第7話 ターニング・ポイント

 華やかな地上をアパルトメントへ向けて二人は旅をする。

 長い長い旅だ。

 いつまでもどこまでも、密林のようにビルディングが続いていた。

 華やかに着飾った女性、ボロボロの軍服を着た復員兵、学生に労働者、そして貴族。

 ありとあらゆる人とすれ違う。

 石畳を行き交う馬車や自動車、路面電車にも人がぎっしりと乗っている。

 かれらは精密機械の歯車のように決まった動きを繰り返し、王都というシステムを構成している因子である。


 一際目を引く大きな建物は、屋上から巨大な風船を掲げ、『大売り出し』と書かれたのぼりが付いていた。

 デパートメント・ストアという建物らしい。

 オズワルドが足を止めると、ナオミは少し怯えたような視線を向けてきた。


「さすがにまた今度にしよう。今日は少し、疲れた」


 迷宮の塔へ挑むのであれば、もっと事前準備が必要だ。

 ナオミの目に、安堵の色が見える。

 やがて二人は再び足を動かし始めたが、ナオミはさすがに疲れているようだ。

 あまり無理はさせられない。

 オズワルドは家事というものが一切できず、ナオミがいなければ数日で干上がってしまうだろう。

 その時、視界の中にきらびやかな店が目に入る。


「ナオミ。あれを見てくれ」


「あれは……あれは……も、もしかして……!」


 ナオミは目を丸くして、全身をわなわなと震わせた。

 オズワルドも正直を言えば震えていたのだが、周囲に気取られないように必死で堪えていた。

 そう。あれは。


「……ああ。伝聞でしか聞いたことがないが、おそらく『ミルクホール』とやらに違いない」


 エイプル王国では、国民の体質改善を目的として牛乳を推奨していた。

 そのために各地に作られたのがミルクホールだ。

 しかし、南方からコーヒーが供給されるようになると、やがて軽食・喫茶の店となる。


「オズワルドさま……ナオミはずっと昔から、『ミルクホール』に憧れていたのです! きっと目くるめく素晴らしい世界が広がっているのです……!」


「ああ……僕もだ。おそらくあそこに行けば――」


 そこでオズワルドは言葉を切った。

 口に出せば、もう後戻りは出来なくなる。

 逡巡の末、意を決して口を開く。


「声に聞こえた『パフェ』があるに違いない……!」


 ◇ ◇ ◇


「ウバス伯爵ノートン家次男、オズワルドだ」


「いらっしゃいませ~こちらへどうぞ~。二名様入りま~す」


 女給はオズワルドの身元など全く興味が無いかのようだった。

 店は木造の白壁で、天井ではシーリングファンが回っている。

 観葉植物で仕切られた窓際のボックス席に着くと、女給がメニューを差し出した。


「あのっ……オズワルドさま……」


 ナオミの顔は下半分がメニューで隠されているが、隠し切れていない耳は興奮のためか赤く染まっていた。


「ナオミ。…………君が……君が頼むんだ」


 聞いた話では、パフェは女の子に人気の菓子だという。

 どうしても気恥ずかしさがあった。


「そんな! ナオミには無理です!」


 オズワルドはポケットを探ると数枚の銀貨を取り出し、ナオミに握らせた。


「大丈夫、君ならきっと上手くやれる。ノートン家使用人の意地を見せてやれ」


「は、はいっ!」


 瞳に宿る強い意志を感じる。

 ナオミは今、ありったけの勇気を総動員しているのだ。

 オズワルドも心の中で声援を送る。

 上手く行かないなどとは微塵も考えはしなかった。

 ナオミは決して弱い女の子ではない。優しさの中に、確かな強さを持っている。

 それを世界中の誰よりも知っているのがオズワルドだ。


「あっ、あのっ!」


 ナオミの天高く掲げた右手は、少しだけ震えていた。


「お決まりですか~?」


 ◇ ◇ ◇


「ねえねえ、あれ見て! 修羅場よ、修羅場!」


「女の子が泣きながらパフェ食ってるぞ」


「メイドがセクハラに耐えかねて泣いちゃったんだな。かわいそうに」


「しーっ、静かに! 貴族に目を付けられたら面倒よ」


 何やら雑音がうるさいが、二人は無事パフェを完食した。

 イチゴをはじめとした各種のフルーツと、アイスクリーム、生クリーム。焼き菓子やプリンが一緒くたになり、この世のものとも思えない甘い甘い世界が繰り広げられたのだ。

 それは、辺境のウバスでは決して得られないものだった。


「ぐすっ……幸せです。ナオミは一生分の運を使い切ってしまいました」


「バカを言うんじゃない。まだまだ人生はこれからなんだ」


 パフェを頬張るナオミの顔は、なぜか歪んでいた。

 田舎育ちのオズワルドの視力は、およそ二・〇。

 テーブルを挟んだ向かい側にいる人の顔が歪んで見えるなど、普段は有り得ない事だ。


