2012エイプリルフール作品

 これが羽だったらよかったのに、と、クーは首を触りながら恨めしく思った。クーの首の両脇にはエラが生えている。水泳大会の時には大活躍してくれたが、今は何の役にも立たない。

「んー……!」

 つま先立ちして手を伸ばしても、ぴょこぴょこジャンプしてみても、あとちょっとのところで届かない。あとちょっと紐が長かったら。あとちょっと背が高かったら。もしもの話はため息と一緒に浮かんでは消えていく。

「取ってやるよ」

 ふいに後ろから話しかけられて、ビックリして振り返った。知らない男の人。クーは慌てて首のエラを髪で覆った。エラはなるべく見せない方が、初めて会う人とは上手くやれるのだ。とーしゃひ、クー調べ。

「ほれ」

 そんなクーの様子を軽く流して、男はいとも簡単に紐を掴んだ。木に引っかかっていた赤い風船が、クーの頭の高さまで下ろされる。

「もう離すなよ」

 ニッと笑った男の綺麗な青い目にどぎまぎし、クーは風船を取り上げるみたいにひっつかんでその場から逃げてしまった。

 家に飛び込むと、玄関でオレイユが靴を拭いていた。オレイユお気に入りの靴の色は、いつも膝に乗せている鞄とお揃いの葡萄酒色だ。ただし、靴の方が新しくてぴかぴかしている。

「あら、お帰りなさい。丁度良かったわ。買い物に行きたいの。帰ってきてすぐで悪いけど、車椅子押してちょうだい」

「うん」

 クーがうなずくと、オレイユは柔らかく微笑んだ。オレイユの小さな目は、笑うとしわしわの瞼の中に入っていきそうになる。その様子を、クーはお布団に潜り込む猫のようだと思っていた。 「風船はお玄関に置いておきなさいね」

「わかった」

 ドアから少し離れたところで手を離す。ふわふわと浮かび上がった風船は、天井に軽く何度かキスをして、落ち着くとそのまま大人しくなった。

「これね、今日、手を離しちゃって」

「あら」

「木に引っかかったのを、男の人が取ってくれたの」

「ちゃんとお礼は言えた?」

「あ……」

「駄目じゃない。どんな人?」

「茶色い髪で、青い目してた。初めて会う人だったよ。外の人」

 この村は人口が少ないので、クーでも村人全員の名前が言える。知らない人はみんな、外から来た人だ。

「あら、それならお向かいに引っ越してきた人だわ」

「お向かいはピエトラはかせのお家でしょ?」

「そうよ。でも博士、今月から研究で遠くに住むことになったから。戻ってくるまでの間、あの人があそこに住むの」

「じゃああの人、ずっとここにいるの?」

「大体一年ぐらいわね」

 クーは嬉しくなって、スカートをぎゅっと掴み、ぴょんと跳ねた。外から来た人だから、もう会えないと思っていたのだ。

「さ、出かけましょ。お礼のお菓子を買って、後でご挨拶に行きましょうね」

「クー、一人で行けるよ」

「私も一緒に行きますよ」

「一人で行けるよ!」

 急にクーが大きな声を出したので、オレイユは目を丸くしてぱちぱちと二回瞬きをした。

「一人で行きたいの?」

 こくこくと強くうなずく。オレイユは眉を寄せて困った顔をしたが、「それじゃあお願いしようかしら」と了承してくれた。



 数時間後、お菓子の入った紙袋を地面に置き、クーは上を見上げて途方にくれていた。これじゃお昼のときとおんなじだ、とぼんやり思う。ピエトラ博士の家のインターホンは少し高いところにあって、クーの背では届かないのだ。いつもオレイユに膝の上に乗せてもらってインターホンを押していたことを、すっかり忘れていた。

「また届かないのか?」

 肩に手を置かれ、ビクッとする。昼間の男の人が、少し意地悪な顔で笑っていた。

「あの、風船……ありがとうございました!」

「ああ、あれ。気にするなよ。お前、この辺の子?」

「向かいの家の、クー・グロースです! これ、今日のお礼と初めましてのお菓子!」

 なんとか言い切って、紙袋を渡す。緊張して勢いよく差し出したので、また笑われてしまった。 「エルフの婆さんとこの子か。俺はアーレイ。アーレイ・リゼブルク。お使いありがとな、婆さんによろしく」

