水とガラスとかたつむり
水とガラスとかたつむり
毎日暑い日が続くが、朝の5時頃までならばまだ涼しい。
しかしこの時間、俺の飼い主サマはまだ夢の中だ。お気に入りのガラス製品に囲まれて、床で静かに眠っている。寝返りでも打って割るかもしれないとは思わないのだろうか。薄紅色の花瓶やら、透き通った女神像やら、かなりの値段がするものだろうに。
キィッと音を立てて、扉が開いた。静かな部屋の中では妙に響いたようにも感じたが、飼い主サマを起こすほど大きな音ではない。
「おはよう、かたつむり。元気?」
入ってきたのは婆さんだ。飼い主サマにお金を出しているお金持ち。飼い主サマの飼い主。
「年寄りは早起きだな。おはようさん。で、俺はかたつむりじゃない。いい加減覚えろよ」
「無理よ。うーあー……なんだったかしら」
「ウーパールーパーだよぼけ老人さん。けどそれは長いし覚えられないだろ。俺だって最初から期待してない。俺が覚えろって言ってんのは俺の名前。
『カラコル』だよ」
「それだって無理よ。カラコロ、とかって覚え間違うに決まっているわ。もうかたつむりって覚えちゃったの。だってかたつむりって意味なんでしょう?」
「……スウイのやつがもっと普通の名前をつけてくれてりゃあな」
相変わらず健やかに眠り続けている飼い主サマを見やる。
あ、ちょっと動いた。危ねぇ。もう少しで腕が横のガラス壺に当たるところだった。
「で、彼はお元気?」
すぅ、っと、婆さんの目が細くなる。スウイを慈しむ笑み。それを見た俺の感想は、おぉ、怖い。
「元気だよ。変わりない」
「何かわかって?」
「いいや。相変わらずほとんどしゃべらねぇし」
「それじゃつまらないわ」
せっかくあの子は美しいのに、と婆さん。美しい物にはそれに似合う逸話が必要。それがあればもっと輝いて見えてくるから。それがなくちゃ美しくてもつまらないから。というのが婆さんの持論。
「一週間後、また来ます。その時までにスウイから何か聞き出しておいてちょうだい」
「あんたの望むような話が簡単に出てくるとは思えないけどね。まあ適当に頑張るよ」
「よろしくね」
水槽を軽く指ではじき、婆さんは来た時と同じく静かに出て行った。
*
スウイが起き出して来たのは9時過ぎだった。そろそろ日も高く昇っていて、暑い。冷房を入れて欲しいが、多分聞いてくれないだろう。スウイも暑さを好かないが、冷房の風はもっと好かない。むしろ嫌う。
「おはようさん」
そう挨拶すると、奴はにっこり笑ってこっちを見た。
澄んだ水色の瞳が、おはようを返す。
んーっと伸びをした後、スウイは床中のガラス製品を器用によけながら鏡台に向かった。スッと椅子を引いて座り、柄がガラスで出来たブラシで真珠色の髪を丁寧に梳かし始める。
スウイは本当にガラスが好きだ。ひんやりしていて故郷を思い出せるからだと、前に瞳が語っていた。
彼の瞳はとても澄んでいる。透明度の高い、どこまでも深く覗けそうな海のようだ。実際、少しではあるが心の中まで見えてしまう。だからしゃべらなくても困らない。
座ったまま身体をひねって振り返った飼い主サマの意志に、舌打ち。駅前の広場で行われるイベントに、一緒に行こうというのだ。
「やめようぜ外暑いじゃん」
声を出さずにスウイは笑った。カラコルは強いから大丈夫、こういう時いつもこいつはそう思っている。確かに俺は普通のウーパールーパーじゃないが、暑いのが嫌いなのは同じだってのに。
立ち上がったスウイは台所に行き、水の入った小瓶を取って俺のいる水槽に寄って来た。目線をあわせ、俺にニッコリ。俺が何と言おうと一緒に行くつもりらしい。無邪気だが反論を許さない、意志の籠もった水色。ちくしょう。
水槽に手を突っ込んで来た。そのまま俺を掴み、小瓶に移す。普通の人間に触れられたら俺は火傷するが、スウイの手なら平気だ。むしろ冷たくて心地良い。こいつは恐ろしく体温が低いのだ。
「水槽で飼ってるペットを連れ歩こうなんざ無理がないかい、飼い主サマよう」
最後の悪あがきでそう言ってみた。瞳はさっきと同じ。カラコルは強いから大丈夫。
「俺が強いってどうして思う」
一瞬、目を閉じるスウイ。
――コルテーゼさんが連れてきたから。
泡になって消えそうな、小さな声。こいつがしゃべったのは久しぶりだった。
「お前、あいつをどう思う?」
スウイは目を合わせてこなかった。返事をする気がないということだ。瞳をじっと見つめれば少しはその心を覗けたかもしれないが、飼い主サマは俺が入った小瓶に空気穴の開いた蓋をして、さっさとポケットの中に入れてしまった。よって、その心をのぞき込むことは叶わなかった。
