯覚でほとんど目立たんはずじゃ」


 老婆の言う通りだった。

 いや、それどころか二枚、三枚と、次々にシルクが宙を舞う。

 渡した覚えのないものだ。

 この老婆とて、奇術の腕はそこいらの大道芸人をはるかに凌ぐようだ。


「なるほど。婆さん、凄いな」


「当然じゃろ。わしはあの『ゴールデン・バット』の母親じゃ。クレイシクでは知らぬ者はおらん。息子が生きてさえいれば、いずれはエイプルでも公演をやったろうに……」


 見せてもらった新聞の切り抜きには、『ゴールデン・バット』の公演での盛り上がりが綴られている。

 他にもパンフレットやチケットの半券など『ゴールデン・バット』に関する資料は全て大切に保管しているようだ。

 ロゴをプリントしたグッズなども多数あり、それらの売り上げは相当な額に上ったという。

 息子の話をするたび老婆の目は輝き、何時間でも話し続けた。

 そして、そんな日の夜には決まって寝室からすすり泣く声が聞こえてくるのだ。


 老婆の指導を受けながら、エフォートは奇術を次々と習得していった。


 ◇ ◇ ◇


 数週間後、すっかり傷の癒えたエフォートは老婆の家を発つことに決めた。

 戦争が終わった以上、エフォートはただの不法滞在の外国人に過ぎない。

 近所をクレイシク軍の憲兵がうろつくことも増えていた。

 傷の手当てをしてもらっているという名目も、もはや通じない。

 このままでは最悪の場合、老婆がスパイとして拘束される恐れもある。

 一刻も早く出て行くしかなかった。


「世話になったな。この礼は、何年かかっても――」


「構わん。暇つぶしにちょうど良かったわい」


「そうか、俺も休暇を貰った気分だったぜ」


 エフォートには家族も親戚もいない。

 こうして誰かと過ごす日々は、どことなくくすぐったいと思いつつも、決して不快ではなかった。

 そして、おそらくは老婆も同じ気持ちだったのだろう。


「わしが教えられることは全て教えた。まだまだ息子の足許にも及ばんが、辻立ちして小銭をもらえる程度にはできるじゃろう」


「婆さん、言っただろ? 俺は褒められて伸びるタイプなんだ、って」


「ぬかせ!」


「じゃあな、婆さん。随分世話になったが、達者でな」


 エフォートは何も無い空間から一瞬でバラの花を取り出すと、老婆の髪に挿した。

 玄関のドアを開き、一歩を踏み出そうとしたその時だ。


「待たれよ」


 老婆の声に、エフォートは足を止める。

 振り向くと、老婆だった者は妖艶な美女に変っていた。

 均整の取れたボディーライン。それがピッタリと出るレザースーツに、白銀の髪。

 黒のアイマスクに隠された顔も、映画女優さながらに整っているのが目や口許から分かる。


「――驚かんのだな。腰を抜かすと思っていたのに」


「そりゃあね。俺、ガキの頃あんたのファンだったよ。『プラチナ・レイヴン』」


 プラチナ・レイヴン。かつて、全世界を熱狂の渦に巻き込んだ天才奇術師だ。

 その名声はクレイシクを超えてエイプルにまで及び、観客が劇場の周りを七周り半取り囲むほどであった。

 エイプル王国での公演も行っており、その行列の中にエフォートもいた。

 引退直前の公演で、最後のチャンスだからと両親にせがんで連れて行ってもらったのだ。

 どんな魔法使いでも敵わない、きらびやかなイリュージョンに少年はすっかり夢中になった。

 かつて、世界が平和だった頃。

 もう、遠い遠い昔の話だ。


「いつ気付いた?」


「割と早く。ノートの字が明らかに女文字だしな。クレイシクの女奇術師といえば、エイプルでも有名だ」


「そうか。変装には自信があったが」


「その自信あるやり方も覚えたぜ」


 プラチナ・レイヴンは立ったまま片膝を曲げ、モデルのように気取ったポーズを取った。

 豊かな胸、引き締まったウエストは、往年のバランスを維持している。


「おぬしは我が息子『ゴールデン・バット』の兄弟弟子じゃ。『シルバー・ピジョン』を名乗るがよい」


 名前をくれるということは、それはすなわちプラチナ・レイヴンに認められたということだ。

 しかし、エフォートは嬉しさ半分、照れくささ半分といった気分だった。

 まだまだ彼女の弟子を名乗るには、修行が足りない。

 それに『ピジョン』という名は、エフォートだけのものではない。

 第九十九魔術小隊の通称なのだ。

 仲間の了解も得ずに使うことに抵抗があった。

 だからつい、憎まれ口を叩いてしまう。


「いい歳なんだし、若作りも大概にな。ほうれい線、隠せてないぜ」


 積んであったトイレットペーパーを投げつけられる。

 当たっても怪我をしない物を選んだりしているのは、彼女なりの優しさだ。


「おぬしは破門じゃ! とっとと出て行け!」


「はいはい、っと。さぁて……エイプルはどっちかな」

 

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