第19話 あんたが居てくれれば楽なのに




外れたドア。粉々のティーカップに、床に広がる紅茶の水たまり。ひっくり返ったテーブル。大きな染みの付いたテーブルクロスと、クッション。


この惨事を引き起こした当人達もひどい。


むつみのスカートにはチョコクリームがべったり。里菜の髪にはモンブランのクリームがたっぷり。俊の顔は生クリームで真っ白。


その他名前のわからない五人――年齢からして俊の友達だろう――も、クリームやら紅茶やらで汚れ、中には泥まみれの男の子もいた。


「……どうするのよこれ」


ため息をつき、試しに指をパチンと鳴らす。倒れていたテーブルは起き上がり、テーブルクロスとクッションの染みは、たちまち綺麗になった。


しかしドアとティーカップの破片、紅茶の水たまり、ひどい有様の八人の姿はそのままで。


「ご、ごめんね……?」


むつみが顔の前で両手をあわせ、恐る恐るといった感じで謝った。


「悪気があったわけでは……」


「そんなの当たり前。なんでこうなっちゃったの?」


「それは、その……」


むつみは言いよどんだ。すると部屋の奥から、ニャ~ン、という高い鳴き声。


「なるほど、ね。俊」


「は、はい……ごめんなさい……」


「うちでは飼えない、って言ったわよね?」


パチン、と再び指を鳴らす。すると葉音の腕の中に、ふわりと子猫が出現した。


その首根っこをつかんで俊に突き出し、冷たい声で告げる。


「元居たところに帰してきなさい」


「でも葉音……」


「だめ」


「お願い……」


俊に続いて、後ろからも「お願い……」という声。むつみまでも縋るような目で葉音を見上げていた。


「…………」


「ねぇ、お願い……」


全員のか細い声に負け、葉音はついに大きなため息をついた。


「わかったわよ……」


「やったぁ~~~!!」


とたんに皆の歓声が上がる。葉音はもう一度ため息をつき、猫を解放した。


猫は一度ニャ~ンと無くと、再び家の奥へと駆け出す。


その姿を見送って、葉音は再び八人に向き直った。


「ほらあんた達、ひどいことになってるんだから、お風呂入ってきなさい」


「この家にお風呂なんてあるの?」


里菜が不思議そうに尋ねる。


「いろんな部屋掃除したことあるけど、お風呂の掃除なんかしたことないよ?」


「掃除させたことはないけど、お風呂ぐらいあるわよ。ほら、あの部屋」


葉音はいくつもあるドアのうちの一つを指さした。


「そこのドア開くと、湖があるから。それがお風呂。ちゃんとシャワーもあるわよ」


「あの、小窓がのぞくと虹が見えるお部屋!?」


目をキラキラさせて里菜が叫ぶ。すると、騒いでいた後ろの子供達もぴたりと静かになった。


「あのお部屋に入って良いの!? しかもそこがお風呂なの!?」


「そうよ。さっさと行ってきなさい」


一瞬だけ、場がしーんと静まりかえった。そして次の瞬間。


「やった~~!!」


子供達は、葉音が指さしたドアへと突進していった。むつみまでも一緒に。


「…………」


それを呆れながら眺めてから、葉音は再び部屋を見渡す。


「これ全部、私が自分で片付けないといけないわけね……」


葉音はため息をついて、棚の上を見上げた。


そこには葉音の大好きな青年の写真が飾ってある。


「あんたが居てくれれば楽なのに」


もちろん写真は何も答えない。けれど葉音はふっと笑った。


「ね、光一」


写真は何も答えられない。


愛しい人に、天使のように優しい笑みを、返すだけ。




えんじぇる おあ でびる ―― fin ――


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