第9話 母の怒り

「いい加減にしてっ!!


あなたのせいで光一は学校にも行けてないのよ!?


光一の人生をめちゃくちゃにする気!? 光一を返して!!」


夜の森に、女性の怒鳴り声が響く。


葉音は驚いて、一瞬ポカンとした。


そしてまじまじと女性を見つめ、記憶をさぐり……思い出す。


彼女は、光一の母親だ。


しかし今の彼女は、葉音のイメージしていた彼女とは随分違っていた。


葉音が知っている彼女は、怒るとちょっと怖いけどいつもは優しい、光一にとって大切なお母さん、という存在。


かつてもらった、光一の記憶の中にあった姿だ。


しかし今の彼女はそうではない。


“ちょっと怖い”どころではなく、今にも葉音を絞め殺すのではないかと思うほど、怒っている。


「どんな魔法をかけたか知らないけど、さっさとその魔法を解いて光一を解放しなさいよこの悪魔!!」


彼女の放った一言を聞いて、葉音は目を細めた。


『こいつ……馬鹿じゃないの?』


もちろん葉音は、光一に魔法などかけてはいない。


「なんとか言ったらどうなの!?」


「なんとか」


「ふざけんじゃないわよ!!」


彼女は手を降りあげる。そのまま葉音をひっぱたくべく、その手を振り下ろそうとしたのだが。


「!!」


「暴力はんた~い」


その手は、動かなかった。


「……っ!!」


「何を勘違いしているか知らないけど、光一は自分の意志でここに来てるの。


解放? ばかばかしい。」


「そんなわけないでしょうっ!! 10年以上も拘束しておいてっ!!」


「10年以上……そういえば、そうだったわね」


葉音は少し驚いた。


光一がここで働くようになってから、いつの間にそんなにたっていたのか。と。


「何がそうだったわね、よっ!! このまま光一を一生拘束し続けるつもりなの!?


就職もさせないつもり!?」


「あぁ~、うるさいうるさい」


葉音は顔をしかめ、耳をふさいで首を振った。


「もう帰ってよ」


「なんっ!! だいたいあ」


まだ何か言いかけていた彼女の姿が掻き消える。


葉音が魔法で追い返したのだ。


「むかつく」


葉音は一言そうつぶやくと、扉を閉めた。



「おはよ~、葉音」


次の日の朝。光一はいつも通り葉音の家にやって来た。


「おはよ」


葉音は挨拶を返すと、おもむろに光一のそばまで近付いた。


そして光一の顔を見上げる。


「なに?」


「あんた、いつの間にそんな背が高くなったの? 私より、ずっと高いじゃない」


葉音の言葉に、光一は苦笑いする。


「もうずっと前に追い越してたよ。気付いてなかった?」


「気付いてたような気もするけど、改めて考えると……びっくり」


そして葉音は口の中で小さく、「10年……10年ねぇ……」と繰り返した。


「あのね、葉音」


光一は、少しかがんで葉音と目線をあわせた。


「僕がここに来るようになってから、もう10年以上たつでしょ?」


「何よ。光一のくせに生意気ね」


葉音はプイと顔をそらす。


光一は気にせず続けた。


「僕は人間だから、成長するんだよ」


「そんなことわかってるわよ」


葉音はそう答えると、へそを曲げたのか自分の部屋に入って行ってしまった。


後には光一が1人残される。


「ほんとに、わかってるのかな……」



その日、夜になっても葉音は部屋から出て来なかった。


「葉音~、また明日ね~」


大きめの声でそう呼び掛けて、光一は葉音の家を出ようとする。


「ちょっと待って」


すると、部屋から葉音が出て来た。


何やら分厚い茶封筒を持っている。


「あげるわ」


葉音はその茶封筒を光一に手渡した。


「はぁ……何、これ?」


「お給料よ」


「はぁ!?」


光一は驚き、慌てて中身を確かめた。


そこには、お札がギッシリ入っていた。


「ちょっ、こんなの受け取れないよ! ていうか、なんで突然お給料なんか……」


光一は慌てて封筒を葉音に返そうとする。


しかし、葉音は受け取らなかった。


「昨日の晩、あんたの母親が来たわ」


「……」


光一は、昨晩の母親とのやり取りを思い出す。


「お母さん、葉音のところになんか来たんだ……ごめんね。迷惑、だったでしょ……」


「ほんと。五月蠅くてかなわなかったわ」


葉音はその時のことを思い出したのか、顔をしかめる。


「ヒステリックにわけのわからないこと喚いて……ほんとムカツク。もう二度と来て欲しくない」


「だよね……」


「だから、あんたにお給料を払うことにしたわけ。ここに就職したってことにすれば、文句ないでしょ。


だから毎月それと同じ額あげる」


「でも……」


光一は札の束を見つめ、しばらく悩んだ。


葉音にお金をもらうのは、気分が良くない。


そもそも光一が葉音の家に通うのは、それ事態が代償の代わりであると同時に罪滅ぼしのようなものだ。


それでお金をもらうというのは、違うと思うのだが……


「わかった。もらっておくよ」


光一はそれを受け取った。


今はまだいいが、将来大人になっても働かないというのは、さすがにまずい。


例え気分が良くなくても。根本的におかしいとしても。


それだけは、変わらない。


ただでさえ心配をかけてばかりの親不孝者なのだ。


一生すねをかじり続けるわけには、いかない。


「そ。じゃあ今日はもう帰っていいわよ。また明日ね、光一」


「うん。あ、葉音」


部屋に戻ろうとした葉音の腕を掴み、光一は言った。


「僕が来るのは、明日からも、お金のためなんかじゃないからね」


それに対し、葉音は少しだけ笑った。


「わかってるわよ」



「光一! よく考えなさい!


小さい時にした口約束じゃない! これ以上守り続ける必要ないわよ!」


お母さんの怒鳴り声が響く。


こんなことは、今までもたびたびあった。


お母さんは僕の将来を心配してくれているのだ。


「うん……でも約束は約束だし、契約だから」


「あんな悪魔なんかとの契約なんて、破りなさい!!」


「葉音は悪魔なんかじゃないよ!!」


僕は思わずそう怒鳴り返してしまった。


言ってしまってから後悔する。


葉音は天使でも悪魔でもあり天使でも悪魔でもない存在。


お母さんが葉音を悪魔だと思うのは、自由だ。


「少なくとも僕にとっては、葉音は悪魔なんかじゃないよ。


お母さんにとっては、悪魔なのかもしれないけど……僕は葉音が、好きなんだ」


「その気持ちだって、もしかしたら魔法で変えられたものかもしれないじゃないの!」


「それは、ないよ……もう遅いし、僕寝るね」


「ちょっと光一!」


お母さんはまだ何か言おうとしていたが、僕は自分の部屋に逃げ込んだ。


『その気持ちだって、もしかしたら魔法で変えられたものかもしれないじゃないの!』


それはない。人間に興味のなかった昔の葉音が、僕に好かれたがるとは思えないから。


でも。でも、そうならいいのに……

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