「オズワルドさまこそ、これで涙を拭いてください」


 ナオミの差し出すハンカチから顔を逸らす。


「違うんだ、これは汗だよ」


 泣いてなどいない。オズワルド・ノートンは、この程度で泣くような男ではない。

 そう自分に言い訳しつつ、新聞で顔を隠した。

 新聞は店に備え付けられており、客は自由に読むことができる。

 何やら『シルバー・ピジョン』を名乗る奇妙な盗賊が暴れているようだが、オズワルドの家には高価な物など何一つ無い。

 変装の名人だとか、どんな場所にでも忍び込むとか言われても、引っ越してきた直後で盗まれる物がないのだ。

 強いて挙げるなら現金だが、この怪盗は現金にはあまり興味を示さないらしい。

 新聞に隠れて深呼吸すると、オズワルドは席を立った。


「これが本場のパフェか。うん、『バッチグー』だな」


 ◇ ◇ ◇


 アパルトメントまでもう少し。

 見慣れた景色が目に入る頃、オズワルドはある建物が気になった。

 どうやら『雑居ビル』と呼ばれる建物で、複数の店や事務所が入っているらしい。


「こんな近くに本屋があったのか。ちょっと寄っていこう」


「は、はい」


 店名は青い看板に白い角張った書体で『アルマイト書店』と書かれている。

 アルマイトは新しい素材で、アルミニウムの表面に酸化アルミニウムの皮膜を作り、耐久性を向上させたものだ。

 かつてアルミは金よりも高価な素材だった。

 例えば、大国オルス帝国の貴族は重要な客にアルミ製の食器を使わせ、そうでない客には金銀の食器を使わせたほどだ。

 その常識を覆したのがジョージ王である。

 彼はボーキサイトからアルミナを精製し、それを電気分解することでアルミニウムを作り出す事に成功した。

 最近では急速に普及が進み、鍋やヤカンといった日用品にまで使われているのだが、それは大陸戦争の終結で余剰となった武器を鋳つぶした結果である。

 しかし、ここは金物屋ではなく書店だ。


「派手だな。王都ではこれがイケてるのかな?」


「きっとそうですよ」


 ドアの横にはショーウィンドウがあり、新刊が並べられているが、目を引くのは奇抜な格好をした少女の等身大パネルだ。

 どうやら本の登場人物で、このパネルは広告の一種らしい。


 書店の中は、無数の本で埋め尽くされている。

 幾つもの棚が規則的にぎっしりと並び、天井からはポスターがいくつも垂れ下がっているさまは、まるで本棚の森だ。

 なぜ本屋にあるのかはわからないが、人形も扱っているらしい。

 他にもキーホルダーや書類入れなどの雑貨も扱っているようだ。

 オズワルドは店の名前入りエプロンを着けた男を捕まえた。


「田舎から出て来たばかりなんだ。『ナウなヤングにバカウケしているトレンディな本』を、二、三冊もらいたい」


 店員は胡乱な目つきで眼鏡を指で直す。

 何か変なことを言ってしまったかと不安になるが、彼は親切に教えてくれた。


「ナウ……? ヤング……? お貴族様、そんな死語を使っては家名に傷が付きますよ」


「そうなの?」


「そうです。時代は常に流れておりますゆえ」


 そう言いつつも、彼はカウンター前に置かれた平台から数冊の本を出してくれる。


「最近の売れ筋はこちらですね。初心者の方にもおすすめです」


 表紙を見ると、入り口にあったパネルと同じ人物が描かれている。

 露出の多い美少女画に、やけに長いタイトル。

 かつて紙は高価で貴重品だったが、工場での大量生産と印刷技術の向上で誰でも買えるようになった。

 店内の客も、大部分が平民のようだ。


「あそこの客が着ているシャツに描かれた人、この本の表紙と同じだね。これも買おうかな」


 オズワルドはカウンター横に平積みの本も一緒に買った。

 汗だくの大柄な客が着ている服は『Tシャツ』と呼ばれ、メリヤスの記事を縫い合わせた簡素なものだ。

 構造が単純で量産に向くため、様々な図案が考案されているが、基本的には平民の衣服である。


「えっ、あの痛Tシャツ……ああいえ、まあその。なんと言いますか。あー。……お買い上げありがとうございます」


 店員は目を逸らし、額の汗を拭うと会計作業を始めた。

 この書店がアパルトメントのすぐ近くにあった事が幸運だったのか、あるいは不運だったのか、それは誰にも分からない。


「オズワルドさまは本がお好きですからね。ナオミがお持ちいたします」


「ああ、頼むよ」


 ナオミは嬉しそうな顔で本の入った紙袋を抱え、オズワルドに続いた。


 こうして、一週間が経過する。

 オズワルド・ノートンは、果たして無事に入学式を迎える事が出来るのだろうか。

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