第5話

「あの……ティンク、そろそろ降りても大丈夫なのでは……?」


高く高く空に上っていくティンクに、ヴェルはそう尋ねた。


すでに地上の風景はとても小さくなっている。


「せっかくヴェルをつれて飛んできたんだし、私たちの世界を案内しようかな~って思って♪」


不安気なヴェルとは対照的に、ティンクはお気楽な声で答えた。


「私たちの家は、山の上にあるの。案内するね♪ 海にすんでいる人魚がホントにいるって言ったら、みんなびっくりするだろ~な~」


山の上。ヴェルにとっては未知の世界だった。心の中が好奇心でいっぱいになる。


しかし……


「わたくしを連れて行ったら、掟を破ったことがばれてしまいますから……降りた方がいいと思います。とても、残念ですけれど」


ヴェルは案内を断った。罰はないとのことだったが、掟を破ったことがばれるのはよくないだろうと思ったのだ。


「掟か~忘れてた。


でもさ、みんな本当は地上に降りてみたいって思ってるのに、『地上に降りてはいけない』っていう掟がじゃましてるの。


別に破ったって何かが起きるわけじゃないし、全員が掟を破ればそんなの掟じゃなくなるよね♪


それに、伝説の人魚が本当にいるって知ったら私たち人魚は、一つの一族になるかもしれないよ!


それってすてきなことだと思わない?」


ティンクは掟のことなどずっかり忘れていた。もともとティンクには、掟を守ろうという気持ちがあまりなかったのだ。


「確かにそうなるかもしれませんわね。そうなったらすてきですわ」


「私たち、一緒に住めるかもね!」


やがてティンクとヴェルは山の上にある人魚の集落についた。


ゆっくりと地面にヴェルをおろす。ティンクは地面に降りず、中に浮き続けていた。


「ティンク、その子誰?」


突然木の間から、ティンクやヴェルと同い年くらいの人魚の少女が現れた。ティンクの友達だ。


「ヴェルって言うんだよ~。新しい友達♪」


「へ~。初めまして♪ 私は、フィフィー。ねぇ、なんで地面に座ってるの?」


フィフィーは不思議そうにヴェルを見て尋ねた。空に住む人魚達は普通、地面に尾びれをつけない。


地面に座っているヴェルの姿が、とても不思議に思えたのだ。


「は、初めまして。私はヴェル・エレクトーンといいます。私は、飛べないんです」


ヴェルはじろじろと見られ、少し赤くなってそう言った。


「飛べないってどういうこと?」


「海に住んでる人魚がいるっていう伝説、本当だったんだよ! ヴェルは海に住んでる人魚なの!」


ティンクがそう説明すると、フィフィーは驚いて固まった。しばらくして、口を開く。


「ティンク、掟破ったんだ……でもすごい発見したんだし、みんなに報告しなきゃ」


「報告か~どうやって?」


「とりあえず……村長に会いに行きなよ」


「OK♪ じゃぁ、行くよ、ヴェル」


「わかりました」


ティンクがヴェルを抱き上げる。そして、ひゅ~と飛んで、あっという間に村長の家にたどりついた。


「疲れた……」


「ごめんなさい、ティンク。重いでしょうに」


ヴェルは顔を赤くして謝る。


「ヴェルは軽いよ~」


そんなことを言い合っていると、人魚のおじさんが出てきた。空に住む人魚の村の村長だ。


「村長、聞いてください。彼女、ヴェルは、海に住む人魚なんです♪」


ティンクがヴェルを紹介する。ヴェルは村長に軽くお辞儀をした。


「初めまして。ヴェル・エレクトーンです」


村長は驚いてヴェルを見る。ティンクはヴェルをそっと地面におろした。


「確かに見ない顔だが、海に住む人魚というのは本当か? あれはただの伝説だろう?」


「いえ、本当です。私は、海に住む人魚ですから」


ヴェルはどう言えばわかってもらえるか考えながら、ゆっくりと説明する。


「私たちは生まれたときから海に住み、海からでることはありません。


海から出たのは私も初めてで、山も森も話には聞いていましたが実際に見るのは初めてなんです」


「ふむぅ……」


村長はしばらく考えると、ティンクの首飾りを指さして尋ねた。


「君には、あれが何かわかるか?」


「え?」


「あれは、地上の、海のものであるらしいということしか我々にはわからない。


だが海に住む者なら、知っているだろう」


ヴェルは驚く。


「何って、貝殻でしょう?」


ヴェルにとってはあまりに当たり前のこと。尋ねられるとは、思ってもみなかったのだ。


「え? これって、貝殻だったの? ヴェルが観察するのが好きだって言ってた、あの?」


ヴェルの答えに、今度はティンクが驚く。ティンクの言葉に、ヴェルも驚いた。


「知らなかったんですか?」


「うん。知らなかった」


「それでティンクは、私が趣味の話をしたとき、難しすぎるって言ったんですね」


ヴェルは納得し、一人うんうんとうなずく。ティンクはそれとは別の理由を言おうと思ったが、言わないでおいた。


「本物、か……地上に降りるのは掟で禁止されているが……しかし……」


村長はぶつぶつつぶやいていた。そして、ヴェルに言った。


「明日、海に行ってみようと思う。誰か大人の人を、紹介してくれないか?」


「はい! 喜んで!」


ヴェルはにっこり笑って答えた。


「ティンク、そういうことだから明日、私を彼女のいるところに案内しなさい。


それから今日はもう遅いから、彼女を海に帰してあげるんだ」


「は~い♪」


村長の言葉に従い、ティンクはヴェルを抱き上げた。そしてゆっくりと、海に降りていった。


「じゃぁ、今日はこれでね」


ヴェルを海におろすと、ティンクはそう言って帰ろうとした。


「あ、ちょっと待ってください」


ヴェルがティンクの腕をつかみ、引き留める。


「ちょっと見てほしいのです」


ヴェルは砂浜にあがり、思いっきり飛んだ。


地面から数センチ上のところに、ヴェルは浮き上がる。


「私たち海に住む人魚にも、飛ぶ能力はあるようなんです。きゃぁ!」


しかし、ヴェルはすぐに砂の上に落ちた。


「すご~~い!」


「考えたんですけど、私たちにも飛ぶ能力があるということは、空を飛ぶ人魚にも泳ぐ能力があるかもしれません」


「え~~~!?」


ティンクは驚いた。今日一番の驚きだった。


「じゃぁ、本当に一緒に住める日が来るかもしれないね!」


「えぇ!」


「今度から私、泳ぐ練習するよ! 泳ぎ教えて!」


「もちろんです。私にも飛び方、教えてください」


「うん♪」


二人はそう約束し合って分かれた。



次の日。ティンクは村長だけでなく、たくさんの人魚を連れてきた。


ヴェルもたくさんの人魚を海面に呼んでいた。


空に住んでいる人魚も、海に住んでいる人魚も、とてもとても驚いていた。


こうして二つの人魚の一族の間に交流が生まれ、やがて空に住む人魚達は泳ぎを覚えて海に住むようになった。


こうして人魚の一族は、再び一つにまとまったのである。

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