土塊のキューピッド

――思い出の土塊を、たたき割った。



 恋の始まりは、日本史のレポートを提出するために先生の研究室を訪れたことだった。その時点では私は先生を、解りづらい授業をする先生、としか思っていなかった。


 研究室はすっきりとしていて、よく整頓されていた。床も綺麗だった。ただ、机の上に変なものが一体。レポートを渡した後、近づいて見てみると土偶だった。


「面白いですね、これ」


 土偶は研究室の中で異様な存在感を放っていて、何か言わずにはいられなかった。だからとりあえずそう言っただけだったのに、先生はとても嬉しそうに目を輝かせた。


「だろう? これは父の形見でね。縄文時代中期のもので――」


 内容には正直あまり興味を引かれなかったし、難しかったので覚えていない。そんなことよりずっと興味を引かれたのは、無邪気に笑う先生の目だった。


 それ以来、何か理由を作っては研究室に通った。会話に困ると、土偶を褒めた。「目がなんかいいですよね」とか「色が好きです」とか。専門的なことがわからない私には、そんな間抜けたことで精一杯だったけれど、そのたび先生は子供みたいに目を細めて長々と、専門用語だらけのよくわからない話をしてくれた。内容が理解出来なくても、話す先生を眺めているのは好きだった。


「見る角度によってね、表情が違って見えるだろう?」


「はい先生」


 土偶は女の人をかたどっているものだったけど、太くて不格好で、なんとなく不細工だった。それでも先生が少し持ち上げて、目線より上の位置から私に見せてくれる時にだけは、とてもかわいらしく見えた。


 一年がたち、私はますます先生が大好きになっていた。先生に会うために学校に来ていたし、卒業後、先生なしでどうやって生きていったらいいのか本気でわからなかった。先生は私にとって誰より特別で、唯一だった。


 研究室の床が綺麗なのは、先生が研究室では靴を履き替えるからだと知った。先生は紅茶よりコーヒー派だった。たくさんの本の中には実は、研究に関係のない趣味の本も混ざっていた。パソコンのデスクトップは季節によって変えていた。裸眼かと思っていたが、コンタクトだった。




 ある日研究室を訪れると既に先客がいて、先生と楽しそうに話していた。その子はどうやら史学科の生徒で、縄文時代を専攻しているらしかった。


「見える角度によってね、表情が違って見えるだろう?」


 先生は私の好きなあの位置に土偶をあげて、その子に笑いかけていた。


 その日以来、私が研究室に行くといつもその子が先にいて、先生と何か専門的な話をしていた。先生に会うために学校に来ているのに、私は先生とほとんど話をすることが出来なくなっていた。土偶を褒めても前のように長く語ってはくれず、少し微笑むだけになった。先生の中で土偶の話をする相手役は、私からあの子に引き継がれていた。私よりも背が低くて、胸も小さくて、かわいくもないあの子に。先生にとって私は、特別でも、唯一でも無かったのだ。誰でも別に構わなかったのだ。


 あの角度から土偶を見ることは出来なくなった。机のはしに立つ土偶を上から見下ろしても、ちっともかわいく見えなかった。




 その日研究室に行ってみると、珍しくあの子はいなかった。けれど先生もいなかった。


「ああそうですか」


 大股で机に近づき、土偶を見下ろした。机の上はよく整頓されていて、いつも通り本もプリントもあるべき場所にきちんと収まっているのに、土偶だけが浮いているように思えた。しかも不細工。土偶を持ち上げ、下から眺めてみる。やはりかわいいとは全く思えなかった。太くて、不格好で、薄汚れて見えた。だから、床にたたきつけて粉々にしてやった。


 土偶が失われたことを、先生は悲しむだろう。けれど私がやっただなんて、夢にも思わないに違いない。私の想いにだって、全く気付かないままだろう。


 初めから終わりまで、本当に独りよがりの恋だった。










お題:引き継ぎ・初めから終わりまで・キューピッド・(使えそうなら)土偶

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