 じゃあな、と、アーレイはドアノブに手を掛けた。行ってしまう、と何故か慌てたクーは、その服を引っ張った。

「なんだ?」

「えっと、えっと……」

「早く帰んねーと婆さん心配するぞ」

「お、お家! ピエトラはかせのお家見てみたいの!」

 嘘では無かった。ピエトラ博士は石を研究していて、家には世界中の石がしまってあるらしいと前にオレイユに聞き、気になってはいたのだ。

「あー、また今度な。今日は駄目。もう夕飯の時間だし、俺が来たばっかで中散らかってっから」

「今度なら、いいの!?」

「ああ、いいぜ」

 わしゃわしゃと撫でられたつむじの上から、じんとした暖かさが体に広がっていく。「約束ね!」クーはそう叫ぶと、一目散に家へと戻った。



 それからクーはちょくちょくアーレイの家に遊びに行った。残念ながら石のコレクションは「大きくなったらな」と言われてしまい見せて貰えなかったのだが、その代わりアーレイは今まで住んだ色々な街の話をしてくれた。食べ物が美味しい街、建物が綺麗な街、海に近い街、商業が盛んな街……

「アーレイはいっぱい引っ越ししてるんだね」

「まあな。ここも一年半ぐらいで離れる予定。博士が帰ってきたらバイバイな」

「えー! ずっといてよ。お引っ越しって大変でしょう?」

「好きだからい~の。ほら、お前もちょっとは自分の話しろ。俺はそろそろネタ切れ」

「クーの話……」

 困ったことになった。クーはオレンジジュースに視線を落とした。どうしよう、どうしよう。

「えっとね、クーのおばあちゃんはね、昔有名な女優さんだったんだよ!」

 口から出たのは、オレイユの話だった。クーの話は、出来ないのだ。

「エルフ耳がめずらしいから、かわいいってみんなに褒められたって。いろんな劇場でお姫様をやったんだって! それでね、役者さんと、たくさん恋をしたって。いつも持ってる鞄はね、恋人さんに貰った思い出の鞄なんだって」

「へぇ。そりゃすごいな」

「代表作は、オオカミ少年だって。もちろん、お姫様役だったって」

「……オオカミ少年のお姫様?」

「うん」

 アーレイが少し眉をひそめたのを見て、クーは首をかしげた。

「アーレイ、見たことあるの?」

「んー……俺、演劇には興味が無いからな。どんな話かもわからない。ごめんな。そうだ、ジュースのお代わり飲むか」

 おかしな様子で台所に行こうとしたアーレイは、途中でゴンッと左肩を食器棚にぶつけてしまった。

「大丈夫?」

「……おう、大丈夫大丈夫」

 右手で肩を押さえてぷるぷるしながら、左手を軽く挙げてみせる。顔は見えなかったが、クーはその様子に感心した。

「痛くないんだ! アーレイすごいね!」

「まあな」

 返ってきたアーレイの返事は、なぜだか少し震えていたのだった。



「おじゃましましたー!」

「おう、また来いよ」

 元気よく挨拶をして、アーレイの家を後にする。外まで見送りに出てくれたアーレイが家に入ったのを見て、クーはほっと息をついた。

 “自分の話しろ”と、アーレイは言った。でもクーは、オレイユの話しか出来なかった。クーの話は出来なかった。クーはほんとはクーじゃないから、クーのことは、よく知らないのだ。そしてそれは、絶対にばれてはいけない嘘。

「ただいまー」

「お帰りなさい、遅かったわね」

 家に入ると、リビングからシチューのいい匂いが漂ってきた。オレイユが夕ご飯を用意してくれていたのだ。車椅子から降りれないオレイユが一人で料理をするのは大変なのに、今日は手伝いそびれてしまった。

