第9話 母の怒り
「いい加減にしてっ!!
あなたのせいで光一は学校にも行けてないのよ!?
光一の人生をめちゃくちゃにする気!? 光一を返して!!」
夜の森に、女性の怒鳴り声が響く。
葉音は驚いて、一瞬ポカンとした。
そしてまじまじと女性を見つめ、記憶をさぐり……思い出す。
彼女は、光一の母親だ。
しかし今の彼女は、葉音のイメージしていた彼女とは随分違っていた。
葉音が知っている彼女は、怒るとちょっと怖いけどいつもは優しい、光一にとって大切なお母さん、という存在。
かつてもらった、光一の記憶の中にあった姿だ。
しかし今の彼女はそうではない。
“ちょっと怖い”どころではなく、今にも葉音を絞め殺すのではないかと思うほど、怒っている。
「どんな魔法をかけたか知らないけど、さっさとその魔法を解いて光一を解放しなさいよこの悪魔!!」
彼女の放った一言を聞いて、葉音は目を細めた。
『こいつ……馬鹿じゃないの?』
もちろん葉音は、光一に魔法などかけてはいない。
「なんとか言ったらどうなの!?」
「なんとか」
「ふざけんじゃないわよ!!」
彼女は手を降りあげる。そのまま葉音をひっぱたくべく、その手を振り下ろそうとしたのだが。
「!!」
「暴力はんた~い」
その手は、動かなかった。
「……っ!!」
「何を勘違いしているか知らないけど、光一は自分の意志でここに来てるの。
解放? ばかばかしい。」
「そんなわけないでしょうっ!! 10年以上も拘束しておいてっ!!」
「10年以上……そういえば、そうだったわね」
葉音は少し驚いた。
光一がここで働くようになってから、いつの間にそんなにたっていたのか。と。
「何がそうだったわね、よっ!! このまま光一を一生拘束し続けるつもりなの!?
就職もさせないつもり!?」
「あぁ~、うるさいうるさい」
葉音は顔をしかめ、耳をふさいで首を振った。
「もう帰ってよ」
「なんっ!! だいたいあ」
まだ何か言いかけていた彼女の姿が掻き消える。
葉音が魔法で追い返したのだ。
「むかつく」
葉音は一言そうつぶやくと、扉を閉めた。
*
「おはよ~、葉音」
次の日の朝。光一はいつも通り葉音の家にやって来た。
「おはよ」
葉音は挨拶を返すと、おもむろに光一のそばまで近付いた。
そして光一の顔を見上げる。
「なに?」
「あんた、いつの間にそんな背が高くなったの? 私より、ずっと高いじゃない」
葉音の言葉に、光一は苦笑いする。
「もうずっと前に追い越してたよ。気付いてなかった?」
「気付いてたような気もするけど、改めて考えると……びっくり」
そして葉音は口の中で小さく、「10年……10年ねぇ……」と繰り返した。
「あのね、葉音」
光一は、少しかがんで葉音と目線をあわせた。
「僕がここに来るようになってから、もう10年以上たつでしょ?」
「何よ。光一のくせに生意気ね」
葉音はプイと顔をそらす。
光一は気にせず続けた。
「僕は人間だから、成長するんだよ」
「そんなことわかってるわよ」
葉音はそう答えると、へそを曲げたのか自分の部屋に入って行ってしまった。
後には光一が1人残される。
「ほんとに、わかってるのかな……」
*
その日、夜になっても葉音は部屋から出て来なかった。
「葉音~、また明日ね~」
大きめの声でそう呼び掛けて、光一は葉音の家を出ようとする。
「ちょっと待って」
すると、部屋から葉音が出て来た。
何やら分厚い茶封筒を持っている。
「あげるわ」
葉音はその茶封筒を光一に手渡した。
「はぁ……何、これ?」
「お給料よ」
「はぁ!?」
光一は驚き、慌てて中身を確かめた。
そこには、お札がギッシリ入っていた。
「ちょっ、こんなの受け取れないよ! ていうか、なんで突然お給料なんか……」
光一は慌てて封筒を葉音に返そうとする。
しかし、葉音は受け取らなかった。
「昨日の晩、あんたの母親が来たわ」
「……」
光一は、昨晩の母親とのやり取りを思い出す。
「お母さん、葉音のところになんか来たんだ……ごめんね。迷惑、だったでしょ……」
「ほんと。五月蠅くてかなわなかったわ」
葉音はその時のことを思い出したのか、顔をしかめる。
「ヒステリックにわけのわからないこと喚いて……ほんとムカツク。もう二度と来て欲しくない」
「だよね……」
「だから、あんたにお給料を払うことにしたわけ。ここに就職したってことにすれば、文句ないでしょ。
だから毎月それと同じ額あげる」
「でも……」
光一は札の束を見つめ、しばらく悩んだ。
葉音にお金をもらうのは、気分が良くない。
そもそも光一が葉音の家に通うのは、それ事態が代償の代わりであると同時に罪滅ぼしのようなものだ。
それでお金をもらうというのは、違うと思うのだが……
「わかった。もらっておくよ」
光一はそれを受け取った。
今はまだいいが、将来大人になっても働かないというのは、さすがにまずい。
例え気分が良くなくても。根本的におかしいとしても。
それだけは、変わらない。
ただでさえ心配をかけてばかりの親不孝者なのだ。
一生すねをかじり続けるわけには、いかない。
「そ。じゃあ今日はもう帰っていいわよ。また明日ね、光一」
「うん。あ、葉音」
部屋に戻ろうとした葉音の腕を掴み、光一は言った。
「僕が来るのは、明日からも、お金のためなんかじゃないからね」
それに対し、葉音は少しだけ笑った。
「わかってるわよ」
*
「光一! よく考えなさい!
小さい時にした口約束じゃない! これ以上守り続ける必要ないわよ!」
お母さんの怒鳴り声が響く。
こんなことは、今までもたびたびあった。
お母さんは僕の将来を心配してくれているのだ。
「うん……でも約束は約束だし、契約だから」
「あんな悪魔なんかとの契約なんて、破りなさい!!」
「葉音は悪魔なんかじゃないよ!!」
僕は思わずそう怒鳴り返してしまった。
言ってしまってから後悔する。
葉音は天使でも悪魔でもあり天使でも悪魔でもない存在。
お母さんが葉音を悪魔だと思うのは、自由だ。
「少なくとも僕にとっては、葉音は悪魔なんかじゃないよ。
お母さんにとっては、悪魔なのかもしれないけど……僕は葉音が、好きなんだ」
「その気持ちだって、もしかしたら魔法で変えられたものかもしれないじゃないの!」
「それは、ないよ……もう遅いし、僕寝るね」
「ちょっと光一!」
お母さんはまだ何か言おうとしていたが、僕は自分の部屋に逃げ込んだ。
『その気持ちだって、もしかしたら魔法で変えられたものかもしれないじゃないの!』
それはない。人間に興味のなかった昔の葉音が、僕に好かれたがるとは思えないから。
でも。でも、そうならいいのに……
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