紅崎リコの花嫁修業
――――私、紅崎リコはセレスティア・ヴァレンタインの恋人である。
愛称は『セラ』。私の自慢の彼女だ。
まず、顔が良い。非常に麗しく端正な顔立ちをしている。歩けば誰もが振り返る美貌、というのは言いすぎかもしれないがとにかく綺麗な顔立ちをしている。
続いて性格が良い。むしろ良すぎてこちらが心配になるほどだ。彼女はとにかく他人を大切にする。困っている人を見かけたら放っておかないし、それで自分が痛い目を見ても構わないほどだ。その自己犠牲の強さにヒヤヒヤさせられることが多いが、私をそれだけ大切にしてくれていることも伝わって少し照れくさい。
最後に彼女は『出来る』女だ。何でも出来てしまう。料理も裁縫も掃除も、あらゆる家事をこなし、ついでに学力もかなりある。そして武力もだ。
……とまあ、自慢できる点を挙げてしまえば正直キリがなくなってしまうが実はそんな彼女のことで最近困っていることができてしまった。
何でも出来てしまうせいで私が恩返しできないのだ。
「セラってさー、花嫁って言うよりお婿さんだよね」
「は!?」
何となく思ってみたことを口に出してみた。
実際、セラはお婿さんの方が似合う気がする。背も高いしハイスペックだし、いつも長袖のズボン履いてるし。
私の言葉にセラは顔を真っ赤にして動揺した様子を見せる。
「な、なななななな何言ってるのリコ!? 婿、とか花嫁って、わたしたち、ふ、夫婦じゃ……ないんだし……」
「でも恋人だよ。私の大事な恋人」
「いや確かにそうなんだけど! やだっ、ちょっとやめて、恥ずかしいよ……」
私の言葉にすっかりセラは照れてしまい、顔を背けてしまっていた。
普段のセラはかっこいいのに、こうやって惚気けると恥ずかしがる姿は何とも可愛らしい。
しかし、今日はただの惚気目的でセラと話しているわけじゃない。イチャイチャは毎日やってるからね、たまには真面目な話もしないとね。
改めて私はセラの方に視線を向けて本題を切り出す。
「で、いつから家事が得意になったの?」
「へ?」
唐突に話が切り替わったせいか不抜けた声を出すセラ。
だがそこはセラ。頭の回転が早い彼女はすぐに記憶を辿り始めた。
「わたしが一人暮らしを始めてからだから――――大体3年前くらい?」
「3年前って――――」
一瞬、私も回想しようとしてすぐに記憶に蓋をする。
丁度、が『生まれた』頃だ。あの記憶は今でも思い出したくないし、『お姉ちゃん』がいなくても約束通り、私は今も生きている。そして、それをセラに打ち明ける必要はない。――――今は。
それはともかくだ。私は少し、引っかかる部分を覚えてセラに尋ねてみる。
「えっ、セラが一人暮らし始めたのって14歳ぐらいなの!?」
「うん、そういうことになるね。故郷からここに引っ越してきたばかりの時はさ、カレンさんとアイリスさんの3人暮らしだったんだけど。何だか申し訳なくなっちゃって。二人を説得してこの家を借りてそれからリコに会うまでずっと一人暮らしだったんだよ」
「いやすごいよその決断力と行動力!?」
まさか私と同じくらいの歳で、もうそこまで独り立ちしていたとは。
それに比べて私は何だ? ずっとセラに甘えて任せてばかりではないか。
何だか悔しいしセラに申し訳ない。やっぱりここは、花嫁(仮)の私が女子力を磨かなければ!
「ありがとう、セラ! 私ちょっとカレンさんの所に行ってくるね!」
「うん。……うん? どうしたの、リコ?」
「気にしないで! 少し用事を思い出しただけ!」
適当に返してセラにバイバイを送り、玄関に向かって走り出す。
────その直前で、私は一つだけ気になったことを思い出してセラに尋ねてみることにした。
「そういえばセラはいつからおっぱいおばけなの?」
「は!?」
またまた面食らった顔をするセラ。
でもそこは我らがセラさん。腕を組み真剣に考える。
「うーん。多分成長し始めたのは12歳かな……? 14から15くらいには肩凝るようになったけど、どうしてそんなこと────」
「セラのばかぁぁぁぁぁ!!」
「ええええええええええ!?」
聞かない方が良かった。私と同じくらいの歳であんなおっぱいだなんて酷い。何で私はぺったんこなの。
いや、大丈夫。私まだ15歳だもん。まだまだ成長期だもん!!
悲しい気持ちになりながらも、今度こそ私はエルメラド国軍本部に向かって走り出した。
※※※※
「という訳で、私めに家事の仕方を教えてください」
そう言って私は目の前に座るカレンさんに向かって正座し、頭を下げる。
だが、一向に返事が帰ってこない。無視でもされてしまったか、と気になってわずかに頭を上げカレンさんに視線を向ける。
口元を手で押さえて体を震わせていた。
「おいおい、聞いたかよアイリス。こっ、こいつっ、花嫁修業しようとしてるぜっ……!」
「何笑ってるんですか! 結構深刻な問題なんですよ!」
「はいはい、貴女は一度黙っていなさい」
と、無表情なアイリスさんが持ち込んできた大量の報告書をカレンさんの頭の上に置く。
ごん! とすごい音がしたのは気のせい……じゃない自業自得だ。ナイスだアイリスさん、ざまあみろカレンさん!