「ごめんねおばあちゃん」

「何が?」

「お手伝い……」

「いいわよ。たまには一人でも大丈夫」

 オレイユが笑う。寒がり猫が、布団に潜る。

「……ねえ、おばあちゃん。おばあちゃんもクーに、嘘ついてるんだよね?」

「どうしたの急に。そうよ。みーんな一つは嘘をついてるのよ」

「じゃあ、クーが嘘ついてるのもいけないことじゃないよね?」

「そうよ。“あ、これは誰にもばれたら駄目な嘘だ”って思った嘘は、絶対誰にもしゃべっちゃ駄目よ。ばれたら消えちゃうもの」

「消えちゃう……」

「そう。消えちゃうの」

 お母さんもお父さんもお兄ちゃんも、そうやって消えてしまったのかもしれない。クーはぎゅっと唇をかみしめた。もしかしたら、本物のクーも。

「どうしたの、クー。何かあった?」

「なんでもない……ねえ、今日はいっしょに寝ていい?」

「甘えんぼさんね。それじゃ、今日は久しぶりに絵本を読んであげましょうね」

 オレイユはぽんぽんとクーの頭を撫でた。

「大丈夫。みんなね、人が消えるとこなんて見たくないのよ。だからちょっと変だと思っても、疑わないようにするのが普通。私もあなたを疑わないわ。だからクーが消えることなんてありません」

「うん……」

 クーはオレイユにぎゅっと抱きついた。暖かい。

「おばあちゃん、大好き」

「私もよ、クー」

 その後、すぐにご飯になった。オレイユの作ってくれたシチューは、とても美味しかった。ほっとしたクーは、オレイユに話したいことをなんでも話した。

「あのね、アーレイって引っ越しがほんとに好きなのよ。いっぱい引っ越ししてて、色んな街に住んでるの! 色んな街を見るのが楽しいんだって」

「そう。素敵ね」

「それとね、アーレイってね、強いのよ。ゴンッてすごい音がしたのに、肩痛くないって」

「すごいわね」

「あとね、アーレイはね」

 そこでクーは声を潜めた。これはクーが最近気付いた秘密だ。オレイユにしか教えてあげるつもりはない。

「座ってるときも立ってるときも、必ず私の左にいるの」

「面白い癖ね」

「クーは必ずくつを左から履くでしょ、だからなんか嬉しいんだ」

「お揃いね」

「うん!」

 クーは足をぱたぱたさせて笑った。さっきまでの不安はどこかに飛んで、今はとても楽しい気分だった。



 一人には大き過ぎるテーブルで、アーレイは夕食を取っていた。今日のメニューはカレー。たまたま安かったので、羊の肉入りだ。自然と昼間の会話を思い出し、苦笑いをしてしまう。

(オオカミ少年のお姫様、ね……)

 オオカミ少年の内容ぐらい、演劇に興味のないアーレイでも知っている。お姫様なんて、この話には出てこない。

(嘘をついてるとは限らない。あの婆さん結構な歳だから、単にぼけて演目の題名を間違えてるのかもしれない。向かいはちゃんと電気が付いてるし、何事も起きてないみたいだからとりあえず大丈夫なんだろう。ぼけなのか嘘なのか、嘘だとしたらどっからなのか……考えないのが吉だな)

 ため息一つ。左目に手を当てる。

(俺も早く歳を取りたいもんだ)

 早く本当も嘘もわからなくなってしまいたい。そうすれば気も楽になるだろう。老眼なのだとごまかせるようになれば、引っ越しを繰り返さずに済むかもしれない。

(ま、まだまだ先の話だからな。気合い入れて生きないと)

 改めて気を引き締める。人付き合いはあまりしないようにしているのだが、小さい子を邪険にも出来ない。目の前で人が消えるところなど、見せるわけにもいかない。

(あいつもそのうち嘘に“降られる”んかなー。なるべく遅くて、しかもばれにくいのだといいんだが)

 スプーンを置き、手を合わせる。クーの無邪気な挨拶を思い出しながら一言。

「ごちそーさまでした」

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