愛しのめりー
祖母がとても大切にして可愛がっていた人形があった。
すべすべした白い肌、ほんのりと紅い頬、みずみずしい唇。長い睫、ガラスで出来た青い瞳、腰まで伸びたブロンドの巻き毛。それにレースたっぷりのドレス。
名前を、芽璃(めり)という。
初めて目にしたときから「いつか私にちょうだい。絶対絶対、大切にするから」と繰り返し繰り返し、早十年。祖母が他界したことにより、芽璃はついに私の物となった。
そして私は芽璃を、迷わず捨てた。
「もう飽きちゃった」
そう、言い放って。
***
携帯に非通知からの着信。胸が、どきん、と高鳴る。大きく息を吸い、何でもない風を装って出る。
「はい、もしもし」
「もしもし。私、メリーさん。今、第二公園にいるわ」
鈴のような、高くて幼くて、可愛らしい、品のある声。想像した以上に綺麗な声に心が躍った。車に気をつけて、と言いそうになって呑み込む。もっと近くに来てくれるまで我慢。怖がっているフリをしていなければ。
「……」
すぐに切れると思っていたのに、なかなか電話は切れない。やがてポツリと、寂しそうな声がした。
「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」
電話が切れる。ああ、私の芽璃! 「お人形なんてすぐ飽きちゃうわよ」母が私にそう言うたび、「絶対飽きないよ。ずっと大好きだもん」と答えていたのを聞いていてくれたのだ。
それにしてもなんて意地っ張りな子。今まさに自分で呪い殺そうとしているくせに、捨てられて傷ついたと言うのはプライドが許さないらしい。それでも何か言いたくて、百人一首の一つを聞かせた。祖母が好きな歌だから覚えていたのだろうか。そう思うと、少し妬ける。
その後は、大体二時間おきに電話が来た。幼稚園、小学校、郵便局。そこまで聞いてハッとした。私が住んでいるのはマンションの四階。マンションには小さな子供がたくさん住んでいる。子供達が途中で芽璃を見つけて、手を出したら大変だ。どうしようと思っていると、また電話が来た。近くまで来たので、電話をかける間隔を短くしたらしい。
「もしもし、私、メリーさん。もうすぐ、あなたの住んでいるマンションに着くわ」
「今どこ?」
突然返事をしたので驚いたのか、芽璃は黙ってしまった。
「大体どの辺り?」
もう一度尋ねる。今度は、小さな声で返事があった。
「バス停」
「うちから一番近いバス停よね? そこから動いちゃ駄目よ。迎えに行くから」
一方的に言い放ち、電話を切る。走って走って、バス停へ。芽璃はそこで、困ったようにきょろきょろしていた。私の言うとおりにするか無視して進むか、迷っていたらしい。
「芽璃!」
声をかけて、抱き上げる。芽璃、芽璃、いじらしい子! 小さな足が泥で汚れ、傷ついている。靴もないのに、硬いコンクリートの道を歩いてここまで来たのだ。私を呪う、そのためだけに!
「ごめんね、芽璃。私、ただあなたを飾るだけじゃ満足出来ないと思ったの」
頬ずりをすると、芽璃はぱたぱたと暴れた。小さな腕で叩かれても、ちっとも痛くない。こんな体でどうやって私に復讐するつもりだったのだろう。考えるだけで頬がゆるむ。
「芽璃。私、動いたり、お話したり出来るあなたと暮らしたかったの。もう二度と捨てないわ。飽きたなんて嘘ついて、ごめんね」
おでこに軽くキスをする。芽璃はむくれて下を向き、消えそうな声でまた百人一首を呟いた。
「……忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな」
「そんなの許さないわ。ずーっと一緒よ。ずーっと」
マンションに向けて歩き出す。もしもし芽璃、私今あなたを腕に抱いて家に帰るわ。
終わり
お題:百人一首、嘘
※『忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな』
あなたに忘れ去られる私自身については何とも思わないですが、
永遠の愛を神に誓ったあなたの命が、誓いを破った罰として失われることが惜しいだけなのですよ。
『忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな』
忘れはしまいとおっしゃるお言葉は、遠い未来まではあてにしがたいので、
今日を限りの命であってほしいものです。
【百人一首(一覧・意味・覚え方・解説・作者・文法:百人一首の全て)】
http://www.manabu-oshieru.com/hyakunin.html
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