「あいたぁ!?」と悶えるカレンさんを無視してアイリスさんが私に尋ねてくる。
「でもどうして急に?」
「セラが私ぐらいの歳からもう色々出来たって言ってたから……」
私の言葉にカレンさんとアイリスさんが目を合わせる。
それからカレンさんは(まだ痛いのか涙目のまま)フッと笑いだした。
「ってことはセラから聞いたんだな? 三年前まで私たちと暮らしてたこと」
「本当は独り立ちさせるのも止めさせようとしたんだけどね。聞く耳を持たなくて」
アイリスさんも苦笑しながらカレンさんの言葉に続く。
「『わたしのせいで迷惑をかけてしまいます』の一点張りでね。あまりに切羽詰った表情をしていたものだから私たちも身を引いてしまったわ」
「今はリコのおかげで支えられているがな……。正直、彼女の一人で抱え込む癖は見ててヒヤヒヤするよ」
「だからこそなんです」
そう。
私とセラが付き合い始めてからそろそろ1年が経つが、時折セラは悲しそうな顔を浮かべたり私たちから距離を置こうとすることがある。特に最近は、その様子が顕著に現れている。
なのに心優しい彼女は私たちのために頑張ろうとして、その無理に働いている姿が痛々しく見えて、思わずこうしてカレンさんたちの所に来てしまったのだ。
どうやら二人にも私と同じ思いをセラに抱いていたようで、二人して顔を見合わせたあと「仕方ないなぁ」とカレンさんが頭を掻きながら言った。
「アイリス、教えてやれ」
「えっ、何で私!?」
「何でって今ここで家事ができるのお前ぐらいしかいないだろう。料理も美味いし。掃除とかも綺麗に出来るし」
堂々と言いつけるカレンさんに思わず私はジト目になって彼女を見てしまう。
「……やっぱりカレンさん何もしていなかったんですね」
「それは失礼な言い方だぞリコくん。いいかい、私は多忙な日々に追われていて────」
「定時で上がってお酒飲むか、女誘うぐらいのことしかしてないくせに」
ボソッとアイリスさんが吐き捨てるように言う。
正直アイリスさんのこういう部分は苦手なんだけど、でもお互い信頼し合っているからこそ吐ける毒なんだろうな……と一瞬だけ私はそう思ってしまったが、冷静に考えると彼女は誰にでもこういうことを無自覚に言う人だった。
……っていうかアイリスさん厳しそう。私大丈夫かな?
「ちょっと。何げっそりしているのよ」
「そりゃそうだろ。お前に指導されるなんかまっぴらごめんだ」
「貴女から振っておいてよくそんな口聞けたわね」
もう一度報告書の山を頭の上に置こうとして「悪かったな!」と叫び返すカレンさんの様子に満足したのか、アイリスさんは振り向きざまに私に向かってこう言ってきた。
「じゃあ行くわよ」
「へ? どこに?」
「決まっているじゃない」
相変わらず怒っても笑ってもない顔でアイリスさんは答える。
「私の家。早速修行するわよ」
※※※※
「切るのが雑! もっと丁寧に!」
「はっ、はい!」
「ちょっと、それ強火じゃない! 焦げちゃうしすぐに水分も飛ぶわよ! 早く弱めて!」
「ごめんなさいっ!!」
「手をもっと早く動かす! そんなんじゃ汚れは落ちないわよ!」
「すみませんすみません!!」
「ここ掃き忘れてるわよ! いくら簡単な掃除だからって手を抜かないで!」
「すぐに向かいますぅ!!」
厳しいなんてレベルじゃない。鬼だ。アイリスさんは鬼だ。
確かに、初めての料理で大好物とは言えシチューを選んだのは我ながら如何なものかと思っている。しかしそれにしたって怖い。失敗した時の怒鳴り声が尋常じゃない。
それに掃除だって抜かりない。洗濯なんか手が擦り切れるのではないかっていうぐらい素早く手を動かさないと怒られたし、掃き掃除もわずかな埃を彼女は見逃さず、見つかれば即座にやり直しという始末だった。
……いわく、東の国には『かかあ天下』という言葉が存在する。まさしく、アイリスさんがその言葉に該当する存在だろう。
……というか、毎日このレベルの家事をセラないし奥様方はやっているのか。いつか過労で倒れちゃうよ。
「とりあえずお疲れ様。初めての家事のご感想は?」
「ぜぇ……ぜぇ……二度と、やりたくないです…………」
「ふふっ、まあ最初はこんなものよ」
嘘つけ、絶対アイリスさんが厳しいだけだよ。
……そもそも冷静に考えると私は生まれて家事なんてしたこともないド素人だ。出来なくて当然のはずなのになぜ、アイリスさんのレベルを求められたのだろう。こんなんじゃ対して身に付かないのでは。
「そういうこと言う人はいつだって成長しないわよ」
「その考えには一理あると思いますが、あなたのは度を越していると思います」
「そうかしら……?」
そうだよ! 気付け!! なんて口に出せるはずもなく代わりにため息をつく。
はぁー、何だか損した気分だなー。勢いだけ飛び出してしまったものの、完全に出鼻をくじかれてしまった。
……だが、そこでポツリとアイリスさんが言う。
「でも、リコはそのままでいいんじゃないかしら」
「え」
ここに来てそんなこと言う!?
