第5話 Soft & Wet

 車いすを押して彼女を病室まで送った。


「あのね…なんで病院にいたの?」

「えっ?」

「通院してるの?」

「う…うん…まぁ…」

「病気なの?」

「あぁ…まぁ…」

 正直、その先は困った。

 何科に?

 そう聞かれるのが怖かった。

 僕が病んでいるのは身体じゃない。

 精神こころだ。

 それを知られるのが怖かった。

 けれど、彼女はそれ以上聞いてこなかった。

「あのね、何曜日に来るの? 今日何日? 何曜日?」

「今日は…水曜日だね」


 長いこと入院していると曜日とか日にちとかが解らなくなるそうだ。

 まぁ彼女の性格のせいもあるのだろうが、彼女は

「そういうものなの」

 と言って譲らなかった。


 いつしか僕は、毎週水曜日に、彼女と話すのが楽しみになっていた。


 雨の日は病室で

 晴れた日は屋上や中庭で

 僕は彼女の車いすを押しながら、彼女と話した。


『ナミ』が大切な人だと思えるようになった…

 ナミがチョコが好きだと知った。

 ナミが夕暮れが好きだと知った。

 ナミが…もう歩けないことを知った…

 ナミの病気が交通事故による感染症だと知った。

 ナミが…もう…長くないと…知った…


 知りたくなかった…


 その夜…僕は、ナミの隣で眠った。

 TickTack…TickTack…

 病室の秒針がやけに早く感じた。

 TockTock…TockTock…

 動き出した鼓動は?


 ナミの鼓動を止めたくない。

 そう思った。


「ナミ…身体を丸めて…」

 眠りかけていたナミを背中から強く抱きしめた。

「ユキ…なに?」

「ん? 少し目を閉じて…そのまま眠って…」

「うん…ユキ…大好きだよ」

「うん」

「ユキ…ありがとう」

「うん」

「ユキ…逢えて良かった」

「……ナミ…愛してる…ずっと…ずっと…」


 ナミの身体をオレンジの光が優しく包んで…


 暗い病室にナミの寝息が静かに…とても静かに…


 TickTack…TickTack…

 思い出を数える様に

 TockTock…TockTock…

 鼓動は悲しく心に響いて… 


「もう…静かにしてくれよ…終わったんだ…」




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