--○○の馬鹿!
口から出かかった言葉を、しかしそのまま飲み込むしか無かった。考えて見たら、私はこいつの名前を知らないのだ。取り落とした携帯電話を拾い、とりあえず逃げた。
毎日この信号で出会う少年は、自分のことをあまり話してくれない。とはいえ、ここはスピードを上げて突っ込んでくる車の多い、カーブ後の横断歩道。よく花が供えられていて、見る度に苦い気持ちになる。そんな場所に現れる、10歳ほどの半透明の少年、というだけでまあ、お察しだ。
彼はわざと人が嫌がるようなことをする憎たらしいタイプの子供だ。
「あんたここで俺のお姉さんになってよ」
「ちょっ! 怖いこと言わないで!」
私を怖がらせようと横断歩道の途中で背中を引っ張ってきた時には少し本気で叱ったが、ニヤニヤするばかりで反省の色を見せなかった。それでも何となく分かるのは、本気で人を呪ったり殺したりするつもりはないこと。車が来ているときには私にいたずらしたりしないし、むしろ何度か「車来てるぜ」と注意を促してくれた。
ちなみに私は彼と話すとき、携帯電話を耳にあてることにしている。彼は私にしか見えないらしいので、端から見たときの怪しさを軽減するための苦肉の策だ。
「なぁ、俺ってかわいそうだと思わない? セックスも恋も知らねーで、童貞のままなんだぜ。お姉さん恋って何か教えてくれる?」
「マセたこと言わないの」
この通りは近所の男子高生がよく使う。どうやら彼らの会話から、そういうことを覚えたらしい。
「“ふわふわして、空も飛べそうな感じ”らしいよ。受け売りだけど」
「お姉さんの経験はー?」
「……知りません」
「マジで! お姉さん処女? うれしー」
「小学生からそんな言葉聞きたくない……」
「じゃあさじゃあさ、俺としてみよーよ」
「人の話聞きなさ……」
気付けば少年の顔が目の前に。段差に昇ったらしい。引き寄せられて、口をつけられた。しかもそれだけで終わらなかった。彼が離れても、言葉が出ない。口の中に火がついてぼうぼうと燃え上がったみたいに、熱い。
「飛ぶような感じしねーけどー?」
--○○の馬鹿!
叫び損なって、とりあえず走り出した。
「馬鹿あぶねーって右左見ろ!!」
声は、無視。渡り終えてから自分の馬鹿さに気付いて胆が冷えたけど、幸い車は近くにいなかった。
どうしようどうしよう。こんなの困る。驚きすぎて、地に足がついている感覚がない。どこかに飛んで行っちゃいそうだ。
--○○の馬鹿!
次はちゃんと叫べるように、名前ぐらいは聞いておこう。
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