アイリスさんの言葉にショックを受けるが、構うことなくアイリスさんは続ける。
「貴女がセレスティアを支えるのに思い立った行動までする必要はないと思っているの。今はとにかくセレスティアに任せて貴女は側にいてあげなさい」
「……でも私は力になりたいんです。私ずっと弱くてセラに頼りっぱなしだから。セラに少しでもいいからなにかの形でしてあげないと」
「ならもうなっているわよ」
そう言ってアイリスさんは微笑み、私の頭をそっと撫でる。
「……本当はね、セレスティアは貴女よりもずっと弱いの。一人で抱え込んでしまうほどにね。でもそれを保つ強さを持っているから余計に自分を傷付けてしまう」
「だったら……!」
「だからこそ、貴女は側にいてあげるだけでいいの。そうすればセレスティアが貴女から離れることはないし、いずれ解れて打ち解ける日が来るわ」
「そうなのかなあ……」
曖昧なアイリスさんの言葉に私は信じきれず、不満げな声を出してしまう。
だがアイリスさんは確信しているようでなおも微笑みながら私に言うのだった。
「ええ、そうよ。いつか貴女が側にいるだけで彼女の支えになる日が来る。そう信じて彼女と接してあげればいいんじゃないかしら」
※※※※
「ただいまー……」
大した成果も得られず、疲労困憊のままに私は帰宅する。
時刻的にはまだ午後3時。概ね、そろそろセラが家でゆっくりしている頃であろう。
案の定リビングへ戻るとセラがソファに座ってうたた寝をしていた。
「ん……おかえり、リコ……。何かいいことあった……?」
「全然」
夢の世界に落ちようとしていたセラには悪いけど、私も疲れているのでそのまま正面からセラに抱きつき、その豊満な胸に顔をうずめる。
「……おっぱいおばけ」
「帰っていきなりそれなの……。随分疲れてるみたいだね、どうしたの?」
「うーん、色々。でもセラには内緒だよ」
「なにそれ……」
私の言葉にセラが苦笑し困ったように答える。
それからアイリスさんの言葉が引っかかって私はセラに尋ねることにした。
「ねえ、セラ」
「ん、なあに?」
「今は幸せなの?」
「ええ……なにその質問…………」
そろそろ本格的に眠くなってきたのか、セラは眠気なまこを擦りながら答えようとする。
「正直、分かん……ないよ……でも、幸せ、だった……ら、い……いな…………」
とうとう睡魔に負けたようで、その言葉を最後にすうすうとセラは寝息を立ててしまった。
こうなるとセラは無防備に可愛い寝顔を晒し続けるのだが、私はさっきのセラの言葉について考える。
「分かんない、か……ふぁぁ」
あ、やばい。
私もそろそろ限界だ。
……やっぱり、セラは幸せになれていないんだ。ずっと他人に気を遣っていてばかりで自分に甘えようとしない。
それはすごく立派なことだけど、いつか潰れてしまう。
私が何とかしないと。
「ごめん、セラ。まだ何もしてあげられなくて」
眠気で頭が回らなくなりながらも私はセラに抱きついて、一人話しかける。
その抱き心地と温もりはとても気持ちよかった。
「セラ……。必ず、私が……あなたを、守って…………」
言葉は最後まで続かず。
私の意識は途絶えてしまった。
※※※※
起きたら、わたしに抱きつくようにリコが眠っていた。
風邪を引かないようにそっと布団をかけてあげる。
時刻を見ると午後6時。そろそろ晩ご飯の支度をする頃だ。
だがそこでじりじり、と黒電話のベルが鳴り始める。
「はい、こちらセレスティア・ヴァレンタインです」
『こちらカレン・ダッシュウッド。セラ、緊急事態だ』
「……ご用件は」
リコを起こさないよう、声を抑えてカレンさんに尋ねる。
『不死者と思われる目撃情報をついに見つけた』
「っ!? 本当ですか!?」
『ああ。場所はウルス。明日、緊急で会議を開くことになった。突然で悪いが来てくれ』
「了解しました」
カレンさんと通話を切り、ゆっくりとリコの方を振り返る。
この些細な日常もついに終わる。血と狂気にまみれた際限ない戦いが始まる。
────今は幸せなの?
眠る前に尋ねてきたリコの言葉。今は分かんないけれど。
「その幸せを掴むために戦うんだよ、リコ」
そっとリコの髪を撫でて。
わたしは拳を握り、静かに決意を固めた。
────第1話『北方の町、ウルス』へ続く。
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