まぁどうせ、『いい人』とは思ってないだろう。俺だってそうは思わない。
*
有名なアニメの主題歌、長く続いているテレビ番組のテーマ、誰もが一度は歌ったことがあるであろう童謡。バイオリンで演奏されると、また印象が違って聞こえる。何より、演奏しているねーちゃんの太ももが美しい。来て良かった。隣でキーボードを弾いている兄ちゃんは大した顔じゃねーくせにイケメンぶっていていらつくが。
どの曲も知らないだろうに、スウイは目を輝かせて聞いている。一曲弾き終わり、二人が礼をすると夢中で手をたたく。時々こちらを見る目は、すごいすごい、とはしゃいだ気持ちを伝えてくる。イケメンきどりがふざけた眼鏡で子供達を笑わせる。スウイも笑う。バイオリンのねーちゃんがスウイと目を合わせて微笑む。それに照れて、嬉しそうに俺を見るスウイ。ちくしょうスウイめ。羨ましい。光を受けて虹色に輝く白い髪。それに透き通った水色の瞳。スウイはいつだって悪目立ちしてしまうが、こういう時は得だ。
やがて全ての曲目が終わり、ねーちゃんとにーちゃんは礼をして退場していった。うん、いい脚だった。
冷たい視線に顔を向けると、あきれたような顔のスウイ。俺がねーちゃんの脚ばかりに気を取られ、演奏をろくに聞いてなかったと思っているらしい。
「失礼な誤解すんなよ。ちゃ~んと、輝く二の腕も見てたっつの」
もう良いよ、とでも言いたげにため息をつかれた。
「それ、ウーパールーパー?」
突然、すぐ側で演奏を聞いていた子供が話しかけてきた。イベントだけあって子供が多い。俺は子供が苦手。触って来そうで怖いからだ。瓶の蓋は閉まってるから大丈夫だとは思うのだが、安心出来ない。
スウイにニッコリと見つめられ、子供はどぎまぎとうつむいた。
キャラクターの描かれた自分の靴を見ながら、もじもじと指先でスカートをいじる。
「あのね、テレビでね、それと同じの、見たことあったから」
言い終わった途端に、パッと母親に向かって駆け出した。柔らかな目でそれを見送った後、スウイは膝においていた瓶を手に取り、立ち上がった。
このステージで行われるイベントはまだまだ続く。だが次のマジックショーを最後まで見ると、婆さんが決めた門限に間に合わないのだ。誰が確かめるわけでもないのに、スウイは婆さんとの約束をいつも守っている。
――あ
二、三歩歩いて立ち止まり、スウイはじ、とある一点を見つめた。数ある屋台のうちの一つ。屋台としては少し珍しいかもしれない。模様大きさ様々な風鈴を売っている。
ととと、と屋台に近寄るスウイ。俺の存在が忘れられていそうで不安だ。落とされたら困る。
りーん……りーん……
風がふくたび鳴る涼しげな音に、スウイはしばらく目を閉じて聞き惚れていた。やがて目を開け、一つの風鈴を指さす。そして奥にいるおっちゃんをじっと見つめたが、おっちゃんは何か作業をしていて気づかない。
――おじさん
蚊の鳴くような声は、おっちゃんには届かない。助けを求めて俺を見る。俺は黙って首を振った。ウーパールーパーが大声出したら、騒ぎになっちまうじゃねーか。スウイはしばらく迷うように瞳を揺らし、やがて決心したのか大きく息を吸った。
「おじさん、これ下さい!」
俺は思わず吹き出した。大きすぎ。通り過ぎて行く人が振り返るくらいの声だった。当然おっちゃんも今度は気づく。
「おう、元気いいね。けど多分坊主にはちょっと高いぞ。お金あるか?」
少し愉快そうな顔は、笑いをこらえているのだろう。
「大丈夫!」
さっきより少しだけ音量を下げて答えるスウイ。それでもその声からは、必死! という感じがありありと伝わってきて面白い。
「おう、じゃあ千五十円だよ」
「はい!」
スウイは俺を一端地面に置き、財布から千円札を二枚取り出した。それをぐっと握っておっちゃんに差し出す。
「あいよ、お釣りと、商品。割れないように気をつけて持って帰れよ!」
「うん!」
幸せいっぱい、という様子で駆け出すスウイ。おい、俺! と焦ったのもつかの間、すぐに戻ってきて拾ってくれた。危ねぇ。
申し訳なさそうにのぞき込んでくる瞳を軽くにらんでやる。お前において行かれたら、俺は帰れねーんだからな! しばらく許してやるもんか、と思ったのだが、スウイはしゅん、とうなだれてしまった。見てて可哀想になる程寂しげな表情。ああはいはいわかったよ。許してやると、たちまちぱあっと花が咲いたように笑う。
りーん……、スウイが手に持つ風鈴が鳴った。透き通った音色は、持ち主の瞳を思わせた。
―― 終わり ――
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